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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

射水神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年1月7日 (土)

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射水神社
いみず じんじゃ
Imizu-jinja 001.jpg
概要 二上山の神を奉斎する神社。
奉斎 二上神
(土岐昌訓論文)
所在地 富山県高岡市古城1-1
所在地(旧国郡) 越中国射水郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正三位越中国一宮国幣中社別表神社
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目次

概要

歴史

境内

組織

宮司

  • 関守一(1830-1882):高岡出身の神職。上京して六人部是香に師事。越中社家触頭となる。関野神社祠官。明治5年5月、射水神社権宮司に就任。宮司が空席のため、事実上のトップだった。高岡遷座を実施。明治10年12月退職。明治15年3月4日死去。
  • 1青山悳次(1832-1893):金沢藩家老。歌人。明治6年7月、射水神社宮司に就任。翌年12月まで務めた。明治26年4月27日死去。
  • 2加藤里路(1840-1911):金沢藩出身の国学者。狩谷竹鞆に師事。維新後、金沢藩宣教掛を経て、政府の神祇官・教部省に出仕。明治8年1月に射水神社宮司に就任。13年2月まで務めた。白山比咩神社宮司や気多大社宮司も務めた。石川県内の各神社で説教。晩年は金沢で興道社を起こす。明治44年2月死去。著書に『神風余響』『志北能屋集』『神木記』。
  • 3加藤里衡:明治13年2月、射水神社宮司に就任。34年6月まで20年あまり務めた。加藤里路の実弟。子に化学者の飯盛里安。
  • 4保科保:34年6月、射水神社宮司に就任。38年9月、八坂神社宮司に転任。
  • 5園田弘:38年9月、射水神社宮司に就任。40年3月、玉前神社宮司に転任。日光二荒山神社宮司も務めた。編書に『日本神字考』。
  • 6三河彦治:40年3月、射水神社宮司に就任。42年11月、白峰神宮に転任。
  • 7金子吉祇(1861-1924):越後出身の神職。42年11月に射水神社宮司に就任。大正4年3月に豊国神社宮司に転任。西寒多神社宮司、気比神宮宮司、賀茂御祖神社宮司などを歴任。著書は『上宮聖徳法王帝説新注』。
  • 8長尾常良:大正4年3月に射水神社宮司に就任。大正8年6月に竈山神社宮司に転任
  • 9松永常彦:大正8年6月に射水神社宮司に就任。大正10年4月に壱岐住吉神社に転任。
  • 10高野義太郎:大正10年4月に射水神社宮司に就任。
  • 平尾三郞
  • 松本正昭

(高野義太郎『国幣中社射水神社志』)

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%84%E6%B0%B4%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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