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射水神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年2月1日 (土)
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| + | *日吉社:摂社。大山咋神。 | ||
| + | *悪王子社:摂社。地主神。 | ||
| + | *院内社:摂社。菊理媛神。 | ||
| + | *諏訪社:末社。建御名方神。 | ||
| + | *高岡市護国神社:末社。1935年12月創建。 | ||
| + | *[[二上射水神社]]:別組織。 | ||
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| - | *関守一(1830- | + | *関守一(1830-1882)<>:高岡出身の神職。上京して六人部是香に師事。越中社家触頭となる。[[関野神社]]祠官。1872年(明治5年)5月、射水神社権宮司に就任。宮司が空席のため、事実上のトップだった。高岡遷座を実施。1877年(明治10年)12月退職。1882年(明治15年)3月4日死去。 |
| - | *1青山悳次(1832- | + | *1青山悳次(1832-1893)<1873-1874>:金沢藩家老。歌人。1873年(明治6年)7月、射水神社宮司に就任。翌年12月まで務めた。1893年(明治26年)4月27日死去。 |
| - | *2加藤里路(1840- | + | *2加藤里路(1840-1911)<1875-1880>:金沢藩出身の国学者。1840年(天保11年)生。狩谷竹鞆に師事。維新後、金沢藩宣教掛を経て、政府の神祇官・教部省に出仕。1875年(明治8年)1月に射水神社宮司に就任。1880年(明治13年)2月まで務めた。[[尾山神社]]祠官。[[白山比咩神社]]宮司や[[気多大社]]宮司も務めた。石川県内の各神社で説教。晩年は金沢で興道社を起こす。1911年(明治44年)2月死去。72歳。著書に『神風余響』『志北能屋集(志比能屋集?)』『椎の屋集』『神木記』『羽咋海備考』『平安奠都紀念唱歌』『尾山神社編年要誌』。 |
| - | * | + | *3加藤里衡()<1880-1901>:1880年(明治13年)2月、射水神社宮司に就任。1901年(明治34年)6月まで20年あまり務めた。加藤里路の実弟。子に化学者の飯盛里安。 |
| - | * | + | *4保科保(1845-?)<1901-1905>:磐城平藩の典医の家の出身。1845年(弘化2年)生。1901年(明治34年)6月、射水神社宮司に就任。1905年(明治38年)9月、[[八坂神社]]宮司に転任。(略歴は[[八坂神社#組織]]を参照) |
| - | * | + | *5園田弘(生没年不詳)<1905-1907>:生没年不詳。[[日光二荒山神社]]宮司を経て1903年(明治36年)1月9日、[[八坂神社]]宮司。1905年(明治38年)9月7日、射水神社宮司に就任。1907年(明治40年)3月、[[玉前神社]]宮司に転任。編書に『日本神字考』。 |
| - | * | + | *6三河彦治()<1907-1909>:1907年(明治40年)3月6日、射水神社宮司に就任。1909年(明治42年)11月、[[白峰神宮]]に転任。 |
| - | *7金子吉祇(1861- | + | *7金子吉祇(1861-1924)<1909-1915>:越後出身の神職。1909年(明治42年)11月に射水神社宮司に就任。1915年(大正4年)3月に[[豊国神社]]宮司に転任。[[西寒多神社]]宮司、[[気比神宮]]宮司、[[賀茂御祖神社]]宮司などを歴任。著書は『上宮聖徳法王帝説新注』。 |
| - | * | + | *8長尾常良()<1915-1919>:1915年(大正4年)3月に射水神社宮司に就任。1919年(大正8年)6月に[[竈山神社]]宮司に転任。 |
| - | * | + | *9松永常彦()<1919-1921>:1919年(大正8年)6月に射水神社宮司に就任。1921年(大正10年)4月に[[壱岐住吉神社]]に転任。 |
| - | * | + | *10高野義太郎()<1921->:1921年(大正10年)4月に射水神社宮司に就任。 |
| - | * | + | *平尾三郞()<>: |
| - | * | + | *松本正昭()<>: |
(高野義太郎『国幣中社射水神社志』) | (高野義太郎『国幣中社射水神社志』) | ||
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==脚注== | ==脚注== | ||
<references/> | <references/> | ||
2025年2月1日 (土) 時点における最新版
| 射水神社 いみず じんじゃ | |
| 概要 | 二上山の神を奉斎する神社。 |
| 奉斎 | 二上神 (土岐昌訓論文) |
| 所在地 | 富山県高岡市古城1-1 |
| 所在地(旧国郡) | 越中国射水郡 |
| 所属(現在) | 神社本庁 |
| 格式など | 式内社・名神大社・正三位・越中国一宮・国幣中社・別表神社 |
| 関連記事 | |
目次 |
概要
歴史
境内
(二上山も参照)
- 本社
- 日吉社:摂社。大山咋神。
- 悪王子社:摂社。地主神。
- 院内社:摂社。菊理媛神。
- 諏訪社:末社。建御名方神。
- 高岡市護国神社:末社。1935年12月創建。
- 二上射水神社:別組織。
組織
宮司
- 関守一(1830-1882)<>:高岡出身の神職。上京して六人部是香に師事。越中社家触頭となる。関野神社祠官。1872年(明治5年)5月、射水神社権宮司に就任。宮司が空席のため、事実上のトップだった。高岡遷座を実施。1877年(明治10年)12月退職。1882年(明治15年)3月4日死去。
- 1青山悳次(1832-1893)<1873-1874>:金沢藩家老。歌人。1873年(明治6年)7月、射水神社宮司に就任。翌年12月まで務めた。1893年(明治26年)4月27日死去。
- 2加藤里路(1840-1911)<1875-1880>:金沢藩出身の国学者。1840年(天保11年)生。狩谷竹鞆に師事。維新後、金沢藩宣教掛を経て、政府の神祇官・教部省に出仕。1875年(明治8年)1月に射水神社宮司に就任。1880年(明治13年)2月まで務めた。尾山神社祠官。白山比咩神社宮司や気多大社宮司も務めた。石川県内の各神社で説教。晩年は金沢で興道社を起こす。1911年(明治44年)2月死去。72歳。著書に『神風余響』『志北能屋集(志比能屋集?)』『椎の屋集』『神木記』『羽咋海備考』『平安奠都紀念唱歌』『尾山神社編年要誌』。
- 3加藤里衡()<1880-1901>:1880年(明治13年)2月、射水神社宮司に就任。1901年(明治34年)6月まで20年あまり務めた。加藤里路の実弟。子に化学者の飯盛里安。
- 4保科保(1845-?)<1901-1905>:磐城平藩の典医の家の出身。1845年(弘化2年)生。1901年(明治34年)6月、射水神社宮司に就任。1905年(明治38年)9月、八坂神社宮司に転任。(略歴は八坂神社#組織を参照)
- 5園田弘(生没年不詳)<1905-1907>:生没年不詳。日光二荒山神社宮司を経て1903年(明治36年)1月9日、八坂神社宮司。1905年(明治38年)9月7日、射水神社宮司に就任。1907年(明治40年)3月、玉前神社宮司に転任。編書に『日本神字考』。
- 6三河彦治()<1907-1909>:1907年(明治40年)3月6日、射水神社宮司に就任。1909年(明治42年)11月、白峰神宮に転任。
- 7金子吉祇(1861-1924)<1909-1915>:越後出身の神職。1909年(明治42年)11月に射水神社宮司に就任。1915年(大正4年)3月に豊国神社宮司に転任。西寒多神社宮司、気比神宮宮司、賀茂御祖神社宮司などを歴任。著書は『上宮聖徳法王帝説新注』。
- 8長尾常良()<1915-1919>:1915年(大正4年)3月に射水神社宮司に就任。1919年(大正8年)6月に竈山神社宮司に転任。
- 9松永常彦()<1919-1921>:1919年(大正8年)6月に射水神社宮司に就任。1921年(大正10年)4月に壱岐住吉神社に転任。
- 10高野義太郎()<1921->:1921年(大正10年)4月に射水神社宮司に就任。
- 平尾三郞()<>:
- 松本正昭()<>:
(高野義太郎『国幣中社射水神社志』)
画像
資料
- 『国幣中社射水神社志』[1]