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大嘗祭関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年5月13日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大嘗祭は、天皇即位の際に行われる祭祀。重要な祭祀でありながら、諸説あるものの祭神は不明という。
目次 |
歴史
江戸時代まで香を焚いて、天に即位を知らせるなど、中国式だった即位礼が、明治維新以降、新時代に合わせて神道儀礼として再整備されたのと同様に、大嘗祭も新時代に合わせて、改革された。江戸時代と変更された点は次の通り。
- 京都ではなく、東京で実施された。東京に首都を移す明確な宣言はなされておらず、天皇の東京行幸は人心収攬のための一時的な措置という見方もあったが、事実上の東京遷都を態度として表そうとする政府の判断だったのだろう。しかし、大正、昭和では京都で行われた。平成の大嘗祭では東京で行われた。
- 神饌のための神田を置く悠紀国と主基国は江戸時代を通じて近江と丹波に固定されていたが、変更となった。(都を中心に悠紀は東方、主基は西方である。明治の大嘗祭のみ東西が逆となっているが理由は不明という。)
- 大嘗祭の祭日は、11月の卯の日★であるため、明治の大嘗祭では1871年(明治4年)11月17日に行われたが、大正以降は、干支に関係なく、11月17日となった。
- 奉仕する祭員を改定し、形式的に残っていた中臣・忌部を廃し、神祇省官員が奉仕することとした。(のち掌典職?)
- 上古には行われていたという悠紀国・主基国の風習を織り込んだ舞や歌の奏上を復興させた。
- 国民国家の時代を反映し、一般国民から献納された庭積机代物が供進された。
- 新たに皇后の拝礼が付け加えられた。(大正以降は?)
- 朝廷内の儀礼から全国家・国民的規模の国家祭典となった。
祭神
松本郁代によると下記のような諸説がある。明確に祭神を記すのは『後鳥羽院宸記』1212年(建暦2年)10月25日条の「天皇御親告祝詞」に「天照大神と天神地祇」とあるのが初出という。
- 1天照大神のみとする説
- 2天照大神と天神地祇とする説
- 3天照大神と天神地祇とする説。ただし悠紀殿の神々と主基殿の神々は異なるとする。
- 4天照大神と御膳八神とする説。
- 5大綿津見神説
- 6地方豪族の祖神説
- 7稲魂など豊穣に関わる神霊説
なお現在の祭神としては伊勢神宮の天照大神とされているらしく、京都で行われていた時、神座は伊勢神宮のある東南を向いていたが、東京で行われた時の神座が伊勢神宮の方角である西南に変更されている。
新嘗祭との違い
- 新嘗祭は常設の祭場、大嘗祭は臨時の祭場
- 主な供物に米だけでなく粟も加わる
- 新嘗祭では畿内から、大嘗祭では畿外から
- 新嘗祭は宮内省が中心、大嘗祭は斎国の国司にも大きな役割
歴代の大嘗祭
代 | 天皇 | 践祚(即位) | 即位の礼 | 大嘗祭 | 大嘗宮 | 悠紀 | 主基 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
40 | 天武天皇 | 673年(天武2年) | (なし) | 673年(天武2年) | 播磨国 | 丹波国 | ||
40 | 天武天皇 | 676年(天武5年) | 尾張国 (渋川神社) | 丹波国 | ||||
41 | 持統天皇 | 690年(持統4年) | (なし) | 691年(持統5年) | 播磨国 | 因幡国 | ||
42 | 文武天皇 | 697年(文武1年) | 同年 | 698年(文武2年) | 尾張国 | 美濃国 | ||
43 | 元明天皇 | 707年(慶雲4年) | (なし) | 708年(和銅1年) | 遠江国 | 但馬国 | ||
44 | 元正天皇 | 715年(霊亀1年) | (なし) | 716年(霊亀2年) | 遠江国 | 但馬国 | ||
45 | 聖武天皇 | 724年(神亀1年) | (なし) | 724年(神亀1年) | 備前国 | 播磨国 | ||
46 | 孝謙天皇 | 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年) | (なし) | 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年) | 因幡国 | 美濃国 | ||
47 | 淳仁天皇 | 758年(天平宝字2年) | (なし) | 758年(天平宝字2年) | 丹波国 | 播磨国 | ||
48 | 称徳天皇 | 764年(天平宝字8年) | (なし) | 765年(天平神護1年) | 美濃国 | 越前国 (越前・大虫神社) | ||
49 | 光仁天皇 | 770年(宝亀1年) | (なし) | 771年(宝亀2年) | 三河国 | 因幡国 | ||
50 | 桓武天皇 | 781年(天応1年) | 同年 | 781年(天応1年) | 越前国 | 備前国 | ||
51 | 平城天皇 | 806年(大同1年) | 同年 | 808年(大同3年) | 伊勢国 | 伊勢国 | ||
52 | 嵯峨天皇 | 809年(大同4年) | 同年 | 810年(弘仁1年) | 三河国 | 美作国 | ||
53 | 淳和天皇 | 823年(弘仁14年) | 同年 | 823年(弘仁14年) | 美濃国 | 丹波国 | ||
54 | 仁明天皇 | 833年(天長10年) | 同年 | 833年(天長10年) | 近江国 | 備中国 | ||
55 | 文徳天皇 | 850年(嘉祥3年) | 同年 | 851年(仁寿1年) | 伊勢国 | 播磨国 | ||
56 | 清和天皇 | 858年(天安2年) | 同年 | 859年(貞観1年) | 三河国 (熱池八幡社、三河・野宮神社) | 美作国 | ||
57 | 陽成天皇 | 876年(貞観18年) | 877年(元慶1年) | 877年(元慶1年) | 美濃国 | 備中国 | ||
58 | 光孝天皇 | 884年(元慶8年) | 同年 | 884年(元慶8年) | 伊勢国 | 備前国 | ||
59 | 宇多天皇 | 887年(仁和3年) | 同年 | 888年(仁和4年) | 近江国 | 播磨国 | ||
60 | 醍醐天皇 | 897年(寛平9年) | 同年 | 897年(寛平9年) | 近江国 | 丹波国 | ||
61 | 朱雀天皇 | 930年(延長8年) | 同年 | 932年(承平2年) | 近江国 | 丹波国 | ||
62 | 村上天皇 | 946年(天慶9年) | 同年 | 946年(天慶9年) | 近江国 | 備中国 | ||
63 | 冷泉天皇 | 967年(康保4年) | 同年 | 968年(安和1年) | 近江国 | 播磨国 | ||
64 | 円融天皇 | 969年(安和2年) | 同年 | 970年(天禄1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
65 | 花山天皇 | 984年(永観2年) | 同年 | 985年(寛和1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
66 | 一条天皇 | 986年(寛和2年) | 同年 | 986年(寛和2年) | 近江国 | 備中国 | ||
67 | 三条天皇 | 1011年(寛弘8年) | 同年 | 1012年(長和1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
68 | 後一条天皇 | 1016年(長和5年) | 同年 | 1016年(長和5年) | 近江国 | 備中国 | ||
69 | 後朱雀天皇 | 1036年(長元9年) | 同年 | 1036年(長元9年) | 近江国 | 丹波国 | ||
70 | 後冷泉天皇 | 1045年(寛徳2年) | 同年 | 1046年(永承1年) | 近江国 | 備中国 | ||
71 | 後三条天皇 | 1068年(治暦4年) | 同年 | 1068年(治暦4年) | 近江国 | 備中国 (長尾神社) | ||
72 | 白河天皇 | 1072年(延久4年) | 同年 | 1074年(承保1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
73 | 堀河天皇 | 1086年(応徳3年) | 同年 | 1087年(寛治1年) | 近江国 | 備中国 | ||
74 | 鳥羽天皇 | 1107年(嘉承2年) | 同年 | 1108年(天仁1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
75 | 崇徳天皇 | 1123年(保安4年) | 同年 | 1123年(保安4年) | 近江国 | 備中国 | ||
76 | 近衛天皇 | 1141年(永治1年) | 同年 | 1142年(康治1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
77 | 後白河天皇 | 1155年(久寿2年) | 同年 | 1155年(久寿2年) | 近江国 | 丹波国 | ||
78 | 二条天皇 | 1158年(保元3年) | 同年 | 1159年(平治1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
79 | 六条天皇 | 1165年(永万1年) | 同年 | 1166年(仁安1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
80 | 高倉天皇 | 1168年(仁安3年) | 同年 | 1168年(仁安3年) | 近江国 | 備中国 | ||
81 | 安徳天皇 | 1180年(治承4年) | 同年 | 1182年(寿永1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
82 | 後鳥羽天皇 | 1183年(寿永2年) | 1184年(元暦1年) | 1184年(元暦1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
83 | 土御門天皇 | 1198年(建久9年) | 同年 | 1198年(建久9年) | 近江国 | 備中国 | ||
84 | 順徳天皇 | 1210年(承元4年) | 同年 | 1212年(建暦2年) | 近江国 | 丹波国 | ||
85 | 仲恭天皇 | 1221年(承久3年) | (なし) | (なし) | ||||
86 | 後堀河天皇 | 1221年(承久3年) | 同年 | 1222年(貞応1年) | 近江国 | 備中国 | ||
87 | 四条天皇 | 1232年(貞永1年) | 同年 | 1235年(嘉禎1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
88 | 後嵯峨天皇 | 1242年(仁治3年) | 同年 | 1242年(仁治3年) | 近江国 | 備中国 | ||
89 | 後深草天皇 | 1246年(寛元4年) | 同年 | 1246年(寛元4年) | 近江国 | 丹波国 | ||
90 | 亀山天皇 | 1259年(正元1年) | 同年 | 1260年(文応1年) | 近江国 | 備中国 | ||
91 | 後宇多天皇 | 1274年(文永11年) | 同年 | 1274年(文永11年) | 近江国 | 丹波国 | ||
92 | 伏見天皇 | 1287年(弘安10年) | 同年 | 1288年(正応1年) | 近江国 | 備中国 | ||
93 | 後伏見天皇 | 1298年(永仁6年) | 同年 | 1298年(永仁6年) | 近江国 | 丹波国 | ||
94 | 後二条天皇 | 1301年(正安3年) | 同年 | 1301年(正安3年) | 近江国 | 備中国 | ||
95 | 花園天皇 | 1308年(延慶1年) | 同年 | 1309年(延慶2年) | 近江国 | 丹波国 | ||
96 | 後醍醐天皇 | 1318年(文保2年) | 同年 | 1318年(文保2年) | 近江国 | 備中国 | ||
97 | 後村上天皇 | 1339年(延元4年/暦応2年) | (なし?) | (なし?) | ||||
98 | 長慶天皇 | 1368年(正平23年/応安1年) | (なし?) | (なし?) | ||||
99 | 後亀山天皇 | 1383年(弘和3年/永徳3年) | (なし?) | (なし?) | ||||
北1 | 光厳天皇 | 1331年(元弘1年/元徳3年) | 1332年(元弘2年/正慶1年) | 1332年(元弘2年/正慶1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
北2 | 光明天皇 | 1336年(延元1年/建武3年) | 1337年(延元2年/建武4年) | 1338年(延元3年/暦応1年) | 近江国 | 備中国 | ||
北3 | 崇光天皇 | 1348年(正平3年/貞和4年) | 1349年(正平4年/貞和5年) | 1350年(正平5年/観応1年) | 近江国 | 丹波国 | ||
北4 | 後光厳天皇 | 1352年(正平7年/文和1年) | 1353年(正平8年/文和2年) | 1354年(正平9年/文和3年) | 近江国 | 丹波国 | ||
北5 | 後円融天皇 | 1371年(建徳2年/応安4年) | 1374年(文中3年/応安7年) | 1375年(天授1年/永和1年) | 近江国 | 備中国 | ||
100 | 後小松天皇 | 1382年(弘和2年/永徳2年) | 同年 | 1383年(弘和3年/永徳3年) | 近江国 | 丹波国 | ||
101 | 称光天皇 | 1412年(応永19年) | 1414年(応永21年) | 1415年(応永22年) | 近江国 | 備中国 | ||
102 | 後花園天皇 | 1428年(正長1年) | 1429年(永享1年) | 1430年(永享2年) | 近江国 | 丹波国 | ||
103 | 後土御門天皇 | 1464年(寛正5年) | 1465年(寛正6年) | 1466年(文正1年) | 近江国 | 備中国 | ||
104 | 後柏原天皇 | 1500年(明応9年) | 1521年(大永1年) | (なし) | ||||
105 | 後奈良天皇 | 1526年(大永6年) | 1536年(天文5年) | (なし) | ||||
106 | 正親町天皇 | 1557年(弘治3年) | 1560年(永禄3年) | (なし) | ||||
107 | 後陽成天皇 | 1586年(天正14年) | 同年 | (なし) | ||||
108 | 後水尾天皇 | 1611年(慶長16年) | 同年 | (なし) | ||||
109 | 明正天皇 | 1629年(寛永6年) | 1630年(寛永7年) | (なし) | ||||
110 | 後光明天皇 | 1643年(寛永20年) | 同年 | (なし) | ||||
111 | 後西天皇 | 1654年(承応3年) | 1656年(明暦2年) | (なし) | ||||
112 | 霊元天皇 | 1663年(寛文3年) | 同年 | (なし) | ||||
113 | 東山天皇 | 1687年(貞享4年) | 同年 | 1687年(貞享4年) | 貞享大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
114 | 中御門天皇 | 1709年(宝永6年) | 1710年(宝永7年) | (なし) | ||||
115 | 桜町天皇 | 1735年(享保20年) | 同年 | 1738年(元文3年) | 元文大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
116 | 桃園天皇 | 1747年(延享4年) | 同年 | 1748年(寛延1年) | 寛延大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
117 | 後桜町天皇 | 1762年(宝暦12年) | 1763年(宝暦13年) | 1764年(明和1年) | 明和元年大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
118 | 後桃園天皇 | 1770年(明和7年) | 1771年(明和8年) | 1771年(明和8年) | 明和八年大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
119 | 光格天皇 | 1779年(安永8年) | 1780年(安永9年) | 1787年(天明7年) | 天明大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
120 | 仁孝天皇 | 1817年(文化14年) | 同年 | 1818年(文政1年) | 文政大嘗宮 | 近江国 | 丹波国(紅井) | |
121 | 孝明天皇 | 1846年(弘化3年) | 1847年(弘化4年) | 1848年(嘉永1年) | 嘉永大嘗宮 | 近江国 | 丹波国 | |
122 | 明治天皇 | 1867年(慶応3年) | 1868年(明治1年) | 1871年(明治4年) | 東京明治大嘗宮 | 甲斐国 | 安房国 | |
123 | 大正天皇 | 1912年(大正1年) | 1915年(大正4年) | 1915年(大正4年) | 京都大正大嘗宮 | 愛知県 | 香川県 | |
124 | 昭和天皇 | 1926年(昭和1年) | 1928年(昭和3年) | 1928年(昭和3年) | 京都昭和大嘗宮 | 滋賀県 | 福岡県 | |
125 | 上皇 | 1989年(平成1年) | 1990年(平成2年) | 1990年(平成2年) | 東京平成大嘗宮 | 秋田県 | 大分県 | |
126 | 今上天皇 | 2019年(令和1年) | 2019年(令和1年) | 2019年(令和1年) | 東京令和大嘗宮 | 栃木県 | 京都府 |
一覧
斎場
- 大嘗宮
- 軒廊:紫宸殿と宜陽殿を結ぶ廊下。斎田の国郡卜定が行われた。
- 北野斎場:平安京郊外の北野に作られた。稲実殿、八神殿、高萱片葺御倉があった。京都府京都市上京区若松町が伝承地。
- 斎田関連
- 荒見川:荒見川祓をおこなった。荒見川は現在の紙屋川(天神川)。禊を行った詳細な場所は不明だが、北野天満宮と平野神社の間あたりか。「平野神社の前の橋から少し北辺りに斎場があった」ともいい、「衣笠荒見町」「大祓町」の地名は名残という(日本歴史地名大系)
- 河原頓宮:御禊行幸が行われた。
- 松崎川:嵯峨天皇大嘗祭で810年(弘仁1年)10月27日に松崎川で御禊(日本紀略)。
- 葛野川:
- 佐比川:
- 大津:
- 鴨川:
- 清涼殿東庭:近世の復興では御禊行幸は復興しなかった。
献上物
- 山崎忌部神社:徳島県吉野川市山川町忌部山。荒妙をつくる。大正、昭和、平成。
- 種野山:徳島県吉野川市美郷種野。かつて山崎を中心にした忌部郷から貢進されていた大嘗祭の由加物をかわって調進。
- 三龍社:愛知県岡崎市。大正、昭和の和衣。
- 深江稲荷神社:大阪府大阪市東成区深江南。笠縫氏の氏神。深江からは大嘗祭では菅笠・円座を、伊勢神宮の式年遷宮には菅笠・菅翳を調進したという。
- 往馬坐伊古麻都比古神社:奈良県生駒市壱分町。火をおこす道具「火燧木」(ひきりき)を献上。
- 葛木坐火雷神社:奈良県葛城市笛吹。官社。郷社。大嘗祭では斎田の国郡卜定に使うハハカの木を献上。中絶したが、孝明天皇大嘗祭に献上。
- 志紀長吉神社:大阪府大阪市平野区長吉長原。河内国志紀郡。大嘗祭に日蔭蔓を貢するため日蔭明神と称した(河内志)。官社。郷社。
- 陸奥・広峰神社:青森県青森市浪岡北中野天王。大嘗祭で使った草履を蔵する。長慶天皇陵の伝承地がある。
- 摩気神社:京都府南丹市園部町竹井宮ノ谷。大嘗祭に酒と水を奉る神。府社。
- 賀茂別雷神社:1687年(貞享4年)以来、大嘗祭の白酒・黒酒の醸造を賀茂別雷神社の酒殿で行った。昭和大嘗祭でも大嘗祭神酒醸造所が設けられた。
- 川内多々奴比神社:兵庫県篠山市下板井。官社。郷社。大嘗宮の門に立てる楯は丹波国の楯縫氏が造ると定められている。「多々奴比」は楯縫に通じ、その楯縫氏の氏神という説がある。
- 丹波・楯縫神社:兵庫県丹波市春日町。官社。郷社。同上。
- 隠岐:鰒が大嘗祭に調進されていた(延喜式)。
- 小野:滋賀県栗東市小野。『日本歴史地名大系』に「名産は菅笠で、「栗太志」に古来より大嘗会と伊勢外宮式年遷宮のため〓を調進、天皇の譲位に際して執翳を献上していたとみえる」とある。
- 下黒田:京都府京都市右京区京北下黒田町。明治維新まで大嘗会・新嘗祭の御供米を献上。
- 二ノ瀬:京都府京都市左京区鞍馬二ノ瀬町。中世末、禁裏御料所となり、大嘗祭の用材を切り出した。
- 河内:
- 和泉:
- 尾張:
- 三河:
- 備前:
- 紀伊:賀太(賀多)潜女が獲った海産物を献上。
- 淡路:土器を献上する?
- 阿波:那賀潜女10人が獲った海産物を献上。海産物は鰒45編、鰒鮨15坩、細螺(きさご、しただみ)20坩、棘甲羸(うに)20坩、石花(かめのて)20坩。麻殖郡忌部氏が麁布、木綿、年魚(鮎)、蒜英根(ひるのはなね)合漬、乾羊蹄、蹲鴟、橘子を献上する。
出仕者
- 中臣氏:
- 忌部氏:
- 御巫:
- 猿女氏:
- 石上氏:大嘗宮の南北の門に神楯・神戟を立て、内物部を率いて警衛する。
- 榎井氏:大嘗宮の南北の門に神楯・神戟を立て、内物部を率いて警衛する。
- 伴氏:大嘗宮南門の開閉を司る。室町時代まで豊明節会で久米舞を奉仕。
- 佐伯氏:大嘗宮南門の開閉を司る。室町時代まで豊明節会で久米舞を奉仕。
- 安曇氏:内膳司の官人と采女を率いて神饌を収めた箱などを悠紀殿・主基殿に運び入れる(神饌行立)。
- 高橋氏:内膳司の官人と采女を率いて神饌を収めた箱などを悠紀殿・主基殿に運び入れる(神饌行立)。
- 天王寺楽所:中世、大嘗祭の舞を行ったという。
- 国栖人:古代、国栖舞を舞う。
- 田舞:巳の日に主基国の人が舞う。
- 吉士舞:吉士氏が安倍氏の統括下で奉仕。
- 語部:美濃・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・淡路の7カ国から合計28人が出仕。
- 隼人:宮門などを警衛。また隼人舞を行う。文正年間(1466~1467)まで奉仕。
- 門部:左京2人、右京2人、大和8人、山城3人、伊勢2人、紀伊1人
- 造酒童女:斎郡の郡司の娘。北野斎場で酒を造る。造酒児とも。
- 忌子:童女・斎子とも。
- 斎子八女:稲舂歌を歌う。
組織
古代
- 大嘗会行事所:長官は検校3人。
- 悠紀行事所・主基行事所
- 小忌所
- 斎場所
- 出納所
- 楽所
- 絵所
- 風俗所
- 和舞所
- 女工所
- 大炊所
- 悠紀行事所・主基行事所
- 大祓使・祓使:
- 奉幣使:大幣帛使とも。
- 抜穂使:稲実卜部1人、禰宜卜部1人の計2人
- 稲実公:
- 由加物使:河内・和泉・尾張・三河・備前に派遣して雑器を作らせた。また紀伊・淡路・阿波に雑贄を作らせた。
- 神服使:
- 御禊装束司:
- 御禊次第司:
- 隼人司:衛門府配下、のち兵部省配下。
中世
- 大嘗会総奉行:室町幕府の役職。配下に大嘗会奉行を置いた。
近代
- 大礼使
次第
日程(古代)
- 国郡卜定:斎国を決める。
- 検校行事任命
- 8月上旬:大祓使
- 8月下旬:祓使
- 大嘗会由奉幣?
- 大嘗会大奉幣?
- 8月下旬:抜穂使を斎国に派遣。現在と異なり、具体的にどの田から収穫するかは派遣されてから現地で決めた。
- 9月:抜穂。上京。
- 9月:かつては散斎の開始(のち11月から1カ月間となる)。
- 9月下旬:御飯・黒酒・白酒を納める。
- 10月下旬:御禊行幸。近世では復活せず。
- 11月1日から晦日まで:散斎
- 11月卯の7日前:大嘗宮建設開始。5日間で行う。
- 11月丑・寅・卯の3日間:致斎
- 11月寅:鎮魂祭
- 11月下卯(または中卯):大嘗祭当日
- 辰:節会。
- 辰二点:豊楽院の悠紀御帳に入る。
- 中臣氏が天神寿詞を奏上。桓武天皇大嘗祭から。仁明天皇大嘗祭以来廃止。
- 辰刻:節会。忌部氏が鏡剣献上
- 斎国からの多米都物の品目を奏上。
- 巳刻:悠紀の御膳
- 風俗楽
- 悠紀国の国風歌
- 悠紀の国司らに賜禄
- 主基の御帳に入る。
- 巳:節会。和舞・風俗舞
- 巳:節会。清暑堂御神楽。琴歌神宴とも。清暑堂焼失後は小安殿南廊で行われた。
- 主基の国司らに賜禄
- 午:豊明節会。功労者に叙位。国栖奏、久米舞、吉志舞、斎国の風俗舞、五節舞。拝舞。和舞。
- 未:六位以下官人と斎国郡司らに叙位賜禄。
- 11月晦日:大祓
当日(古代)
- 朝:神祇官で神々を祀る。班幣。
- 巳刻:斎国の雑色人が供物を北野斎場から大嘗宮に運び込む。造酒児が輿にのって先導。羅城門から応天門まで数千人が列をなして運び込む。この時、「標の山」という飾り物もある。
- 隼人の犬吠
- 吉野の国栖奏
- 語部の古詞奏上
- 斎国の芸能奉納
- 隼人の歌舞
- 戌刻:天皇、廻立殿渡御。
- 小忌の御湯で潔斎
- 悠紀殿渡御
- 亥刻:神饌行立、神饌親供
- 告文
- 直会
- 廻立殿
- 丑刻:主基殿
斎田
近現代の斎田
- 明治大嘗祭悠紀田:山梨県甲府市上石田3-15。明治天皇大嘗祭の悠紀田跡。「悠紀斎田記念ノ碑」がある。南西第一公園。
- 明治大嘗祭主基田:千葉県鴨川市北小町仲ノ坪。明治天皇大嘗祭の主基田跡。「明治天皇大嘗祭御斎田主基之地」碑がある。主基斎田址公園。
- 大正大嘗祭悠紀田:愛知県岡崎市中島町上丸ノ内 。大正天皇大嘗祭の悠紀田跡。祭場跡は、悠紀運動公園となっていたが、現在「悠紀の里」として再開発中。祭場跡では毎年6月上旬に「お田植え祭り」(岡崎市無形民俗文化財)が行われている。当時の用具やお田植え祭りの用具が展示されている「六ツ美民俗資料館」がある(1919年(大正8年)建立の斎田記念館に由来)。中島八幡社に斎田の榊が移植されており、また大正天皇を祭った大正宮がある。斎田跡の斎田公園には記念碑がある。
- 大正大嘗祭主基田:香川県綾歌郡綾川町山田上。大正天皇大嘗祭の主基田跡。「主基斎田之碑」がある。斎田が現存し、毎年6月に「お田植えまつり」が実施されている。その他、三豊市豊中町に「主基斎田御筵の碑」、「主基斎田風俗歌の碑」、綾川町山田上に「主基斎田耕牛 千代号の碑」が現存。香川県立農業経営高等学校は主基斎田選定を記念して設立された学校。
- 昭和大嘗祭悠紀田:滋賀県野洲市三上。御上神社のそば。昭和天皇大嘗祭の悠紀田跡。斎田と「悠紀斎田記念碑」がある。毎年5月にお田植え祭りを実施。悠紀地方記念館があったが、1961年(昭和36年)の室戸台風で倒壊。悠紀斎田記念田。
- 昭和大嘗祭主基田:福岡県福岡市脇山村。昭和天皇大嘗祭の主基田跡。「大嘗祭主基斎田碑」がある。お田植舞が行われている。脇山中央公園。
- 平成大嘗祭悠紀田:秋田県南秋田郡五城目町大川地区。今上天皇大嘗祭の悠紀田跡。「平成悠紀の里」碑がある。秋田県神社庁が県内各地持ち回りで、悠紀田を記念する祭典を行なっている。
- 平成大嘗祭主基田:大分県玖珠郡玖珠町小田。今上天皇大嘗祭の主基田跡。斎田跡の現状は不明。嵐山滝神社に「平成大嘗祭主基地方の碑」がある。
風俗屏風
- 明治大嘗祭:樋口守保、狩野芳信
- 大正大嘗祭:野口小蘋、竹内栖鳳
- 昭和大嘗祭:川合玉堂、山元春挙
- 平成大嘗祭:東山魁夷、高山辰雄
- 令和大嘗祭:
前近代の斎田
- 尾張・渋川神社:愛知県尾張旭市印場元町北島。天武天皇の大嘗祭悠紀田という。
- 天武主基田:京都府舞鶴市千歳。天武天皇の主基田という。
- 熱池八幡社:愛知県西尾市熱池町。貞観元年(859)清和天皇の悠紀斎田という。
- 近江・白川神社:滋賀県甲賀市。光格天皇・孝明天皇の悠紀斎田抜穂調整所になった。
- 大宮売神社:京都府京丹後市大宮町周枳。「丹後国大嘗祭主基斎田跡」碑。周枳社。周枳郷が主基の里となったという説がある。
- 備中・長尾神社:岡山県倉敷市玉島長尾。1068年(治暦4年)の後三条天皇主基田。祭神は誉田別命・大山津見命・大吉備津日根命ほか。村社。
- 本庄国司神社:岡山県総社市新本。主基田。
- 豊野主基田:岡山県加賀郡吉備中央町豊野。
- 紅井:京都府船井郡京丹波町豊田。他も。1818年(文政1年)の仁孝天皇大嘗祭の主基田。(日本歴史地名大系)
- 越前・大虫神社:福井県越前市大虫町。称徳天皇大嘗祭の主基田に関連した斎場となったという。官社。名神大社。県社。
- 七日子神社:山梨県山梨市七日市場。村社。「古来より当地の米は大嘗会のため、朝廷に貢物として送られ」たという(『日本歴史地名大系』)。
参考
- 多久頭神社:長崎県対馬市。通称は悠紀の宮。官社。郷社。
- 天神多久頭多麻命神社:長崎県対馬市。通称は主基の宮。官社。郷社。
歌枕
- 佐良山:859年(貞観1年)の清和天皇大嘗祭の歌に「美作やくめのさら山さらさらにわがなはたてじよろづよまでに」とある。神南備山(津山市一方)説、笹山(津山市福田)説、嵯峨山(津山市中島)説など。
- 玉緒山:888年(仁和4年)、宇多天皇大嘗祭で「がまふののたまのを山にすむつるの千とせは君がみよのかずなり」(作者不明)と詠われた。
- 長良:兵庫県篠山市野中。924年(延長2年)の大嘗祭で大江匡房は「はるばると年もはるかに見ゆるかな長良の村のなかいこのいね」と詠んでいる。長柄。永良。
- 高倉山:岡山県高梁市。946年(天慶9年)の大嘗祭で「雲のうへに万代とのみ聞ゆるは高倉山の声にぞありける」と詠まれた。後冷泉天皇大嘗祭や1074年(承保1年)の大嘗祭でも詠まれた。
- 千年山:京都府亀岡市千歳町出雲。出雲大神宮の神体山。970年(天禄1年)の大嘗祭で能宣が「今年より千年の山は声絶えず君が御代をぞ祈るべらなる」、藤原光範が「ちとせ山神の代させる榊葉の栄えまさるは君がためとか」と詠む。
- 安良:滋賀県草津市穴村町。1012年(長和1年)の大嘗祭歌に「諸人の願ふ心の近江なる安良の里の安らけくして」とある安良の地がこの周辺という。安羅神社がある。
- 富緒川:安場川。京都府綾部市大島。1012年(長和1年)の大嘗祭で「天の下富緒川の末なればいづれの秋か潤はざるべき」と詠まれた。
- 長田山:穴門山神社(岡山県高梁市川上町高山市)説、長田(岡山県高梁市成羽町中野)説がある。1016年(長和5年)の後一条天皇大嘗祭で善滋為政が「千代とのみおなじことをぞしらぶなるながたの山のみねの松かぜ」と詠んだ。
- 荒木神社:京都府福知山市堀荒木。官社。村社。1036年(長元9年)の後朱雀天皇大嘗祭で藤原義忠が詠んだ「常磐なる神なび山の榊葉をさしてぞ祈るよろづよのため」の「神なび山」が荒木神社の神体山である神並山(荒木山)のことだという。
- 河牟奈備神社:京都府綾部市十倉名畑町。1036年(長元9年)の後朱雀天皇の大嘗祭と、1182年(寿永1年)の大嘗祭(安徳天皇?)の時、神楽歌として神奈備山が歌われた。官社。郷社。
- 永宮峠:1036年(長元9年)の後朱雀天皇大嘗祭の屏風に描かれた。
- 柏島:岡山県倉敷市玉島柏島。かつては瀬戸内の島だった。藤原家経が1046年(永承1年)の大嘗祭で「ししに生る柏島の青柏いのりわたりて卯月にそとる」と詠んだ。
- 妹山:岡山県倉敷市真備町妹。1046年(永承1年)、藤原家経が「秋深みうかぶかげさへなりや河妹山のもみぢ色そえてみゆ」と詠む。
- 二万の里:岡山県倉敷市真備町上二万・下二万。1046年(永承1年)の後冷泉天皇大嘗祭で藤原家経が「みつぎものはこぶよほろをかぞふればにまのさと人かずそひにけり」と詠む。
- 岩倉山神社:岡山県井原市岩倉町。1068年(治暦4年)の大嘗祭で藤原経衡が詠んだ歌「常盤なる石くら山の今よりはおほくの年をつまんとすらん」の「石くら山」だという。また正安の大嘗祭で大蔵卿隆教(九条隆教?)が詠んだ「謡ふらし世を治れと石倉の村の諸人もろこゑにして」の「岩倉の村」もこの地だという。
- 上田:兵庫県丹波市市島町上田。1074年(承保1年)の白河天皇大嘗祭の主基国風俗歌として大江匡房が「ちはやぶるかみたのさとのいねなればつき日とともにひさしかるべし」と詠んだ。
- 長尾山:京都府福知山市長尾。承保、久寿、平治、仁安の大嘗祭屏風歌詞に登場。
- 雲田:京都府福知山市萩原雲田。1159年(平治1年)の大嘗祭で藤原範兼が「天地の極めも知らぬ御代なれば雲田の村の稲をこそつけ」と詠んだ。
- 由良川:平治、仁安の大嘗祭屏風歌詞書で詠まれた。
- 坂田:近江国坂田郡。1166年(仁安1年)の大嘗祭で藤原俊成が「あふみのや坂田のいねをかけつみて道ある御世のはじめにぞつく」と詠む。
- 長田:京都府福知山市長田。藤原兼光の1182年(寿永1年)の大嘗祭歌に「神代よりけふの為とや八束穂に長田の稲のしなひ初めけむ」とある。あるいは後鳥羽天皇の1184年(元暦1年)の大嘗祭歌とも。
- 三上山:滋賀県野洲市三上。御上神社の神体山。1184年(元暦1年)の大嘗祭で藤原季経が「ときはなるみかみの山のすぎむらややほ万代のしるしなるらん」と詠む。
- 神島:岡山県笠岡市神島。1198年(建久9年)の大嘗祭で日野資実が「神しまの浪の白ゆふかけまくもかしこき御世のためしとぞみる」と詠んだ。近くに神島神社がある。
- 応神山:岡山県笠岡市笠岡。加佐米山。1288年(正応1年)の大嘗祭で九条隆博が「あめが下かさめの山の草木まで春のめぐみの露ぞあまねき」と詠んだ。
- 篠神社:京都府綾部市高槻町。1818年(文政1年)の大嘗祭の神楽歌に歌われた。
- 鏡山:滋賀県蒲生郡竜王町。897年(寛平9年)醍醐天皇大嘗祭、大伴黒主は「近江のや鏡の山をたてたれはかねてそ見ゆる君か千年は」と詠んだ。
資料
古典籍
- 『貞観儀式』:
- 『延喜式』:
- 『兵範抄』:
- 『北山抄』:
- 『代始和抄』:一条兼良著。1478年(文明10年)。「御禊行幸事」「大嘗会事」の章がある。『群書類従』所収。
- 『大嘗会御禊部類記』:朱雀天皇・村上天皇の禊の記録
- 『大嘗会御禊節下次第』:『群書類従』93所収。
- 『延慶二年大嘗会御禊記』:1309年(延慶2年)。後伏見天皇の日記『後伏見天皇宸記』の一部。『群書類従』93所収。
- 『大嘗会御禊日例』:『群書類従』93所収。
- 『大嘗会御禊事』:『群書類従』93所収。
- 『康治元年大嘗会記』:1142年(康治1年)近衛天皇。『群書類従』94所収。
- 『正安三年大嘗会記』:1301年(正安3年)後二条天皇。『群書類従』94所収。
- 『永和大嘗会記』:1375年(天授1年/永和1年)後円融天皇。『群書類従』95所収。国文学研究資料館鵜飼文庫[1]。静岡県立中央図書館葵文庫[2]。
- 『永享大嘗会記』:1430年(永享2年)後花園天皇。『康富記』の一部。『群書類従』95所収。
- 『大嘗会延引勘例』:『群書類従』95所収。
- 『長元大嘗会御屏風本文』:1036年(長元9年)後朱雀天皇。『群書類従』95所収。
- 『延慶大嘗会記』:1309年(延慶2年)花園天皇。『続群書類従』275所収。
- 『応永大嘗会記 増補』:1415年(応永22年)称光天皇。『続群書類従』276・『続群書類従』拾遺所収。
- 『大嘗会小忌抄』:『続群書類従』314所収。
- 『延慶二年十月大嘗会御禊行幸記』:1309年(延慶2年)花園天皇。洞院公賢の日記『園太暦』逸文。
- 『称光院大嘗会御記』:1415年(応永22年)称光天皇。後崇光院伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』の一部。
- 『大嘗会和歌集』:[3]
近世大嘗祭の記録
近世以降の研究書
- 『大嘗会便蒙』:国文学研究資料館鵜飼文庫[9]、『荷田春満全集』[10]、
- 『大嘗会儀式具釈』:『荷田春満全集』[11]
- 『大嘗会便蒙御咎顛末』:『荷田春満全集』[12]
- 『大嘗会私考』:佐藤清臣著。
- 『伯家部類』「大嘗会之事」:谷口祐之編。1754年(宝暦4年)。
- 伊能穎則『大嘗祭儀通覧』[13]
- 『大嘗会一会雑記』[14]
- 『大嘗祭儀器図巻』:四天王寺国際仏教大学図書館旧恩頼堂文庫。
- 『御大礼図譜』[15]