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塩竈神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月19日 (水)

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*[[陸奥・法蓮寺]]:真言宗。廃絶。富饒が創建。弘瑜、澄伝、円鏡、宥厳。
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*地蔵院:古六供。古代神宮寺の後身という。
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古代は朝廷から派遣された国司(陸奥守)が社務を管轄し、左右六禰宜、別宮二禰宜以下神職が奉仕した。しかし任命された国司が京都に留まり次第に陸奥国に赴任しなくなると在庁官人の関与が強くなった。のち鎌倉幕府が御家人伊沢家景を陸奥国留守職とし、塩竈神社の大神主を兼ねた。その子孫が世襲し、留守家を称した。
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戦国時代末期、嗣子がなかった留守家は伊達家の一族が継承したが留守家は水沢に転封された。在庁官人の末裔で、留守家に仕えた鎌田家や志賀家が神主を称して社務を司った時代もあったが、江戸時代には藩主伊達家が大神主を称した。
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江戸時代に大神主職を外れた後も留守家は[[伊達家]]一門の水沢伊達家として存続し、祖霊社として[[陸奥・瑞山神社]]がある。
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*18留守政景(1549-1607)<>:伊達晴景の三男。留守顕宗の養子。転封となった。
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===大宮司・宮司===
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*落合直亮(1840-1891)<1875-1877>:[[度津神社]]宮司、[[出雲大社]]少宮司。神宮禰宜。
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*遠藤信道(1851-1888)<1877->:遠藤家は仙台藩宿老を世襲。権宮司を経て1877年(明治10年)5月宮司。のち栗原郡長。
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*芳賀真咲(1841-1906)<>:福井藩出身の神祇官僚。[[志波彦神社]]宮司、塩竈神社宮司の後、明治24年、[[社寺局]]神社課長。のち[[多賀大社]]宮司、[[湊川神社]]宮司。子に芳賀矢一。
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*遠藤允信(1836-1899)<1891-1899>:仙台藩執政。(略歴は、[[氷川神社#組織]]を参照)
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*高山昇(1864-1950)<1899-1900>:(略歴は、[[伏見稲荷大社#組織]]を参照)
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*10山下三次(1863-?)<1921-1927>:仙台出身の内務官僚。(略歴は、[[日光東照宮#組織]]を参照)
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*佐藤重三郎(1883-1952)<-1944>:群馬県出身。国学院大学卒。神宮禰宜。[[鹿児島神宮]]宮司。塩竈神社宮司。在職中、[[宮城県護国神社]]社司を兼務か。1944年、[[関東神宮]]宮司。(略歴は、[[関東神宮#組織]]を参照)
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*古川左京()<-1940->:[[日光東照宮]]宮司、[[伊勢神宮]]少宮司。
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*河合繁樹()<-1968->:[[宮崎神宮]]宮司。宮城県神社庁長。
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*14押木耿介(1907-1995)<1970-1980>:権宮司を経て宮司。
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*遠藤信道(1851-1888)<>:のち宮司。
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*押木耿介(1907-1995)<-1964->:のち宮司。
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*高橋弘平(1933-)<1982-1984>:岩手県出身。国学院大学卒。1976年(昭和51年)志波彦神社・塩竈神社禰宜。1982年(昭和57年)3月31日、志波彦神社・塩竈神社権宮司。1984年(昭和59年)8月、北海道神社庁参事。のち[[霧島神宮]]宮司。(略歴は[[霧島神宮#組織]]を参照)
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*宇仁繁儀()<>:のち宮司。
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==画像==
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== 資料 ==
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*塩社由来追考:享保3年
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*別当法蓮寺記:安永3年
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*塩竈社宝物記
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*塩竈社神籍:維新前後
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*山下三次1927『塩竈神社史料』
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*古川左京1940『塩竈神社史』[https://books.google.co.jp/books?id=Ph8RuwuwLTkC]
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==参考文献==
==参考文献==
*土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』
*土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

2022年10月19日 (水) 時点における最新版

塩竈神社
しおがま じんじゃ
Shiogama-jinja 001.jpg塩竈神社別宮拝殿
概要 塩竈神社の総本社。
奉斎 塩竈神
(土岐昌訓論文)
所在地 宮城県塩竈市一森山1-1
所在地(旧国郡) 陸奥国宮城郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 陸奥国一宮朱印地拝領神社国幣中社別表神社
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目次

概要


歴史

境内

  • 本社左宮:
  • 本社右宮:
  • 本社別宮:
  • 神明社:
  • 八幡社:
  • 住吉社:
  • 稲荷社:


  • 御釜神社:境外
  • 牛石藤鞭社:境外
  • 曲木神社:境外


  • 陸奥・法蓮寺:真言宗。廃絶。富饒が創建。弘瑜、澄伝、円鏡、宥厳。
  • 地蔵院:古六供。古代神宮寺の後身という。
  • 能満院:古六供。
  • 建立院:古六供。
  • 弥勒院:古六供。
  • 普門院:古六供。
  • 文殊院:古六供。
  • 相応院:新六供。
  • 送泰院:新六供。
  • 豊持院:新六供。
  • 護運院:新六供。
  • 和光院:新六供。
  • 上寿院:新六供。

組織

古代は朝廷から派遣された国司(陸奥守)が社務を管轄し、左右六禰宜、別宮二禰宜以下神職が奉仕した。しかし任命された国司が京都に留まり次第に陸奥国に赴任しなくなると在庁官人の関与が強くなった。のち鎌倉幕府が御家人伊沢家景を陸奥国留守職とし、塩竈神社の大神主を兼ねた。その子孫が世襲し、留守家を称した。 戦国時代末期、嗣子がなかった留守家は伊達家の一族が継承したが留守家は水沢に転封された。在庁官人の末裔で、留守家に仕えた鎌田家や志賀家が神主を称して社務を司った時代もあったが、江戸時代には藩主伊達家が大神主を称した。

陸奥守

大神主

江戸時代に大神主職を外れた後も留守家は伊達家一門の水沢伊達家として存続し、祖霊社として陸奥・瑞山神社がある。

  • 1留守家景(?-1221)<>:伊沢家景。
  • 2留守家元()<>:右宮一禰宜と争う。
  • 3留守家広()<>:留守家景の甥。
  • 4留守恒家()<>:
  • 5留守家信()<>:
  • 6留守家助()<>:
  • 7留守家高()<>:
  • 8留守家冬()<>:
  • 9留守淡路()<>:
  • 10留守少弼()<>:
  • 11留守家明()<>:
  • 12留守詮家()<>:
  • 13留守持家()<>:
  • 15留守郡宗()<>:藤王丸。留守持家の養子。伊達持宗の子
  • 16留守景宗()<>:伊達尚宗の次男。藤王丸の跡を継ぐ。
  • 17留守顕宗()<>:留守景宗の子。
  • 18留守政景(1549-1607)<>:伊達晴景の三男。留守顕宗の養子。転封となった。

大宮司・宮司

  • 落合直亮(1840-1891)<1875-1877>:度津神社宮司、出雲大社少宮司。神宮禰宜。
  • 遠藤信道(1851-1888)<1877->:遠藤家は仙台藩宿老を世襲。権宮司を経て1877年(明治10年)5月宮司。のち栗原郡長。
  • 芳賀真咲(1841-1906)<>:福井藩出身の神祇官僚。志波彦神社宮司、塩竈神社宮司の後、明治24年、社寺局神社課長。のち多賀大社宮司、湊川神社宮司。子に芳賀矢一。
  • 遠藤允信(1836-1899)<1891-1899>:仙台藩執政。(略歴は、氷川神社#組織を参照)
  • 高山昇(1864-1950)<1899-1900>:(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 10山下三次(1863-?)<1921-1927>:仙台出身の内務官僚。(略歴は、日光東照宮#組織を参照)
  • 佐藤重三郎(1883-1952)<-1944>:群馬県出身。国学院大学卒。神宮禰宜。鹿児島神宮宮司。塩竈神社宮司。在職中、宮城県護国神社社司を兼務か。1944年、関東神宮宮司。(略歴は、関東神宮#組織を参照)
  • 古川左京()<-1940->:日光東照宮宮司、伊勢神宮少宮司。
  • 河合繁樹()<-1968->:宮崎神宮宮司。宮城県神社庁長。
  • 14押木耿介(1907-1995)<1970-1980>:権宮司を経て宮司。
  • 磯貝洋一()<-1982->:
  • 宇仁繁儀()<-2006->:権宮司を経て宮司。
  • 鍵三夫()<>:国学院大学卒。権宮司を経て宮司。

権宮司

  • 遠藤信道(1851-1888)<>:のち宮司。
  • 五島広高()<>:函館八幡宮宮司。
  • 押木耿介(1907-1995)<-1964->:のち宮司。
  • 高橋弘平(1933-)<1982-1984>:岩手県出身。国学院大学卒。1976年(昭和51年)志波彦神社・塩竈神社禰宜。1982年(昭和57年)3月31日、志波彦神社・塩竈神社権宮司。1984年(昭和59年)8月、北海道神社庁参事。のち霧島神宮宮司。(略歴は霧島神宮#組織を参照)
  • 宇仁繁儀()<>:のち宮司。
  • 鍵三夫()<>:のち宮司。
  • 野口次郎()<-2017->:

画像

資料

  • 塩社由来追考:享保3年
  • 別当法蓮寺記:安永3年
  • 塩竈社宝物記
  • 塩竈社神籍:維新前後
  • 山下三次1927『塩竈神社史料』
  • 古川左京1940『塩竈神社史』[1]


参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A1%A9%E7%AB%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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