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小教院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年12月22日 (金)
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- | [[ファイル:中央寺001.jpg|thumb| | + | [[ファイル:中央寺001.jpg|thumb|300px|札幌中央寺]] |
*千歳通小教院:北海道札幌市中央区南二条西9丁目。現在の[[曹洞宗]][[中央寺]]。新札幌市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572131/1/237]。松前町史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/386] | *千歳通小教院:北海道札幌市中央区南二条西9丁目。現在の[[曹洞宗]][[中央寺]]。新札幌市史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572131/1/237]。松前町史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9572172/1/386] | ||
*塩谷小教院:北海道小樽市塩谷。「忍路郡塩谷に小教院設置位置の図」(1874年(明治7年)。『近世幕末期・明治前期描画図資料目録』[https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/8/9/7/5/8/2/1/_/siryoumokuroku22.pdf]) | *塩谷小教院:北海道小樽市塩谷。「忍路郡塩谷に小教院設置位置の図」(1874年(明治7年)。『近世幕末期・明治前期描画図資料目録』[https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/8/9/7/5/8/2/1/_/siryoumokuroku22.pdf]) | ||
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===関東=== | ===関東=== | ||
+ | [[ファイル:立正大学001.jpg|thumb|300px| ]] | ||
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+ | *大田原小教院:『栃木県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3015590/1/494] | ||
+ | *鹿沼小教院:『栃木県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3015590/1/494] | ||
+ | *宇都宮小教院:『栃木県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3015590/1/494] | ||
+ | *足利小教院:『栃木県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3015590/1/494] | ||
*[[下野・雄琴神社|雄琴神社]]小教院:栃木県下都賀郡壬生町通町。壬生町史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9644094/1/194] | *[[下野・雄琴神社|雄琴神社]]小教院:栃木県下都賀郡壬生町通町。壬生町史[https://dl.ndl.go.jp/pid/9644094/1/194] | ||
*(華蔵寺小教院:1875年(明治8年)11月開院(「小教院華蔵寺組結社盟約書」『伊勢崎市史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9644152/1/372])。伊勢崎小教院。) | *(華蔵寺小教院:1875年(明治8年)11月開院(「小教院華蔵寺組結社盟約書」『伊勢崎市史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9644152/1/372])。伊勢崎小教院。) | ||
*[[三峰神社]]小教院:埼玉県秩父市三峰。旧本堂を改築。カフェとして現存。 | *[[三峰神社]]小教院:埼玉県秩父市三峰。旧本堂を改築。カフェとして現存。 | ||
+ | *某小教院:[[高麗神社]]付近か。明治7年「小教院講究録」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9643177/1/202]には日付、演題、講師が記されている。 | ||
*大聖寺小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/9641212/1/67] | *大聖寺小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/9641212/1/67] | ||
*[[承教寺]]小教院:東京都港区高輪。のちの[[日蓮宗大教院]]。[[立正大学]]の前身。 | *[[承教寺]]小教院:東京都港区高輪。のちの[[日蓮宗大教院]]。[[立正大学]]の前身。 | ||
+ | *鎌田村小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/2990085/1/202] | ||
*第八十区小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/2515345/1/44] | *第八十区小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/2515345/1/44] | ||
*第四大区小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576761/1/284] | *第四大区小教院:[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576761/1/284] | ||
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*於曽小教院:山梨県甲州市塩山。 | *於曽小教院:山梨県甲州市塩山。 | ||
*市川小教院:山梨県西八代郡市川三郷町 | *市川小教院:山梨県西八代郡市川三郷町 | ||
+ | |||
+ | 神奈川県では中教院と小教院の間に「小教会」が置かれた[https://dl.ndl.go.jp/pid/9641035/1/95]。 | ||
+ | 千葉県では一大区ごとに小教院を置くこととされた[https://dl.ndl.go.jp/pid/3049062/1/379]。 | ||
===東海=== | ===東海=== | ||
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===北陸=== | ===北陸=== | ||
*林神社小教院:富山県砺波市。1875年(明治8年)3月13日、拝殿に設置[https://dl.ndl.go.jp/pid/3023795/1/237] | *林神社小教院:富山県砺波市。1875年(明治8年)3月13日、拝殿に設置[https://dl.ndl.go.jp/pid/3023795/1/237] | ||
+ | *成願寺小教院:福井県越前市岩本町。一揆につながる。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9539077/1/86][https://dl.ndl.go.jp/pid/9536232/1/118] | ||
+ | |||
===近畿=== | ===近畿=== | ||
+ | [[ファイル:下鴨神社・橋殿 (2).jpg|thumb|300px|下鴨神社橋殿 ]] | ||
+ | [[ファイル:Iwashimizu-hatiman-gu 007.jpg|thumb|300px|石清水八幡宮頓宮斎館 ]] | ||
+ | [[ファイル:Oomiwa-kyo (5).jpg|thumb|300px|大神教 ]] | ||
+ | [[ファイル:高野山大学001.jpg|thumb|300px|高野山大学]] | ||
*[[多賀大社|多賀神社]]小教院:[[多賀教会]]? | *[[多賀大社|多賀神社]]小教院:[[多賀教会]]? | ||
*[[押立神社]]小教院:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3175512/1/98]) | *[[押立神社]]小教院:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3175512/1/98]) | ||
69行: | 86行: | ||
*[[北野神社]]小教院:風月殿として現存。岩倉具視50日祭を斎行(伏見稲荷大社年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/164]) | *[[北野神社]]小教院:風月殿として現存。岩倉具視50日祭を斎行(伏見稲荷大社年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/164]) | ||
*[[伏見稲荷大社|稲荷神社]]小教院:1873年(明治6年)7月1日、森公種(元上社禰宜)宅を仮小教院として開筵する(伏見稲荷大社年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/159])。1874年(明治7年)『大矢田神蹟図考』を刊行[https://dl.ndl.go.jp/pid/815173]。1874年(明治7年)12月26日、小教院の敷地、森公種から川上龍三(主典)に売却され、家屋は神社が買得する[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/160]。1876年(明治9年)12月19日、昭憲皇太后の行啓にあたり社務所小教院に滞在。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/161]。1878年(明治11年)12月9日、宮司安江静と小野孝廉が小教院で説教[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/162]。1882年(明治15年)1月、教導職廃止を受けて元小教院を講社休憩所とする[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/164]。1887年(明治20年)9月12日、旧小教院敷地を川上龍三から購入[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/166]。 | *[[伏見稲荷大社|稲荷神社]]小教院:1873年(明治6年)7月1日、森公種(元上社禰宜)宅を仮小教院として開筵する(伏見稲荷大社年表[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/159])。1874年(明治7年)『大矢田神蹟図考』を刊行[https://dl.ndl.go.jp/pid/815173]。1874年(明治7年)12月26日、小教院の敷地、森公種から川上龍三(主典)に売却され、家屋は神社が買得する[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/160]。1876年(明治9年)12月19日、昭憲皇太后の行啓にあたり社務所小教院に滞在。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/161]。1878年(明治11年)12月9日、宮司安江静と小野孝廉が小教院で説教[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/162]。1882年(明治15年)1月、教導職廃止を受けて元小教院を講社休憩所とする[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/164]。1887年(明治20年)9月12日、旧小教院敷地を川上龍三から購入[https://dl.ndl.go.jp/pid/3034911/1/166]。 | ||
- | *([[豊国神社]] | + | *([[豊国神社]]小教院):設置年次未確認。「小教院寄付に関する豊国神社進達願等」(明治12年10月-11月)[https://dl.ndl.go.jp/pid/4422790/1/85]。 |
*[[下鴨神社]]小教院:橋殿が小教院とされたらしい(「橋殿を以小教院に兼用御届書」。「下鴨社家日記紙背文書目録」[http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/740/1/0030_063_005.pdf])。 | *[[下鴨神社]]小教院:橋殿が小教院とされたらしい(「橋殿を以小教院に兼用御届書」。「下鴨社家日記紙背文書目録」[http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/740/1/0030_063_005.pdf])。 | ||
*[[八坂神社]]小教院: | *[[八坂神社]]小教院: | ||
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*[[住吉大社|住吉神社]]小教院:「真の道のしるべ」を編纂[https://dl.ndl.go.jp/pid/1915496/1/28] | *[[住吉大社|住吉神社]]小教院:「真の道のしるべ」を編纂[https://dl.ndl.go.jp/pid/1915496/1/28] | ||
*穴太村小教院:高槻市史史料目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576498/1/132] | *穴太村小教院:高槻市史史料目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576498/1/132] | ||
- | *[[大和神社]]小教院:現在の[[大和神道御霊之社]]か。 | + | *[[大和神社]]小教院:現在の[[大和神道御霊之社]]か。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573231/1/231][https://dl.ndl.go.jp/pid/3020868/1/163] |
*[[大神神社]]小教院:現在の[[大神教]]という。 | *[[大神神社]]小教院:現在の[[大神教]]という。 | ||
*丹波市小教院 | *丹波市小教院 | ||
- | *高野山小教院:和歌山県伊都郡高野町高野山。1869年3月の「三派取替誓状」で[[大徳院]] | + | *高野山小教院:和歌山県伊都郡高野町高野山。1869年3月の「三派取替誓状」で[[大徳院]]跡に講学所の設置を決定。11月に制度案が制定され、まもなく開設されたとみられる。1872年9月、高野山小教院を設置(「高野山僧徒小教院の設立」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576601/1/257])。場所は、穀屋跡([[高野山西禅院]]前)。後に[[興山寺]]跡に移転。「小教院学課並規則案」が現存[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/MD40138671/kbk048-09-murakami.pdf]。僧侶教育の他、一般志願者も受け入れた。既に図書館が置かれた[https://dl.ndl.go.jp/pid/11231062/1/29]。1876年1月、「小教院同袍社」に改称したとみられる。1877年6月、「高野山大学林」と改称[https://dl.ndl.go.jp/pid/7891405/1/47]。後に[[高野山大学]]となる。(「高野山大学開学前史」[https://www.chugainippoh.co.jp/article/ron-kikou/ron/20161209-002.html]) |
+ | *[[熊野坐神社]]小教院:明治6年9月17日、仮礼殿に仮に開設[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576551/1/162]。(「神道講述所·中教院·小教院の開設」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9576601/1/258]) | ||
*[[湊川神社]]小教院:1873年(明治6年)11月「湊川神社小教院設立伺」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/72])。 | *[[湊川神社]]小教院:1873年(明治6年)11月「湊川神社小教院設立伺」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/72])。 | ||
*[[弓弦羽神社]]小教院:1874年(明治7年)12月5日に設置(折田年秀日記)。 | *[[弓弦羽神社]]小教院:1874年(明治7年)12月5日に設置(折田年秀日記)。 | ||
89行: | 107行: | ||
===四国=== | ===四国=== | ||
*阿波国小教院: | *阿波国小教院: | ||
- | *[[事比羅宮]]小教院:1874年(明治7年)12月「事比羅宮小教院開設願」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/60] | + | *[[事比羅宮]]小教院:1874年(明治7年)12月「事比羅宮小教院開設願」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/60])。 |
+ | *[[善通寺]]小教院:1873年開設[https://dl.ndl.go.jp/pid/9776194/1/467] | ||
*[[大山祇神社]]小教院:1873年(明治6年)6月「大山祇神社小教院小学校合併願」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/67])。 | *[[大山祇神社]]小教院:1873年(明治6年)6月「大山祇神社小教院小学校合併願」(社寺取調類纂目録[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982819/1/67])。 | ||
*大林寺小教院:1873年(明治6年)2月22日開講(三輪田米山日記[https://dl.ndl.go.jp/pid/9774850/1/400]) | *大林寺小教院:1873年(明治6年)2月22日開講(三輪田米山日記[https://dl.ndl.go.jp/pid/9774850/1/400]) | ||
+ | |||
===九州=== | ===九州=== | ||
*[[宗像大社|宗像神社]]小教院:能舞台が仮小教院とされた(「明治八年辺津宮全図」[https://www.city.munakata.lg.jp/w010/honpen1-2.pdf])。1876年(明治9年)10月辺津宮参籠所兼小教院を改築(「沖津宮仲津宮辺津宮及末社地所坪数明細票控」[https://www.city.munakata.lg.jp/w010/010/011/010/140321shiryouhena.html.pdf])。1884年(明治17年)には旧能舞台はなくなっている(「明治17年辺津宮社地鳥瞰図(乙之図)」)。 | *[[宗像大社|宗像神社]]小教院:能舞台が仮小教院とされた(「明治八年辺津宮全図」[https://www.city.munakata.lg.jp/w010/honpen1-2.pdf])。1876年(明治9年)10月辺津宮参籠所兼小教院を改築(「沖津宮仲津宮辺津宮及末社地所坪数明細票控」[https://www.city.munakata.lg.jp/w010/010/011/010/140321shiryouhena.html.pdf])。1884年(明治17年)には旧能舞台はなくなっている(「明治17年辺津宮社地鳥瞰図(乙之図)」)。 | ||
*[[鵜戸神宮]]小教院:「鵜戸神宮境内社務所脇容屋ヲ以小教院二相用度願」 | *[[鵜戸神宮]]小教院:「鵜戸神宮境内社務所脇容屋ヲ以小教院二相用度願」 | ||
- | + | *高山小教院:鹿児島県高山町。[https://dl.ndl.go.jp/pid/3031553/1/398] | |
[[category:系譜記事]] | [[category:系譜記事]] |
2023年12月22日 (金) 時点における最新版
小教院は大教宣布時代に全国の社寺に設置された神仏合同の教化・教育・布教機関。大教院、中教院のもとで国民教化に当たった。自動的に社寺の全てが小教院になったわけではなく、設置手続きを経て設置された。また各宗大教院時代の小教院(神道小教院など)と混同されることもあるが異なる。教派神道の小規模教会とも関連。
目次 |
歴史
- 1872年(明治5年)3月14日:<神祇省(および宣教使)を廃して、教部省を設置。(太政官御布告第82号)>
- 1872年(明治5年)4月25日:<教導職設置。(太政官御布告第132号)>
- 1872年(明治5年)4月28日:<「三条の教則」発布。(教部省無号達)>
- 1872年(明治5年)5月28日:大教院設置許可。(『大教院の研究』)30日とも。
- 1872年(明治5年)11月24日:社寺を小教院とする旨を布達。(教部省達第29)
- 1873年(明治6年)1月10日:<旧紀伊徳川家邸で大教院開講祭典。(『大教院の研究』)>
- 1873年(明治6年)6月17日:<増上寺の大教院神殿に四柱大神を鎮祭。開講式。19日まで(『大教院の研究』)。四柱大神は造化三神(天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)と天照大神。>
- 1873年(明治6年)8月24日:<「教会大意」を発布(教部省番外達)>
- 1874年(明治7年)7月12日:教院・講社の設置方法制定の命令。
- 1875年(明治8年)4月30日:大教院、解散。(5月3日教部省達書乙第4号別紙)
- 1875年(明治8年)5月3日:神仏合同布教廃止。(教部省達書乙第4号)
- 1877年(明治10年)1月11日:<教部省廃止。内務省へ移管。(太政官布告第4号)>
- 1882年(明治15年)1月24日:<神官教導職分離。内務省達乙第7号>
- 1884年(明治17年)8月11日:<教導職廃止。(太政官布達第19号)>
一覧
北海道
- 千歳通小教院:北海道札幌市中央区南二条西9丁目。現在の曹洞宗中央寺。新札幌市史[1]。松前町史[2]
- 塩谷小教院:北海道小樽市塩谷。「忍路郡塩谷に小教院設置位置の図」(1874年(明治7年)。『近世幕末期・明治前期描画図資料目録』[3])
- 亀田村小教院:北海道函館市亀田。函館市史[4]
東北
- 弘前小教院:[5]
- 八戸小教院
- 七戸小教院
- 田村大元神社小教院?:1874年(明治7年)4月「田村神社小教院開設之件」提出(社寺取調類纂目録[6])
- 紫雲寺小教院:福島県。1874年(明治7年)12月24日(福島県歴史資料館研究紀要[7])
- 開成館小教院:福島県。1874年(明治7年)9月19日(福島県歴史資料館研究紀要[8])
- 到岸寺小教院:福島県福島市大町。浄土宗。[9]
- 磐前国小教院:福島県。[10]
関東
- 大田原小教院:『栃木県神社誌』[11]
- 鹿沼小教院:『栃木県神社誌』[12]
- 宇都宮小教院:『栃木県神社誌』[13]
- 足利小教院:『栃木県神社誌』[14]
- 雄琴神社小教院:栃木県下都賀郡壬生町通町。壬生町史[15]
- (華蔵寺小教院:1875年(明治8年)11月開院(「小教院華蔵寺組結社盟約書」『伊勢崎市史』[16])。伊勢崎小教院。)
- 三峰神社小教院:埼玉県秩父市三峰。旧本堂を改築。カフェとして現存。
- 某小教院:高麗神社付近か。明治7年「小教院講究録」[17]には日付、演題、講師が記されている。
- 大聖寺小教院:[18]
- 承教寺小教院:東京都港区高輪。のちの日蓮宗大教院。立正大学の前身。
- 鎌田村小教院:[19]
- 第八十区小教院:[20]
- 第四大区小教院:[21]
- 建長寺小教院:1874年(明治7年)2月22日開講(時宗教学年報[22])。
- 吉田小教院:山梨県。富士吉田?[23]
- 谷村小教院:山梨県都留市。
- 身延小教院:山梨県南巨摩郡身延町。身延山?
- 一宮小教院:山梨県笛吹市一宮町。浅間神社?
- 上野原小教院:山梨県上野原市
- 加賀美小教院:山梨県南アルプス市加賀美
- 若神子小教院:山梨県北杜市須玉町若神子。
- 於曽小教院:山梨県甲州市塩山。
- 市川小教院:山梨県西八代郡市川三郷町
神奈川県では中教院と小教院の間に「小教会」が置かれた[24]。 千葉県では一大区ごとに小教院を置くこととされた[25]。
東海
- 松本小教院:松本市宮村町。旧瑞松寺。松本市伊勢町の旧浄林寺を寮舎とした。(「明治6年松本小教院事件--教部省教化政策の地方的展開,あるいは「教化」と「教育」のはざま」[26])
- 佐久小教院:[27]
- 井伊谷宮小教院:[28]
- 大宮小教院:[29]
- 八名郡小教院:『八名郡誌』[30]
- 伊香具神社小教院:社務所として現存
北陸
近畿
- 多賀神社小教院:多賀教会?
- 押立神社小教院:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[34])
- 長浜八幡宮小教院?:(『維新前後の平田派国学者の地域活動』[35])
- 北野神社小教院:風月殿として現存。岩倉具視50日祭を斎行(伏見稲荷大社年表[36])
- 稲荷神社小教院:1873年(明治6年)7月1日、森公種(元上社禰宜)宅を仮小教院として開筵する(伏見稲荷大社年表[37])。1874年(明治7年)『大矢田神蹟図考』を刊行[38]。1874年(明治7年)12月26日、小教院の敷地、森公種から川上龍三(主典)に売却され、家屋は神社が買得する[39]。1876年(明治9年)12月19日、昭憲皇太后の行啓にあたり社務所小教院に滞在。[40]。1878年(明治11年)12月9日、宮司安江静と小野孝廉が小教院で説教[41]。1882年(明治15年)1月、教導職廃止を受けて元小教院を講社休憩所とする[42]。1887年(明治20年)9月12日、旧小教院敷地を川上龍三から購入[43]。
- (豊国神社小教院):設置年次未確認。「小教院寄付に関する豊国神社進達願等」(明治12年10月-11月)[44]。
- 下鴨神社小教院:橋殿が小教院とされたらしい(「橋殿を以小教院に兼用御届書」。「下鴨社家日記紙背文書目録」[45])。
- 八坂神社小教院:
- 男山八幡宮小教院:現在の頓宮斎館か。
- 住吉神社小教院:「真の道のしるべ」を編纂[46]
- 穴太村小教院:高槻市史史料目録[47]
- 大和神社小教院:現在の大和神道御霊之社か。[48][49]
- 大神神社小教院:現在の大神教という。
- 丹波市小教院
- 高野山小教院:和歌山県伊都郡高野町高野山。1869年3月の「三派取替誓状」で大徳院跡に講学所の設置を決定。11月に制度案が制定され、まもなく開設されたとみられる。1872年9月、高野山小教院を設置(「高野山僧徒小教院の設立」[50])。場所は、穀屋跡(高野山西禅院前)。後に興山寺跡に移転。「小教院学課並規則案」が現存[51]。僧侶教育の他、一般志願者も受け入れた。既に図書館が置かれた[52]。1876年1月、「小教院同袍社」に改称したとみられる。1877年6月、「高野山大学林」と改称[53]。後に高野山大学となる。(「高野山大学開学前史」[54])
- 熊野坐神社小教院:明治6年9月17日、仮礼殿に仮に開設[55]。(「神道講述所·中教院·小教院の開設」[56])
- 湊川神社小教院:1873年(明治6年)11月「湊川神社小教院設立伺」(社寺取調類纂目録[57])。
- 弓弦羽神社小教院:1874年(明治7年)12月5日に設置(折田年秀日記)。
- 兵庫県黒住講出張所小教院:1873年(明治6年)12月「兵庫県黒住講出張所へ小教院設立之件」(社寺取調類纂目録[58])。黒住教
中国
- 出雲大社小教院:1874年(明治7年)4月、「出雲大社仮小教院開設願」「出雲大社仮小教院経費」提出(社寺取調類纂目録[59])。
- 熊野神社小教院:1874年(明治7年)4月、「熊野神社小教院開設」を提出(社寺取調類纂目録[60])。8月、移転(「熊野神社仮小教院移転」「同」)。
四国
- 阿波国小教院:
- 事比羅宮小教院:1874年(明治7年)12月「事比羅宮小教院開設願」(社寺取調類纂目録[61])。
- 善通寺小教院:1873年開設[62]
- 大山祇神社小教院:1873年(明治6年)6月「大山祇神社小教院小学校合併願」(社寺取調類纂目録[63])。
- 大林寺小教院:1873年(明治6年)2月22日開講(三輪田米山日記[64])