ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
北畠家
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2020年3月14日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
北畠家は村上源氏。
目次 |
関連社寺
- 北畠神社:三重県津市美杉町上多気。別格官幣社。
- 霊山神社:福島県伊達市霊山町大石古屋舘。別格官幣社。
- 阿部野神社:大阪府大阪市阿倍野区北畠。別格官幣社。
- 留魂社:三重県津市美杉町上多気。祭神は北畠具行・北畠満雅・北畠具教と「北畠一族並に家臣、郎党、農民の戦没者」。北畠神社末社。
- 安養寺:三重県多気郡明和町。伊勢北畠家の祈願所。臨済宗東福寺派。
- 浄眼寺:三重県松阪市大阿坂町。伊勢北畠家の菩提寺。曹洞宗。阿坂城の麓にあった。
- 射和寺:三重県松阪市射和町。廃絶。中世は時宗か。江戸時代は真言宗。
- 飯福田寺:三重県松阪市飯福田町。真言宗醍醐派。
- 京徳寺:青森県弘前市西茂森。浪岡北畠家の菩提寺。曹洞宗。
- 直指院:北畠顕村の菩提寺。
- 浪岡八幡宮:青森県青森市浪岡。浪岡北畠家の祈願所。県社。
- 浪岡城:青森県青森市浪岡浪岡。
- 宇津峰城:宇津峰神社がある。
- 三瀬・北畠神社:三重県多気郡大台町上三瀬。祭神は北畠具教。具教は三瀬御所で謀殺された。
- 天童神社:山形県天童市天童。北畠天童丸を祀る。
- 山形・北畠神社:山形県天童市荒谷。祭神は北畠親房と北畠顕信。
京都北畠家
- 村上天皇(926-967):醍醐天皇の第十四皇子。親政を行い、「天暦の治」と呼ばれる。
- 具平親王(964-1009):村上天皇の第七皇子。歌人。慶滋保胤に師事。陰陽道にも通じたという。著書『弘決外典鈔』は天台宗の仏典の注釈書。
- 源師房(1008-1077):村上源氏の祖。具平親王の第一王子。藤原頼通の猶子。右大臣。死去日に太政大臣。
- 源顕房(1037-1094):源師房の次男。鳥羽離宮の西方の久我に別荘を営んだ。娘の賢子が白河天皇中宮となり、堀河天皇の外祖父となり、兄を凌ぐ権勢を築いた。子に定海(真言密教三宝院流の祖、醍醐寺座主、東大寺別当、東寺長者)、隆覚(薬師寺別当、法華寺別当、興福寺別当)、源顕仲(神祇伯)。
- 源雅実(1059-1127):源顕房の長男。久我家の祖でもある。源氏初の太政大臣。出家して蓮覚と称す。
- 源雅定(1094-1162):源雅実の次男。右大臣。淳和院と奨学院の別当となり以後世襲。出家して法如(蓮如とも)と称す。
- 源雅通(1118-1175):源顕通の子。叔父源雅定の養子。内大臣。
- 源通親(1149-1202):源雅通の子。後白河法皇の近臣。源頼朝の信頼も得た。土御門天皇の義理の外祖父。内大臣。久我家、中院家、六条家、岩倉家、千種家、北畠家などが分かれる。
- 中院通方(1189-1238):源通親の五男。中院家の始祖。大納言。有職故実に通じ『餝抄』の著作がある。
- 北畠雅家(1215-1275):中院通方の子。北畠家の祖。洛北北畠(現在の京都御苑の北東あたり)に住す。出家して如覚。
- 北畠師親(1241-1315):北畠雅家の子。亀山上皇の出家に従い、覚円と称す。娘の親子は護良親王の生母。
- 北畠師重(1270-1322):北畠師親の子。後宇多天皇の出家に従い、経覚(源覚、深覚)と称す。
- 北畠親房(1293-1354):南朝の公卿・武将。北畠師重の子。後醍醐天皇に仕え、南朝を支えた。法名は宗玄(覚空)。霊山神社祭神。阿部野神社祭神。北畠神社配祀神。
浪岡北畠家1
浪岡城を拠点とした。浪岡御所(大御所、北の御所)と呼ばれた。
- 北畠顕家(1318-1338):北畠親房の長男。陸奥国司。多賀城に国府を置いた。霊山神社祭神。阿部野神社祭神。北畠神社配祀神。大阪に北畠顕家墓がある。
- 北畠顕成(生没年不詳):
- 北畠顕元(生没年不詳):
- 北畠顕邦(生没年不詳):
- 北畠顕義(生没年不詳):
- 北畠具家(生没年不詳):
- 北畠具永(生没年不詳):浪岡具永とも。
- 北畠具統(生没年不詳):
- 北畠具運(?-1562):所領争いで叔父の北畠具信に討たれた。
- 北畠顕村(?-1578):1578年(天正6年)津軽為信に討たれた。
浪岡北畠家2
川原御所(南の御所)と呼ばれた。
- 北畠顕信(生没年不詳):北畠親房の次男。陸奥国司。伊勢国司。霊山神社祭神。墓所不明。
- 北畠守親(生没年不詳):北畠顕信の次男。陸奥国司。川原御所を構える。青森県青森市浪岡吉内に墓がある。中院守親とも。霊山神社祭神。
- 北畠親能(生没年不詳):北畠守親の子。断絶か。
- 北畠具信(?-1562):浪岡御所の北畠具統の弟。川原御所を復興。所領争いで甥の北畠具運を殺害するが、自らも戦死。
- 北畠顕重(?-1562):北畠具信の子。父と共に討たれた。
伊勢北畠家
伊勢国司を世襲。在地の領主・大名としての地位を築きつつ、公卿としての意識も保った。多気御所(多芸御所)と呼ばれた。
- 1北畠顕能(生没年不詳):親房の次男。南朝の伊勢国司となる。北畠神社祭神。室生寺などに墓がある。
- 2北畠顕信(生没年不詳):顕能の兄。浪岡北畠家2を参照。
- 3北畠顕泰(生没年不詳):顕信の子。
- 4北畠満雅(?-1428):顕泰の子。南北朝合一の際の条件不履行に怒り、1414年以後、小倉宮聖承王を奉じてたびたび挙兵。1428年戦死。留魂社祭神。
- 5北畠教具(1423-1471):満雅の子。室町幕府に下る。伊勢に逃れてきた赤松教康を殺害。応仁の乱を逃れてきた足利義視(将軍継嗣)の世話をする。
- 6北畠政郷(1449-1508):教具の子。出家して無外逸方。
- 7北畠材親(1468-1517):政郷の子。
- 8北畠晴具(1503-1563):材親の子。
- 9北畠具教(1528-1576):晴具の子。1569年、織田信長の侵攻を受ける。隠居するが、信長の謀略で暗殺された。留魂社祭神。三瀬・北畠神社祭神。北畠具教胴塚、北畠具教首塚。
- 10北畠具房():具教の子。織田信雄(北畠具豊)を養子として迎えさせられる(事実上の乗っ取り)。
その他
- 北畠具行(1290-1332):後醍醐天皇の側近。父は北畠師行で、家祖北畠雅家の孫。北畠親房の父のいとこに当たる。1331年(元弘1年/元徳3年)、元弘の乱で後醍醐天皇と共に笠置山に籠城。陥落と共に捉えられ、翌年4月、斬罪と決定。鎌倉に護送される途中、近江国柏原で佐々木高氏に殺害された。同所に墓がある。留魂社祭神。