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聖武天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年12月3日 (火)
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+ | *[[玉津島頓宮]]:和歌山県和歌山市。紀伊国海部郡。神亀元年(724)10月8日に滞在(続日本紀)。10日間いた。 | ||
+ | *岡東離宮:神亀元年(724)10月12日に造営(続日本紀)。「宮ノ壇」の地名がある和歌山県和歌山市広瀬通丁3丁目が伝承地。寛永まで八幡宮があった。 | ||
+ | *[[所石頓宮]]:大阪府高石市。和泉国大鳥郡。神亀元年(724)10月21日、紀伊の帰途に滞在。 | ||
+ | *[[邑美頓宮]]:兵庫県明石市。播磨国明石郡。神亀3年(726)10月10日滞在。 | ||
+ | *[[難波宮]]:大阪府大阪市。 | ||
+ | *[[竹原井頓宮]]:大阪府柏原市。河内国大県郡。天平6年(734)3月17日、難波宮からの帰途に滞在。19日に平城京に戻る。 | ||
+ | *高円離宮:跡地は[[大和・白毫寺]]。 | ||
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+ | 藤原広嗣の乱の発生と共に聖武天皇は平城京を離れ、東国を転々とした。この巡幸の理由は明確でなく、様々な解釈がある。[[天武天皇]]の壬申の乱の経路や[[斎王]]の群行路と重なると指摘されている。 | ||
+ | *[[平城京]]:奈良県奈良市。 | ||
+ | *[[堀越頓宮]]:奈良県奈良市都祁。大和国山辺郡。天平12年(740)10月29日に平城京を発ちここに滞在したという。斎王の都介頓宮と同一で、[[都祁水分神社]]周辺と考えられている。また宇陀市室生の[[堀越神社]]という説もある。 | ||
+ | *名張:伊勢国名張郡。 | ||
+ | *[[阿保頓宮]]:三重県伊賀市。伊賀国伊賀郡。天平12年(740)11月1日に滞在したという(続日本紀)。斎王の頓宮でもある。 | ||
+ | *[[河口頓宮]]:三重県津市。伊勢国一志郡。天平12年(740)11月2日に滞在したという(続日本紀)。この地に滞在中、藤原広嗣逮捕の報を聞く。また[[伊勢神宮]]を遥拝した。関宮。斎王の頓宮でもある。跡地に医王寺がある。 | ||
+ | *[[赤坂頓宮]]:三重県亀山市。伊勢国鈴鹿郡。天平12年(740)11月14日に滞在したという。斎王の鈴鹿頓宮と同一と考えられている。跡地に[[片山神社]]。 | ||
+ | *[[朝明頓宮]]:三重県四日市市。伊勢国朝明郡。天平12年(740)11月20日に滞在したという。[[伊勢・聖武天皇社]]がある。 | ||
+ | *[[石占頓宮]]:三重県桑名市。伊勢国桑名郡。天平12年(740)11月25日に滞在したという。 | ||
+ | *[[不破頓宮]]:岐阜県垂井町。美濃国不破郡。天平12年(740)12月1日に滞在。翌日には[[宮処寺]]と曳常泉(垂井の泉)に行幸。不破関も。 | ||
+ | *[[横川頓宮]]:滋賀県。近江国坂田郡。天平12年(740)12月6日に滞在。 | ||
+ | *[[犬上頓宮]]:滋賀県。近江国犬上郡。天平12年(740)12月7日に滞在。 | ||
+ | *蒲生郡宿:滋賀県。近江国蒲生郡。 | ||
+ | *[[野洲頓宮]]:滋賀県野洲市。近江国野洲郡。天平12年(740)12月10日に滞在。 | ||
+ | *[[禾津頓宮]]:滋賀県大津市。天平12年(740)12月11日に野洲頓宮を発ちここに滞在したという。12日には[[崇福寺]]に参拝。(続日本紀) | ||
+ | *[[玉井頓宮]]:京都府綴喜郡井手町。山城国相楽郡。天平12年(740)12月14日、禾津頓宮を発ち、玉井頓宮に着く。一泊して恭仁宮に赴く。(続日本紀) | ||
+ | *[[恭仁京]]:京都府相楽郡加茂町。天平12年(740)12月15日入京。天平16年閏1月まで新たな都とした。 | ||
+ | *[[石原宮]]:京都府相楽郡和束町石寺。天平14年行幸。『続日本紀』 | ||
+ | ===大仏建立へ=== | ||
+ | *[[智識寺]]:天平12年(740)2月に初めて参詣。 | ||
+ | *[[紫香楽宮]]:滋賀県甲賀市。天平14年(742)8月に離宮として設置。翌年10月、大仏造営の詔を出す。745年5月11日に平城京に戻る。 | ||
+ | *[[甲賀寺]]:滋賀県甲賀市。廃絶。 | ||
+ | *[[近江・聖武天皇社]]:滋賀県甲賀市。紫香楽宮跡 | ||
+ | *[[桜井頓宮]]:大阪府東大阪市か富田林市。 | ||
+ | *[[難波宮]]:744年に遷都が宣言されるもあまり使われず。 | ||
+ | *[[平城京]]: | ||
+ | *[[金光明寺]]: | ||
+ | *[[金鐘寺]]:神亀5年(728)9月に夭折した基親王の菩提を弔うために創建。東大寺の前身。 | ||
+ | *[[東大寺大仏殿]]: | ||
+ | *[[東大寺御髪塔]]: | ||
+ | *[[御拝壇]]: | ||
+ | *[[諸国国分寺]]: | ||
+ | *[[興福寺]]東金堂:神亀3年(726)、聖武天皇が元正太上天皇の病気平癒を建立した。 | ||
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+ | *[[観菩提寺]]:三重県。伊賀国。 | ||
+ | *[[伊勢・聖武天皇社]]:三重県四日市市。朝明頓宮跡 | ||
+ | *[[養老神社]] | ||
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+ | ===開創伝承=== | ||
+ | *[[叡福寺]]:神亀元年(724)、聖武天皇の勅願で伽藍が整備された。 | ||
+ | *[[大聖観音寺]]:聖武天皇が42歳の厄年のときに、行基が竜王から得た観音を祀る。 | ||
+ | *[[高崎・長谷寺]]:聖武天皇の勅命で、行基と徳道が創建したという。 | ||
+ | *[[瑠璃寺]]:聖武天皇の発願で創建されたという。 | ||
+ | *[[新薬師寺]]:747年(天平19年)、光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のために創建。 | ||
+ | *[[大和・霊山寺|霊山寺]]:天平6年(734)、聖武天皇が行基に命じて創建。 | ||
+ | *[[久米田寺]]:734年(天平6年)、聖武天皇の勅願で、橘諸兄を檀越として行基が創建。 | ||
+ | *[[飯福寺]]:天平15年(743)、聖武天皇の勅願所となる。 | ||
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+ | ===墓廟=== | ||
+ | *[[聖武天皇陵]]:奈良県奈良市。 | ||
+ | *[[眉間寺]]:奈良県奈良市。廃絶。 | ||
+ | *[[大和・普光寺|普光寺]]:奈良県奈良市。廃絶。 | ||
+ | *[[東大寺天皇殿]]: | ||
+ | *[[唐招提寺]]本願殿: | ||
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2019年12月3日 (火) 時点における最新版
聖武天皇旧跡 |
目次 |
概要
聖武天皇(701-756)<在位724-749>は、第45代天皇。東大寺の開基で、行基、良弁、菩提僊那と共に東大寺四聖の一人。諸国国分寺建立を命じ、仏教興隆政策を推し進めた。 文武天皇の第一皇子。母は藤原宮子(藤原不比等の娘)。子供は安宿媛(光明皇后)との間に基王と阿倍内親王(孝謙天皇、称徳天皇)の2人、県犬養広刀自との間に井上内親王、不破内親王、安積親王の3人をもうけた。妃は他に藤原武智麻呂の娘と藤原房前の娘がいた。陵墓は聖武天皇陵。菩提寺は眉間寺と大和・普光寺。
旧跡一覧
- 平城京:
- 玉垣勾頓宮:和歌山県紀の川市。紀伊国那賀郡。神亀元年(724)10月7日に滞在(続日本紀)。跡地に玉垣寺。
- 玉津島頓宮:和歌山県和歌山市。紀伊国海部郡。神亀元年(724)10月8日に滞在(続日本紀)。10日間いた。
- 岡東離宮:神亀元年(724)10月12日に造営(続日本紀)。「宮ノ壇」の地名がある和歌山県和歌山市広瀬通丁3丁目が伝承地。寛永まで八幡宮があった。
- 所石頓宮:大阪府高石市。和泉国大鳥郡。神亀元年(724)10月21日、紀伊の帰途に滞在。
- 邑美頓宮:兵庫県明石市。播磨国明石郡。神亀3年(726)10月10日滞在。
- 難波宮:大阪府大阪市。
- 竹原井頓宮:大阪府柏原市。河内国大県郡。天平6年(734)3月17日、難波宮からの帰途に滞在。19日に平城京に戻る。
- 高円離宮:跡地は大和・白毫寺。
東国行幸
藤原広嗣の乱の発生と共に聖武天皇は平城京を離れ、東国を転々とした。この巡幸の理由は明確でなく、様々な解釈がある。天武天皇の壬申の乱の経路や斎王の群行路と重なると指摘されている。
- 平城京:奈良県奈良市。
- 堀越頓宮:奈良県奈良市都祁。大和国山辺郡。天平12年(740)10月29日に平城京を発ちここに滞在したという。斎王の都介頓宮と同一で、都祁水分神社周辺と考えられている。また宇陀市室生の堀越神社という説もある。
- 名張:伊勢国名張郡。
- 阿保頓宮:三重県伊賀市。伊賀国伊賀郡。天平12年(740)11月1日に滞在したという(続日本紀)。斎王の頓宮でもある。
- 河口頓宮:三重県津市。伊勢国一志郡。天平12年(740)11月2日に滞在したという(続日本紀)。この地に滞在中、藤原広嗣逮捕の報を聞く。また伊勢神宮を遥拝した。関宮。斎王の頓宮でもある。跡地に医王寺がある。
- 赤坂頓宮:三重県亀山市。伊勢国鈴鹿郡。天平12年(740)11月14日に滞在したという。斎王の鈴鹿頓宮と同一と考えられている。跡地に片山神社。
- 朝明頓宮:三重県四日市市。伊勢国朝明郡。天平12年(740)11月20日に滞在したという。伊勢・聖武天皇社がある。
- 石占頓宮:三重県桑名市。伊勢国桑名郡。天平12年(740)11月25日に滞在したという。
- 不破頓宮:岐阜県垂井町。美濃国不破郡。天平12年(740)12月1日に滞在。翌日には宮処寺と曳常泉(垂井の泉)に行幸。不破関も。
- 横川頓宮:滋賀県。近江国坂田郡。天平12年(740)12月6日に滞在。
- 犬上頓宮:滋賀県。近江国犬上郡。天平12年(740)12月7日に滞在。
- 蒲生郡宿:滋賀県。近江国蒲生郡。
- 野洲頓宮:滋賀県野洲市。近江国野洲郡。天平12年(740)12月10日に滞在。
- 禾津頓宮:滋賀県大津市。天平12年(740)12月11日に野洲頓宮を発ちここに滞在したという。12日には崇福寺に参拝。(続日本紀)
- 玉井頓宮:京都府綴喜郡井手町。山城国相楽郡。天平12年(740)12月14日、禾津頓宮を発ち、玉井頓宮に着く。一泊して恭仁宮に赴く。(続日本紀)
- 恭仁京:京都府相楽郡加茂町。天平12年(740)12月15日入京。天平16年閏1月まで新たな都とした。
- 石原宮:京都府相楽郡和束町石寺。天平14年行幸。『続日本紀』
大仏建立へ
- 智識寺:天平12年(740)2月に初めて参詣。
- 紫香楽宮:滋賀県甲賀市。天平14年(742)8月に離宮として設置。翌年10月、大仏造営の詔を出す。745年5月11日に平城京に戻る。
- 甲賀寺:滋賀県甲賀市。廃絶。
- 近江・聖武天皇社:滋賀県甲賀市。紫香楽宮跡
- 桜井頓宮:大阪府東大阪市か富田林市。
- 難波宮:744年に遷都が宣言されるもあまり使われず。
- 平城京:
- 金光明寺:
- 金鐘寺:神亀5年(728)9月に夭折した基親王の菩提を弔うために創建。東大寺の前身。
- 東大寺大仏殿:
- 東大寺御髪塔:
- 御拝壇:
- 諸国国分寺:
- 興福寺東金堂:神亀3年(726)、聖武天皇が元正太上天皇の病気平癒を建立した。
開創伝承
- 叡福寺:神亀元年(724)、聖武天皇の勅願で伽藍が整備された。
- 大聖観音寺:聖武天皇が42歳の厄年のときに、行基が竜王から得た観音を祀る。
- 高崎・長谷寺:聖武天皇の勅命で、行基と徳道が創建したという。
- 瑠璃寺:聖武天皇の発願で創建されたという。
- 新薬師寺:747年(天平19年)、光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のために創建。
- 霊山寺:天平6年(734)、聖武天皇が行基に命じて創建。
- 久米田寺:734年(天平6年)、聖武天皇の勅願で、橘諸兄を檀越として行基が創建。
- 飯福寺:天平15年(743)、聖武天皇の勅願所となる。