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興福寺大乗院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?歴代住職)
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==歴代住職==
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*1隆禅(1038-1100):藤原政兼の子。大乗院開山。興福寺権別当、[[大安寺]]別当、[[長谷寺]]別当。
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*1'''隆禅'''(1038-1100):藤原政兼の子。大乗院開山。興福寺権別当、[[大安寺]]別当、[[長谷寺]]別当。
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*2頼実:[[内山永久寺]]を創建。
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*2'''頼実''':[[内山永久寺]]を創建。
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*3尋範(1101-1174):藤原師実の子。興福寺別当。内山永久寺を継承。内山僧正。
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*3'''尋範'''(1101-1174):藤原師実の子。興福寺別当。内山永久寺を継承。内山僧正。
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*4信円(1153-1224):藤原忠通の4男で慈円の兄。[[興福寺一乗院|一乗院]](10代)と大乗院の両門跡を兼務する。[[金峰山寺|金峰山]]検校。興福寺別当。[[正暦寺]]を再興。'''菩提山本願僧正'''。
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*4'''信円'''(1153-1224):藤原忠通の4男で慈円の兄。[[興福寺一乗院|一乗院]](10代)と大乗院の両門跡を兼務する。[[金峰山寺|金峰山]]検校。興福寺別当。[[正暦寺]]を再興。'''菩提山本願僧正'''。
*5実尊(1180-1236):藤原基房の子。興福寺別当。興福寺と[[多武峰寺]]との抗争の責任をとって辞任するがすぐに復職。
*5実尊(1180-1236):藤原基房の子。興福寺別当。興福寺と[[多武峰寺]]との抗争の責任をとって辞任するがすぐに復職。
*6円実(1214-1272):九条道家の子。興福寺別当。丹波配流。
*6円実(1214-1272):九条道家の子。興福寺別当。丹波配流。
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*18経覚(1395-1473):望月仏教大辞典になし。九条経教の子。興福寺別当。[[本願寺]][[蓮如]]の師。
*18経覚(1395-1473):望月仏教大辞典になし。九条経教の子。興福寺別当。[[本願寺]][[蓮如]]の師。
*19尋実:望月仏教大辞典になし。
*19尋実:望月仏教大辞典になし。
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*20尋尊(1430-1508):望月仏教大辞典になし。一条兼良の子。興福寺別当。長谷寺別当、薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。
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*20'''尋尊'''(1430-1508):望月仏教大辞典になし。一条兼良の子。興福寺別当。長谷寺別当、薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。
*21政覚:望月仏教大辞典になし。
*21政覚:望月仏教大辞典になし。
*22慈尋:望月仏教大辞典になし。
*22慈尋:望月仏教大辞典になし。
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*24尋円
*24尋円
*25尋憲(1529-1585):二条尹房の子。興福寺別当。
*25尋憲(1529-1585):二条尹房の子。興福寺別当。
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*26義尋:15代将軍足利義昭の子。
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*26'''義尋''':15代将軍足利義昭の子。
*27信尊
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*28信雅
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*33隆実
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*34隆温
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*35隆芳(松園尚嘉)(1840-1903):九条尚忠の次男。薬師寺別当。還俗して[[春日大社]]神職。松園男爵家初代。
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*35'''隆芳'''(松園尚嘉)(1840-1903):九条尚忠の次男。薬師寺別当。還俗して[[春日大社]]神職。松園男爵家初代。
(望月信亨『仏教大辞典 付録』、『日本仏家人名辞書』など。番号は新たに便宜上付した)
(望月信亨『仏教大辞典 付録』、『日本仏家人名辞書』など。番号は新たに便宜上付した)
[[category:奈良県]]
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2015年9月1日 (火) 時点における版

大乗院(だいじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。「飛鳥御殿」と呼ばれた。本尊は十一面観音、釈迦如来、阿弥陀如来(「興福寺諸堂縁起」)。(参考 同名寺院大乗院

隆禅が寛治1年(1087)2月に創建。元は現在の奈良県庁あたりにあった。尋範が入寺して以来、摂家門跡となる。治承4年(1180)の平重衡の南都焼討で焼失。元興寺禅定院を譲り受けて移転。宝徳3年(1451)、徳政一揆で再び灰燼に帰した。翌年、関白一条兼良の子、尋尊が22歳で晋山。建物や庭園を復興させる様子は『大乗院寺社雑事記』に記録されている。 寛正6年(1465)から、将軍・足利義政の命で、善阿弥が作庭し、数十年かけて作られ、南都随一の名園と言われた。

明治維新で門跡は還俗し、松園男爵家となる。明治10年(1877)に土地建物が売却され、小学校や奈良ホテルの敷地となる。一部は大乗院庭園として復元され、当初の庭園が残存している。平成7年から発掘調査が行われた。

宮門跡であった一乗院と交互に興福寺別当を務めたが、石高を見ても、一乗院の下位にあったと思われる。「飛鳥御殿」と呼ばれたのは、禅定院の本坊である元興寺の旧名飛鳥寺に依るのだろうか。

(大乗院庭園しおり)

歴代住職

  • 1隆禅(1038-1100):藤原政兼の子。大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。
  • 2頼実内山永久寺を創建。
  • 3尋範(1101-1174):藤原師実の子。興福寺別当。内山永久寺を継承。内山僧正。
  • 4信円(1153-1224):藤原忠通の4男で慈円の兄。一乗院(10代)と大乗院の両門跡を兼務する。金峰山検校。興福寺別当。正暦寺を再興。菩提山本願僧正
  • 5実尊(1180-1236):藤原基房の子。興福寺別当。興福寺と多武峰寺との抗争の責任をとって辞任するがすぐに復職。
  • 6円実(1214-1272):九条道家の子。興福寺別当。丹波配流。
  • 7実信
  • 8尊信(1226-1283):九条教実の子。興福寺別当。長谷寺別当。
  • 9慈信
  • 10尋覚(1282-1318):一条家経の子。興福寺別当。
  • 11尋尊:望月仏教大辞典では「覚尊」
  • 12聖信
  • 13孝覚(1319-1368):九条房実の子。長谷寺別当、薬師寺別当、橘寺別当。興福寺別当。
  • 14孝尊(生没年不詳):九条道教の子。
  • 15孝尋(?-1428):鷹司冬通の子。興福寺別当。望月仏教大辞典では孝信の次。
  • 16孝信(生没年不詳):九条経教の子。配流となった。
  • 17孝円(1378-1410):九条経教の子。長谷寺別当・橘寺別当・薬師寺別当。興福寺別当。
  • 18経覚(1395-1473):望月仏教大辞典になし。九条経教の子。興福寺別当。本願寺蓮如の師。
  • 19尋実:望月仏教大辞典になし。
  • 20尋尊(1430-1508):望月仏教大辞典になし。一条兼良の子。興福寺別当。長谷寺別当、薬師寺別当。『大乗院寺社雑事記』『大乗院日記目録』を著す。
  • 21政覚:望月仏教大辞典になし。
  • 22慈尋:望月仏教大辞典になし。
  • 23経尋(1499-1526):九条尚経の子。
  • 24尋円
  • 25尋憲(1529-1585):二条尹房の子。興福寺別当。
  • 26義尋:15代将軍足利義昭の子。
  • 27信尊
  • 28信雅
  • 29信覚
  • 30隆尊
  • 31隆遍
  • 32隆範
  • 33隆実
  • 34隆温
  • 35隆芳(松園尚嘉)(1840-1903):九条尚忠の次男。薬師寺別当。還俗して春日大社神職。松園男爵家初代。

(望月信亨『仏教大辞典 付録』、『日本仏家人名辞書』など。番号は新たに便宜上付した)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%99%A2」より作成

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