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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

神社行幸旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月27日 (日)

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天慶5年(942)4月、承平天慶の乱平定の感謝のための、朱雀天皇の賀茂社行幸が起源という。円融天皇の時代に、石清水行幸、平野行幸が始まり、一条天皇の時代に七社行幸が成立する。後三条天皇の時代にさらに増え、十社行幸となった。鎌倉時代後期から激減し、後醍醐天皇の時代に中絶した。のち約500年ぶりに江戸時代末に孝明天皇が攘夷祈願のための賀茂行幸、石清水行幸を行い復興された。

神社行幸と呼ぶが、天皇が直接、神社に参拝するのではなく、神前から離れたところの常設あるいは仮設の御殿に参籠し、そこから勅使を派遣し、代参する定めとなっていた。これは神社臨時祭を丁重にした形式という。一度、退位し、上皇となれば、自由に神前に赴くことができた。孝明天皇以降は、直接参拝する形を取っている。 直接の参拝が禁忌とされた理由について岡田莊司氏は「天皇は皇祖神天照大神の祭り主であり、諸神社の神々を直接出かけて親祭する立場にはなかった。飽くまでも勅使差遣の祭祀が天皇による天神地祇祭祀の原則であり、天照大神以外の個々の神社への天皇親祭はありえないという根本観念が存在して貫かれていた」と述べている。天皇祭祀と氏族祭祀は互いに不可侵・不介入の関係で成り立っていたのだという。


系譜

参考文献

  • 岡田莊司、2010『日本神道史』吉川弘文館
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E8%A1%8C%E5%B9%B8%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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