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丹生川上神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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丹生川上神社(にう・かわかみ・じんじゃは、奈良県吉野地方にある神社。祈雨・止雨の神とされる。組織(宗教法人)がそれぞれ独立している上社、中社、下社の3社から構成される。官社(式内社)・正三位・名神大社・二十二社・官幣大社・別表神社。 丹生川上神社関連旧跡も参照。
組織
大宮司・宮司
- 松園尚嘉(1840-1903)<>:九条尚忠の次男。大乗院門跡門主。興福寺別当237世。薬師寺別当。僧名は隆芳。還俗して春日大社神職。松園男爵家初代。生国魂神社大宮司。広田神社大宮司。丹生川上神社大宮司。
- 江藤正澄(1836-1911)<1874-1874>:1873年(明治6年)7月8日、丹生川上神社少宮司。1874年(明治7年)1月31日、出雲神社宮司。1874年(明治7年)2月18日、丹生川上神社大宮司。同年4月22日、広瀬神社大宮司。当時、丹生川上神社は現在の下社だったが、現在の上社こそが本当の丹生川上神社だと主張して1874年(明治7年)7月に進言し10月に採用され、丹生川上神社は奥宮と口宮の2社構成となった。1877年(明治10年)2月10日、奈良県行幸の明治天皇に拝謁。8月17日、広瀬神社大宮司を退職。父の死で帰郷。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)
- 渡辺重春(1831-1890)<>:幕末維新期の神職・国学者。奈良県内の官社宮司を歴任。(略歴は、広田神社#組織を参照)
- 葵川信近()<-1874->:1874年(明治7年)前後、大宮司を務めた。
- 松野真維(1837-1910)<>:淡路出身の国学者。(略歴は、金刀比羅宮#組織を参照)
- 斎藤普春(1854-1913)<>:1854年(安政1年)生。彦根藩弘道館で学び、のち井上頼圀に師事。丹生川上神社宮司。1895年(明治28年)2月24日から8月5日まで吉野宮宮司。香椎宮宮司、忌部神社宮司を歴任。1913年(大正2年)3月26日死去。伊豆廼舎。
- 保科保操()<>:玉前神社宮司。
- 高階研一(1885-1967)<1914-1917>:神社本庁第3代事務総長(略歴は神社本庁#組織を参照)
- 大橋鐐輔()<1901->:1889年(明治22年)9月16日吉野宮主典。1892年(明治25年)1月25日禰宜。7月14日退任。1901年(明治34年)3月1日、竈門神社宮司。同年10月31日、丹生川上神社宮司に転任。
- 海老沼唯(1883-1946)<1929-1933>:愛媛県神社庁長。京都出身。1883年(明治16年)生。1908年(明治41年)国学院大学卒。1913年(大正2年)10月8日、敢国神社宮司。1919年(大正8年)2月24日退任。同年3月20日伏見稲荷大社主典。1922年(大正11年)7月26日休職。1923年(大正12年)7月17日、神宮神部署主事補。11月26日退任。1925年(大正14年)4月17日諏訪神社禰宜。1929年(昭和4年)3月5日、丹生川上神社宮司。1933年(昭和8年)5月22日、照国神社宮司。1940年(昭和15年)3月11日退任。戦後、愛媛県神社庁長。1946年(昭和21年)7月31日死去。
- 小林太十郎()<-1936->:埼玉県出身。1885年(明治18年)生。国学院大学卒。1936年(昭和11年)7月在職。
少宮司
- 江藤正澄(1836-1911)<1873-1874>:のち大宮司。1873年(明治6年)7月8日、丹生川上神社少宮司。1874年(明治7年)1月31日、出雲神社宮司。(略歴は、広瀬神社#組織を参照)