ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
小教院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年9月26日 (木)
小教院は大教宣布時代に全国の社寺に設置された神仏合同の教化・教育・布教機関。大教院、中教院のもとで国民教化に当たった。自動的に社寺の全てが小教院になったわけではなく、設置手続きを経て設置された。また各宗大教院時代の小教院(神道小教院など)と混同されることもあるが異なる。教派神道の小規模教会とも関連。
目次 |
歴史
- 1872年(明治5年)3月14日:<神祇省(および宣教使)を廃して、教部省を設置。(太政官御布告第82号)>
- 1872年(明治5年)4月25日:<教導職設置。(太政官御布告第132号)>
- 1872年(明治5年)4月28日:<「三条の教則」発布。(教部省無号達)>
- 1872年(明治5年)5月28日:大教院設置許可。(『大教院の研究』)30日とも。
- 1872年(明治5年)11月24日:社寺を小教院とする旨を布達。(教部省達第29)
- 1873年(明治6年)1月10日:<旧紀伊徳川家邸で大教院開講祭典。(『大教院の研究』)>
- 1873年(明治6年)6月17日:<増上寺の大教院神殿に四柱大神を鎮祭。開講式。19日まで(『大教院の研究』)。四柱大神は造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)と天照大神。>
- 1873年(明治6年)8月24日:<「教会大意」を発布(教部省番外達)>
- 1874年(明治7年)7月12日:教院・講社の設置方法制定の命令。
- 1875年(明治8年)4月30日:大教院、解散。(5月3日教部省達書乙第4号別紙)
- 1875年(明治8年)5月3日:神仏合同布教廃止。(教部省達書乙第4号)
- 1877年(明治10年)1月11日:<教部省廃止。内務省へ移管。(太政官布告第4号)>
- 1882年(明治15年)1月24日:<神官教導職分離。内務省達乙第7号>
- 1884年(明治17年)8月11日:<教導職廃止。(太政官布達第19号)>
一覧
北海道
- 千歳通小教院:北海道札幌市中央区南二条西9丁目。現在の曹洞宗中央寺。新札幌市史[1]。松前町史[2]
- 塩谷小教院:北海道小樽市塩谷。「忍路郡塩谷に小教院設置位置の図」(1874年(明治7年)。『近世幕末期・明治前期描画図資料目録』[3])
- 亀田村小教院:北海道函館市亀田。函館市史[4]
東北
- 弘前小教院:[5]
- 八戸小教院
- 七戸小教院
- 田村大元神社小教院?:1874年(明治7年)4月「田村神社小教院開設之件」提出(社寺取調類纂目録[6])
- 紫雲寺小教院:福島県。1874年(明治7年)12月24日(福島県歴史資料館研究紀要[7])
- 開成館小教院:福島県。1874年(明治7年)9月19日(福島県歴史資料館研究紀要[8])
- 到岸寺小教院:福島県福島市大町。浄土宗。[9]
- 磐前国小教院:福島県。[10]
関東
- 大田原小教院:『栃木県神社誌』[11]
- 鹿沼小教院:『栃木県神社誌』[12]
- 宇都宮小教院:『栃木県神社誌』[13]
- 足利小教院:『栃木県神社誌』[14]
- 雄琴神社小教院:栃木県下都賀郡壬生町通町。壬生町史[15]
- (華蔵寺小教院:1875年(明治8年)11月開院(「小教院華蔵寺組結社盟約書」『伊勢崎市史』[16])。伊勢崎小教院。)
- 三峰神社小教院:埼玉県秩父市三峰。旧本堂を改築。カフェとして現存。
- 某小教院:高麗神社付近か。明治7年「小教院講究録」[17]には日付、演題、講師が記されている。
- 大聖寺小教院:[18]
- 承教寺小教院:東京都港区高輪。のちの日蓮宗大教院。立正大学の前身。
- 鎌田村小教院:[19]
- 第八十区小教院:[20]
- 第四大区小教院:[21]
- 建長寺小教院:1874年(明治7年)2月22日開講(時宗教学年報[22])。
- 吉田小教院:山梨県。富士吉田?[23]
- 谷村小教院:山梨県都留市。
- 身延小教院:山梨県南巨摩郡身延町。身延山?
- 一宮小教院:山梨県笛吹市一宮町。浅間神社?
- 上野原小教院:山梨県上野原市
- 加賀美小教院:山梨県南アルプス市加賀美
- 若神子小教院:山梨県北杜市須玉町若神子。
- 於曽小教院:山梨県甲州市塩山。
- 市川小教院:山梨県西八代郡市川三郷町
神奈川県では中教院と小教院の間に「小教会」が置かれた[24]。 千葉県では一大区ごとに小教院を置くこととされた[25]。
東海
- 松本小教院:松本市宮村町。旧瑞松寺。松本市伊勢町の旧浄林寺を寮舎とした。(「明治6年松本小教院事件--教部省教化政策の地方的展開,あるいは「教化」と「教育」のはざま」[26])
- 佐久小教院:[27]
- 井伊谷宮小教院:[28]
- 大宮小教院:[29]
- 八名郡小教院:『八名郡誌』[30]
- 伊香具神社小教院:社務所として現存
北陸
近畿
- 多賀神社小教院:多賀教会?
- 押立神社小教院:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[34])
- 長浜八幡宮小教院?:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[35])
- 北野神社小教院:風月殿として現存。岩倉具視50日祭を斎行(伏見稲荷大社年表[36])
- 稲荷神社小教院:1873年(明治6年)7月1日、森公種(元上社禰宜)宅を仮小教院として開筵する(伏見稲荷大社年表[37])。1874年(明治7年)『大矢田神蹟図考』を刊行[38]。1874年(明治7年)12月26日、小教院の敷地、森公種から川上龍三(主典)に売却され、家屋は神社が買得する[39]。1876年(明治9年)12月19日、昭憲皇太后の行啓にあたり社務所小教院に滞在。[40]。1878年(明治11年)12月9日、宮司安江静と小野孝廉が小教院で説教[41]。1882年(明治15年)1月、教導職廃止を受けて元小教院を講社休憩所とする[42]。1887年(明治20年)9月12日、旧小教院敷地を川上龍三から購入[43]。
- (豊国神社小教院):設置年次未確認。「小教院寄付に関する豊国神社進達願等」(明治12年10月-11月)[44]。
- 下鴨神社小教院:橋殿が小教院とされたらしい(「橋殿を以小教院に兼用御届書」。「下鴨社家日記紙背文書目録」[45])。
- 八坂神社小教院:
- 男山八幡宮小教院:現在の頓宮斎館か。
- 住吉神社小教院:「真の道のしるべ」を編纂[46]
- 穴太村小教院:高槻市史史料目録[47]
- 大和神社小教院:現在の大和神道御霊之社か。[48][49]
- 大神神社小教院:現在の大神教という。
- 丹波市小教院
- 高野山小教院:和歌山県伊都郡高野町高野山。1869年3月の「三派取替誓状」で大徳院跡に講学所の設置を決定。11月に制度案が制定され、まもなく開設されたとみられる。1872年9月、高野山小教院を設置(「高野山僧徒小教院の設立」[50])。場所は、穀屋跡(高野山西禅院前)。後に興山寺跡に移転。「小教院学課並規則案」が現存[51]。僧侶教育の他、一般志願者も受け入れた。既に図書館が置かれた[52]。1876年1月、「小教院同袍社」に改称したとみられる。1877年6月、「高野山大学林」と改称[53]。後に高野山大学となる。(「高野山大学開学前史」[54])
- 熊野坐神社小教院:明治6年9月17日、仮礼殿に仮に開設[55]。(「神道講述所·中教院·小教院の開設」[56])
- 湊川神社小教院:1873年(明治6年)11月「湊川神社小教院設立伺」(社寺取調類纂目録[57])。
- 弓弦羽神社小教院:1874年(明治7年)12月5日に設置(折田年秀日記)。
- 兵庫県黒住講出張所小教院:1873年(明治6年)12月「兵庫県黒住講出張所へ小教院設立之件」(社寺取調類纂目録[58])。黒住教
中国
- 出雲大社小教院:1874年(明治7年)4月、「出雲大社仮小教院開設願」「出雲大社仮小教院経費」提出(社寺取調類纂目録[59])。
- 熊野神社小教院:1874年(明治7年)4月、「熊野神社小教院開設」を提出(社寺取調類纂目録[60])。8月、移転(「熊野神社仮小教院移転」「同」)。
四国
- 阿波国小教院:
- 事比羅宮小教院:1874年(明治7年)12月「事比羅宮小教院開設願」(社寺取調類纂目録[61])。
- 善通寺小教院:1873年開設[62]
- 大山祇神社小教院:1873年(明治6年)6月「大山祇神社小教院小学校合併願」(社寺取調類纂目録[63])。
- 大林寺小教院:1873年(明治6年)2月22日開講(三輪田米山日記[64])
九州
- 宗像神社小教院:能舞台が仮小教院とされた(「明治八年辺津宮全図」[65])。1876年(明治9年)10月辺津宮参籠所兼小教院を改築(「沖津宮仲津宮辺津宮及末社地所坪数明細票控」[66])。1884年(明治17年)には旧能舞台はなくなっている(「明治17年辺津宮社地鳥瞰図(乙之図)」)。
- 鵜戸神宮小教院:「鵜戸神宮境内社務所脇容屋ヲ以小教院二相用度願」
- 高山小教院:鹿児島県高山町。[67]