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浄土真宗二十四輩寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年6月5日 (日)
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*第01番 [[性信房]](1187-1275):[[横曽根門徒]]の祖。横曽根[[報恩寺]]を創建。教行信証草稿本を伝えた。最初は[[法然]]に師事した。[[鹿島神宮]]の大中臣氏出身。 | *第01番 [[性信房]](1187-1275):[[横曽根門徒]]の祖。横曽根[[報恩寺]]を創建。教行信証草稿本を伝えた。最初は[[法然]]に師事した。[[鹿島神宮]]の大中臣氏出身。 | ||
- | **[[下総・報恩寺]] | + | **[[下総・報恩寺]]:茨城県常総市。横曽根の地。真宗大谷派。日本歴史地名大系。 |
- | **[[江戸・報恩寺]] | + | **[[江戸・報恩寺]]:東京都台東区。真宗大谷派。地名大系。 |
+ | **[[越中・報恩寺]]:富山県高岡市。浄土真宗本願寺派。地名大系。 | ||
+ | **[[下総大野・長命寺]]:茨城県古河市下大野。下総国猿島郡。 | ||
*第02番 [[真仏房]](1209-1258):[[高田門徒]]の祖。 | *第02番 [[真仏房]](1209-1258):[[高田門徒]]の祖。 | ||
*第03番 [[順信房]](生没年不詳):[[鹿島門徒]]の祖。大中臣氏。鹿島神宮神職の片岡信親の子? | *第03番 [[順信房]](生没年不詳):[[鹿島門徒]]の祖。大中臣氏。鹿島神宮神職の片岡信親の子? | ||
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**光徳寺:茨城県下館市。 | **光徳寺:茨城県下館市。 | ||
*第06番 [[成然房]](1178-1265):俗名は中村行実。親鸞のいとこ?猿島門徒の祖? | *第06番 [[成然房]](1178-1265):俗名は中村行実。親鸞のいとこ?猿島門徒の祖? | ||
- | **[[ | + | **[[下総三村・妙安寺]]:茨城県 |
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+ | **[[上野・妙安寺]]:群馬県前橋市千代田町。猿島から川越を経て移転。 | ||
*第07番 [[西念房]](1184-1291):能信。 | *第07番 [[西念房]](1184-1291):能信。 | ||
- | **[[下総・西念寺]] | + | **[[下総・西念寺]]:茨城県坂東市。下総国猿島郡。真宗大谷派。 |
- | ** | + | **[[武蔵・長命寺]]:武蔵国足立郡野田。元は西念寺。埼玉県さいたま市緑区上野田に比定する説がある。日本歴史地名大系。 |
- | ** | + | **[[信濃水内・長命寺]]:長野県長野市南堀。信濃国水内郡。浄土真宗本願寺派。 |
- | ** | + | **[[出羽・長命寺]]:山形県米沢市中央。出羽国置賜郡。水内郡から越後国三島郡を経て米沢城下に移転。米沢御坊。真宗大谷派。 |
+ | **下総・長命寺:千葉県野田市上花輪。下総国葛飾郡。真宗大谷派。 | ||
+ | **覚応寺:群馬県館林市。上野国邑楽郡。 | ||
+ | **[[宗願寺]]:茨城県古河市中央町。下総国葛飾郡。浄土真宗本願寺派。古河御坊。 | ||
+ | **[[越後三島・西照寺]]:新潟県長岡市上岩井。越後国三島郡。真宗大谷派。長命寺の分寺。 | ||
*第08番 [[証性房]](性証房)():鎌倉幕府御家人の畠山重忠の子の重秀という。犬飼の証性。元は明恵に師事し、恵空と名乗ったともいう。 | *第08番 [[証性房]](性証房)():鎌倉幕府御家人の畠山重忠の子の重秀という。犬飼の証性。元は明恵に師事し、恵空と名乗ったともいう。 | ||
**[[専念寺]] | **[[専念寺]] | ||
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*第15番 [[入西房]](1186-1245):日野頼秋。建暦2年(1212)、一夜の宿を請う僧が訪れたがそれが親鸞だったという。 | *第15番 [[入西房]](1186-1245):日野頼秋。建暦2年(1212)、一夜の宿を請う僧が訪れたがそれが親鸞だったという。 | ||
**[[枕石寺]]:茨城県常陸太田市。頼秋は宿を請う親鸞を一度追い出すが、観音菩薩が霊夢に現れ、その僧は阿弥陀如来の化身と告げた。見てみると石を枕に念仏を唱えている親鸞がいたので後悔して帰依したという。これが枕石寺の起源という。天文9年(1540)に現在地に移転。 | **[[枕石寺]]:茨城県常陸太田市。頼秋は宿を請う親鸞を一度追い出すが、観音菩薩が霊夢に現れ、その僧は阿弥陀如来の化身と告げた。見てみると石を枕に念仏を唱えている親鸞がいたので後悔して帰依したという。これが枕石寺の起源という。天文9年(1540)に現在地に移転。 | ||
- | *第16番 [[穴沢の入信房]] | + | *第16番 [[穴沢の入信房]](生没年不詳): |
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- | *第17番 [[念信房]] | + | *第17番 [[念信房]](生没年不詳): |
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- | *第18番 [[八田の入信房]] | + | **[[照願寺]]: |
+ | *第18番 [[八田の入信房]](生没年不詳):八田知朝 | ||
**[[常福寺]]:茨城県つくば市大曽根。真宗大谷派。日本歴史地名大系 | **[[常福寺]]:茨城県つくば市大曽根。真宗大谷派。日本歴史地名大系 | ||
- | *第19番 [[明法房]] | + | *第19番 [[明法房]](生没年不詳):弁円。円善。[[聖護院]]末の修験僧だった。藤原忠通の曾孫(明円寺の伝)とも、あるいは平宗盛次男の平能宗(法専寺の伝)ともいう。 |
**[[常陸・上宮寺]]:茨城県那珂市。弁円が佐竹末賢の招請で那珂郡東野村(塔之尾。常陸大宮市東野)に護摩堂を建てて住んでいた。親鸞に帰依したのち、承久3年(1221)、塔之尾楢原に上宮寺を創建。天正5年(1577)、那珂市額田に移転。天正11年(1583)現在地に移転。浄土真宗本願寺派。 | **[[常陸・上宮寺]]:茨城県那珂市。弁円が佐竹末賢の招請で那珂郡東野村(塔之尾。常陸大宮市東野)に護摩堂を建てて住んでいた。親鸞に帰依したのち、承久3年(1221)、塔之尾楢原に上宮寺を創建。天正5年(1577)、那珂市額田に移転。天正11年(1583)現在地に移転。浄土真宗本願寺派。 | ||
**[[明円寺]]:茨城県石岡市。浄土真宗本願寺派。修験僧時代に親鸞を襲撃しようと拠点としていた地に仁治元年(1240)弁円が創建したという。天明6年(1786)、山津波のため本堂などが倒壊。のち現在地に再建された。 | **[[明円寺]]:茨城県石岡市。浄土真宗本願寺派。修験僧時代に親鸞を襲撃しようと拠点としていた地に仁治元年(1240)弁円が創建したという。天明6年(1786)、山津波のため本堂などが倒壊。のち現在地に再建された。 | ||
**[[法専寺]]:茨城県常陸大宮市東野。領主佐竹秀義が建暦2年(1212)法徳院を創建し、弁円を招いた。親鸞に帰依したのち嘉禄2年(1226)法徳院近くに法専寺を創建した。法徳院跡に弁円の墓がある。真宗大谷派。 | **[[法専寺]]:茨城県常陸大宮市東野。領主佐竹秀義が建暦2年(1212)法徳院を創建し、弁円を招いた。親鸞に帰依したのち嘉禄2年(1226)法徳院近くに法専寺を創建した。法徳院跡に弁円の墓がある。真宗大谷派。 | ||
- | *第20番 [[慈善房]] | + | *第20番 [[慈善房]](生没年不詳): |
**[[常弘寺]] | **[[常弘寺]] | ||
**持専寺:富山県下新川郡入善町上野。真宗大谷派。持専房の旧跡。日本歴史地名大系。 | **持専寺:富山県下新川郡入善町上野。真宗大谷派。持専房の旧跡。日本歴史地名大系。 | ||
- | *第21番 [[唯仏房]] | + | *第21番 [[唯仏房]](生没年不詳):藤原頼貞が貞応元年(1222)に出家。 |
**[[浄光寺]]:茨城県ひたちなか市館山。唯仏は親鸞から恵心僧都筆の阿弥陀如来像などを授けられ、自邸を道場としたのが始まり。当初は常光寺と称した。天正19年(1591)水戸城内に移転。徳川家光の命で現在地に移転し、浄光寺と改称した。寺にある親鸞像は鹿島神宮にあったものと伝承される。 | **[[浄光寺]]:茨城県ひたちなか市館山。唯仏は親鸞から恵心僧都筆の阿弥陀如来像などを授けられ、自邸を道場としたのが始まり。当初は常光寺と称した。天正19年(1591)水戸城内に移転。徳川家光の命で現在地に移転し、浄光寺と改称した。寺にある親鸞像は鹿島神宮にあったものと伝承される。 | ||
- | *第22番 [[外森の唯信房]] | + | *第22番 [[外森の唯信房]](1200-1284):八田知家の子の義治という。 |
**[[唯信寺]]:茨城県笠間市。親鸞の命で外森に創建。寛文7年(1667)現在地に移転。真宗大谷派。 | **[[唯信寺]]:茨城県笠間市。親鸞の命で外森に創建。寛文7年(1667)現在地に移転。真宗大谷派。 | ||
- | *第23番 [[幡谷の唯信房]] | + | *第23番 [[幡谷の唯信房]](生没年不詳):元は常陸国橘村幡谷(小美玉市)の城主の幡谷信勝。建保4年(1216)、念持仏の観音像が夢告して親鸞に会うように言った。ただちに親鸞を城内に招き入れ帰依した。あるいは御家人佐々木高綱の子の佐々木高重という(覚念寺の伝)。 |
**[[信願寺]]:茨城県水戸市。浄土真宗本願寺派。貞永元年(1232)、唯信が領内に親鸞を招いて寺を創建。享禄元年(1528)久慈郡小瀬(常陸大宮市)に移転、天正7年(1579)水戸城下に移転、延宝9年(1681)現在地に移転。 | **[[信願寺]]:茨城県水戸市。浄土真宗本願寺派。貞永元年(1232)、唯信が領内に親鸞を招いて寺を創建。享禄元年(1528)久慈郡小瀬(常陸大宮市)に移転、天正7年(1579)水戸城下に移転、延宝9年(1681)現在地に移転。 | ||
**顕正寺:島根県浜田市。 | **顕正寺:島根県浜田市。 | ||
**覚念寺:茨城県日立市。真宗高田派。唯信が那珂郡小瀬畠谷(常陸大宮市下小瀬)に創建。天正8年(1580)に兵火で焼失。文禄4年(1595)再建。慶長5年(1600)現在地に移転。 | **覚念寺:茨城県日立市。真宗高田派。唯信が那珂郡小瀬畠谷(常陸大宮市下小瀬)に創建。天正8年(1580)に兵火で焼失。文禄4年(1595)再建。慶長5年(1600)現在地に移転。 | ||
- | *第24番 [[唯円房]] | + | *第24番 [[唯円房]](生没年不詳):鳥喰の唯円。西光寺伝では橋本綱宗(1173-1255)といい、武蔵国猶山の城主だったが子を亡くし、城を弟に譲り、薬師如来を奉じて諸国行脚。鳥喰で空き家で一晩を過ごした時に薬師如来が光明を放ち稲田に行くことを命じた。そこで親鸞に帰依したという。本泉寺伝では、鳥喰朝業(1193-1303)と言い、安貞元年(1227)に親鸞に帰依。のち如信、覚如の後見役を務めたという。 |
**[[常陸・本泉寺]]:茨城県常陸大宮市。唯円が、宝治2年(1248)常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)に創建。天正18年(1590)、下総古河に移転。その後、一旦鳥喰に戻るが慶安2年(1649)落雷で焼失し古河に再び移転。さらに寛文4年(1664)徳川光圀の命で現在地に移転したという。 | **[[常陸・本泉寺]]:茨城県常陸大宮市。唯円が、宝治2年(1248)常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)に創建。天正18年(1590)、下総古河に移転。その後、一旦鳥喰に戻るが慶安2年(1649)落雷で焼失し古河に再び移転。さらに寛文4年(1664)徳川光圀の命で現在地に移転したという。 | ||
**[[常陸・西光寺]]:茨城県常陸太田市。唯円が、親鸞の命で薬師如来が託宣を下した常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)に創建。当初は本泉寺と称したが、寛永3年(1626)、徳川頼房の命で現在地に移転し、西光寺と称した。 | **[[常陸・西光寺]]:茨城県常陸太田市。唯円が、親鸞の命で薬師如来が託宣を下した常陸国那珂郡鳥喰(茨城県那珂市豊喰)に創建。当初は本泉寺と称したが、寛永3年(1626)、徳川頼房の命で現在地に移転し、西光寺と称した。 | ||
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==参考文献== | ==参考文献== | ||
*今井雅晴監修、2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社 | *今井雅晴監修、2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社 | ||
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2022年6月5日 (日) 時点における最新版
浄土真宗二十四輩寺院は、浄土真宗開祖親鸞の高弟24人が創建したとされる寺院。関東地方に集中している。寺院の移転や宗派の分裂などにより、関連の寺院は180寺以上あると言われている。浄土真宗の諸師旧跡。
目次 |
一覧
- 第01番 性信房(1187-1275):横曽根門徒の祖。横曽根報恩寺を創建。教行信証草稿本を伝えた。最初は法然に師事した。鹿島神宮の大中臣氏出身。
- 第02番 真仏房(1209-1258):高田門徒の祖。
- 第03番 順信房(生没年不詳):鹿島門徒の祖。大中臣氏。鹿島神宮神職の片岡信親の子?
- 第04番 乗念房(生没年不詳):順信の弟で上野国片岡郡の城主片岡親綱。領海。乗然房とも。
- 第05番 信楽房(生没年不詳):弘徳寺を創建。俗名は相馬義清。
- 弘徳寺:茨城県八千代町新地。真宗大谷派。日本歴史地名大系。
- 光徳寺:茨城県下館市。
- 第06番 成然房(1178-1265):俗名は中村行実。親鸞のいとこ?猿島門徒の祖?
- 第07番 西念房(1184-1291):能信。
- 下総・西念寺:茨城県坂東市。下総国猿島郡。真宗大谷派。
- 武蔵・長命寺:武蔵国足立郡野田。元は西念寺。埼玉県さいたま市緑区上野田に比定する説がある。日本歴史地名大系。
- 信濃水内・長命寺:長野県長野市南堀。信濃国水内郡。浄土真宗本願寺派。
- 出羽・長命寺:山形県米沢市中央。出羽国置賜郡。水内郡から越後国三島郡を経て米沢城下に移転。米沢御坊。真宗大谷派。
- 下総・長命寺:千葉県野田市上花輪。下総国葛飾郡。真宗大谷派。
- 覚応寺:群馬県館林市。上野国邑楽郡。
- 宗願寺:茨城県古河市中央町。下総国葛飾郡。浄土真宗本願寺派。古河御坊。
- 越後三島・西照寺:新潟県長岡市上岩井。越後国三島郡。真宗大谷派。長命寺の分寺。
- 第08番 証性房(性証房)():鎌倉幕府御家人の畠山重忠の子の重秀という。犬飼の証性。元は明恵に師事し、恵空と名乗ったともいう。
- 第09番 善性房(生没年不詳):後鳥羽天皇皇子の正懐親王。周観大覚。鸞英。磯部六寺の祖。
- 第10番 是信房(生没年不詳):東北布教の先駆者とされる。
- 第11番 無為信房(無為子房)(1186-1264):俗名は武田信勝。
- 第12番 善念房(生没年不詳):三浦実忠の子の義重。建保4年(1216)、鹿島神宮参詣の帰りに桜川を渡れず困っていた親鸞を背負って渡したという。あるいは佐竹氏系の領主の南酒出義茂という(善徳寺の伝)。
- 第13番 信願房(生没年不詳):法心、了海
- 慈願寺
- 観専寺:栃木県宇都宮市材木町。浄土真宗本願寺派。稲木義清を信願とする。
- 第14番 定信房(?-1272):元は園城寺僧で堯範といった。
- 第15番 入西房(1186-1245):日野頼秋。建暦2年(1212)、一夜の宿を請う僧が訪れたがそれが親鸞だったという。
- 枕石寺:茨城県常陸太田市。頼秋は宿を請う親鸞を一度追い出すが、観音菩薩が霊夢に現れ、その僧は阿弥陀如来の化身と告げた。見てみると石を枕に念仏を唱えている親鸞がいたので後悔して帰依したという。これが枕石寺の起源という。天文9年(1540)に現在地に移転。
- 第16番 穴沢の入信房(生没年不詳):
- 第17番 念信房(生没年不詳):
- 第18番 八田の入信房(生没年不詳):八田知朝
- 常福寺:茨城県つくば市大曽根。真宗大谷派。日本歴史地名大系
- 第19番 明法房(生没年不詳):弁円。円善。聖護院末の修験僧だった。藤原忠通の曾孫(明円寺の伝)とも、あるいは平宗盛次男の平能宗(法専寺の伝)ともいう。
- 常陸・上宮寺:茨城県那珂市。弁円が佐竹末賢の招請で那珂郡東野村(塔之尾。常陸大宮市東野)に護摩堂を建てて住んでいた。親鸞に帰依したのち、承久3年(1221)、塔之尾楢原に上宮寺を創建。天正5年(1577)、那珂市額田に移転。天正11年(1583)現在地に移転。浄土真宗本願寺派。
- 明円寺:茨城県石岡市。浄土真宗本願寺派。修験僧時代に親鸞を襲撃しようと拠点としていた地に仁治元年(1240)弁円が創建したという。天明6年(1786)、山津波のため本堂などが倒壊。のち現在地に再建された。
- 法専寺:茨城県常陸大宮市東野。領主佐竹秀義が建暦2年(1212)法徳院を創建し、弁円を招いた。親鸞に帰依したのち嘉禄2年(1226)法徳院近くに法専寺を創建した。法徳院跡に弁円の墓がある。真宗大谷派。
- 第20番 慈善房(生没年不詳):
- 常弘寺
- 持専寺:富山県下新川郡入善町上野。真宗大谷派。持専房の旧跡。日本歴史地名大系。
- 第21番 唯仏房(生没年不詳):藤原頼貞が貞応元年(1222)に出家。
- 浄光寺:茨城県ひたちなか市館山。唯仏は親鸞から恵心僧都筆の阿弥陀如来像などを授けられ、自邸を道場としたのが始まり。当初は常光寺と称した。天正19年(1591)水戸城内に移転。徳川家光の命で現在地に移転し、浄光寺と改称した。寺にある親鸞像は鹿島神宮にあったものと伝承される。
- 第22番 外森の唯信房(1200-1284):八田知家の子の義治という。
- 唯信寺:茨城県笠間市。親鸞の命で外森に創建。寛文7年(1667)現在地に移転。真宗大谷派。
- 第23番 幡谷の唯信房(生没年不詳):元は常陸国橘村幡谷(小美玉市)の城主の幡谷信勝。建保4年(1216)、念持仏の観音像が夢告して親鸞に会うように言った。ただちに親鸞を城内に招き入れ帰依した。あるいは御家人佐々木高綱の子の佐々木高重という(覚念寺の伝)。
- 信願寺:茨城県水戸市。浄土真宗本願寺派。貞永元年(1232)、唯信が領内に親鸞を招いて寺を創建。享禄元年(1528)久慈郡小瀬(常陸大宮市)に移転、天正7年(1579)水戸城下に移転、延宝9年(1681)現在地に移転。
- 顕正寺:島根県浜田市。
- 覚念寺:茨城県日立市。真宗高田派。唯信が那珂郡小瀬畠谷(常陸大宮市下小瀬)に創建。天正8年(1580)に兵火で焼失。文禄4年(1595)再建。慶長5年(1600)現在地に移転。
- 第24番 唯円房(生没年不詳):鳥喰の唯円。西光寺伝では橋本綱宗(1173-1255)といい、武蔵国猶山の城主だったが子を亡くし、城を弟に譲り、薬師如来を奉じて諸国行脚。鳥喰で空き家で一晩を過ごした時に薬師如来が光明を放ち稲田に行くことを命じた。そこで親鸞に帰依したという。本泉寺伝では、鳥喰朝業(1193-1303)と言い、安貞元年(1227)に親鸞に帰依。のち如信、覚如の後見役を務めたという。
その他
寺格の一つとして「二十四輩地」とされた寺院があったらしい。
- 阿弥陀寺:愛知県稲沢市。真宗大谷派。(日本歴史地名大系)
資料
- 「二十四輩牒」:覚如筆という。
- 『二十四輩順拝図会』:享和3年(1803)
- 『二十四輩霊場記』:1730年。是心著。『親鸞聖人御旧跡二十四輩記』
- 『二十四輩散在記』:元禄15年。宗誓著。
- 『二十四輩巡拝記』:先啓著。
- 『二十四輩次第記』:知空著。
参考文献
- 今井雅晴監修、2011『親鸞聖人関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社