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修験道本山派の先達寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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|その他、「出世」や「寺務」など、聖護院門跡の業務を補佐する役職があった。 | |その他、「出世」や「寺務」など、聖護院門跡の業務を補佐する役職があった。 | ||
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+ | |院家1 | ||
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+ | |京都府京都市左京区若王子町2 | ||
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+ | |[[積善院]] | ||
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+ | |京都府京都市左京区聖護院中町14 | ||
+ | |史料E・F。1395年(応永2年)の記録にはある。慶長年間、尊雅が中興する(宮家1999)。聖護院の子院として現存している。 | ||
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+ | |院家3 | ||
+ | |[[住心院]](勝仙院) | ||
+ | |京都 | ||
+ | |京都府京都市中京区東洞院 | ||
+ | |史料E・F。文永年間(1264-1275)に長乗によって創建された。豪猷、深基、実意が継承。豪猷は両峯修行を9度行い、千日の那智参籠を行った。実意は足利義満側室の北野殿の熊野詣の先達を勤めた。その後、住心院は退転し、その職掌は上野律師宗秀に譲られた。その後、宗秀の流れを汲む坊に若王子や千勝院淳秀が入って、院家勝仙院と名乗った。増堅、澄存、晃玄に継承。澄存はのち乗々院に入る。晃玄は勝仙院の名を住心院の旧名に改称した(宮家1999、546)。 | ||
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+ | |院家4 | ||
+ | |[[伽耶院]] | ||
+ | |播磨国美嚢郡 | ||
+ | |兵庫県三木市志染町大谷410 | ||
+ | |史料E・F。法道仙人が創建したという。当初は伽耶坊といった。明応年間の記録にみえる。一時衰退したが、多聞坊隆恩が中興。その次の隆秀は佐渡大行院の袈裟着用許可を巡る[[三宝院]]との争いで活躍。これにより1681年(天和1年)に聖護院門跡道祐によって院家となった(宮家1999、546)。現在、本山修験宗。 | ||
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+ | |院家5 | ||
+ | |[[京都、華台院|華台院]] | ||
+ | |京都 | ||
+ | |京都府京都市左京区岩倉長谷町 | ||
+ | |史料D・Eに記載。聖護院の旧地か?? | ||
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+ | |院室01 | ||
+ | |[[因幡堂]]西坊 | ||
+ | |京都 | ||
+ | |京都府京都市下京区因幡堂町728 | ||
+ | |史料Eにはなし(「寺務」になっている)。 | ||
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+ | |院室02 | ||
+ | |[[園城寺勧学院]] | ||
+ | |近江国滋賀郡 | ||
+ | |滋賀県大津市園城寺町246 | ||
+ | |史料Eにはなし。勧学院は照高院によって再建された。[[園城寺]]子院。 | ||
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+ | |院室03 | ||
+ | |[[瀧安寺岩本坊]] | ||
+ | |摂津国豊島郡 | ||
+ | |大阪府箕面市箕面公園2番23 | ||
+ | |史料E・F。[[瀧安寺]]子院。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室04 | ||
+ | |[[南光坊]] | ||
+ | |播磨国佐用郡 | ||
+ | |兵庫県佐用郡佐用町船越877 | ||
+ | |史料E・F。現在、[[高野山真言宗]] 。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室05 | ||
+ | |[[秩父・観音院|観音院]] | ||
+ | |武蔵国秩父郡 | ||
+ | |埼玉県秩父市三峰298-1 | ||
+ | |1825年(文政8年)に院室となる(864)。史料E。[[三峰山]]。[[三峰神社]]となる。 | ||
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+ | |院室06 | ||
+ | |[[高牟婁院]] | ||
+ | |大和国吉野郡 | ||
+ | |奈良県吉野郡十津川村玉置 | ||
+ | |史料E・F。[[玉置神社]]別当。神仏分離で廃絶。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室07 | ||
+ | |[[理覚院]] | ||
+ | |近江国滋賀郡 | ||
+ | |滋賀県大津市園城寺町246 | ||
+ | |史料Eにはなし。園城寺子院。資料Iには「三井寺理覚院」とある。坊目誌[https://dl.ndl.go.jp/pid/2997392/1/185]には聖護院の近くに跡地があるとする。山城名勝志によると[[園城寺法泉院]]が理覚院を号してしたという[https://dl.ndl.go.jp/pid/1877394/1/96]。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室08 | ||
+ | |[[讃岐・金倉寺|金蔵寺]]円密院 | ||
+ | |讃岐国那珂郡 | ||
+ | |香川県善通寺市金蔵寺町 | ||
+ | |史料E・F。金倉寺は現在、[[天台寺門宗]]別格本山。円密院は不詳。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室09 | ||
+ | |[[五流尊瀧院]] | ||
+ | |備前国児島郡 | ||
+ | |岡山県倉敷市林952 | ||
+ | |「先達」の上位にある「宿老」であったが、ついで1791年(寛政3年)には「院室」に昇格したが、幕末維新期に「先達」に変わった(史料D・E)。これは本山派組織の再編成によるもので、特別な由緒を否定されて通常の制度の中に位置づけ直された。現存。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室10 | ||
+ | |[[五流太法院]] | ||
+ | |備前国児島郡 | ||
+ | |岡山県倉敷市林952 | ||
+ | |尊瀧院に同じ。廃絶か。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室11 | ||
+ | |[[五流伝法院]] | ||
+ | |備前国児島郡 | ||
+ | |岡山県倉敷市林952 | ||
+ | |尊瀧院に同じ。廃絶か。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室12 | ||
+ | |[[五流建徳院]] | ||
+ | |備前国児島郡 | ||
+ | |岡山県倉敷市林952 | ||
+ | |尊瀧院に同じ。廃絶か。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室13 | ||
+ | |[[五流報恩院]] | ||
+ | |備前国児島郡 | ||
+ | |岡山県倉敷市林952 | ||
+ | |尊瀧院に同じ。廃絶か。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室14 | ||
+ | |[[讃岐・吉祥院|吉祥院]] | ||
+ | |讃岐国鵜足郡 | ||
+ | |香川県丸亀市塩飽本島町笠島 | ||
+ | |尊瀧院に同じ。塩飽本島にあった。廃絶か。 | ||
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+ | |院室15 | ||
+ | |[[武蔵・不動院|不動院]] | ||
+ | |武蔵国葛飾郡 | ||
+ | |埼玉県春日部市小渕 | ||
+ | |幕末維新期に「元准院室先達」となる(史料E)。 | ||
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+ | |院室16 | ||
+ | |[[十禅寺]] | ||
+ | |山城国宇治郡 | ||
+ | |京都市山科区四ノ宮泉水町17 | ||
+ | |幕末維新期に「院室」となる(史料E)。現存。本山修験宗。[[人康親王墓]]がある。 | ||
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+ | |院室17 | ||
+ | |[[飯福寺蓮光院]] | ||
+ | |日向国諸縣郡 | ||
+ | |鹿児島県曽於郡大崎町 | ||
+ | |1608年(慶長13年)に先達となる(宮家1999、596)。幕末維新期に「先達僧正地」となる(史料E)。資料Iには「准院家」とある。[[飯福寺]]別当。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室18 | ||
+ | |[[有智山寺]] | ||
+ | |筑前国御笠郡 | ||
+ | |福岡県太宰府市内山御供屋谷883 | ||
+ | |史料Iには「准院室」とある。 | ||
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+ | |院室19 | ||
+ | |[[良覚院]] | ||
+ | |陸奥国宮城郡 | ||
+ | |宮城県仙台市青葉区片平 | ||
+ | |史料Iには「准院室」とある。 | ||
+ | |- | ||
+ | |院室20 | ||
+ | |[[檜原山]]法隆院 | ||
+ | |豊前国下毛郡 | ||
+ | |大分県中津市耶馬溪町中畑1422 | ||
+ | |史料E?。 | ||
+ | |- | ||
+ | |座主 | ||
+ | |[[有智山寺]] | ||
+ | |筑前国御笠郡 | ||
+ | |福岡県太宰府市内山御供屋谷883 | ||
+ | |九州[[太宰府]]近郊の有力霊山[[宝満山]]にあった天台宗寺院。聖護院末となり、座主の格式を持ったが、明治維新で寺は廃絶。現在、竈門神社がある。大山寺、竈門山寺などとも呼ぶ。 | ||
+ | |- | ||
+ | |座主 | ||
+ | |[[豊前・護国寺|護国寺]] | ||
+ | |豊前国上毛郡 | ||
+ | |福岡県豊前市求菩提202 | ||
+ | |九州の有力霊山[[求菩提山]]にあった天台宗寺院。聖護院末となり、座主の格式を持ったが、明治維新で寺は廃絶。現在、[[豊前・国玉神社]]がある。 | ||
+ | |- | ||
+ | |江戸触頭 | ||
+ | |[[江戸・大聖院|大聖院]] | ||
+ | |江戸 | ||
+ | |東京都新宿区新宿6丁目22-11 | ||
+ | |二十七先達寺院。[[西向天神社]]別当。 | ||
+ | |- | ||
+ | |江戸触頭 | ||
+ | |[[江戸・大乗院|大乗院]] | ||
+ | |江戸 | ||
+ | |東京都港区赤坂6-10-12 | ||
+ | |二十七先達寺院。廃絶。[[赤坂氷川神社]]別当。 | ||
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2024年1月16日 (火) 時点における版
聖護院を本山とする修験道本山派の先達を務めた寺院。修験道の本山寺院も参照。
寺格一覧
◾️ | 寺格 | 概要 |
---|---|---|
1 | 門跡 | 本山派修験を統括する聖護院は門跡寺院である。門跡とは、代々皇族や貴族が住職を務める寺院である(門跡寺院を参照)。本山派では門跡寺院に由来する格式である院家、院室を本山派寺院の格式の名称として用いている。 |
2 | 院家 | 院家とは、門跡寺院に附属する寺院のことである(院家を参照)。門跡の実務を担当した。また先達と同様に霞を持ち、その地域内の年行事、准年行事、同行を支配した。 |
3 | 院室 | 院室とは、院家と同じく門跡寺院に付属する寺院のことである。本山派では門跡制度に基づくこの格式を、教団の格式として使用している。院家と院室は同じ意味で使う場合もあるが、本山派では区別していた。先達の中で特に由緒が認められた寺院が院室となった(院室兼帯寺院も参照)。先達同様に霞を支配した。 |
4 | 座主 | 座主とは、一山寺院の最高職寺院に与えられた格式である。院室に準じる地位が与えられた。特別な由緒を持つ竃門山と求菩提山の2山にのみ認められた。 |
5 | 宿老 | 宿老とは、備前児島の五流修験を統括する寺院に与えられた格式である。この措置は五流修験の特別な由緒が認められたもので、「宿老」という呼称は五流修験で用いられていた格式であった。本山派内では座主に準じる地位が与えられた。 |
6 | 先達 | 先達とは、年行事や准年行事、および同行を支配する役職を持つ寺院に与えられた格式である。本来、先達とは社寺参詣や峰入における案内役のことである。ある地域が先達の霞(支配領域)として認められ、その地域内において、年行事の霞支配を認定した。主な先達が「二十七先達」として知られるが、実際には数も寺院も時代によって異同があった。近世中期以降の成立らしい(宮家1999、589)。 |
7 | 公卿 | 公卿とは、備前児島の五流修験において宿老を補佐する寺院のことである。「公卿」という呼称は、五流修験での呼称であったが、五流修験が本山派に組み込まれたあとも、そのまま本山派における格式の名称として使われている。本山派では先達に準じる地位を認められた。 |
8 | 年行事 | 年行事とは、各地方で末端の修験者(同行)たちを統括する寺院に与えられた格式である。年行事までは霞支配を認められた。年行事は、「霞」と呼ばれる区域の管轄権を与えられ、その地域内の「同行」を支配した。なお、年行事を補佐する役として「准年行事」があった。 |
9 | 御直末院 | 御直末院とは、聖護院門跡直轄の末端寺院のことである。近世になって勢力を伸ばしてきた寺院を門跡直轄として優遇した。これには、既存の先達・年行事との衝突を避けるとともに、直轄にすることにより聖護院への収入を増加させる思惑があったと考えられている。1701年(元禄14年)にはこの名称が見えており(史料H)、さらに勢力拡大により先達に昇格した寺院もある。年行事に準じる地位を認められた。 |
10 | 江戸触頭 | 江戸触頭とは、各宗派において、幕府との連絡のために幕府の命により江戸に設置された寺院である。幕府や本山からの末寺への通達、寺院から幕府への請願の取次を取り扱った。本山派では院室に準じる地位が認められた。 |
11 | その他 | その他、「出世」や「寺務」など、聖護院門跡の業務を補佐する役職があった。 |
院家・院室一覧
- 順序は仮
寺格 | 寺院名 | 国郡 | 所在地 | 概要 |
---|---|---|---|---|
院家1 | 乗々院 | 京都 | 京都府京都市左京区若王子町2 | 史料E・F。神仏分離で廃絶となった。 |
院家2 | 積善院 | 京都 | 京都府京都市左京区聖護院中町14 | 史料E・F。1395年(応永2年)の記録にはある。慶長年間、尊雅が中興する(宮家1999)。聖護院の子院として現存している。 |
院家3 | 住心院(勝仙院) | 京都 | 京都府京都市中京区東洞院 | 史料E・F。文永年間(1264-1275)に長乗によって創建された。豪猷、深基、実意が継承。豪猷は両峯修行を9度行い、千日の那智参籠を行った。実意は足利義満側室の北野殿の熊野詣の先達を勤めた。その後、住心院は退転し、その職掌は上野律師宗秀に譲られた。その後、宗秀の流れを汲む坊に若王子や千勝院淳秀が入って、院家勝仙院と名乗った。増堅、澄存、晃玄に継承。澄存はのち乗々院に入る。晃玄は勝仙院の名を住心院の旧名に改称した(宮家1999、546)。 |
院家4 | 伽耶院 | 播磨国美嚢郡 | 兵庫県三木市志染町大谷410 | 史料E・F。法道仙人が創建したという。当初は伽耶坊といった。明応年間の記録にみえる。一時衰退したが、多聞坊隆恩が中興。その次の隆秀は佐渡大行院の袈裟着用許可を巡る三宝院との争いで活躍。これにより1681年(天和1年)に聖護院門跡道祐によって院家となった(宮家1999、546)。現在、本山修験宗。 |
院家5 | 華台院 | 京都 | 京都府京都市左京区岩倉長谷町 | 史料D・Eに記載。聖護院の旧地か?? |
院室01 | 因幡堂西坊 | 京都 | 京都府京都市下京区因幡堂町728 | 史料Eにはなし(「寺務」になっている)。 |
院室02 | 園城寺勧学院 | 近江国滋賀郡 | 滋賀県大津市園城寺町246 | 史料Eにはなし。勧学院は照高院によって再建された。園城寺子院。 |
院室03 | 瀧安寺岩本坊 | 摂津国豊島郡 | 大阪府箕面市箕面公園2番23 | 史料E・F。瀧安寺子院。 |
院室04 | 南光坊 | 播磨国佐用郡 | 兵庫県佐用郡佐用町船越877 | 史料E・F。現在、高野山真言宗 。 |
院室05 | 観音院 | 武蔵国秩父郡 | 埼玉県秩父市三峰298-1 | 1825年(文政8年)に院室となる(864)。史料E。三峰山。三峰神社となる。 |
院室06 | 高牟婁院 | 大和国吉野郡 | 奈良県吉野郡十津川村玉置 | 史料E・F。玉置神社別当。神仏分離で廃絶。 |
院室07 | 理覚院 | 近江国滋賀郡 | 滋賀県大津市園城寺町246 | 史料Eにはなし。園城寺子院。資料Iには「三井寺理覚院」とある。坊目誌[1]には聖護院の近くに跡地があるとする。山城名勝志によると園城寺法泉院が理覚院を号してしたという[2]。 |
院室08 | 金蔵寺円密院 | 讃岐国那珂郡 | 香川県善通寺市金蔵寺町 | 史料E・F。金倉寺は現在、天台寺門宗別格本山。円密院は不詳。 |
院室09 | 五流尊瀧院 | 備前国児島郡 | 岡山県倉敷市林952 | 「先達」の上位にある「宿老」であったが、ついで1791年(寛政3年)には「院室」に昇格したが、幕末維新期に「先達」に変わった(史料D・E)。これは本山派組織の再編成によるもので、特別な由緒を否定されて通常の制度の中に位置づけ直された。現存。 |
院室10 | 五流太法院 | 備前国児島郡 | 岡山県倉敷市林952 | 尊瀧院に同じ。廃絶か。 |
院室11 | 五流伝法院 | 備前国児島郡 | 岡山県倉敷市林952 | 尊瀧院に同じ。廃絶か。 |
院室12 | 五流建徳院 | 備前国児島郡 | 岡山県倉敷市林952 | 尊瀧院に同じ。廃絶か。 |
院室13 | 五流報恩院 | 備前国児島郡 | 岡山県倉敷市林952 | 尊瀧院に同じ。廃絶か。 |
院室14 | 吉祥院 | 讃岐国鵜足郡 | 香川県丸亀市塩飽本島町笠島 | 尊瀧院に同じ。塩飽本島にあった。廃絶か。 |
院室15 | 不動院 | 武蔵国葛飾郡 | 埼玉県春日部市小渕 | 幕末維新期に「元准院室先達」となる(史料E)。 |
院室16 | 十禅寺 | 山城国宇治郡 | 京都市山科区四ノ宮泉水町17 | 幕末維新期に「院室」となる(史料E)。現存。本山修験宗。人康親王墓がある。 |
院室17 | 飯福寺蓮光院 | 日向国諸縣郡 | 鹿児島県曽於郡大崎町 | 1608年(慶長13年)に先達となる(宮家1999、596)。幕末維新期に「先達僧正地」となる(史料E)。資料Iには「准院家」とある。飯福寺別当。 |
院室18 | 有智山寺 | 筑前国御笠郡 | 福岡県太宰府市内山御供屋谷883 | 史料Iには「准院室」とある。 |
院室19 | 良覚院 | 陸奥国宮城郡 | 宮城県仙台市青葉区片平 | 史料Iには「准院室」とある。 |
院室20 | 檜原山法隆院 | 豊前国下毛郡 | 大分県中津市耶馬溪町中畑1422 | 史料E?。 |
座主 | 有智山寺 | 筑前国御笠郡 | 福岡県太宰府市内山御供屋谷883 | 九州太宰府近郊の有力霊山宝満山にあった天台宗寺院。聖護院末となり、座主の格式を持ったが、明治維新で寺は廃絶。現在、竈門神社がある。大山寺、竈門山寺などとも呼ぶ。 |
座主 | 護国寺 | 豊前国上毛郡 | 福岡県豊前市求菩提202 | 九州の有力霊山求菩提山にあった天台宗寺院。聖護院末となり、座主の格式を持ったが、明治維新で寺は廃絶。現在、豊前・国玉神社がある。 |
江戸触頭 | 大聖院 | 江戸 | 東京都新宿区新宿6丁目22-11 | 二十七先達寺院。西向天神社別当。 |
江戸触頭 | 大乗院 | 江戸 | 東京都港区赤坂6-10-12 | 二十七先達寺院。廃絶。赤坂氷川神社別当。 |
資料
- 史料A:1831年(天保2年)書写「本山先達次第」『修験帳』(宮家準編 平成19「神社と民俗宗教・修験道」研究報告II所収?)
- 史料B:1831年(天保2年)書写「本山近代先達之次第」『修験帳』(宮家準編 平成19「神社と民俗宗教・修験道」研究報告II所収?)
- 史料C:1836年(天保7年)『踏雲録事」(東洋文庫)
- 史料D:1864年(元治1年)『森王府御末頭分書留』
- 史料E:明治初年「院家院室末寺修験頭分書上帳」(宮家準編 平成19「神社と民俗宗教・修験道」研究報告III所収)
- 史料F:1851年(嘉永4年)「雲上明覧大全」[3]
- 史料G:1833年「修験山彦」
- 史料H:1701年(元禄14年)「聖護院門跡制条」(宮家1999、588)
- 史料I:1868年(明治1年)「雲上明覧大全」[4]