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天武天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*686年7月、国懸神に奉幣。 | *686年7月、国懸神に奉幣。 | ||
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*671年、即位前、[[大津宮]]内裏の[[大津宮仏殿|仏殿]]で出家した。日本書紀。 | *671年、即位前、[[大津宮]]内裏の[[大津宮仏殿|仏殿]]で出家した。日本書紀。 |
2019年11月19日 (火) 時点における版
天武天皇旧跡 |
天武天皇(?-686)<673-686>は第40代天皇。僧侶。天智天皇の弟。壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)と皇位を争い勝利して即位。天智天皇の律令制導入の方針を受け継ぎ、天皇号や日本の国号を初めて使用し、記紀の編纂を命じ、古代国家の基礎を築いたとされる。皇后は後の持統天皇。
目次 |
事績
神社関係
- 壬申の乱の最中、事代主神が高市県主に神懸りして託宣。宮中八神殿に事代主を祀る由来か。
- 673年、壬申の乱の最中、伊勢神宮を遥拝。
- 伊勢神宮の式年遷宮の制度を定める。(持統天皇の時代に初めて実施)。
- 675年、皇女の大来皇女を斎王として伊勢神宮に派遣。斎王の確実な初見。
- 673年、大嘗祭を創始。676年にも行う。
- 即位あるいは大嘗祭での中臣寿詞の奏上が定められたと推測される。初出は持統天皇の即位。日本書紀690年1月。
- 記紀の編纂の方針を命じる。(古事記序文、
- 675年4月、広瀬神社大忌祭、龍田大社風神祭を国家の祭祀とする。日本書紀。
- 681年1月、天社、地社の修造を命じる。官社の起源か。
- 675年1月23日、日本書紀に「祭幣諸社」とあり、官社制度や祈年祭班幣の起源と関わるとみられる。
- 675年、一説に祈年祭班幣が始まる(年中行事秘抄)。
- 馬や兵器を供えて神武天皇陵を祀り、合わせて「皇祖の御魂」を祀ったという。
- 天武天皇を現人神として神格化した歌が万葉集にみえる。
- 672年7月、高市御県坐鴨事代主神・牟狭坐神・村屋坐弥富都比売神に叙位。神階の初例。
- 674年8月、石上神宮に納められていた豪族諸氏の宝物を返還させた。
- 685年11月、鎮魂祭の初見。日本書紀。
- 社伝によると、677年2月、天武天皇は山背国に命じて社殿のなかった賀茂別雷神社の社殿を造営した。
- 神祇を司る官庁の名を神祇官と称するようになったか。
- 672年、一説に伊勢神宮の神職長官の名称を「祭官」から「祭主」に改めたという(二所大神宮例文)。
- 675年3月2日、土佐大神が天皇に神刀1口を献上。686年8月13日には天武天皇が秦忌寸石勝を派遣して土佐大神に幣を奉った。日本書紀。
- 686年6月、天武天皇の病気の原因を占いで調べたところ、草薙剣を熱田神宮から盗難にあった668年以来、宮中に置いていたためと出たため、熱田神宮に返還した。
- 686年7月、国懸神に奉幣。
- 678年春、斎宮を倉梯の河上に建てたというが不詳。ここで天神地祇を祀る予定だったが、直前に皇女の十市皇女が死去したため中止。日本書紀。
仏教関係
- 671年、即位前、大津宮内裏の仏殿で出家した。日本書紀。
- 673年、百済大寺を移建して高市大寺(大官大寺)を造営する。
- 673年3月、弘福寺で一切経を書写させ始める。日本初の一切経写経事業という。日本書紀
- 675年4月、初の御斎会。日本書紀に僧尼2400人余りに「大設斎」を行うとある。
- 676年、戒律に基づき肉食を禁止。
- 676年、金光明経と仁王経を初めて全国規模で読経させ、国家鎮護の法会を執行させた。
- 676年8月、全国で放生会を執行させた。日本書紀。
- 677年8月、法興寺の一切経会を礼拝。
- 680年、官寺の制度を定めるか。日本書紀680年条に記述。大官大寺、弘福寺、法興寺。
- 680年、皇后(後の持統天皇)の病気平癒祈願のために薬師寺の創建を発願(完成は天皇の崩御後)。薬師寺東塔サツ銘
- 683年、日本仏教初の安居が宮中で行われた。日本書紀。
- 683年、全国的な僧綱制度を整備。
- 685年3月27日、「諸国の家ごと」に仏舎を建て仏像と経典を置くことを命じた。日本書紀。国分寺の起源ともいう。
- 685年8月12日、山田寺(浄土寺)に行幸。日本書紀。
儒教
- 675年1月、大学寮の初出。
道教
- 採用した天皇号の「天皇」は道教の神の名。
- 684年、八色の姓を制定。その第1位と第5位に道教用語である「真人」と「道師」を採用した。
- 686年、「大極殿」の語の初出。「大極」は元は易の用語だが、道教で「天地の父母、道の奥」を意味し、神格化された老子も太極真人と呼ばれている。
- 「朱鳥」改元。「朱鳥」も准南子などの道教教典に頻出する語という。
- 「神宮」も道教教典に登場する語。
概要
壬申の乱に関わる旧跡が多い。
天武天皇を祀る神社としては、桑名市の天武天皇社が代表的である。天武天皇に関わる寺院としては、奈良の薬師寺が代表的である。薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒祈願のために創建した寺院である。薬師寺では毎年、天武天皇の法要が行われている。このほか、天武天皇による創建や勅願の伝承を持つ寺院がいくつかあるが、吉野の桜本坊は特筆できる。ここは皇子時代の吉野における行在所の伝承を持ち、天武天皇像がある。
このほか、伊勢神宮を遥拝したことは天武天皇の重要な事蹟のひとつであるが、その伝承地がいくつかある。
天武持統天皇陵は、被葬者の比定が確実な上代の天皇陵として、また被葬者が確定している古墳として有名である。
一覧
名称 | 国郡 | 所在地 | コメント | |
---|---|---|---|---|
産湯 | 天武天皇産湯(園城寺) | 滋賀県大津市園城寺町246 | 産湯。 | |
壬申の乱 吉野 | 吉野離宮跡(宮滝遺跡) | 奈良県吉野郡吉野町宮滝 | 離宮。 | |
壬申の乱 吉野 | 桜本坊 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山1269 | 大海人皇子が滞在した吉野離宮日雄殿跡という。天武天皇即位を予言した、役小角高弟の角乗を住職に任命して、当寺を創建したという。天武天皇像が祀られている。 | |
壬申の乱 吉野 | 吉野・桜木神社 | 奈良県吉野郡吉野町喜佐谷トチサ423 | 天武天皇奉斎神社。大友皇子に攻められたときにここの桜の木に身を隠して難を逃れたとされる。 | |
壬申の乱 吉野 | 浄見原神社 | 奈良県吉野郡吉野町南国栖1 | 国栖の民は吉野では大友皇子から逃れてきた大海人皇子を助け、壬申の乱後、即位にあたっては国栖の舞を宮中で披露した。以後、宮中での奉奏が恒例となったが、平安時代末期に途絶したため、地元に天武天皇を祭って、神前で毎年、舞を奉納することにしたという。 | |
壬申の乱 | 三栖神社 | 京都府京都市伏見区横大路下三栖城ノ前町82 | 天武天皇奉斎神社。壬申の乱のときに天武天皇が大津に進軍する途中、夜中、当地で地元民が松明を照らして案内したという。炬火祭はこの故事に基づくという。 | |
壬申の乱 | 子守神社(御栗栖神社境内) | 京都府宇治郡宇治田原町大字南小字宮ノ上西76 | 天武天皇奉斎神社。吉野から近江に向う天武天皇が滞在。『宇治拾遺物語』によると、このとき地元民が煮栗焼栗を献上したという。近くに「御栗栖園故址碑」「栗林茶園由来の碑」「天武天皇御旧蹟碑」「天武天皇故址碑」がある。 | |
壬申の乱 桑名郡家 | 天武天皇社 | 三重県桑名市東鍋屋町 | 天武天皇奉斎神社。壬申の乱のときに天武天皇が桑名に滞在したことにちなんで創建されたという。元は新屋敷の地にあった。 | |
壬申の乱 三重郡家 | 浄蓮寺 | 三重県四日市市西坂部町御館 | 「天武天皇御館旧跡」碑あり。天武天皇軍が一軒の家を焼いて暖を取った跡という。 | |
壬申の乱 三重郡家 | 尾前神社(合祀) | 三重県四日市市西坂部町平崎1707 | 天武天皇奉斎神社。「天武天皇御館頓宮碑」あり。天武天皇軍が一軒の家を焼いて暖を取った跡という。神社は合祀されて廃絶。 | |
壬申の乱 三重郡家 | 江田神社(尾前神社を合祀) | 三重県四日市市西坂部町川向 | 尾前神社を合祀。 | |
壬申の乱 | 野上行宮 | 岐阜県不破郡関ケ原町野上 | 壬申の乱のとき、天武天皇が本営としたとされる行宮跡伝承地。その後、行宮古材を使って行基が寺院を造営したという。 | |
壬申の乱 | 井上神社 | 岐阜県不破郡関ケ原町松尾389 | 天武天皇奉斎神社。壬申の乱のとき、大友皇子軍との古戦場という。両軍は藤古川を挟んで対峙し、それぞれの地元民はそれぞれ両軍に協力したという。東岸の住民は大海人皇子軍に協力し、戦後、井上神社を創建したという。藤古川の対岸には大友皇子を祀る神社がある。 | |
壬申の乱 神宮遥拝 | 伊賀留我神社 | 三重県四日市市羽津戊523 | 壬申の乱のとき、天武天皇が神宮を遥拝した地という。元伊勢。糠塚山の天武天皇社を合祀。南伊賀留我神社。 | |
壬申の乱 神宮遥拝 | 天武天皇神宮遥拝所 大矢知伝承地 | 三重県四日市市大矢知町1714 | 「天武天皇のろしの松」がある。「県指定史跡」。米洗川を迹太川とする。 | |
壬申の乱 神宮遥拝 | 天武天皇神宮遥拝所 糠塚山伝承地 | 三重県四日市市鵤町 | 『三国地誌』によると、中腹に天武天皇を祀る祠があったという。伊賀留我神社合祀か。「天武天皇神宮遙拝所跡」碑がある。 | |
壬申の乱 神宮遥拝 | 天武天皇神宮遥拝所 遠保神社伝承地 | 三重県四日市市山之一色町 | 天武天皇は祀られていない。神社の前の部田川を迹太川とする。 | |
壬申の乱 神宮遥拝 | 長倉神社(斎宮神祠合祀) | 三重県四日市市大矢知町2730 | 天武天皇神宮遥拝所伝承地(不詳)にあった斎宮神祠を合祀。 | |
皇宮 | 飛鳥浄御原宮 | 奈良県高市郡明日香村岡 | 天武天皇の皇宮。 | |
その他 | 清見原神社 | 大阪府大阪市生野区小路2-24-35 | 社伝によれば即位後に難波宮に行幸したときに休憩した行在所跡という。崩御後、大伴氏によって神社が創建されたという(神社ウェブサイト)。 | |
その他 | 薬師寺 | 奈良県奈良市西ノ京町 | 天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒祈願のための創建した寺院。毎年、天武天皇の法要が行われている。天武天皇の木像や画像がある。 | |
陵墓 | 天武天皇陵 | 奈良県高市郡明日香村野口 | 天武天皇の陵墓。「野口王墓古墳」。『阿不幾乃山陵記』の発見により天武天皇陵であることが確定した。 | |
陵墓 | 畝傍陵墓参考地 | 奈良県橿原市五条野町 | 元・天武天皇陵。『阿不幾乃山陵記』の発見により野口王墓古墳が天武天皇陵に確定したことから解除となった。「見瀬丸山古墳」。 | |
奉斎 | 藤森神社 | 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609 | なぜ天武天皇が祀られているのかは不明。同社祭神の舎人親王の関連によるものか。 |
- 大津宮仏殿:天武天皇が出家した場所。
- 大和・弘福寺:孝徳天皇、あるいは天武天皇の創建とされる。川原寺。
- 宝光寺:滋賀県草津市。天武天皇の勅願寺という。
- 昌福寺:三重県名張市にあった古代寺院。『薬師寺縁起』によると奈良時代、大伯皇女が父天武天皇の追善のために創建したという。夏見廃寺に比定。
- 三田廃寺:三重県伊賀市三田にあった古代寺院。多基皇女が天武天皇の追善のために創建。
- 財良寺廃寺:天武天皇の勅願寺という(東大寺要録)。
- 井戸寺:徳島県徳島市にある真言宗寺院。四国八十八所霊場第17番札所。天武天皇の勅願道場が起源と伝える。
- 永勝寺:福岡県久留米市にある曹洞宗寺院。天武天皇の勅願寺という(寛延記)。元は天台宗。
- 観音寺:京都府京田辺市。天武天皇の勅願寺という。
- 願養寺:岐阜県本巣市根尾越波。天武天皇の勅願寺という。真宗誠照寺派。
- 観音寺:福岡県久留米市田主丸町石垣。天台宗。天武天皇の勅願寺という。
- 金徳寺:山口県山口市徳地堀。明治に廃絶。天武天皇の勅願寺という。
- 神於寺:大阪府岸和田市神於町。天武天皇の勅願で役小角が創建したという。
- 光明寺:愛媛県東予市三芳。孝徳天皇の時代に創建され、天武天皇の勅願寺になったという(伊予温故録)。
- 金剛山寺:奈良県大和郡山市。天武天皇の本願で、智通が創建したという(護国寺本諸寺縁起集)
- 大般若寺:滋賀県草津市。天武天皇の勅願寺で、定慧の創建という(興福寺官務牒疏)。
- 慈眼院:大阪府泉佐野市日根野。日根神社神宮寺。天武天皇の勅願寺。
- 遮那院:岐阜県大垣市。廃絶。天武天皇の勅願寺。大垣八幡宮の別当。
- 室生寺:天武天皇の勅願で役小角が創建。
- 弘川寺:役小角が創建し、天武天皇の勅願寺となる。
- 長谷寺:弘福寺の道明が、天武天皇の病気平癒祈願のために法華説相図を祀ったのが起源だと考えられている(法華説相図銘文)。
- 高讃寺:愛知県常滑市。天武天皇の勅願で、行基が創建したという。
- 東光寺:滋賀県野洲市。持統天皇の勅願寺で、天武天皇の病気平癒祈願のために創建したという(興福寺官務牒疏)。御上神社と関係深い。
- 甚目寺:天智天皇の勅願寺で、天武天皇が「鳳凰山」の勅額を下賜したという。
- 下野・薬師寺:天武天皇の創建(太政官符(類聚三代格))。
- 雄琴神社:栃木県。祭神は天照大神で、天武天皇・大地主神・小槻今雄を合祀。郷社。
- 走落神社:大阪府豊能郡豊能町木代。天武天皇宮を合祀。官社。村社。