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禅宗の流派

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*[[曹洞宗]]
*[[曹洞宗]]
**[[寂円派]]:[[道元]](1200-1253)の弟子で来日僧の'''寂円'''(1207-1299)を開祖とする。元は道元の兄弟弟子で、共に[[如浄]](1163-1228)に学んでいたが、師匠の没後、道元を慕って来日。[[宝慶寺]]を拠点に一派をなした。寂円の弟子の義雲が内紛で混乱していた[[永平寺]]に入り、5世となった。以降、20世門鶴まで寂円派の僧が永平寺の歴代を務めた。
**[[寂円派]]:[[道元]](1200-1253)の弟子で来日僧の'''寂円'''(1207-1299)を開祖とする。元は道元の兄弟弟子で、共に[[如浄]](1163-1228)に学んでいたが、師匠の没後、道元を慕って来日。[[宝慶寺]]を拠点に一派をなした。寂円の弟子の義雲が内紛で混乱していた[[永平寺]]に入り、5世となった。以降、20世門鶴まで寂円派の僧が永平寺の歴代を務めた。
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**[[寒巌派]]:道元の弟子で[[後鳥羽天皇]]皇子の[[寒巌義尹]](1217-1300)を開祖とする。法皇派ともいう。肥後国河尻庄に[[肥後・大慈寺]]を創建し、九州に流派を形成。
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**[[寒巌派]]:道元の弟子で[[後鳥羽天皇]]皇子の[[寒巌義尹]](1217-1300)を開祖とする。法皇派ともいう。肥後国河尻庄に[[肥後・大慈寺]]を創建し、九州に流派を形成。愛知県の豊川稲荷[[妙厳寺]]も著名
**[[峨山派]]:曹洞宗の事実上の主流派。[[総持寺]]2世で、瑩山紹瑾(1268-1325)の弟子の[[峨山韶碩]](1275-1365)を開祖とする。
**[[峨山派]]:曹洞宗の事実上の主流派。[[総持寺]]2世で、瑩山紹瑾(1268-1325)の弟子の[[峨山韶碩]](1275-1365)を開祖とする。
***[[太源流]]:総持寺3世で[[総持寺普蔵院]]を開いた[[太源宗真]](?-1371)を流祖とする。第2の勢力を構築。[[仏陀寺]]が拠点。北陸地方と東海地方に展開。[[可睡斎]]や[[大洞院]]が著名。
***[[太源流]]:総持寺3世で[[総持寺普蔵院]]を開いた[[太源宗真]](?-1371)を流祖とする。第2の勢力を構築。[[仏陀寺]]が拠点。北陸地方と東海地方に展開。[[可睡斎]]や[[大洞院]]が著名。

2017年3月24日 (金) 時点における版

禅宗の流派。近現代の教団については禅宗の教団を参照。

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