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檜山護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月11日 (日)
(江差招魂社から転送)
檜山護国神社(ひやま・ごこく・じんじゃ)は北海道檜山郡江差町本町にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。松前護国神社と同様に松前藩松前家が創建した。江差は箱館戦争において乙部から上陸した官軍の拠点となった場所でもある。江差招魂社、江差護国神社、松之岱神社(まつのたい・じんじゃ)。江差官修墳墓が隣接。近くに本願寺江差別院、真宗大谷派江差別院がある。山口藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。
目次 |
歴史
- 1869年(明治2年)4月9日:新政府軍が乙部に上陸し、戦闘始まる。同月、松前藩が相撲取山に「霊所」を開設。以後の戦死者の遺体は江差会議所に運ばれ、埋葬した。『軍中見聞記』に「万事神葬祭唯今之処にては仮埋之よしに御座候」とあり、姥神大神宮の『藤枝文書』に「角力山に霊神を求め此処におきて神葬祭にて鎮祭趣被仰付、時神主藤枝主税・藤枝正延相勤め祭主に而、乙部神主を頼み申候」とある。
- 1869年(明治2年)5月18日:榎本軍降伏
- 1869年(明治2年)5月19日:問屋中が御旗一対を奉納。この日までに鳥居を建立(軍中見聞記)
- 1869年(明治2年)5月21日:藤枝主税を斎主として祭典。埋葬した73柱を祀った。松前藩、備後福山藩、山口藩、徳山藩、弘前藩、岡山藩、久留米藩、大野藩、水戸藩、函館府から各5人が参列。この時点で松前藩の一部は本埋葬だったがその他は仮埋葬だった。『靖国神社誌』に1869年(明治2年)5月創建とあるのはこの祭典を指すか。
- 1869年(明治2年)5月22日:姥神大神宮で山口藩と徳山藩が合同で霊神祭。
- 1869年(明治2年)5月下旬:区画整備が終わり、墓石建立が本格化。墓石は上ノ国塩吹村のものを用い、敷石、石柵には越前石を使用した。
- 1869年(明治2年)9月7日:上旬に完成。新政府側から森清蔵らが検分
- 1869年(明治2年)10月19日:25~27日に祭典を執行することを告知
- 1869年(明治2年)10月25日:藤枝政延を斎主として祭典。3日間の予定だったが、26・27日は雨天延期となり、25・28・29日に行われた。28日に藩主代理として今井晦輔が参拝。式次第も残る。92柱を祀る。明治元年戦死の松前藩17柱、江差大病院で戦傷死した2柱が追加された。攻め込まれた状況での明治元年の松前藩戦死者については「遺骸が埋葬されているかどうかは疑問のあるところ」(江差町史)という。以後、5月17日と10月17日を祭日とした。
- 1870年(明治3年)10月:山口藩が森清蔵を派遣して祭祀料を奉納
- 1872年(明治5年)5月17日:前年の廃藩置県のため、「供祭」(共祭?)となった。以後、年に一度6月17日とする。
- 1876年(明治9年)4月17日:福山・江差の招魂場を招魂社とする[1]。墳墓地と分離。祭日を7/20に変更
- 1876年(明治9年)9月:明治天皇函館巡幸の時、金幣を下賜[2]。
- 1880年(明治13年)6月:祭日を7/8に変更
- 1881年(明治14年)9月:明治天皇北海道巡幸の時、金幣を下賜[3]。
- 1901年(明治34年)4月12日:訓26号により改修費として3387円6銭が内務省から支給。さらに有志が500円寄進[4]。
- 1901年(明治34年)7月16日:改修起工。
- 1902年(明治35年)6月18日:竣工。総工費3919円6銭。
- 1922年(大正11年)3月31日:5月17日に変更
- 1939年(昭和14年)3月15日:江差護国神社と改称
- 1947年(昭和22年)7月1日:松之岱神社と改称
- 1970年(昭和45年)10月:檜山護国神社と改称。
- 1971年(昭和46年)12月5日:官修墳墓が町指定史跡となる。史跡名称「戊辰の役戦死者の墳墓地」。
(『江差町史』、北海道神社庁ウェブサイト)
祭神
官祭祭神
- 一覧は「江差招魂場」(松前家文書)[5]および「明治二年諸藩戦死名前書」[6]に基づく。
- 官祭祭神は92柱。この数は1922年(大正11年)8月現在の「官祭招魂社並官修墳墓取扱手続」[7]で定められた定額91円から導き出せる神饌料の人数と一致する(定額45円+神饌料50銭*92=91円)。『大日本神社大鑑』にも「官祭神92柱」[8]とある。
- 全員が江差官修墳墓に墓碑がある。
- 01:小川宇兵衛則善:松前藩卒:
- 02:長川伝次郎奉則:松前藩卒:長谷川伝次郎
- 03:鈴木由太郎重光:松前藩卒:
- 04:松本直吉雅休:松前藩卒:
- 05:土屋猶之進長教:松前藩:
- 06:三浦巽満謙:松前藩:
- 07:佐々木銕蔵積善:松前藩:
- 08:今井興之亟信誠:松前藩:
- 09:氏家丹宮直温:松前藩:
- 10:三上超順以直:松前藩:日蓮宗僧侶。松前法華寺住職。
- 11:水牧梅干保暠:松前藩:
- 12:小林豊作照光:松前藩卒:
- 13:青木源次郎敬明:松前藩卒:
- 14:大沢八五郎和治:松前藩:墓碑が2基ある。
- 15:小林文右工門経時:松前藩卒:
- 16:村林哲蔵奥忠:松前藩卒:
- 17:杉村玄英治家:松前藩:
- 18:鈴木兵三郎常明:松前藩卒:
- 19:今井由膳景敦:松前藩:
- 20:八木駒右衛門光保:松前藩卒:
- 21:河合広太郎幸則:松前藩:
- 22:桜井長三郎隆徳:松前藩卒:
- 23:伊藤荒蔵堅持:松前藩卒:
- 24:熊谷菊三郎正誼:松前藩卒:
- 25:久保田仁太郎為親:松前藩卒:
- 26:小原猪藤治:松前藩か:「江差招魂場」の一覧にないが、「明治二年諸藩戦死名前書」には墓碑があるとされている。
- 27:大出忠太郎尚吉:備後福山藩:
- 28:中村富之助忠良:備後福山藩:
- 29:岡村昌之助定則:備後福山藩:
- 30:高橋茂光則:備後福山藩:
- 31:西原末一郎貞高:備後福山藩:
- 32:川崎克之助信行:備後福山藩:
- 33:小田休之助直英:備後福山藩:
- 34:三上三蔵義守:備後福山藩:
- 35:大瀬斉政房:備後福山藩:
- 36:岡本順次郎源忠澄:山口藩:岡本順治(防府市護国神社祭神)か。
- 37:粟屋市之進源友三:山口藩:栗屋市之進(防府市護国神社祭神)か。
- 38:奥島権七源道房:山口藩:貞島権七(防府市護国神社祭神)か。
- 39:大橋四郎源則行:山口藩:防府市護国神社祭神
- 40:秋月良人多々良賢明:山口藩:防府市護国神社祭神
- 41:中川豊藤源国光:山口藩:防府市護国神社祭神
- 42:吉松弥市源正久:山口藩:吉松弥一郎(防府市護国神社祭神)か。
- 43:渡辺興八郎源光:山口藩:渡辺与八郎(防府市護国神社祭神)か。
- 44:落合軍一源義政:山口藩:防府市護国神社祭神
- 45:飯田孫七源行保:山口藩:防府市護国神社祭神
- 46:出井八十八源義政:山口藩:防府市護国神社祭神
- 47:石田源七藤原則直:山口藩:防府市護国神社祭神
- 48:岡村源太郎源信高:山口藩:防府市護国神社祭神
- 49:藤原五郎義季:山口藩:防府市護国神社祭神
- 50:駒井政五郎忠仲:山口藩:防府市護国神社祭神
- 51:国守誠之助義雄:山口藩:防府市護国神社祭神
- 52:岸部繁次郎源玄信:山口藩:岸部敏太郎(防府市護国神社祭神)か。
- 53:溝部岩熊源登国:山口藩:溝部若熊(防府市護国神社祭神)か。
- 54:中村寛三郎多々良寛:徳山藩:富田護国神社祭神。
- 55:古志義人源直庸:徳山藩:富田護国神社祭神。
- 56:林興藤原意:徳山藩:林与(富田護国神社祭神)か。
- 57:佐伯三保源義友:徳山藩:佐伯三保三(富田護国神社祭神)か。
- 58:池田満之進源範光:徳山藩:富田護国神社祭神。
- 59:瀬来道太郎平政道:徳山藩:瀬来道次郎(富田護国神社祭神)か。
- 60:戸倉太一郎平盛義:徳山藩:富田護国神社祭神。
- 61:秋本喜一郎源義:徳山藩:秋元喜一郎(富田護国神社祭神)か。
- 62:宇田新三郎源直好:徳山藩:富田護国神社祭神。
- 63:島田卓熟藤原正清:徳山藩:島田卓熊(富田護国神社祭神)か。
- 64:小者権吉:徳山:富田護国神社祭神。
- 65:島村亀吉源直之:弘前藩:
- 66:藤田虎之助藤原貞報:弘前藩:
- 67:神勇蔵藤原盛利:弘前藩:
- 68:吉田政蔵耀平:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 69:小坂友右衛門直謹:岡山藩:小坂友右衛門真慎。岡山県護国神社祭神。
- 70:宇治文吾規繁:岡山藩:宇治文吉規繁。岡山県護国神社祭神。
- 71:三木孫右衛門次久:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 72:村川善十郎直方:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 73:富田猪兵衛儀重:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 74:春田卯三郎正美:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 75:谷川幾三郎幸等:岡山藩:谷川幾三郎幸寿。岡山県護国神社祭神。
- 76:岸田七郎兵衛越智宿弥善道:岡山藩:岩田七郎兵衛善道。岡山県護国神社祭神。
- 77:高木左近右衛門佳成:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 78:西村常治藤原義明:岡山藩:西村常次義明。岡山県護国神社祭神。
- 79:井上安之進敬鋭:岡山藩:井之安之進敬鋭。岡山県護国神社祭神。
- 80:黒田秀太郎源則孝:岡山藩:岡山県護国神社祭神。
- 81:岡田豊之助藤原発応:岡山藩:岡田豊之助発志。岡山県護国神社祭神。
- 82:隠岐賢太郎直清:岡山藩:隠岐賢太郎真清。岡山県護国神社祭神。
- 83:青木源次郎源成道:岡山藩:青木鉉次郎成道。岡山県護国神社祭神。
- 84:横田勝太郎:函館府在住隊:
- 85:佐々木金平直哉:久留米藩:
- 86:岡鍛:大野藩:大野招魂社祭神。函館官修墳墓にも墓碑。
- 87:原隼之助昌数:水戸藩:
- 88:村田弥一郎正克:水戸藩:
- 89:鴨川辰三光重:水戸藩:
- 90:千葉藤七信胤:水戸藩:
- 91:長島源太郎重成:水戸藩:
- 92:小池勇之助得寿:水戸藩:
私祭祭神
『大日本神社大鑑』には10柱とある[9]。
画像
参考
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資料
史料
- 江差招魂場絵図:江差角力取山招魂場略図。岡山大学池田家文庫
- 「江差招魂社官修墳墓図」[11]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[12]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[13]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[14]
- 「江差招魂社修繕ノ件」[15]
- 「御達留」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[16]
- 「出登日記」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[17]
- 「御用日誌」:「増田伝左エ門文書」『江差町史第3巻』[18]
- 「招魂所祭典並規式受取物迄之筆記」『藤枝家文書』[19]
- 「江差招魂場」:『江差町史第3巻』[20]
- 「明治二年諸藩戦死名前書」:『江差町史第3巻』[21]
- 「江差招魂場石碑の配置」:1869年(明治2年)10月。『北海道の歴史と文書』[22]
- 「江差函館戦死名簿」:個人蔵。目録に記載[23]