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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

斎院関連旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年4月9日 (月)

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斎院関連旧跡

目次

概要

賀茂斎院は、賀茂神社賀茂別雷神社賀茂御祖神社)に奉仕した女性神職。またはその御所。賀茂神社関連旧跡も参照。伊勢神宮斎王に準じて設置された。

一覧

歴代

名前 よみ 生没年 出自 治世 卜定 退下 退下理由 その他 陵墓
1 有智子内親王 うちこ・うちし 807-847 嵯峨天皇皇女 810年(弘仁1年) 831年(天長8年)12月 病気 漢詩に優れる。 嵯峨に治定墓あり。姫明神という祠があった。
2 時子内親王 ときこ ?-847 仁明天皇皇女 831年(天長8年)12月8日 淳和天皇退位
3 高子内親王 たかいこ・たかこ ?-866 仁明天皇皇女 833年(天長10年)3月26日 850年(嘉祥3年)3月 天皇崩御
4 恵子内親王 さとこ・けいし ?-881 文徳天皇皇女 850年(嘉祥3年)7月9日 857年(天安1年)2月28日 母の密通事件
5 述子内親王 のぶこ・じゅつし ?-897 文徳天皇皇女 857年(天安1年)2月 858年(天安2年) 文徳天皇崩御
6 儀子内親王 ぎし ?-879 文徳天皇皇女 859年(貞観1年)10月5日 876年(貞観18年)10月5日
7 敦子内親王 あつこ ?-930 清和天皇皇女 877年(元慶1年)2月17日 天皇崩御
8 穆子内親王 ぼくし ?-903 光孝天皇皇女 陽成、光孝 884年(元慶8年)3月22日 887年(仁和3年) 光孝天皇崩御 醍醐天皇
9 直子女王 惟彦親王王女 889年(寛平1年)3月6日 今宮神社境内斎院社の祭神。
10 君子内親王 きみこ ?-902 宇多天皇第3皇女 893年(寛平5年)3月 本人死去
11 恭子内親王 きょうし 902-915 醍醐天皇第3皇女 903年(延喜3年)2月19日 915年(延喜15年)5月4日 母死去 夭折
12 宣子内親王 のぶこ 902-920 醍醐天皇第2皇女 915年(延喜15年)7月19日 920年(延喜20年)6月8日 本人死去?
13 韶子内親王 あきこ・しょうし 918-980 醍醐天皇第13皇女 921年(延喜21年)2月25日 930年(延長8年)9月29日 醍醐天皇崩御
14 婉子内親王 えんし 904-969 醍醐天皇皇女 931年(承平1年)12月25日 967年(康保4年)5月 村上天皇崩御 35年務める。出家。
15 尊子内親王 たかこ 966-985 冷泉天皇第2皇女 968年(安和1年)7月1日 975年(天延3年)4月3日 母死去 円融天皇女御。出家。承香殿女御。
16 選子内親王 せんし 964-1035 村上天皇第10皇女 円融、花山、一条、三条、後一条 975年(天延3年)6月25日 1031年(長元4年)9月22日 最長57年間務める。歌人としても著名。出家。大斎院と呼ばれる。 園城寺(現存せず)
17 馨子内親王 かおるこ・けいし 1029-1093 後一条天皇第2皇女 1031年(長元4年)12月16日 1036年(長元9年)4月17日 後一条天皇崩御 後三条天皇中宮。白河天皇非妻皇后。出家。西院皇后。 菩提樹院に納骨されたが、現存せず菩提樹院陵にも治定されていない。
18 娟子内親王 よしこ・けんし 1032-1103 後朱雀天皇第2皇女 1036年(長元9年)11月28日 1045年(寛徳2年)1月16日 後朱雀天皇譲位 狂斎院。
19 〓子内親王 みわこ・ばいし 1039-1096 後朱雀天皇第4皇女 1046年(永承1年)3月24日 1058年(康平1年)4月3日 病気 歌人として著名で、歌合をたびたび開く。六条斎院
20 正子内親王 せいし 1045-1114 後朱雀天皇第5皇女 1058年(康平1年)6月27日 1069年(延久1年)7月27日 病気 出家。押小路斎院、土御門斎院
21 佳子内親王 よしこ・かし 1057-1130 後三条天皇皇女 1069年(延久1年)10月28日 1072年(延久4年)7月6日 病気 富小路斎院
22 篤子内親王 あつこ・とくし 1060-1114 後三条天皇皇女 1073年(延久5年)3月11日 1073年(延久5年)5月7日 堀河天皇中宮。出家。四の宮 雲林院に埋葬(現存せず)
23 斉子女王 ただこ・さいし 生没年不詳 敦明親王第5王女 1074年(承保1年)12月8日 1089年(寛治3年)4月12日 母死去 春日斎院
24 令子内親王 れいし 1078-1144 白河天皇第3皇女 1088年(寛治2年)6月28日 1099年(康和1年)6月20日 病気 鳥羽天皇准母(皇后)。歌会をたびたび開き、配下の女房から著名な歌人が多数出ている。出家。二条の大宮。二条太皇太后 上醍醐陵
25 禛子(禎子)内親王 1081-1156 白河天皇皇女 1099年(康和1年)10月20日 849年(嘉祥2年)7月19日
26 官子内親王 かんし 1090-? 白河天皇第5皇女 1108年(天仁1年)11月8日 鳥羽天皇退位 清和院斎院
27 〓子内親王 そうし 1099-1162 堀河天皇第1皇女 1123年(保安4年)8月28日 1126年(大治1年)7月25日 大宮斎院
28 恂子(統子)内親王 じゅんし(とうし) 1126-1189 鳥羽天皇第2皇女 1127年(大治2年)4月6日 1132年(長承1年)6月29日 病気 弟の後白河天皇准母(皇后)。法金剛院で出家。上西門院。真如理。 花園に治定陵あり。
29 禧子内親王 きし 1122-1133 鳥羽天皇第1皇女 1132年(長承1年)11月25日 1133年(長承2年)9月2日 病気 夭折 醍醐寺上醍醐陵内に治定墓あり。
30 怡子女王(怡子内親王) いし 生没年不詳 輔仁親王王女 1133年(長承2年)12月21日 1159年(平治1年)閏5月19日 北小路斎院
31 式子内親王 しきし・しょくし ?-1201 後白河天皇第3皇女 1159年(平治1年)10月25日 1169年(嘉応1年)10月20日 病気 藤原俊成を師に歌を学ぶ。法然を戒師として出家。大炊御門斎院、萱斎院。承如法。 治定外の墓(般舟院陵内にある)。観海寺にも。
32 〓子内親王 ぜんし 1159-1171 二条天皇第1皇女 1169年(嘉応1年)10月20日 1171年(承安1年)2月22日 病気 上西門院の猶子。夭折。
33 頌子内親王 しょうし 1145-1208 鳥羽天皇第7皇女 1171年(承安1年)6月28日 1171年(承安1年)8月14日 高野山蓮華乗院を創建。出家。春日姫宮、五辻斎院。
34 範子内親王 1177-1210 高倉天皇皇女 1178年(治承2年)6月27日 1181年(養和1年)1月14日 高倉天皇崩御 土御門天皇准母(皇后)。坊門院
35 礼子内親王 れいし 1200-1273 後鳥羽天皇第2(第3)皇女 1204年(元久1年)6月23日 1212年(建暦2年)9月4日 病気 出家。嘉陽門院。 太秦の龍翔寺跡に治定墓あり

由緒

歴史

制度

信仰

系譜

組織

古典籍

画像

参考文献

  • 新木直人 昭和64「賀茂斎院歴代斎王神霊社考」『神道史研究』37-1

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%96%8E%E9%99%A2%E9%96%A2%E9%80%A3%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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