ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

雅楽

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(?年表)
(?種別)
26行: 26行:
*左方:高麗楽、林邑楽
*左方:高麗楽、林邑楽
-
*狛氏:祖の好行は高麗国から渡来した滋井因叶の子で大宰府の楽師だったという。左方舞を担当。小野妹子の末裔の5代衆行は冷泉天皇代で勅命で興福寺雑掌となり9代光高の時に山城国狛里に住んで、一条天皇代に狛氏の姓を賜ったともいう。
+
*狛氏:祖の好行は高麗国から渡来した滋井因叶の子で[[大宰府]]の楽師だったという。左方舞を担当。[[小野妹子]]の末裔の5代衆行は冷泉天皇代で勅命で興福寺雑掌となり9代光高の時に山城国狛里に住んで、一条天皇代に狛氏の姓を賜ったともいう。
-
*多氏:太安万侶の後裔という。右方舞を担当。
+
*秦氏:聖徳太子に使えた[[秦河勝]]の末裔という。太秦氏。
 +
*多氏:[[太安万侶]]の後裔という。右方舞を担当。
*山村氏:東大寺
*山村氏:東大寺
*玉手氏:薬師寺
*玉手氏:薬師寺

2021年9月5日 (日) 時点における版

雅楽。伎楽や舞楽も扱う。

楽所

  • 雅楽寮:
  • (大歌所)
  • (内教坊)
  • 式部職楽部:天王寺楽所の系統を伝える。
  • 大内楽所:三方楽所の一つ。京都楽所
  • 南都楽所:三方楽所の一つ。春日大社興福寺に付属。四辻家が所管。事務所が氷室神社にあった。応仁の乱で途絶えた旧京都楽所の系統を伝える。
  • 天王寺楽所:三方楽所の一つ。四天王寺に付属。
  • 紅葉山楽所:紅葉山東照宮に付属。

種別

  • 印度楽
  • 百済楽
  • 新羅楽
  • 渤海楽
  • 呉楽:伎楽
  • 度羅楽
  • 高麗楽
  • 林邑楽
  • 唐楽


  • 右方:唐楽、百済楽、新羅楽、渤海楽
  • 左方:高麗楽、林邑楽
  • 狛氏:祖の好行は高麗国から渡来した滋井因叶の子で大宰府の楽師だったという。左方舞を担当。小野妹子の末裔の5代衆行は冷泉天皇代で勅命で興福寺雑掌となり9代光高の時に山城国狛里に住んで、一条天皇代に狛氏の姓を賜ったともいう。
  • 秦氏:聖徳太子に使えた秦河勝の末裔という。太秦氏。
  • 多氏:太安万侶の後裔という。右方舞を担当。
  • 山村氏:東大寺
  • 玉手氏:薬師寺

年表

  • 允恭天皇代:允恭天皇崩御の時、新羅の楽人が多数参列したという。
  • 554年:百済から易・暦・医の博士と共に楽人が渡来。
  • 612年(推古20年):百済の味摩之が中国の呉で学んだという伎楽の舞を伝え、桜井の「土の舞台」で少年たちに教えたという(日本書紀)。
  • 675年(天武4年)2月:諸国に命じて朝廷に歌のうまい民や舞人を集める。
  • 683年(天武12年)1月18日:宮中で雅楽が演奏される。この時までに三国楽(三韓楽)が伝来していた。
  • 687年(持統1年)1月1日:「楽官奏楽」とある。
  • 701年(大宝1年):大宝律令制定。治部省に雅楽寮を設置。定員400人以上の大規模官庁だった。
  • 710年(和銅3年):平城京遷都
  • 731年(天平3年)7月:雅楽寮の定員改訂で度羅楽生62人追加。
  • 735年(天平7年):吉備真備聖武天皇に『楽書要録』を献上。
  • 736年(天平8年):仏哲が来日して林邑楽を伝える。以後、大安寺で伝習される。
  • 740年(天平12年)1月30日:渤海楽の初見。
  • 752年(天平勝宝4年)4月9日:東大寺大仏開眼会。歌舞が華やかに行われた。
  • 794年(延暦13年):平安京遷都。
  • 809年(大同4年)3月:林邑楽が雅楽寮の所轄になる。
  • 809年(大同4年):雅楽寮、40人に削減。
  • 821年(弘仁12年):『弘仁式』「内裏式」で宮中儀礼における雅楽の制度が定められる。
  • 9~10世紀:四箇法要、舞楽法要が形作られる。
  • 仁明天皇代:左方唐楽と右方高麗楽に再編。自然麿が活躍。
  • 948年(天暦2年)8月:近衛府の官人を主導で楽所を創設。雅楽寮の衰退と三方楽所の起源。
  • 一条天皇代:左方舞は狛氏、右方舞は多氏と定められる。
  • 長保年間:狛氏の南都奉仕を機に南都楽所が成立。石清水八幡宮から右方舞人の大神惟遠を迎える。
  • 1007年(寛弘4年)2月:左近将曹(楽所)の尾張兼時、藤原道長の子の舞の指導を行う。
  • 1017年(寛仁1年)9月:摂政藤原頼通、石清水八幡宮の競馬で右近将曹方の舞が見事だということで衣を与えたという。
  • 1018年(寛仁2年)10月:上東門院行幸のとき、雅楽寮は楽所行事人の指導を受けて奉仕した。
  • 1041年(長久2年)2月:北野天満宮行幸のとき、雅楽寮では舞装束が足りなかったので石清水八幡宮や八坂神社のものを借りたという。雅楽寮の衰退を示す。
  • 狛行光、春日大明神のお告げで地獄から蘇生したという。
  • 1136年(保延2年):春日大社若宮おん祭始まる。
  • 1180年(治承4年)12月28日:南都焼き討ち。
  • 1217年(建保5年):狛近真、氷室神社の社務となる。のち氷室神社が南都楽所の事務所となる。
  • 1233年(天福1年):狛近真、『教訓抄』を著す。雅楽書の原点。
  • 1322年(元亨2年):狛朝葛、『続教訓抄』編纂。
  • 1467年(応仁1年):10年続く応仁の乱で京都の楽人が離散。
  • 1512年(永正9年):京都方楽人豊原統秋が『体源鈔』編纂。
  • 正親町天皇の時代、三方楽所の体制ができる。天王寺楽所の楽人5人を京都に呼ぶ。
  • 後陽成天皇、南都楽人を京都に呼ぶ。
  • 1626年(寛永3年)9月:徳川家光上洛で京都楽所を整備。
  • 1642年(寛永19年):徳川家光、三方楽所から楽人を江戸の紅葉山東照宮に移し、紅葉山楽所が成立。
  • 1665年(寛文5年):徳川家康50回忌法要のため三方楽所が大挙して江戸で奉仕する。幕府から2000石を与えられた。
  • 1690年(元禄3年):京都方楽人の安倍季尚が『楽家録』を編纂。
  • 1870年(明治3年)11月:三方楽所廃止。太政官に雅楽局を設置。
  • 1871年(明治4年):式部寮雅楽課となる。
  • 1872年(明治5年):旧岡山藩伶人岸本芳秀、のちの吉備楽を創始。
  • 1873年(明治6年)5月:一般への神楽舞楽の伝習が解禁される。
  • 1873年(明治6年)8月:春日大社三旬のための伶人が廃止された。
  • 明治初年:東儀文礼、雅楽鳳明会を成立。東京で最古の民間雅楽会。
  • 1874年(明治7年)5月8日:旧南都楽所の残務処理の話し合いが行われ、芝葛忠に一任される。
  • 1874年(明治7年)6月3日:旧南都楽所の舞楽装束300点が春日大社に奉納された。氷室神社からも撤収する。
  • 1875年(明治8年):宮内省雅楽課
  • 1875年(明治8年)1月:春日大社で芝葛忠の指導で雅楽の稽古が始まる。
  • 1876年(明治9年):『明治選定譜』編纂。
  • 1879年(明治12年):四天王寺聖霊会復興。
  • 1883年(明治16年)4月14日:大元宗忠神社上棟式。黒住教で初めて吉備楽が演奏される。のち黒住教奏楽寮初代楽長となる小野元範らが演奏。
  • 1884年(明治17年):旧天王寺楽所の系譜を継ぎ、天王寺楽所雅亮会、設立。
  • 1884年(明治17年):宮内省式部雅楽課。
  • 1887年(明治20年):小野照崎神社の小野亮道が小野雅楽会を設立。
  • 1888年(明治21年):『明治選定譜』編纂。2回目。
  • 1888年(明治21年):宮内省式部雅楽部。
  • 1890年(明治23年)10月:岸本芳秀の門弟に学んだ小林岩松らにより金光教教祖大祭で初めて吉備楽を演奏する。
  • 1901年(明治34年):金光教に楽部が設置され、初代楽長に尾原音人が就任。
  • 1903年(明治36年)2月23日:奈良楽会設立。旧南都楽所の楽家を中心に結成。
  • 1915年(大正4年)5月2日~8日:東大寺大仏殿修復供養会。
  • 1915年(大正4年)11月1日:水谷川忠起春日大社宮司を会長として奈良雅楽会設立。翌年6月5日発会式。
  • 1916年(大正5年):平安雅楽会設立。平安義会を母体とする。現在は錦天満宮に拠点を置く。
  • 1921年(大正10年)4月11日~18日:法隆寺聖徳太子1300年御諱聖霊会。
  • 1921年(大正10年):宮内省楽部
  • 1932年(昭和7年)6月21日:春日大社を拠点として江見清風宮司を会長として「春日神社古楽保存会」設立。おん祭の古楽の保存。
  • 1935年(昭和10年):氷川神社を拠点として氷川雅楽会設立。
  • 1937年(昭和12年):聖聡500年遠忌にあたり増上寺を拠点として増上寺雅楽会設立。
  • 1940年(昭和15年)頃:築地本願寺を拠点として築地本願寺雅楽会設立。
  • この頃:高野山真言宗神奈川雅楽部、設立。
  • この頃:奈良県神職会の主催で「雅楽講習会」始まる。
  • 1944年(昭和19年):熱田神宮を拠点に熱田神宮桐竹会設立。
  • 戦後直後:氷室神社を拠点に南都晃耀会を設立。
  • 1948年(昭和23年)1月15日:春日神社古楽保存会、春日古楽保存会に改称。
  • 1949年(昭和24年)6月1日:総理府宮内庁式部職楽部。
  • 1950年(昭和25年):佼成雅楽会設立。立正佼成会
  • 1951年(昭和26年):天理大学雅楽部設立。
  • 1952年(昭和27年)3月29日:春日大社の舞楽が「助成の措置を講ずべき無形の文化財」に指定。
  • 1952年(昭和27年)10月12日~19日:東大寺大仏開眼1200年記念舞楽法要。
  • 1953年(昭和28年)8月1日:春日古楽保存会、『舞笛絹塵』出版。
  • 1954年(昭和29年)11月3日:法隆寺金堂落慶舞楽法要。
  • 1955年(昭和30年):宮内庁楽部の雅楽が重要無形文化財となる。
  • 1957年(昭和32年):女性中心の京都舞楽会設立。1985年(昭和60年)に女人舞楽原笙会と改称。
  • 1957年(昭和32年):福岡県筑紫野市の浄土真宗正行寺を拠点に三宝供養を目的に正行寺楽部を設立。1987年(昭和62年)筑紫楽所に改称。
  • 1965年(昭和40年):霊友会を母体とする霊友会雅楽部設立。
  • 1966年(昭和41年)11月:国立劇場開館。
  • 1968年(昭和43年)2月10日:春日古楽保存会から雅楽部門を独立させ、社団法人南都楽所を設立。
  • 1971年(昭和46年)10月2日:狛光高を祀る舞光社(氷室神社境内)の修復竣工奉告祭。宮内庁楽部からの参列。舞楽奉納。
  • 1976年(昭和51年):四天王寺の雅楽が重要無形文化財となる。
  • 1980年(昭和55年)10月15日~18日:東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要。伎楽を復元。
  • 1989年(平成1年):筑紫楽所、福岡県春日市平田台に雅楽御堂を建立。
  • 2009年(平成21年):ユネスコ無形文化遺産に雅楽が登録される。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%9B%85%E6%A5%BD」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール