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出雲大神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月16日 (土)

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出雲大神宮
いずも だい じんぐう
Izumo-daijingu-tanba (17).JPG山中の磐座
概要 元出雲を称する神社。
奉斎 大国主命、三穂津姫命
(土岐昌訓論文)
所在地 京都府亀岡市千歳町千歳出雲山
所在地(旧国郡) 丹波国桑田郡
所属(現在) (単立)
格式など 式内社名神大社丹波国一宮国幣中社
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目次

概要

歴史

戦後、当初は神社本庁に参加し、別表神社だったが、1952年(昭和27年)7月、離脱を宣言。同年に手続きが完了したらしい。

境内

  • 本社:祭神は大国主命三穂津姫命。現在の本殿は社伝では1350年(正平5年/観応1年)の足利尊氏の造営とされるが、確証はない。1445年(文安2年)銘の棟札がある。近世には「中ノ宮」と呼ばれている。
  • 上の社:祭神は素戔嗚尊櫛稲田姫尊。現在の社殿は1813年(文化10年)の造営。近世には「上ノ宮」と呼ばれた。
  • 笑殿社:祭神は事代主命少那毘古名命。近世には「祓殿」とも呼ばれた。
  • 稲荷社:祭神は宇迦之御魂神
  • 春日社:祭神は建御雷之男神天児屋根命
  • 弁財天社:祭神は市杵島姫命
  • 黒太夫社:祭神は猿田毘古神大山祇神。飛地境内。近世には「一ノ宮」とも呼ばれた。
  • 崇神天皇社:祭神は崇神天皇
  • 祖霊社:祭神は「歴代の神職や役員、総代氏子並びに特別崇敬者の物故者」。祖霊社。飛地境内。黒太夫社のそばにある。
  • 御蔭山:祭神は国常立尊。神体山でもあるとされる。
  • 地当ノ宮:廃絶か
  • 磐座群:御蔭山に至る山道に多くの巨石がある。
  • 古墳:
  • 御蔭の滝:龍神が宿るという。
  • 真名井:名水として知られる。
  • 夫婦岩:
  • 招霊木:御神木。
  • 御供所:1854年(安政1年)再建。
  • 観音堂:本尊は十一面観音。神宮寺と呼ばれた。創建不明。1733年(享保18年)再建か。神仏分離で廃絶。本尊は近くの極楽寺に移されて現存する。

神名の漢字表記は『出雲大神宮史』などに基づく。

組織

神主

元は村民が兼業で神主や禰宜を務め、神主と禰宜が対等な立場で経営にあたっていたようだが、やがて神主が主導的立場に立った。神主家は吉田家の裁許状を受けた。禰宜家は白川家の免状を受け、神主家に対抗し訴訟を起こすが敗訴した。

  • 広瀬伯耆:安之丞。1706年(宝永3年)出雲村苗家により神社支配権が認められた。1712年(正徳2年)吉田家から裁許状を得た。
  • 広瀬駿河:1747年(延享4年)、白川家に入った禰宜と争論になるが、京都町奉行所で勝訴となる。
  • 広瀬志摩:1783年(天明3年)、吉田家から小幡神社上田加賀と共に丹波国の社法取締役に命じられる。
  • 広瀬伯耆(1842-)<1855-1873>:江戸時代最後。1842年(天保13年)生。1855年(安政2年)8月、吉田家裁許状を得て神主職を相続。1873年(明治6年)6月17日、一旦「神勤」を解任され、権禰宜となり同時に教導職少講義となる。その後も神社経営の実務を担っていたとみられる。広瀬正備。

大宮司・宮司

  • 江藤正澄(1836-1911)<1874-1874>:1874年(明治7年)1月31日、出雲神社宮司。1874年(明治7年)2月18日、丹生川上神社大宮司。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
  • 中野千依()<1874->:彦根藩士。1874年(明治7年)5月10日、出雲神社宮司。 (略歴は、井伊谷宮#組織を参照)
  • 小島備源()<1876-?>:和歌山藩士。1876年(明治9年)1月、出雲神社宮司。著書『異船記』。
  • 藤木保受()<?-1911>:上賀茂神社神職。1873年(明治6年)6月に出雲神社禰宜(この時宮司は空席)。その後宮司。1911年(明治44年)5月22日、高良大社宮司。
  • 広瀬侍郎()<1911->:1911年(明治44年)5月22日、出雲神社宮司。大本出口王仁三郎と交流。著書『国幣中社出雲神社略記』
  • 広瀬伯紀()<>:神社本庁離脱を決める。
  • 岩田昌樹()<-2012>:2012年(平成24年)退任。
  • 岩田昌憲()<2012->:2012年(平成24年)就任

(明治7年、西川須賀雄もいたという記述も)

少宮司・権宮司

  • 岡部譲(1849-1937)<1873-1874>:1873年(明治6年)から1874年(明治7年)まで権宮司。(1874年(明治7年)2月~5月に宮司?)(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照)
  • 乾満昭(1835-1907)<1874-1876>:薩摩国出身。1835年(天保6年)生。白峰宮、吉田神社禰宜を歴任。1874年(明治7年)5月28日、出雲神社権宮司。1876年(明治9年)7月22日、広田神社少宮司。1907年(明治40年)3月18日死去。73歳。(略歴は、若狭彦神社#組織を参照)

画像

資料

  • 出雲神社社記:1783年(天明3年)
  • 上田正昭監修2009『出雲大神宮史』
  • 平石充2013「神郡神戸と出雲大神宮・於友評」『古代文化研究』21
  • 泉万里「出雲神社絵図」『國華』126-6
  • 栗田寬1895「丹波の一宮出雲神社の事につきて」『皇典講究所講演』142
  • 『古事類苑』「出雲神社」[1]
  • 田中勝雄「丹波一ノ宮出雲神社参籠之記」『旅と伝説』[2](国会限定)
  • 『官国幣社特殊神事調』
  • 奈良本辰也1982「『徒然草』にみる出雲神社」『京都歴史歳時記』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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