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忍性旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | *[[大和・浄土寺]] | + | *[[大和・浄土寺]]:生誕地の石碑を管理。 |
- | *[[朝護孫子寺]] | + | *[[朝護孫子寺]]:安貞元年(1227)、11歳で信貴山で学ぶ。 |
- | *[[額安寺]] | + | *[[額安寺]]:母が死去した貞永元年(1232)、出家した寺院。嘉元元年(1303)、叡尊系の僧が別当を継ぐことが定まり、西大寺末となる。 |
- | *[[大和・竹林寺]] | + | *[[安倍文殊院]]:出家の後、母の弔いのため、毎月参詣。 |
- | *[[ | + | *[[大和・竹林寺]]:行基の墓。嘉禎元年(1235)から青年時代の6年間毎月参詣。 |
- | *[[西大寺]] | + | *[[東大寺戒壇院]]:天福元年(1233)、受戒。 |
+ | *[[西大寺]]:仁治元年(1240)、叡尊に師事し、沙弥戒、次いで通受を受ける。 | ||
+ | **[[西大寺宝塔院]]: | ||
+ | **[[西大寺常施院]]:忍性が創建。病客を助ける。忍性の実父が土地を寄進。 | ||
+ | **[[西大寺悲田院]]:忍性が修造。 | ||
+ | *[[泉涌寺]]:寛元元年(1243)律宗典籍を借りに行く。 | ||
+ | *[[家原寺]]:戒壇で寛元3年(1245)別受を受ける。 | ||
*[[唐招提寺]]:永仁6年(1298)、忍性が『東征伝絵巻』を奉納。 | *[[唐招提寺]]:永仁6年(1298)、忍性が『東征伝絵巻』を奉納。 | ||
*[[大和・般若寺]]:文殊菩薩像を造立。 | *[[大和・般若寺]]:文殊菩薩像を造立。 | ||
===関東=== | ===関東=== | ||
- | *[[鹿島神宮]] | + | *[[春日大社]]:建長4年(1252)関東下向前に参拝。 |
- | *[[常陸・極楽寺]] | + | *[[鹿島神宮]]:建長4年(1252)9月15日、3日間参籠。 |
+ | **[[御手洗寺]]:寺伝によるとここに住したという。 | ||
+ | *普渡寺:鹿島神宮の神託で、地蔵像を刻み、祀ったという。普門院。 | ||
+ | *[[常陸・極楽寺]]:建長4年(1252)12月4日、忍性が入る。筑波山の南尾根の宝筐山にあった。廃絶。最初の拠点。'''三村寺'''。山内には尼寺(三村尼寺)もあった。 | ||
*[[常陸・般若寺]]:建長年間、忍性が入る。 | *[[常陸・般若寺]]:建長年間、忍性が入る。 | ||
*[[東城寺]]:筑波山南の宝篋山にある。記録はないが極楽寺や般若寺と類似したまま結界石が残り、忍性の関与は疑いないという。 | *[[東城寺]]:筑波山南の宝篋山にある。記録はないが極楽寺や般若寺と類似したまま結界石が残り、忍性の関与は疑いないという。 | ||
*観音寺:茨城県行方市。寺伝によると文応元年(1260)に忍性が中興。 | *観音寺:茨城県行方市。寺伝によると文応元年(1260)に忍性が中興。 | ||
- | * | + | *福泉寺:茨城県鉾田市。忍性との関わりが想定される清涼寺式釈迦如来像を本尊とする。臨済宗。 |
*[[鎌倉・新清凉寺]]:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。 | *[[鎌倉・新清凉寺]]:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。 | ||
*[[多宝寺]]:弘長2年(1262)から5年間住む。 | *[[多宝寺]]:弘長2年(1262)から5年間住む。 |
2016年9月17日 (土) 時点における版
忍性(にんしょう)(1217-1303)は、真言律宗西大寺流の僧侶。大和出身。伴氏。叡尊、覚盛に師事。鎌倉・極楽寺を創建。四天王寺別当。忍性菩薩。
目次 |
一覧
大和
- 大和・浄土寺:生誕地の石碑を管理。
- 朝護孫子寺:安貞元年(1227)、11歳で信貴山で学ぶ。
- 額安寺:母が死去した貞永元年(1232)、出家した寺院。嘉元元年(1303)、叡尊系の僧が別当を継ぐことが定まり、西大寺末となる。
- 安倍文殊院:出家の後、母の弔いのため、毎月参詣。
- 大和・竹林寺:行基の墓。嘉禎元年(1235)から青年時代の6年間毎月参詣。
- 東大寺戒壇院:天福元年(1233)、受戒。
- 西大寺:仁治元年(1240)、叡尊に師事し、沙弥戒、次いで通受を受ける。
- 泉涌寺:寛元元年(1243)律宗典籍を借りに行く。
- 家原寺:戒壇で寛元3年(1245)別受を受ける。
- 唐招提寺:永仁6年(1298)、忍性が『東征伝絵巻』を奉納。
- 大和・般若寺:文殊菩薩像を造立。
関東
- 春日大社:建長4年(1252)関東下向前に参拝。
- 鹿島神宮:建長4年(1252)9月15日、3日間参籠。
- 御手洗寺:寺伝によるとここに住したという。
- 普渡寺:鹿島神宮の神託で、地蔵像を刻み、祀ったという。普門院。
- 常陸・極楽寺:建長4年(1252)12月4日、忍性が入る。筑波山の南尾根の宝筐山にあった。廃絶。最初の拠点。三村寺。山内には尼寺(三村尼寺)もあった。
- 常陸・般若寺:建長年間、忍性が入る。
- 東城寺:筑波山南の宝篋山にある。記録はないが極楽寺や般若寺と類似したまま結界石が残り、忍性の関与は疑いないという。
- 観音寺:茨城県行方市。寺伝によると文応元年(1260)に忍性が中興。
- 福泉寺:茨城県鉾田市。忍性との関わりが想定される清涼寺式釈迦如来像を本尊とする。臨済宗。
- 鎌倉・新清凉寺:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。
- 多宝寺:弘長2年(1262)から5年間住む。
- 鎌倉・極楽寺:文永4年(1267)、死去まで過ごした鎌倉の拠点。
- 称名寺:文永4年(1267)9月、忍性の推薦で、審海が入る。
- 江ノ島:文永6年(1269)、祈雨。
- 椎尾山宝塔:茨城県桜川市。弘安元年(1278)に建立。
- 元箱根石仏群:正安2年(1300)、供養の導師を務める。
- 鎌倉・永福寺:二階堂。弘安7年(1284)、永福寺別当となる。
- 鎌倉・明王院:五大堂。弘安7年(1284)、明王院別当となる。
- 高徳院:鎌倉大仏。弘安7年(1284)、大仏別当となる。
- 薬王院
- 浄光明寺
- 田辺池:鎌倉市七里ガ浜。日蓮と祈雨を競った。正安3年(1301)にも祈雨。
- 駿河・霊山寺:静岡県沼津市。弟弟子の成真が住した。現在は曹洞宗。
- 熱海地蔵堂:所在不明。弘安5年(1282)に銅鐘を鋳造。候補地は複数ある。
- 上総・願成寺:千葉県東金市。現在の願成就寺。極楽寺2代長老となった栄真がいた。
- 鎌倉・浄福寺:所在不明。
近畿の律寺古刹34寺が忍性の請願で関東御祈祷所に指定された。
近畿
- 多田院:建治元年(1275)10月、多田院別当となる。忍性は鎌倉にいる。
- 石清水八幡宮:永仁元年(1293)4月、異国降伏の祈祷。
- 東大寺:永仁元年(1293)8月、東大寺大勧進第14代を務める。
- 四天王寺:永仁2年(1294)、四天王寺別当となる。
参考文献
- 図録『忍性』