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善光寺大本願

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月5日 (木)

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善光寺大本願
ぜんこうじ だいほんがん
概要
奉斎 善光寺如来
所在地 長野県長野市長野元善町500
所在地(旧国郡) 信濃国
所属(現在) 浄土宗
格式など 浄土宗大本山
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善光寺大本願(ぜんこうじ・だいほんがん)は、天台宗大勧進とともに善光寺本坊を務める浄土宗寺院。浄土宗知恩院派大本山。社寺の維持造営のために資金調達を行う職のことを勧進職や本願職と言い、大勧進、大本願の名前もこれに由来すると思われる。歴代住職を尼僧が務め、善光寺上人と呼ばれ、伊勢慶光院熱田誓願寺と共に勅許三上人の一人とされていた。

目次

伽藍

  • 本堂:本誓殿。本尊は善光寺如来善導法然、本田三卿像、歴代上人位牌などを祀る。1996年(平成8年)11月再建。
  • 位牌堂:1989年(平成1年)再建。
  • 光明閣:中央に善光寺如来、右に明治天皇、昭憲皇太后、貞明皇后、昭和天皇ほか皇族の位牌を祀り、左に李王家寄進の地蔵像を祀る。
  • 徳川家御霊屋:廃絶。徳川家光の発願で母崇源院の位牌を納めて誓誉智伝が建立。本理院の位牌も納められた。1780年(安永9年)、幕府の支援を得て修復。1705年(宝永2年)焼失。1707年(宝永4年)、浄光院(徳川綱吉室)の発願で再建。1797年(寛政9年)、修復。1847年(弘化4年)の地震で倒壊し、再建されなかった。(「信濃善光寺本理院殿廟墓について」[1]
  • 歴代上人廟:善光寺本堂の北に移転。
  • 徳川家廟所:善光寺本堂の北に移転。
  • 奥書院:1980年(昭和55年)再建。
  • 表書院
  • 明照殿:本尊は善光寺如来。1914年(大正3年)造営。2008年(平成20年)改築。
  • 寿光殿:本尊は聖観音(北村西望作)。1979年(昭和54年)造営。大本願事務所がある。
  • 文殊堂:本尊は文殊菩薩普賢菩薩。1989年(平成1年)11月建立。
  • 宝物殿:1989年(平成1年)4月造営。

組織

住職

住職の尼僧は善光寺上人と呼ばれ、勅許三上人の一人。現在は、他の浄土宗の本山寺院と同様に法主と称する。

名前 生没年 在職年 蓮社号など 誉号など 阿弥陀号 称号 略歴
1 尊光 伝説的な尼僧。聖徳太子妃、蘇我馬子の娘の「刀自古郎女」とされているらしい。
65 智誓 伝説的な尼僧。法然に師事し、善光寺は浄土宗に帰したという(浄土宗寺院調書)。
107 鏡空智浄 ?-1567 ?-1564 経歴不詳。甲斐善光寺1世。当時は善光寺は真言宗。
108 智誓(誓観) 1564-1588 経歴不詳。甲斐善光寺2世。善光寺如来が各地を転々としているときも甲府に留まったとも考えられている(随従したともいう)。
109 智慶 1588-1612 大蓮社 円誉 中興開山 善光寺大本願中興開山。善光寺上人1世。甚目寺(真言宗)の尼僧。善光寺如来が岐阜から甚目寺に遷ったときに、智誓に弟子入りしたと思われる。のち善光寺如来は甲府に戻り、甲斐善光寺3世となる。1597年(慶長2年)、聖護院道澄・勧修寺中納言を通して、上人号勅許を得た(善光寺上人)。善光寺如来の如来京都遷座に先駆けてのものであった。京都に随従か。1601年(慶長6年)、徳川家康より朱印地約1000石を賜る。同年、谷中善光寺を創建(在住)。墓所は善光寺にあるが、墓所の中央に墓碑が立てられている。墓所は甲斐善光寺にもある。甚目寺に像がある。
110 誓信(清信) 1612-1629 善光寺上人2世。経歴不詳。善光寺に墓。
111 智伝 1630-1672 善光寺上人3世。経歴不詳。大奥との深いつながりがあり、春日局の支援を得る。参内を果たす。青山善光寺と善光寺に墓所。
112 誓伝 1672-1698 善光寺上人4世。経歴不詳。智善の死後、しばらく事務にあたる。青山善光寺と善光寺に墓所。
113 智善 1698-1727 光蓮社 心誉 善光寺上人5世。柳沢吉保の娘という。大坂に和光寺を創建。紫衣を着用(以後恒例)。越後の浜善光寺も兼任。谷中善光寺を青山に移す(青山善光寺)。青山善光寺と善光寺に墓所。
114 誓興 1732-1752 善光寺上人6世。奥羽守山藩主松平家の出身。青山善光寺に在住。青山善光寺と善光寺に墓所。
115 智観 1753-1790 善光寺上人7世。大和新庄藩永井家の出身。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。
116 智昭 1790-1836 善光寺上人8世。中御門(松木)家の出身。1790年(寛政2年)から1836年(天保7年)まで大本願住職。青山善光寺に在住。善光寺に墓所。
117 久我誓円 1828-1910 1837-1910 本蓮社 覚誉 順阿 善光寺上人9世。伏見宮邦家親王第三王女。1828年(文政11年)生。青山善光寺兼任(幕末まで在住)。1873年(明治6年)、和光寺兼任(1895年(明治28年)まで、在住)。1875年(明治8年)、臣籍降下して久我家に入る。知恩院から知恩院門主旧邸(兄弟の博経親王が1868年(明治1年)まで門主)を得て、京都に得浄明院を創建(以降、在住)。1910年(明治43年)死去。姉妹に瑞龍寺門跡の村雨日栄、円照寺門跡6世の大知文秀女王がいる。墓所は一心院。善光寺では歯を埋葬。
118 勧修寺勇心 1911-1912 勧修寺家の出身。浄勤とも。1911年(明治44年)から1912年(大正1年)まで大本願住職。
119 大宮智栄 1885-1984 1912-1961 西園寺家支流の大宮家(子爵)の出身。1885年(明治18年)生。1912年(大正1年)大本願住職。1938年(昭和13年)より光照院門跡兼任。1961年(昭和36年)引退。隠居ののち給田に住んでいた。1984年(昭和59年)死去。仏教婦人救護会総裁、全日本仏教尼僧法団総裁。
120 一条智光 1907-2000 1961-1997 西園寺家支流の小倉家(子爵)の出身。一条家の養女。1907年(明治40年)生。1961年(昭和36年)大本願法主。1968年(昭和43年)、光照院門跡兼任。1997年(平成9年)大本願引退。2000年(平成12年)死去。全日本仏教尼僧法団総裁。号は玉瑛。
121 鷹司誓玉 1929- 1997- 本蓮社 願誉 深阿 鷹司家の分家の出身。1929年(昭和4年)生。1997年(平成9年)善光寺大本願法主に就任。

画像


参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E9%A1%98」より作成

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