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神職・神道家の旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==時代別==
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===大和時代===
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*天武天皇
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===飛鳥時代===
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*聖徳太子
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*[[聖徳太子]]
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*役小角
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*[[役小角]](生没年不詳)
===奈良時代===
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===平安時代===
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*空海
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*[[空海]]
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*最澄
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*[[最澄]]
*斎部広成(生没年不詳):[[忌部氏]]。『古語拾遺』著者。
*斎部広成(生没年不詳):[[忌部氏]]。『古語拾遺』著者。
*顕広王(1095-1180):[[白川伯王家]]の祖。[[花山天皇]]の五世王。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
*顕広王(1095-1180):[[白川伯王家]]の祖。[[花山天皇]]の五世王。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
*[[安倍晴明]](921-1005):陰陽家。[[土御門家]]の祖。伝説的な事跡が多い。『ホキ内伝』著者に仮託される。[[晴明神社]]などの祭神。
*[[安倍晴明]](921-1005):陰陽家。[[土御門家]]の祖。伝説的な事跡が多い。『ホキ内伝』著者に仮託される。[[晴明神社]]などの祭神。
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===鎌倉時代===
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*卜部兼方(生没年不詳):
===南北朝・室町時代===
===南北朝・室町時代===
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*吉田兼倶
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*[[吉田兼倶]]
*忌部正通(生没年不詳):神道家。『神代巻口訣』の著者。
*忌部正通(生没年不詳):神道家。『神代巻口訣』の著者。
*一条兼良(1402-1481):摂政。太政大臣。関白。古典・有職に通じた学者。『公事根源』『日本書紀纂疏』。[[卜部氏]]とも親交があり、秘伝の神道説を伝えた。'''桃華老人'''、'''三関老人'''。
*一条兼良(1402-1481):摂政。太政大臣。関白。古典・有職に通じた学者。『公事根源』『日本書紀纂疏』。[[卜部氏]]とも親交があり、秘伝の神道説を伝えた。'''桃華老人'''、'''三関老人'''。
*荒木田守武(1473-1549):内宮禰宜。伊勢俳諧の祖。飯尾宗祇・宗長を敬慕し、『新撰菟玖波集』に入選。霊社に祭られ、現在、[[伊勢・宇治神社]]に合祀。'''弥武彦神霊'''。
*荒木田守武(1473-1549):内宮禰宜。伊勢俳諧の祖。飯尾宗祇・宗長を敬慕し、『新撰菟玖波集』に入選。霊社に祭られ、現在、[[伊勢・宇治神社]]に合祀。'''弥武彦神霊'''。
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*梵舜
 
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*崇伝
 
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*天海
 
===近世===
===近世===
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*契沖
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*[[徳川家康]]
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*荷田春満
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*[[梵舜]]
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*賀茂真淵
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*[[崇伝]]
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*本居宣長
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*[[天海]]
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*平田篤胤
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*[[契沖]]
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*大国隆正
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*[[荷田春満]]
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*[[賀茂真淵]]
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*[[本居宣長]]
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*[[平田篤胤]]
*池田光政(1609-1682):岡山藩主。[[熊沢蕃山]]などの儒学者を登用。[[閑谷学校]]を設置。寺請制度に代わり、'''神道請制度'''を実施。社寺合併政策を進める。[[岡山神社]]・[[閑谷神社]]祭神。'''芳烈公'''。'''武安霊命'''。
*池田光政(1609-1682):岡山藩主。[[熊沢蕃山]]などの儒学者を登用。[[閑谷学校]]を設置。寺請制度に代わり、'''神道請制度'''を実施。社寺合併政策を進める。[[岡山神社]]・[[閑谷神社]]祭神。'''芳烈公'''。'''武安霊命'''。
*出雲路信直(1650-1703):垂加神道家。[[下御霊神社]]神職。[[山崎闇斎]]に師事。垂加神道を広め、興隆に導いた。'''八塩道翁'''。'''八塩道霊社'''。
*出雲路信直(1650-1703):垂加神道家。[[下御霊神社]]神職。[[山崎闇斎]]に師事。垂加神道を広め、興隆に導いた。'''八塩道翁'''。'''八塩道霊社'''。
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*大山為起(1651-1713):
*浅見絅斎(1652-1711):朱子学者。近江国高島郡出身。山崎闇斎に師事。
*浅見絅斎(1652-1711):朱子学者。近江国高島郡出身。山崎闇斎に師事。
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*正親町公通(1653-1733):
*新井白石(1657-1725):儒学者。木下順庵に師事。将軍徳川家宣に仕え、文治政治を推進。古代史研究に合理主義的観点を持ち込む一方、[[吉田神道]]には高い評価を与えた。
*新井白石(1657-1725):儒学者。木下順庵に師事。将軍徳川家宣に仕え、文治政治を推進。古代史研究に合理主義的観点を持ち込む一方、[[吉田神道]]には高い評価を与えた。
*跡部良顕(1658-1729):垂加神道家。旗本家出身。柳生石舟斎の玄孫。竹下青山に師事。生祠が[[鹿島神宮]]内に祭られた。'''光海霊社'''。
*跡部良顕(1658-1729):垂加神道家。旗本家出身。柳生石舟斎の玄孫。竹下青山に師事。生祠が[[鹿島神宮]]内に祭られた。'''光海霊社'''。
*天野信景(1663-1733):国学者。名古屋藩士。吉見幸和とともに『尾張風土記』編纂に従事。実証的に歴史、地理、文学などを考察。『塩尻』が著名。神道関係の著書も多い。晩年は出家して'''信阿弥陀仏'''と名乗る。
*天野信景(1663-1733):国学者。名古屋藩士。吉見幸和とともに『尾張風土記』編纂に従事。実証的に歴史、地理、文学などを考察。『塩尻』が著名。神道関係の著書も多い。晩年は出家して'''信阿弥陀仏'''と名乗る。
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*石田梅岩(1685-1744):[[石門心学]]の祖。丹波桑田郡の農家出身。神儒仏道を基礎に道徳を説いた。商業を尊び、正直・倹約を強調した。
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*[[石田梅岩]](1685-1744):[[石門心学]]の祖。丹波桑田郡の農家出身。神儒仏道を基礎に道徳を説いた。商業を尊び、正直・倹約を強調した。
*荒木田経雅(1742-1805):神宮学者。内宮禰宜。本居大平などと交流。『大神宮儀式解』30巻。
*荒木田経雅(1742-1805):神宮学者。内宮禰宜。本居大平などと交流。『大神宮儀式解』30巻。
*荒木田久老(1746-1804):国学者。神宮神職。歌人。賀茂真淵に師事。本居宣長や橘守部などと親交。主著『万葉考槻の落葉』。'''五十槻園'''。
*荒木田久老(1746-1804):国学者。神宮神職。歌人。賀茂真淵に師事。本居宣長や橘守部などと親交。主著『万葉考槻の落葉』。'''五十槻園'''。
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*植松有信(1758-1813):
*荒木田末寿(1764-1828):近世後期の代表的な神宮学者。本居宣長の弟子。平田篤胤とも交流。著書多数。'''桜屋翁'''。
*荒木田末寿(1764-1828):近世後期の代表的な神宮学者。本居宣長の弟子。平田篤胤とも交流。著書多数。'''桜屋翁'''。
*青柳種信(1766-1835):国学者。福岡藩士。本居宣長の弟子。地理や神社縁起の考証に優れる。
*青柳種信(1766-1835):国学者。福岡藩士。本居宣長の弟子。地理や神社縁起の考証に優れる。
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*会沢正志斎(1782-1863):水戸学の儒学者。著書『新論』は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
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*[[会沢正志斎]](1782-1863):水戸学の儒学者。著書『新論』は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
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*[[岡熊臣]](1783-1851):
*足代弘訓(1784-1856):国学者。外宮神職。荒木田久老、本居春庭、本居大平、亀田末雅、芝山持豊に師事。国学、和歌、律令を学ぶ。社会問題への関心も高く飢饉の際に救援活動を行う。
*足代弘訓(1784-1856):国学者。外宮神職。荒木田久老、本居春庭、本居大平、亀田末雅、芝山持豊に師事。国学、和歌、律令を学ぶ。社会問題への関心も高く飢饉の際に救援活動を行う。
*[[井上正鉄]](1790-1849):[[禊教]]の開祖。館林藩士の子。[[水野南北]]に易学を学ぶ。念仏からヒントを得た禊行を創始。[[梅田神明宮]]神職。「新義異流」として三宅島配流。[[井上神社]]祭神。
*[[井上正鉄]](1790-1849):[[禊教]]の開祖。館林藩士の子。[[水野南北]]に易学を学ぶ。念仏からヒントを得た禊行を創始。[[梅田神明宮]]神職。「新義異流」として三宅島配流。[[井上神社]]祭神。
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*[[生田万]](1801-1837):国学者。館林藩士。志士。平田篤胤に師事。藩政改革を進言するが、受け入れられず追放。越後柏崎で桜園塾を開き、大塩平八郎の乱に触発され決起し、自決。'''大中道人'''。
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*[[大国隆正]](1792-1871)
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*[[生田万]](1801-1837):国学者。館林藩士。志士。平田篤胤に師事。藩政改革を進言するが、受け入れられず追放。越後柏崎で桜園塾を開き、[[大塩平八郎]]の乱に触発され決起し、自決。'''大中道人'''。
*伊能穎則(1805-1877):神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。[[香取神宮]]の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。
*伊能穎則(1805-1877):神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。[[香取神宮]]の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。
===近代===
===近代===
*有栖川宮幟仁親王(1812-1886):[[有栖川宮]]8代当主。幕末に[[孝明天皇]]の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
*有栖川宮幟仁親王(1812-1886):[[有栖川宮]]8代当主。幕末に[[孝明天皇]]の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
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*鴻雪爪(1814-1904):
*青山景通(1819-1891):国学者。苗木藩士。平田家に入門。明治初年、神祇官幹部として神宮改革、神社改革にあたる。[[三島大社]]宮司就任、ただちに辞任。
*青山景通(1819-1891):国学者。苗木藩士。平田家に入門。明治初年、神祇官幹部として神宮改革、神社改革にあたる。[[三島大社]]宮司就任、ただちに辞任。
*岩倉具視(1825-1883):政治家。権田直助、落合直亮らの草莽の国学者を糾合。維新政府の首脳となる。福羽美静を重用した。
*岩倉具視(1825-1883):政治家。権田直助、落合直亮らの草莽の国学者を糾合。維新政府の首脳となる。福羽美静を重用した。
*飯田武郷(1827-1900):国学者。東京帝国大学教授。平田家に入門。高島藩士。伊那の国学者と交流。のち脱藩して、岩倉具視の下に集まる権田直助、落合直亮などと結束した。[[気比神宮]]、[[諏訪大社]]、[[貫前神社]]、[[浅間神社]]の宮司を歴任。『日本書紀通釈』
*飯田武郷(1827-1900):国学者。東京帝国大学教授。平田家に入門。高島藩士。伊那の国学者と交流。のち脱藩して、岩倉具視の下に集まる権田直助、落合直亮などと結束した。[[気比神宮]]、[[諏訪大社]]、[[貫前神社]]、[[浅間神社]]の宮司を歴任。『日本書紀通釈』
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*伊藤六郎兵衛(1829-1894):[[丸山教]]の開祖。家に伝わる[[富士講]]を再興。妻の病気を機会に神託を得て、修行を行った。[[扶桑教]]に所属するが、のち[[神道大教]]に転属。
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*[[伊藤六郎兵衛]](1829-1894):[[丸山教]]の開祖。家に伝わる[[富士講]]を再興。妻の病気を機会に神託を得て、修行を行った。[[扶桑教]]に所属するが、のち[[神道大教]]に転属。
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*大石凝真素美(1833-1913):
*稲葉正邦(1834-1898):[[神道大教]]初代管長。幕府老中。淀藩主。子爵。[[三島大社]]宮司。明治初年の神社行政に大きな影響力を持ち、神道事務局の設立に関わった。
*稲葉正邦(1834-1898):[[神道大教]]初代管長。幕府老中。淀藩主。子爵。[[三島大社]]宮司。明治初年の神社行政に大きな影響力を持ち、神道事務局の設立に関わった。
*井上頼国(1839-1914):国学者。高家旗本の出身。平田家に入門。権田直助から古医道を教わる。明治政府に参画し、[[大神神社]]少宮司。官職や神社の考証に携わる。『古事類苑』『賀茂真淵全集』を編纂。蔵書は無窮会神習文庫として残る。
*井上頼国(1839-1914):国学者。高家旗本の出身。平田家に入門。権田直助から古医道を教わる。明治政府に参画し、[[大神神社]]少宮司。官職や神社の考証に携わる。『古事類苑』『賀茂真淵全集』を編纂。蔵書は無窮会神習文庫として残る。
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*浦田長民(1840-1893):
*井上毅(1843-1895):官僚・政治家。熊本藩の家老の子。明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草に関わった。
*井上毅(1843-1895):官僚・政治家。熊本藩の家老の子。明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草に関わった。
*青山直道(1846-1906):苗木藩士。明治初年、藩大参事として領内の廃仏毀釈・神葬祭運動を進める。青山景通の子。
*青山直道(1846-1906):苗木藩士。明治初年、藩大参事として領内の廃仏毀釈・神葬祭運動を進める。青山景通の子。
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*今泉定助(1863-1944):神道家。[[神宮奉斎会]]会長。仙台藩士の子。白石神明社佐藤広見の養子となるが離縁。神道事務局生徒寮で学び、丸山作楽の薫陶を受ける。東京帝国大学卒業。『古事類苑』編纂に従事。国学院創設に尽力。
*今泉定助(1863-1944):神道家。[[神宮奉斎会]]会長。仙台藩士の子。白石神明社佐藤広見の養子となるが離縁。神道事務局生徒寮で学び、丸山作楽の薫陶を受ける。東京帝国大学卒業。『古事類苑』編纂に従事。国学院創設に尽力。
*上田万年(1867-1937):東京帝国大学卒業。チェンバレンに師事し、従来の国学を日本語の言語学研究に再構築した。神宮皇学館長。国学院大学長。
*上田万年(1867-1937):東京帝国大学卒業。チェンバレンに師事し、従来の国学を日本語の言語学研究に再構築した。神宮皇学館長。国学院大学長。
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*柳田国男
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*柳田国男(1875-1962):
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*折口信夫
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*折口信夫(1887-1953):
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==参考文献==
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*國學院大學日本文化研究所編、1999『神道辞典』弘文堂

2015年5月19日 (火) 時点における版

目次

概要

時代別

大和時代

飛鳥時代

奈良時代

平安時代

  • 斎部広成(生没年不詳):忌部氏。『古語拾遺』著者。
  • 顕広王(1095-1180):白川伯王家の祖。花山天皇の五世王。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
  • 安倍晴明(921-1005):陰陽家。土御門家の祖。伝説的な事跡が多い。『ホキ内伝』著者に仮託される。晴明神社などの祭神。


鎌倉時代

  • 卜部兼方(生没年不詳):

南北朝・室町時代

  • 吉田兼倶
  • 忌部正通(生没年不詳):神道家。『神代巻口訣』の著者。
  • 一条兼良(1402-1481):摂政。太政大臣。関白。古典・有職に通じた学者。『公事根源』『日本書紀纂疏』。卜部氏とも親交があり、秘伝の神道説を伝えた。桃華老人三関老人
  • 荒木田守武(1473-1549):内宮禰宜。伊勢俳諧の祖。飯尾宗祇・宗長を敬慕し、『新撰菟玖波集』に入選。霊社に祭られ、現在、伊勢・宇治神社に合祀。弥武彦神霊

近世

  • 徳川家康
  • 梵舜
  • 崇伝
  • 天海
  • 契沖
  • 荷田春満
  • 賀茂真淵
  • 本居宣長
  • 平田篤胤
  • 池田光政(1609-1682):岡山藩主。熊沢蕃山などの儒学者を登用。閑谷学校を設置。寺請制度に代わり、神道請制度を実施。社寺合併政策を進める。岡山神社閑谷神社祭神。芳烈公武安霊命
  • 出雲路信直(1650-1703):垂加神道家。下御霊神社神職。山崎闇斎に師事。垂加神道を広め、興隆に導いた。八塩道翁八塩道霊社
  • 大山為起(1651-1713):
  • 浅見絅斎(1652-1711):朱子学者。近江国高島郡出身。山崎闇斎に師事。
  • 正親町公通(1653-1733):
  • 新井白石(1657-1725):儒学者。木下順庵に師事。将軍徳川家宣に仕え、文治政治を推進。古代史研究に合理主義的観点を持ち込む一方、吉田神道には高い評価を与えた。
  • 跡部良顕(1658-1729):垂加神道家。旗本家出身。柳生石舟斎の玄孫。竹下青山に師事。生祠が鹿島神宮内に祭られた。光海霊社
  • 天野信景(1663-1733):国学者。名古屋藩士。吉見幸和とともに『尾張風土記』編纂に従事。実証的に歴史、地理、文学などを考察。『塩尻』が著名。神道関係の著書も多い。晩年は出家して信阿弥陀仏と名乗る。
  • 石田梅岩(1685-1744):石門心学の祖。丹波桑田郡の農家出身。神儒仏道を基礎に道徳を説いた。商業を尊び、正直・倹約を強調した。
  • 荒木田経雅(1742-1805):神宮学者。内宮禰宜。本居大平などと交流。『大神宮儀式解』30巻。
  • 荒木田久老(1746-1804):国学者。神宮神職。歌人。賀茂真淵に師事。本居宣長や橘守部などと親交。主著『万葉考槻の落葉』。五十槻園
  • 植松有信(1758-1813):
  • 荒木田末寿(1764-1828):近世後期の代表的な神宮学者。本居宣長の弟子。平田篤胤とも交流。著書多数。桜屋翁
  • 青柳種信(1766-1835):国学者。福岡藩士。本居宣長の弟子。地理や神社縁起の考証に優れる。
  • 会沢正志斎(1782-1863):水戸学の儒学者。著書『新論』は尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた。
  • 岡熊臣(1783-1851):
  • 足代弘訓(1784-1856):国学者。外宮神職。荒木田久老、本居春庭、本居大平、亀田末雅、芝山持豊に師事。国学、和歌、律令を学ぶ。社会問題への関心も高く飢饉の際に救援活動を行う。
  • 井上正鉄(1790-1849):禊教の開祖。館林藩士の子。水野南北に易学を学ぶ。念仏からヒントを得た禊行を創始。梅田神明宮神職。「新義異流」として三宅島配流。井上神社祭神。
  • 大国隆正(1792-1871)
  • 生田万(1801-1837):国学者。館林藩士。志士。平田篤胤に師事。藩政改革を進言するが、受け入れられず追放。越後柏崎で桜園塾を開き、大塩平八郎の乱に触発され決起し、自決。大中道人
  • 伊能穎則(1805-1877):神道家。国学者。歌人。下総国香取郡佐原町出身。平田鉄胤に師事。香取神宮の尚古館学師。明治政府に参画。香取神宮少宮司。

近代

  • 有栖川宮幟仁親王(1812-1886):有栖川宮8代当主。幕末に孝明天皇の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
  • 鴻雪爪(1814-1904):
  • 青山景通(1819-1891):国学者。苗木藩士。平田家に入門。明治初年、神祇官幹部として神宮改革、神社改革にあたる。三島大社宮司就任、ただちに辞任。
  • 岩倉具視(1825-1883):政治家。権田直助、落合直亮らの草莽の国学者を糾合。維新政府の首脳となる。福羽美静を重用した。
  • 飯田武郷(1827-1900):国学者。東京帝国大学教授。平田家に入門。高島藩士。伊那の国学者と交流。のち脱藩して、岩倉具視の下に集まる権田直助、落合直亮などと結束した。気比神宮諏訪大社貫前神社浅間神社の宮司を歴任。『日本書紀通釈』
  • 伊藤六郎兵衛(1829-1894):丸山教の開祖。家に伝わる富士講を再興。妻の病気を機会に神託を得て、修行を行った。扶桑教に所属するが、のち神道大教に転属。
  • 大石凝真素美(1833-1913):
  • 稲葉正邦(1834-1898):神道大教初代管長。幕府老中。淀藩主。子爵。三島大社宮司。明治初年の神社行政に大きな影響力を持ち、神道事務局の設立に関わった。
  • 井上頼国(1839-1914):国学者。高家旗本の出身。平田家に入門。権田直助から古医道を教わる。明治政府に参画し、大神神社少宮司。官職や神社の考証に携わる。『古事類苑』『賀茂真淵全集』を編纂。蔵書は無窮会神習文庫として残る。
  • 浦田長民(1840-1893):
  • 井上毅(1843-1895):官僚・政治家。熊本藩の家老の子。明治憲法、皇室典範、教育勅語の起草に関わった。
  • 青山直道(1846-1906):苗木藩士。明治初年、藩大参事として領内の廃仏毀釈・神葬祭運動を進める。青山景通の子。
  • 青戸波江(1857-1929):神職。松江売布神社神職家の出身。神宮教院、東京帝国大学で学ぶ。内務省社寺局で神社祭式調査委員。神宮皇学館礼典講師。国学院大学教授。芝大神宮社司。
  • 今泉定助(1863-1944):神道家。神宮奉斎会会長。仙台藩士の子。白石神明社佐藤広見の養子となるが離縁。神道事務局生徒寮で学び、丸山作楽の薫陶を受ける。東京帝国大学卒業。『古事類苑』編纂に従事。国学院創設に尽力。
  • 上田万年(1867-1937):東京帝国大学卒業。チェンバレンに師事し、従来の国学を日本語の言語学研究に再構築した。神宮皇学館長。国学院大学長。
  • 柳田国男(1875-1962):
  • 折口信夫(1887-1953):

参考文献

  • 國學院大學日本文化研究所編、1999『神道辞典』弘文堂
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E8%81%B7%E3%83%BB%E7%A5%9E%E9%81%93%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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