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泉涌寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*1219年(承久1年):伽藍再興のため「泉涌寺勧縁疏」を記す。翌年、[[後鳥羽上皇]]に献じて准絹10000疋を下賜される。
*1219年(承久1年):伽藍再興のため「泉涌寺勧縁疏」を記す。翌年、[[後鳥羽上皇]]に献じて准絹10000疋を下賜される。
*1224年(元仁1年)7月1日:[[御願寺]]となる。
*1224年(元仁1年)7月1日:[[御願寺]]となる。
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*1226年(嘉禄2年):この頃までには伽藍が整う。
*1227年(安貞1年)閏3月:俊芿死去。
*1227年(安貞1年)閏3月:俊芿死去。
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*1230年(寛喜2年):湛海が帰国。[[白蓮寺]]([[泰山]]とも[[寧波]]とも)から[[仏牙舎利]]を請来する(1228年(安貞2年)帰国時に持ち帰ったという説もある)。この仏牙舎利は釈迦の火葬の時、多聞天の命で捷疾羅刹が盗み出したもので、道宣が多聞天の子の那〓太子から授けられたものという。毎年9月8日に舎利会が行われるようになる。
*1242年(仁治3年)1月25日:1月9日に崩御した[[四条天皇]]の陵が築かれる。以後、皇室の菩提寺となる。
*1242年(仁治3年)1月25日:1月9日に崩御した[[四条天皇]]の陵が築かれる。以後、皇室の菩提寺となる。
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*1255年(建長7年):2世湛海が帰国。[[白蓮寺]]([[泰山]]とも[[寧波]]とも)から[[仏舎利]]を請来する。毎年9月8日に舎利会が行われるようになる。
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*1385年(元中2年/至徳2年)3月29日:後小松院が仏牙舎利を礼拝。以後、勅封となる。
*1411年(応永18年):[[後小松天皇]]、俊芿に「大興正法国師」号を贈る。
*1411年(応永18年):[[後小松天皇]]、俊芿に「大興正法国師」号を贈る。
*1470年(文明2年)6月:応仁文明の乱で焼失。
*1470年(文明2年)6月:応仁文明の乱で焼失。

2021年7月3日 (土) 時点における版

泉涌寺周辺(国土地理院空中写真より)
泉涌寺中心部(国土地理院空中写真より)

泉涌寺(せんにゅうじ)は、京都府京都市東山区にある、皇室ゆかりの本山寺院。皇室菩提寺の代表格で、多くの天皇を葬った泉山陵墓地がある。起源は諸説あるが、天台僧の俊芿が中興して以降、天台・密教・律・禅・浄土の道場として栄えた。北京律の拠点であり、かつては宋風浄土教の拠点でもあった。東寺大勧進も兼ねた。舎利信仰も盛んだった。関東祈祷所。現在は真言宗泉涌寺派の総本山である。門跡寺院ではないが、近代にはそれに準ずるものとして尼門跡相当である御由緒寺院とされた。御寺。月輪山。泉山。 泉涌寺関連旧跡も参照。

目次

歴史

  • 天長年間:空海が法輪寺を創建(拾芥抄)。のち仙遊寺と称す。
  • 856年(斉衡3年):神修が開創したと伝える(山城名勝志、元亨釈書)。
  • 1199年(正治1年):俊芿が入宋。
  • 1213年(建保1年):俊芿が帰国。
  • 1218年(建保6年):宇都宮信房から寄進され、俊芿が入寺。「清衆規式」を定める。
  • 1219年(承久1年):伽藍再興のため「泉涌寺勧縁疏」を記す。翌年、後鳥羽上皇に献じて准絹10000疋を下賜される。
  • 1224年(元仁1年)7月1日:御願寺となる。
  • 1226年(嘉禄2年):この頃までには伽藍が整う。
  • 1227年(安貞1年)閏3月:俊芿死去。
  • 1230年(寛喜2年):湛海が帰国。白蓮寺泰山とも寧波とも)から仏牙舎利を請来する(1228年(安貞2年)帰国時に持ち帰ったという説もある)。この仏牙舎利は釈迦の火葬の時、多聞天の命で捷疾羅刹が盗み出したもので、道宣が多聞天の子の那〓太子から授けられたものという。毎年9月8日に舎利会が行われるようになる。
  • 1242年(仁治3年)1月25日:1月9日に崩御した四条天皇の陵が築かれる。以後、皇室の菩提寺となる。
  • 1385年(元中2年/至徳2年)3月29日:後小松院が仏牙舎利を礼拝。以後、勅封となる。
  • 1411年(応永18年):後小松天皇、俊芿に「大興正法国師」号を贈る。
  • 1470年(文明2年)6月:応仁文明の乱で焼失。
  • 1610年(慶長15年)8月5日:諸国勧進による再興が命じられる
  • 1668年(寛文8年)11月:後水尾上皇の院宣で徳川家綱が伽藍造営。
  • 1684年(貞享1年)5月:東福門院7回忌が泉涌寺と般舟院で営まれた。
  • 1703年(元禄16年)3月:大修造が竣工。
  • 1872年(明治5年):四宗兼学を廃し、真言宗古義派(単称真言宗)の所属となる。
  • 1876年(明治9年)6月:宮内省、永続金下付。
  • 1882年(明治15年)10月:火災。
  • 1884年(明治17年):霊明殿など再建。
  • 1901年(明治34年)7月5日:真言宗各派連合に参加。
  • 1907年(明治40年)12月7日:単称真言宗・真言宗各派連合が解体し、真言宗泉涌寺派を設立。
  • 1941年(昭和16年)3月31日:合同真言宗に合併。
  • 1946年(昭和21年):合同真言宗が解体し、真言宗泉涌寺派独立。。法人設立。
  • 1952年(昭和27年):真言宗泉涌寺派、宗教法人法に基づき認証。
  • 1956年(昭和31年):佐賀本福寺、高野山真言宗から泉涌寺派に転属。
  • 1966年(昭和41年)5月:「御寺泉涌寺を護る会」設立。初代総裁は三笠宮崇仁親王。
  • 1973年(昭和48年):尾道浄土寺が泉涌寺派に復帰。
  • 1974年(昭和49年)3月5日:泉涌寺を大本山から総本山に昇格。復帰した浄土寺が大本山に列格されたことに伴う措置。
  • 1975年(昭和50年):佐賀本福寺、泉涌寺派から独立。1977年(昭和52年)光明念仏身語聖宗を設立。
  • 1996年(平成8年):「御寺泉涌寺を護る会」総裁に秋篠宮文仁親王。

組織

霊明殿と月輪陵・後月輪陵(国土地理院空中写真より)

住職

長老

  • 1俊芿(1166-1227)<>:律宗泉涌寺流の開祖。泉涌寺開山。月輪大師、大興正法国師。
  • 2心海(生没年不詳)<>:俊芿の弟子。四天王寺勝鬘院に住する。
  • 3来縁定舜(?-1244)<>:俊芿の弟子。俗姓は不詳。1237年(嘉禎3年)春、3カ月間にわたり、海龍王寺叡尊や覚盛らに律を講義する。南都の戒律復興運動に影響を与えると共に、泉涌寺と唐招提寺西大寺の関係を深くした。1244年(寛元2年)3月5日死去。門下に智鏡・浄因がいる。(『国史大辞典』)
  • 4月翁智鏡(生没年不詳)<>:俊芿、定舜の弟子。入宋して蘭渓道隆と親交を結び、来日を勧めた。泉涌寺来迎院に住した。浄土教に関心を寄せた。証空と討議したという。明観とも。
  • 5思允我円(?-1271)<>:俊芿、定舜の弟子。1271年(文永8年)12月11日死去とも。
  • 6憲静(?-1295)<1271?->:意教流願行方の開祖。1215年(建保3年)生とも。関東真言宗を隆盛させた。月翁智鏡に師事。高野山に登り、頼賢に三宝院流の秘奥を伝授された。高野山安養院に住す。金剛三昧院を中興。高野山宝生院勧請開山。1269年(文永6年)までには鎌倉に移り、理智光寺鎌倉・大楽寺鎌倉・長楽寺鎌倉・安養院)、三宝寺禅定院、錫杖寺を創建。1271年(文永8年)生まれたばかりの北条貞時の存命祈祷を行い、北条家の帰依を得た。文永年間、相模・大山寺を再建。1271年(文永8年)頃、泉涌寺長老となる。上洛して遍照心院に住す。東寺大勧進職となり、1285年(弘安8年)、東寺五重塔を再建。1295年(永仁3年)4月17日、遍照心院で死去。願行房。願行上人。月航全皎の請願で追諡「宗燈律師」。門下に心慧(覚園寺開山)がいる。
  • 7無心覚阿(1237?-)<>:1237年(嘉禎3年)生か。金剛寺住職。月翁智鏡と円悟浄因に学ぶ。憲静に灌頂を受ける。極楽寺忍性から受戒法然の孫弟子の覚心から浄土教を学ぶ。1294年(永仁2年)頃、東寺大勧進職を憲静から継ぐ。憲静が泉涌寺を離れる時に跡を継いだ。1297年(永仁5年)までには泉涌寺長老となっている。某年8月11日死去。覚一房と号す。
  • 8兀兀知元()<>:無心覚阿の弟子。1303年(嘉元1年)東寺大勧進職。1319年(元応1年)頃には泉涌寺にいたらしい。弟子に如導派を開いた如導がいる。善通寺の五重塔を再建。1326年(嘉暦1年)頃死去。素道上人。智元とも。
  • 9大燈源智()<>:覚園寺2世。無心覚阿に師事。律宗、真言宗、天台宗に通じる。1297年(永仁5年)頃、金剛寺住職。1306年(徳治1年)頃、覚園寺住職。1326年(嘉暦1年)頃、泉涌寺長老(「泉涌寺諷誦類」では歴代に数えられていない)。本理房。
  • 10全信()<>:兀兀知元の弟子。1332年(元弘2年/正慶1年)光厳天皇が東寺大勧進職。南朝により一度解任された後、1339年(延元4年/暦応2年)光厳上皇院宣で東寺大勧進職に任命。空一房と号す。
  • 11一峰智山()<>:一峰知山。長老在職短期間で死去。
  • 12朴艾思淳(1278-1363)<>:1278年(弘安1年)生。大燈源智の弟子。1320年(元応2年)以前、金剛寺住職。1338年(延元3年/暦応1年)以前に覚園寺住職。1339年(延元4年/暦応2年)11月、東寺大勧進職。のち泉涌寺長老。1344年(興国5年/康永3年)頃には鎌倉に戻り、再び覚園寺住職となったらしい。1363年(正平18年/貞治2年)死去。我静と号す。
  • 13天機玄勇()<>:大燈源智の弟子。1344年(興国5年/康永3年)9月、光厳上皇院宣で東寺大勧進職。
  • 14月航全皎()<>:大燈源智の弟子。1356年(正平11年/延文1年)4月4日死去。
  • 15松峰知一()<>:大燈源智の弟子。金剛寺を経て1356年(正平11年/延文1年)頃、光明天皇に請われて泉涌寺長老。
  • 16大咲曇喜()<>:松峰知一の弟子。
  • 17無伝教基()<>:大咲曇喜の弟子。
  • 18幻菴仙超()<>:無伝教基の弟子。
  • 19休山全甫()<>:幻菴仙超の弟子。1387年(元中4年/嘉慶1年)死去。
  • 20拙叟全珍()<>:無伝教基の弟子。
  • 21竹巌聖皐(1324−1402):拙叟全珍の弟子。龍華院、雲龍院を開く。後光厳院の出家の戒師を務める。
  • 22信〓()<>:
  • 23宗皇()<>:
  • 24教〓()<>:
  • 25聖券()<>:
  • 26全俊()<>:
  • 27基晏()<>:
  • 28聖瑩()<>:
  • 29虚庵聖序()<>:
  • 30徳海教信()<>:
  • 31全安()<>:
  • 32聖汎()<>:
  • 33良友()<>:
  • 34久翁聖永()<>:
  • 35善瑩()<>:
  • 36祚尚()<>:
  • 37全威()<>:
  • 38誾勝()<>:金剛寺住職。
  • 39明範()<>:
  • 40聖什()<>:
  • 41聖授()<>:
  • 42一翁信契(生没年不詳)
  • 43聖安()<>:
  • 44信洪()<>:
  • 45松岳舜〓(?-1491):〓は「示帝」
  • 46〓安()<>:
  • 47性堂教見(1405-1496)
  • 48春嶽全長(?-1491)
  • 49友雲聖憺(?-1497)
  • 50悦岩宣沢(?-1489)
  • 51雄峰聖英(?-1517):自坊は繁多寺。如導派の僧。
  • 52仁甫善悌(生没年不詳):如導派の僧。
  • 53先白善叙(1437-1510):三条西実隆と親交。1年前後の任期が慣例となっていた中、12年にわたり長老を務め、皇室との関係強化と如導派の駆逐に尽力した。(『中世後期泉涌寺の研究』)
  • 54明叟聖鏡(1453-1520):善叙の弟子。
  • 55明江珠顕()<>:頼忠ともいう。今川範忠の子。今川義忠の弟。遍照光寺から晋山。今川範氏の菩提寺として慶寿寺(静岡県島田市)を創建。
  • 56昭菴恵鑑()<>:遍照光寺から晋山。
  • 57定覚()<>:
  • 58松峰()<>:
  • 59教因()<>:
  • 60玉宝()<>:
  • 61徳海()<>:
  • 62宣静()<>:
  • 63聖見()<>:
  • 64喜渓長悦()<>:(-1548):
  • 65照範()<>:
  • 66英範()<>:
  • 67明甫聖讃()<>:(-1552):
  • 68聖厳()<>:
  • 69象耳泉奘()<>:(1518-1588):唐招提寺長老。今川義元の兄。遍照光寺から晋山。(略歴は、唐招提寺#組織を参照)
  • 70長円()<>:
  • 71長性()<>:
  • 72紹意()<>:
  • 73長海()<>:
  • 74明韶()<>:
  • 75照珍()<>:(1555-1628):唐招提寺長老。法金剛院住職。(略歴は、唐招提寺#組織を参照)
  • 76玉雅()<>:
  • 77玉秀()<>:1626年(寛永3年)長老。紫衣勅許。
  • 78元昶()<>:1629年(寛永6年)長老。紫衣勅許。
  • 79覚宥()<>:
  • 80正専如周()<>:(1594-1647):
  • 81宣亮()<>:
  • 82照岳()<>:
  • 83照周()<>:
  • 84元統()<>:
  • 85円巌玉周(生没年不詳)<>: 唐招提寺長老。
  • 86周堅()<>:
  • 87正瑞()<>:
  • 88元允()<>:
  • 89韶興()<>:
  • 90元恭()<>:
  • 91千紅()<>:
  • 92覚明()<>:
  • 93一如()<>:
  • 94照山恵晃(1656-1737)<>:唐招提寺長老。(略歴は、唐招提寺#組織を参照)
  • 95宗恕祖元()<>:
  • 96稽叔()<>:
  • 97義通()<>:
  • 98恒鑑()<>:
  • 99元珉()<>:
  • 100戒〓()<>:
  • 101心敞()<>:
  • 102高旭()<>:
  • 103大千照洲()<>:唐招提寺長老。玉周に師事。
  • 104元珍()<>:
  • 105弁什()<>:
  • 106義諦()<>:
  • 107竺盈()<>:
  • 108義林()<>:
  • 109正周()<>:
  • 110高賢()<>:
  • 111義敬()<>:
  • 112本従()<>:
  • 113元祐()<>:
  • 114元一()<>:
  • 115元諦()<>:
  • 116顕粛()<>:
  • 117忍随()<>:
  • 118本随()<>:
  • 119龍照()<>:
  • 120玉豊()<>:
  • 121了諦()<>:
  • 122宜応()<>:
  • 123覚如()<>:
  • 124海充()<>:
  • 125真浄()<>:
  • 126正成()<>:
  • 127周光()<>:
  • 128妙道()<>:
  • 129如実()<>:
  • 130正堅()<>:
  • 131元継()<>:
  • 132思欽()<>:
  • 133実然()<>:
  • 134良応()<>:
  • 135実成()<>:
  • 136存肇()<>:
  • 137妙敬()<>:
  • 138密乗()<>:
  • 139覚順()<>:
  • 140完愚()<>:
  • 141承整()<>:
  • 142義遵()<>:
  • 143佐伯旭雅(1828-1891)<1878-1888>:善通寺法主。随心院門跡30世。勧修寺兼務か。1878年(明治11年)4月15日から1888年(明治21年)5月まで泉涌寺長老。(略歴は随心院#組織を参照)
  • 144義潭()<>:鼎龍暁。勧修寺長吏。東寺長者。
  • 145佐伯法遵(1853-1912)<1904->:善通寺法主。随心院門跡33世。1904年(明治37年)東寺・泉涌寺・勧修寺・随心院の合同管長。1905年(明治38年)、善通寺を退任。1906年(明治39年)6月9日、泉涌寺長老となり随心院・雲龍院を兼務。6月20日単称真言宗管長。1911年(明治44年)、四山合同の解体で泉涌寺派管長兼小野派管長となる。1912年(大正1年)5月27日(18日とも)死去。
  • 146泉智等(1849-1928)<1908-1923>:1900年(明治33年)、仁和寺門跡。1908年(明治41年)泉涌寺長老。1923年(大正12年)金剛峰寺座主。
  • (事務取扱)椋本龍海(1869-1950)<>:
  • 147法性宥鑁(1860-1929)<1924-1926>:越後出身。高野山遍光院住職。1924年(大正13年)から1926年(昭和1年)まで泉涌寺長老。1929年(昭和4年)11月10日死去。
  • 148椋本龍海(1869-1950)<1926->:徳島県出身。1869年(明治2年)生。旧姓は樫野。真言宗古義大学林卒。哲学館卒業。雲龍院釈玄猷に師事。1894年(明治27年)日清戦争に従軍布教師として参加。新善光寺住職。1926年(昭和1年)泉涌寺長老。1950年(昭和25年)1月16日死去。
  • 149(加歴)釈玄猷()<>:自坊は雲龍院。
  • 150平野龍法()<>:
  • 151小松道円(1908-1997)<1974-1991>:自坊は法楽寺。1908年(明治41年)生。1927年(昭和2年)勧修寺道場で得度。1933年(昭和8年)京都専門学校本科卒。同年加行成満。1935年(昭和10年)伝法灌頂。1942年(昭和17年)法楽寺住職(1993年(平成5年)まで)。1972年(昭和47年)宗議会議長。1973年(昭和48年)宗務長・寺務長。1973年(昭和48年)から1977年(昭和52年)まで今熊野観音寺住職。1974年(昭和49年)から1991年(平成3年)まで長老・管長。1976年(昭和51年)から1991年(平成3年)まで定額位。1981年(昭和56年)後七日御修法大阿闍梨となり真言宗長者。1977年(昭和52年)から1991年(平成3年)まで善能寺兼務住職。1994年(平成6年)泉涌寺最高顧問。大阪仏教会長。真言宗大阪住職会会長。1997年(平成9年)10月21日死去。89歳。
  • 152小林海暢()<1991-1996>:自坊は尾道浄土寺。1991年(平成3年)泉涌寺長老就任。
  • 153川村俊朝(1927-2017)<1996-2006>:自坊は法音院。1927年(昭和2年)生。1948年(昭和23年)京都専門学校(種智院大学)卒。立命館大学で学ぶ。1949年(昭和24年)から20年間、皇宮護衛官。1950年(昭和25年)加行。1951年(昭和26年)法音院住職。財務部長などを経て1989年(平成1年)寺務長(宗務総長)。1996年(平成8年)12月1日から2006年(平成18年)まで泉涌寺長老・管長。2017年(平成29年)9月24日死去。89歳。
  • 154上村貞郎(1938-)<2006->:自坊は東向観音寺。1938年(昭和13年)生。1944年(昭和19年)椋本龍海を戒師として得度。1973年(昭和48年)東向観音寺住職。1974年(昭和49年)泉涌寺派宗議会議員。1997年(平成9年)宗議会議長。2006年(平成18年)泉涌寺長老・管長。2008年(平成20年)後七日御修法大阿闍梨を務め、真言宗長者。

寺務長

  • 藤田俊教(?-2007)<>:自坊は今熊野観音寺。2007年(平成19年)12月26日死去。87歳。
  • 川村俊朝(1927-2017)<1989-1996>:長老153世。1989年(平成1年)から1996年(平成8年)まで寺務長・宗務総長。
  • 平野暎哉()<1996->:自坊は即成院。1996年(平成8年)12月1日、寺務長・宗務総長。
  • 湯浅高明(?-2011)<?-2008>:自坊は悲田院。2011年(平成23年)11月29日死去。
  • 藤田浩哉()<2008->:自坊は今熊野観音寺。1970年(昭和45年)龍谷大学文学部仏教学科卒。1971年(昭和46年)高野山専修学院卒。主事、宗会議員を経て2008年(平成20年)4月1日、寺務長・宗務総長。任期4年。

画像

資料

  • 「泉涌寺不可棄法師伝」[1]
  • 「東福門院泉涌寺御葬送場絵図」[2]
  • 「東山泉涌寺後山古陵図」『聖蹟図志』[3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA」より作成

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