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御霊信仰
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月28日 (水)
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==概要== | ==概要== | ||
- | + | '''御霊信仰'''は、祟りを起こす不慮の死を遂げた人物の神霊に対する信仰。[[霊神信仰]]、[[招魂社]]も参照。 | |
+ | 御霊神社と呼ばれる他、若宮神社、大王神社とも呼ばれる。 | ||
- | + | 祇園御霊会などの疫神信仰([[牛頭天王信仰]])とは一応、区別しておく。 | |
- | + | ||
- | + | 「祟りを起こしたというが神社はない」、「明確な祟りの記録はないが憤死して神社に祀られている」など、御霊信仰と呼んでいいのかどうか曖昧な事例も多いが、「祟りがあった」と認識されていたこと、神社などに祀られたことの2点を目安として、総合的に判断する。 | |
==歴史== | ==歴史== | ||
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--> | --> | ||
- | + | ==主な神社== | |
- | + | *[[五条・御霊神社]]:奈良県五條市。祭神は井上内親王。[[霊安寺]]鎮守。 | |
- | *[[五条・御霊神社]] | + | **火雷神社 |
- | *[[上御霊神社]] | + | **宮前霹靂神社 |
- | *[[下御霊神社]] | + | *[[上御霊神社]]:京都府京都市上京区。[[上出雲寺]]鎮守。 |
- | *[[北野天満宮]] | + | *[[下御霊神社]]:京都府京都市下京区。[[下出雲寺]]鎮守。 |
+ | *[[北野天満宮]]:京都府京都市北区。祭神は菅原道真。 | ||
+ | *[[上桂御霊神社]]:京都府京都市西京区。祭神は伊予親王など。 | ||
+ | *[[下桂御霊神社]]:京都府京都市西京区。祭神は橘逸勢など。 | ||
+ | *西寺御霊堂:京都府京都市南区。[[西寺]]鎮守。 | ||
+ | *[[八所御霊神社]]:奈良県奈良市秋篠町。[[秋篠寺]]鎮守。 | ||
+ | *[[元興寺・御霊神社]]:奈良県奈良市薬師堂町。祭神は井上内親王・他戸親王など。[[元興寺]]鎮守。 | ||
+ | *[[崇道天皇社]]:奈良県奈良市紀寺町。祭神は崇道天皇。[[璉珹寺]]鎮守。 | ||
- | |||
- | == | + | == 八所御霊 == |
- | + | 室町時代の吉田兼満著の『神祇拾遺』によると以下を八所御霊とする。 | |
- | * | + | *藤社:舎人親王 |
- | * | + | *京極上御霊:崇道天皇・吉備公(異本:吉備公) |
- | * | + | *京極下御霊:伊予親王 |
- | * | + | *高野御霊:藤原大夫人(異本:崇道天皇) |
- | * | + | *木津御霊:藤原広嗣 |
- | * | + | *上桂御霊:菅原天神 |
- | * | + | *下桂御霊:橘逸勢 |
- | * | + | *綴喜御霊:文屋宮田丸 |
- | ==== | + | ==人物と神社== |
- | *[[ | + | 以下のリストは没年順とする。 |
- | *[[ | + | ===奈良時代=== |
- | *[[ | + | *長屋王(684-729):高市皇子王子。天武天皇の皇孫。「長屋王の変」で自害に追い込まれた。怨霊になったと語られたのは事件当時ではなく、後世になってからのことであり、そのため目立った祭祀の対象にはなっていない。奈良県奈良市にある[[長屋王神社]]は長屋王邸跡に近年建てられたもの。奈良県生駒郡平群町に[[長屋王墓]]と妃の[[吉備内親王墓]]がある。 |
- | * | + | *[[舎人親王]](676-735):天武天皇皇子。[[藤森神社]]の祭神で、御霊神にみなされることがあるが理由は不明。墓所は所在不明だが、候補地として[[黄金塚陵墓参考地]]がある。 |
- | + | *[[藤原広嗣]](?-740):藤原宇合の長男。天平10年、大宰府に左遷。「藤原広嗣の乱」を起こして討たれた。[[玄昉]]を祟り殺したという。[[鏡神社]]、[[南都・鏡神社]]。[[藤原広嗣墓]]。 | |
- | *[[ | + | *[[吉備真備]](695-775):貴族。学者。吉備氏。左遷と出世を繰り返すが、怨霊になる動機がないと昔から指摘されている。 |
- | *[[ | + | *[[井上内親王]](717-775):光仁天皇の皇后。聖武天皇の皇女。天皇を呪詛したとして廃后され、幽閉。藤原百川に毒殺されたともいう。百川は祟りを受けて死んだという。顕著な怨霊の初例とされる。[[五条・御霊神社]]祭神。[[井上内親王陵]]。 |
- | *[[ | + | *他戸親王(761-775):光仁天皇第四皇子。生母の井上内親王の呪詛事件で廃太子となり、幽閉。藤原百川に毒殺されたともいう。[[他戸親王墓]]。 |
+ | *[[崇道天皇]](750-785):本名は早良親王。光仁天皇第二皇子。藤原種継射殺事件に関連して謀反を企てたとされ、幽閉。淡路島に配流の途中で死去。桓武天皇に祟ったという。[[崇道天皇陵]] | ||
+ | *藤原吉子(?-807):桓武天皇妃。伊予親王の生母。「伊予親王の変」で親王と共に自害。「藤原夫人」。[[藤原吉子墓]](所在不明)。 | ||
+ | *[[伊予親王]](?-807):桓武天皇皇子。「伊予親王の変」で謀反の疑いをかけられ、乙訓寺に幽閉。生母藤原吉子と共に服毒して自害。平城天皇に祟ったという。[[伊予親王墓]] | ||
+ | *藤原仲成(764-810):藤原種継の長子。薬子の兄。「観察使」。「薬子の変」で討たれた。 | ||
+ | *[[橘逸勢]](?-842):官僚。橘氏。承和の変で配流。遠江で死去。[[下桂御霊神社]]。[[橘逸勢墓]]。 | ||
+ | *文室宮田麻呂(生没年不詳):官僚。謀反を疑われ、承和10年(843)伊豆配流。 | ||
- | ==== | + | ===平安時代=== |
+ | *[[菅原道真]](845-903):[[北野天満宮]]、[[太宰府天満宮]] | ||
+ | *[[平将門]](?-940):[[神田神社]] | ||
+ | *藤原忠文(873-947):[[末多武利神社]] | ||
+ | *頼豪(1004-1084):藤原有家の子。1004年(寛弘1年)生。1074年(承保1年)、[[白河天皇]]皇子誕生祈願が成就。1084年(応徳1年)5月4日、[[園城寺]]戒壇設置が認められず憤死。81歳。怨霊となり数千の鼠と化して[[延暦寺]]の経典を食い破ったという。延暦寺衆徒は鼠祠を祀ったこれをなだめたという。園城寺にも[[園城寺十八明神社]]として祀られている。実相房。 | ||
+ | *源義平(1141-1160):御霊神社(埼玉県東松山市) | ||
+ | *[[崇徳天皇]](1119-1164):[[白峰神宮]]、[[金刀比羅宮]] | ||
+ | *今井兼平(1152-1184):木曽義仲に従い挙兵。近江で討死。今井神社 | ||
+ | *[[弁慶]](?-1189):弁慶社([[闘鶏神社]]内) | ||
+ | *[[源義経]](1159-1189):[[藤沢・白旗神社]] | ||
+ | *平景清(生没年不詳):[[生目神社]]祭神。景清洞に景清明神という洞がある。 | ||
+ | *曽我兄弟: | ||
+ | *寛算(寛筭・桓算)(生没年不詳):僧侶。藤原師輔に祟ったという。天満宮に祀られることが多い。 | ||
+ | *藤原頼長():聖護院近くの[[崇徳院社]]に祀る(廃絶)。 | ||
+ | *平教盛():四社宮(香川県大水上神社境内) | ||
+ | *平経盛():四社宮 | ||
+ | *平資盛():四社宮 | ||
+ | *平有盛():四社宮 | ||
+ | |||
+ | ===鎌倉時代=== | ||
+ | *三浦義明(1092-1180):平安時代末の武将。平氏。源頼朝の挙兵に応じたが衣笠城を守って戦死。[[満昌寺御霊神社]]祭神。 | ||
+ | *平盛久(生没年不詳):壇ノ浦の合戦で敗れるが、斬首を免れたという。御霊信仰かどうかは微妙。盛久権現。[[盛久神社]]。 | ||
+ | *足利忠綱(生没年不詳):藤原氏足利家の末代。源平合戦に敗れ、皆沢で討たれたという。[[皆沢八幡宮]]に祀られた。 | ||
+ | *和田義盛(1147-1213):鎌倉幕府の初代侍所別当。北条家の陰謀により和田合戦で一族と共に滅亡。[[三浦・白旗神社|白旗神社]]祭神。 | ||
+ | *[[土御門天皇]](1195-1231):水無瀬神宮、新宮神社、[[阿波神社]]に祀られる。 | ||
+ | *[[後鳥羽天皇]](1180-1239):[[水無瀬神宮]]、[[鎌倉・新宮神社|新宮神社]]、[[隠岐神社]]に祀られる。 | ||
+ | *源実朝(1192-1219):鎌倉幕府3代将軍。頼朝の次男。柳営明神。柳営社祭神。[[鶴岡八幡宮]]内の[[鶴岡八幡宮・白旗神社|白旗神社]]に合祀。 | ||
+ | *[[順徳天皇]](1197-1242):水無瀬神宮、新宮神社、[[真野宮]]に祀られる。 | ||
+ | *道智(1217-1269):[[禅林寺]]15世。園城寺長吏。九条道家の子。[[南禅寺最勝院]]に祀られる。 | ||
+ | *渋谷有重(?-1281):入来院有重。元寇で戦死。若宮神社。[[重来神社]]に合祀。 | ||
+ | *東郷重親(1286-1308):渋谷重親。1308年(延慶1年)9月23日に淵脇山の穴で憤死。23歳。親大明神。[[紫尾神社]](親神社)。 | ||
+ | |||
+ | *矢瀬主馬佑:[[御津賀社]](人吉城、廃絶) | ||
+ | *平河藤高:[[山田大王神社]] | ||
+ | *平河義高:荒田大王神社 | ||
+ | *平河盛高:横瀬大王神社 | ||
+ | *平河師高:深田大王神社 | ||
+ | *平河重高:平川大王神社 | ||
+ | *緒方惟栄:二宮八幡社 | ||
+ | *大野泰基:二宮八幡社、御霊神社 | ||
+ | *木元夕路木:[[稲主神社]] | ||
+ | *讃岐局:源頼家の室で比企能員の娘。[[北条家]]に滅ぼされた。 蛇苦止明神。[[妙本寺]]蛇苦止堂に祀られる。 | ||
+ | |||
+ | ===南北朝・室町時代=== | ||
*[[新田義興]]:[[矢口・新田神社]] | *[[新田義興]]:[[矢口・新田神社]] | ||
- | + | *新田義氏():[[義氏神社]] | |
- | *[[ | + | *足利直義(1306-1352):足利尊氏の弟。尊氏と対立し、鎌倉で死去。毒殺とも。1362年(貞治1年)7月22日、天龍寺の近くに祠を建てて大蔵二位明神と称す(愚管記、建長寺年代記、鎌倉大日記)。1363年(貞治2年)7月1日、「大倉二位明神」号を贈る(鎌倉大日記)。大蔵明神とも(臥雲日件録)。墓所の大休寺に神廟があり、「大倉二位明神」と呼ばれた(大日本地名辞書)。 |
- | *[[ | + | *足利義嗣(1394-1418):足利義満の子。新大蔵明神の号が贈られた(臥雲日件録)。 |
- | *[[ | + | *吉田清存(?-1352):薩摩国鹿児島郡の吉田城主の吉田位清の弟。兄弟は不和にして弟は1352年(文和1年)3月23日自害に追い込まれた。清存の怨霊が出現し、[[薩摩・吉田神社|吉田権現]]として祀られた。 |
- | + | *義昭(1405?-1441):[[足利義満]]の子。大覚寺門跡31世。1437年、異母兄の将軍将軍足利義教に対抗して吉野で反乱を起こした。九州に逃れ、島津忠国に討たれる。[[永徳寺]](宮崎県)などに墓。大覚寺八幡宮、福島大明神([[福島金谷神社]])として祀られた。菩提寺は大興寺。金谷神社の社伝によると1498年(明応7年)9月25日、島津忠朝が吉田兼倶に頼んで後土御門天皇の勅で福島大明神と号したという。 | |
- | + | *島津忠国(1403-1470):[[島津家]]9代。子の立久に実権を奪われたことについてクーデター説もある。1496年(明応5年)に神像が制作され、翌年、[[小城権現社]]に祀られた。小城権現社は[[鶴嶺神社]]に合祀されたと思われる。 | |
- | *[[ | + | *宣澄(?-1468):[[戸隠山]]の天台宗僧侶。山内の争論で真言宗の僧侶に暗殺され、亡霊となったという。[[宣澄社]]。 |
- | + | ||
- | * | + | |
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- | + | 南朝関係は[[南朝人物旧跡]]を参照 | |
- | + | ||
- | + | ===戦国時代=== | |
- | == | + | *[[九鬼澄隆]]():[[九鬼岩倉神社]] |
- | -- | + | *菊姫():[[増福院]] |
- | + | *相良治頼():西村大王神社、治頼神社 | |
- | == | + | *城井鎮房():[[城井神社]] |
- | + | *城井朝房():祟りが起こったので宇都宮神社(玉東町木葉)に合祀。 | |
+ | *城井鎮房の家臣():扇城神社 | ||
+ | *上村長種():若宮神社(上村白髪神社内)。相良長種。 | ||
+ | *上村頼孝():正宮八幡(上村白髪神社内) | ||
+ | *上村頼継():大王神社(上村白髪神社内) | ||
+ | *伊東祐邑(?-1486):伊東祐国の弟。1486年(文明18年)継承争いで暗殺され、祟をなす。1531年(享禄4年)12月13日、伊東祐充は朝廷から加護八幡宮の神号を得て一乗院で供養したという。[[加護神社]]。 | ||
+ | *大友政親(?-1496):戸室御霊社 | ||
+ | *少弐高経(?-1497):戦国時代の武将。大内義興に討たれた。[[境原若宮神社]]に合祀。 | ||
+ | *大野泰基():野村御霊神社、二宮八幡社 | ||
+ | *小野道好(政次)():井伊家の家老。主君を裏切り処刑されたが、祟ったとされ、但馬明神として祀られたという。[[遠江引佐・二宮神社]]内の天王社に合祀された。 | ||
+ | *佐伯惟治(?-1527):戦国武将。栂牟礼城主。大友義鑑の配下にいたが、謀叛の疑いで討たれた。[[佐伯惟治墓]]。祟りを起こしたとされ、富尾権現・鴟尾権現として豊後や日向の各地に祀られた。 | ||
+ | *宍戸隆忠(?-1529):宍戸元源の次男という。1529年(異説あり)に家臣に暗殺され、奇異を起こしたとされる。[[宍戸神社]]など。 | ||
+ | *[[吉川興経]](1508-1550):戦国武将。毛利元就の策略で家を乗っ取られ殺害された。[[吉香神社]]に祀られた。 | ||
+ | *島津忠兼(?-1565):讒言され殺された。若宮大明神。 | ||
+ | *隈姫(生没年不詳):島津義弘の妻と伝える。人吉領主の相良義日(不詳)の娘。両家の不和で離縁。和睦を望んだが果たさず自害。宝現大明神。[[隈媛神社]]祭神。 | ||
+ | *真田清鏡():[[在庁神社]]は岩手県盛岡市にある霊社。浅岸薬師神社内。また清鏡神社? | ||
+ | *朝倉義景(1533-1573):戦国時代の越前の武将。織田信長に敗れた。祟りを恐れた松平家が[[安波賀春日神社]]境内の瀧殿社に祀った。 | ||
+ | *内空閑鎮信(?-1574):津奈木で戦死。熊本県熊本市北区植木町山本の今宮霊社(正院厳島神社)に祀る。 | ||
+ | *北畠具教(1528-1576):[[北畠家]]。織田信長に降るが謀略で旧臣に殺害された。[[三瀬・北畠神社]]の祭神。北畠具教胴塚、北畠具教首塚。 | ||
+ | *築山殿(1542-1579):徳川家康の正室。信康の生母。信康と共に処刑された。岡崎八柱神社。 | ||
+ | *松平信康(1559-1579):徳川家康の長男。武田勝頼と内通を疑われて自害。[[出羽・中山神社]]、岡崎若宮八幡宮。[[復鎮霊社]]。 | ||
+ | *[[明智光秀]](1528-1582):戦国武将。豊臣秀吉に敗れた。[[福知山・御霊神社]] | ||
+ | *入来院重豊(?-1583):嗣子なく入来院家は島津家に乗っ取られた形となった。広瀬神社。重来神社に合祀か。 | ||
+ | *柴田勝家(?-1583):戦国大名。織田信長の家臣。自害後に城下の人々が御霊を慰めるために祠に祀ったという([[柴田神社]])。 | ||
+ | *吉良親実(1563-1588):戦国武将。長宗我部家の継承争いで自刃。[[吉良神社]](木塚明神)、[[土佐安田・蓮池神社]]、[[葛岡神社]]に祀られた。 | ||
+ | *七人みさき:吉良親実と共に処刑された7人。七所神社(吉良神社境内)に祀る。 | ||
+ | **宗安寺如淵():真西堂。吉良親実の兄。[[臨済宗]]の僧侶。[[宗安寺]]住職。 | ||
+ | **永吉宗明():飛騨守。[[土佐神社]]神職。 | ||
+ | **勝賀野実信():次郎兵衛。重臣。 | ||
+ | **城ノ内太守坊(): | ||
+ | **吉良彦太夫(): | ||
+ | **小島甚四郎(): | ||
+ | **日和田与三右衛門(): | ||
+ | *比江山親興():[[比江山神社]]、比江山神社([[出雲大社土佐分祠]]境内)、比江山神社(香美市土佐山田町新改)。 | ||
+ | *津野親忠():長曽我部元親の子。内紛で長曽我部盛親の命で自刃。[[津野神社]]。 | ||
+ | *長曽我部家旧臣:山内家の入封に反対して成敗された旧臣たち。[[石丸神社]]。 | ||
+ | *池頼和(?-1593):細川氏の一族。長宗我部元親に謀反の疑いを掛けられ、自刃。高知市の清道寺の細川氏墓地に[[土佐・若宮明神社]]が建てられ祀られた。 | ||
+ | *江田隆貫():三次市松原八幡神社に御霊神社がある。 | ||
+ | *大蔵(生没年不詳):[[飯道寺岩本院]]の山伏。伊賀で自害。大蔵八幡宮に祀られた(下柘植の日置神社境内に遷座)。 | ||
+ | *九戸政実(?-1591):南部家に仕えた武将。南部家の当主を主張し、南部信直と対立して討伐された。[[政実神社]]([[九戸神社]]内)、[[九戸政実神社]]([[呑香稲荷神社]]内)、九戸神社(宮城県栗原市栗駒稲屋敷九ノ戸[https://dl.ndl.go.jp/pid/3005007/1/425])に祀られる。 | ||
+ | *波多親(生没年不詳):朝鮮出兵の遅参などで秀吉の怒りを買い滅亡。一族郎党の怨霊は「岸岳末孫」(キシダケバッソン)などの名で佐賀県各地に祀られている。 | ||
+ | *入来院重時(1573-1600):入来院重豊の養嗣子。関ヶ原の戦いで戦死。[[重来神社]]。 | ||
+ | *[[五十余洲神社]] | ||
+ | *島津歳久:[[平松神社]]。 | ||
+ | *島津忠明:[[西原神社]]。 | ||
+ | *島津忠次:若宮神社。 | ||
+ | *北原左馬頭():1557年(弘治3年)、伊東氏の攻められ自害した徳満城主北原左馬頭の霊を慰めるため、飯野城主北原民部少輔が宮崎県えびの市原田に剣神社を創建。 | ||
+ | *白坂兼次(生没年不詳):北原氏家臣。志和池城主。小山川原合戦で戦死。「兼次の亡霊に怪気がある」として新山寺に荒人三社大明神として祀られた。明治に科長神社境内に遷座。 | ||
+ | *大西元武():[[大西神社]] | ||
+ | |||
+ | ===江戸時代=== | ||
+ | *清玄坊():清玄坊神社 | ||
+ | *佐倉惣五郎(生没年不詳):怨霊となった義民。東勝寺宗吾霊堂、口ノ宮神社、[[義雲宮]]。 | ||
+ | *山家清兵衛(1579-1620):宇和島藩家老。政敵に暗殺された。[[和霊神社]]、[[丸之内和霊神社]]、[[桑坂山・和霊神社]]。 | ||
+ | *宮島平左衛門(?-1638):飛騨地方の鉱山開発の功労者だが、同僚の讒言で1638年(寛永15年)に横死した。高山城内に怪異が頻発したため領主が1641年(寛永18年)5月、その神霊を祀った。宮島霊神、平野明神と呼ばれ、[[飛騨・黄金神社]]の前身となった。 | ||
+ | *島津久章(?-1639):新城島津家初代当主。鹿児島藩により突如流刑処分となり、乱闘の結果殺害された。大和大明神。鹿児島県指宿市岩本に[[薩摩・大和神社]]があった。 | ||
+ | *小野尊俊():[[日御碕神社]]神職。[[松江・推恵神社]]、[[隠岐・推恵神社]] | ||
+ | *薫的(1625-1671):曹洞宗瑞応寺住職。異を唱えて投獄され獄死。[[薫的神社]]祭神。 | ||
+ | *村上兄弟():吾清霊社 | ||
+ | *松平永兼():暘谷霊社。[[松本神社]]。 | ||
+ | *牧野秀成():[[弥彦神社]]五所宮(祭祀は廃され十柱神社となる) | ||
+ | *多田加助():義民。貞享義民社。 | ||
+ | *小倉実起(1622-1684):公家。一度は皇太子と目されていた霊元天皇皇子(勧修寺宮済深親王)を出家させる決定に反対したところ、佐渡配流。霊元天皇を継いだ東山天皇の外戚の松木家邸内に祀られた。 | ||
+ | *高橋安之丞(?-1688):義民。若宮神社。 | ||
+ | *大竹与茂七(1678-1713):義民。[[五十志霊神社]] | ||
+ | *徳川宗春(1696-1764):[[孚式権現社]]。名古屋藩主。 | ||
+ | *お岩():四谷於岩稲荷田宮神社、新川於岩稲荷田宮神社。 | ||
+ | *お菊():お菊神社(姫路・十二所神社) | ||
+ | *柏巌門昌():祟りを起こすが、神社はない。 | ||
+ | *お花():林下寺お花大権現。 | ||
+ | *お綱():真光院お綱堂。 | ||
+ | *お花():お花善神([[徳守神社]]内) | ||
+ | *おきた姫(於喜多)():新田開発のために人柱にされたという。[[沖田神社]]祭神。 | ||
+ | *井原与右衛門():隠田の罪で一家処刑。六人塚。桜井神社に祀られた。 | ||
+ | *松平頼雄(1668-1718):西条藩世嗣。廃嫡された。邦安神社([[日前神宮]]内) | ||
+ | *門馬隆経():中村藩家老。体興霊神(涼ケ岡八幡神社内)。 | ||
+ | *僧侶某():今治の正福寺(現在の高野山今治別院。蔵敷八幡宮別当)住職。政治批判をして捕まり簀巻きにされて海に投じられた。のち藩主に祟る。恕霊神という名で蔵敷八幡(吹揚神社に合祀)の近くに祀られた。 | ||
+ | *恵林():弓立円通寺の僧。桜木明神に祀られた。 | ||
+ | *豊島忠松():神社はない? | ||
+ | *日忌様():謀殺した代官豊島忠松の亡霊に殺された25人の若者。 | ||
+ | *七人童子(-1750):権兵衛神社(香川県笠岡) | ||
+ | *養心院():林姫。7代多久茂尭長女。[[西原神社]]に祀られた。 | ||
+ | *朝鮮人の童子二人():多久安順が慶長の役で連行してきた子供。道に迷っていたところを連れ帰った。あまりに賢いので警戒して処刑したが、処刑した家臣の家に凶事が続いた。そのため高麗権現として祀った。多久市多久町。松山墓地の入口にある。 | ||
+ | *馬之助():[[馬之助神社]]。 | ||
+ | *一木政利():[[野中兼山]]の側近。土木家。室津港改修の際に人柱になったという。[[一木神社]]に祀る。 | ||
+ | *吉原玄宅():高崎藩士。医師。源空寺玄宅堂に祀られる。 | ||
+ | |||
+ | ==東大寺修二会神名帳に登場する御霊神== | ||
+ | 由来がはっきりしない。 | ||
+ | *八島御霊:[[島田神社]]? | ||
+ | *霊安寺御霊:[[五条・御霊神社]] | ||
+ | *西寺御霊:[[西寺御霊堂]] | ||
+ | *普光寺御霊: | ||
+ | *天満天神:[[北野天満宮]]? | ||
+ | *先生御霊: | ||
+ | *氷室御霊: | ||
+ | *木辻御霊: | ||
+ | *大道御霊: | ||
+ | *塚上御霊: | ||
+ | *葛下郡御霊: | ||
+ | |||
+ | ==その他== | ||
+ | *[[鎌倉権五郎信仰]] | ||
+ | **[[梶原御霊神社]]:神奈川県鎌倉市梶原。村社。景時の墓と伝える五輪塔がある。別当は等覚寺。 | ||
+ | **[[坂之下御霊神社]]:神奈川県鎌倉市坂ノ下。村社。 | ||
+ | **[[大阪・御霊神社]]:大阪府大阪市中央区淡路町。摂津国西成郡。府社。 | ||
+ | **[[村岡御霊神社]]:神奈川県藤沢市宮前。 | ||
+ | **[[五霊神社]]:群馬県高崎市貝沢町。 | ||
+ | **[[三浦・御霊神社]]:神奈川県三浦郡葉山町長柄。祭神は大己貴命だが、元は平景政と言われた。村社。 | ||
+ | *[[那須・御霊神社]]:栃木県那須郡那珂川町恩田。那須与一を祀る。 | ||
+ | *[[小野御霊神社]]:京都府京都市左京区大原上野町。[[惟喬親王]]を祀る。 | ||
+ | *[[大津鳥居川・御霊神社]]:滋賀県大津市鳥居川町。[[弘文天皇]]を祀る。敗戦後ここに逃れて没したとも。 | ||
+ | *[[大津北大路・御霊神社]]:大津市北大路。[[弘文天皇]]を祀る。没地の瀬田橋に近い。 | ||
+ | *[[大津大江・御霊神社]]:滋賀県大津市大江。[[弘文天皇]]を祀る。近江国庁跡に近い。 | ||
+ | *[[木津御霊神社]]:京都府木津川市木津宮ノ裏。祭神は藤原広嗣、早良親王、伊予親王。 | ||
+ | *御霊神社:京都府木津川市加茂町。[[山城国分寺]]跡にあったが発掘調査のために現在地に遷座。[[恭仁神社]]に合祀。 | ||
+ | *[[灯明寺御霊神社]]:京都府木津川市加茂町兎並寺山。祭神は崇道天皇、井上内親王、長部親王、藤原吉子、文屋宮田麻呂、橘逸勢。 | ||
+ | *衣笠御霊神社([[六請神社]]):京都府京都市北区等持院中町。 | ||
+ | *[[正代御霊神社]]:埼玉県東松山市正代。源義平(悪源太)を祀る。平清盛暗殺を図ったが返り討ちにあった。 | ||
+ | *戸室・御霊神社:大分県臼杵市戸室。非業の死を遂げた藩主大友政親を祀る。 | ||
+ | *野村・御霊神社:大分県臼杵市野村。大友氏に滅ぼされた大野泰基を祀る。 | ||
+ | *大泊・御霊神社:大分県臼杵市大泊。「大友家の二階崩れの変」に巻き込まれ処刑された田口与一郎を祀る。 | ||
+ | *風成・御霊神社:大分県臼杵市風成。「大友家の二階崩れの変」に巻き込まれ処刑された田口与一郎の姉を祀る。 | ||
+ | *桑原・御霊神社:大分県臼杵市桑原。藤原広嗣を祀る。 | ||
+ | *[[恩智御霊神社]]:岡山県真庭市蒜山上福田。黒住宗忠が最初に奉斎された神社。廃絶。 | ||
+ | *御霊明神社:金子近範。埼玉県入間市木蓮寺。 | ||
+ | *[[大国魂神社]]:東京都府中市宮町。武蔵国総社。官幣小社。別表神社。主祭神の他に御霊大神を祀る、 | ||
+ | *[[夫荒神社]]:京都府京都市右京区宇多野福王子町。[[福王子神社]]内。丹波の氷室から氷を運ぶ途中に命を落とした役夫を祀るともいう。 (『日本歴史地名大系』) | ||
+ | *[[越前・松原神社]]:福井県敦賀市松原町。当初、[[白川家]]から「御霊大明神」の神号を授与された。 | ||
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2024年2月28日 (水) 時点における最新版
御霊信仰 |
目次 |
概要
御霊信仰は、祟りを起こす不慮の死を遂げた人物の神霊に対する信仰。霊神信仰、招魂社も参照。 御霊神社と呼ばれる他、若宮神社、大王神社とも呼ばれる。
祇園御霊会などの疫神信仰(牛頭天王信仰)とは一応、区別しておく。
「祟りを起こしたというが神社はない」、「明確な祟りの記録はないが憤死して神社に祀られている」など、御霊信仰と呼んでいいのかどうか曖昧な事例も多いが、「祟りがあった」と認識されていたこと、神社などに祀られたことの2点を目安として、総合的に判断する。
歴史
主な神社
- 五条・御霊神社:奈良県五條市。祭神は井上内親王。霊安寺鎮守。
- 火雷神社
- 宮前霹靂神社
- 上御霊神社:京都府京都市上京区。上出雲寺鎮守。
- 下御霊神社:京都府京都市下京区。下出雲寺鎮守。
- 北野天満宮:京都府京都市北区。祭神は菅原道真。
- 上桂御霊神社:京都府京都市西京区。祭神は伊予親王など。
- 下桂御霊神社:京都府京都市西京区。祭神は橘逸勢など。
- 西寺御霊堂:京都府京都市南区。西寺鎮守。
- 八所御霊神社:奈良県奈良市秋篠町。秋篠寺鎮守。
- 元興寺・御霊神社:奈良県奈良市薬師堂町。祭神は井上内親王・他戸親王など。元興寺鎮守。
- 崇道天皇社:奈良県奈良市紀寺町。祭神は崇道天皇。璉珹寺鎮守。
八所御霊
室町時代の吉田兼満著の『神祇拾遺』によると以下を八所御霊とする。
- 藤社:舎人親王
- 京極上御霊:崇道天皇・吉備公(異本:吉備公)
- 京極下御霊:伊予親王
- 高野御霊:藤原大夫人(異本:崇道天皇)
- 木津御霊:藤原広嗣
- 上桂御霊:菅原天神
- 下桂御霊:橘逸勢
- 綴喜御霊:文屋宮田丸
人物と神社
以下のリストは没年順とする。
奈良時代
- 長屋王(684-729):高市皇子王子。天武天皇の皇孫。「長屋王の変」で自害に追い込まれた。怨霊になったと語られたのは事件当時ではなく、後世になってからのことであり、そのため目立った祭祀の対象にはなっていない。奈良県奈良市にある長屋王神社は長屋王邸跡に近年建てられたもの。奈良県生駒郡平群町に長屋王墓と妃の吉備内親王墓がある。
- 舎人親王(676-735):天武天皇皇子。藤森神社の祭神で、御霊神にみなされることがあるが理由は不明。墓所は所在不明だが、候補地として黄金塚陵墓参考地がある。
- 藤原広嗣(?-740):藤原宇合の長男。天平10年、大宰府に左遷。「藤原広嗣の乱」を起こして討たれた。玄昉を祟り殺したという。鏡神社、南都・鏡神社。藤原広嗣墓。
- 吉備真備(695-775):貴族。学者。吉備氏。左遷と出世を繰り返すが、怨霊になる動機がないと昔から指摘されている。
- 井上内親王(717-775):光仁天皇の皇后。聖武天皇の皇女。天皇を呪詛したとして廃后され、幽閉。藤原百川に毒殺されたともいう。百川は祟りを受けて死んだという。顕著な怨霊の初例とされる。五条・御霊神社祭神。井上内親王陵。
- 他戸親王(761-775):光仁天皇第四皇子。生母の井上内親王の呪詛事件で廃太子となり、幽閉。藤原百川に毒殺されたともいう。他戸親王墓。
- 崇道天皇(750-785):本名は早良親王。光仁天皇第二皇子。藤原種継射殺事件に関連して謀反を企てたとされ、幽閉。淡路島に配流の途中で死去。桓武天皇に祟ったという。崇道天皇陵
- 藤原吉子(?-807):桓武天皇妃。伊予親王の生母。「伊予親王の変」で親王と共に自害。「藤原夫人」。藤原吉子墓(所在不明)。
- 伊予親王(?-807):桓武天皇皇子。「伊予親王の変」で謀反の疑いをかけられ、乙訓寺に幽閉。生母藤原吉子と共に服毒して自害。平城天皇に祟ったという。伊予親王墓
- 藤原仲成(764-810):藤原種継の長子。薬子の兄。「観察使」。「薬子の変」で討たれた。
- 橘逸勢(?-842):官僚。橘氏。承和の変で配流。遠江で死去。下桂御霊神社。橘逸勢墓。
- 文室宮田麻呂(生没年不詳):官僚。謀反を疑われ、承和10年(843)伊豆配流。
平安時代
- 菅原道真(845-903):北野天満宮、太宰府天満宮
- 平将門(?-940):神田神社
- 藤原忠文(873-947):末多武利神社
- 頼豪(1004-1084):藤原有家の子。1004年(寛弘1年)生。1074年(承保1年)、白河天皇皇子誕生祈願が成就。1084年(応徳1年)5月4日、園城寺戒壇設置が認められず憤死。81歳。怨霊となり数千の鼠と化して延暦寺の経典を食い破ったという。延暦寺衆徒は鼠祠を祀ったこれをなだめたという。園城寺にも園城寺十八明神社として祀られている。実相房。
- 源義平(1141-1160):御霊神社(埼玉県東松山市)
- 崇徳天皇(1119-1164):白峰神宮、金刀比羅宮
- 今井兼平(1152-1184):木曽義仲に従い挙兵。近江で討死。今井神社
- 弁慶(?-1189):弁慶社(闘鶏神社内)
- 源義経(1159-1189):藤沢・白旗神社
- 平景清(生没年不詳):生目神社祭神。景清洞に景清明神という洞がある。
- 曽我兄弟:
- 寛算(寛筭・桓算)(生没年不詳):僧侶。藤原師輔に祟ったという。天満宮に祀られることが多い。
- 藤原頼長():聖護院近くの崇徳院社に祀る(廃絶)。
- 平教盛():四社宮(香川県大水上神社境内)
- 平経盛():四社宮
- 平資盛():四社宮
- 平有盛():四社宮
鎌倉時代
- 三浦義明(1092-1180):平安時代末の武将。平氏。源頼朝の挙兵に応じたが衣笠城を守って戦死。満昌寺御霊神社祭神。
- 平盛久(生没年不詳):壇ノ浦の合戦で敗れるが、斬首を免れたという。御霊信仰かどうかは微妙。盛久権現。盛久神社。
- 足利忠綱(生没年不詳):藤原氏足利家の末代。源平合戦に敗れ、皆沢で討たれたという。皆沢八幡宮に祀られた。
- 和田義盛(1147-1213):鎌倉幕府の初代侍所別当。北条家の陰謀により和田合戦で一族と共に滅亡。白旗神社祭神。
- 土御門天皇(1195-1231):水無瀬神宮、新宮神社、阿波神社に祀られる。
- 後鳥羽天皇(1180-1239):水無瀬神宮、新宮神社、隠岐神社に祀られる。
- 源実朝(1192-1219):鎌倉幕府3代将軍。頼朝の次男。柳営明神。柳営社祭神。鶴岡八幡宮内の白旗神社に合祀。
- 順徳天皇(1197-1242):水無瀬神宮、新宮神社、真野宮に祀られる。
- 道智(1217-1269):禅林寺15世。園城寺長吏。九条道家の子。南禅寺最勝院に祀られる。
- 渋谷有重(?-1281):入来院有重。元寇で戦死。若宮神社。重来神社に合祀。
- 東郷重親(1286-1308):渋谷重親。1308年(延慶1年)9月23日に淵脇山の穴で憤死。23歳。親大明神。紫尾神社(親神社)。
- 矢瀬主馬佑:御津賀社(人吉城、廃絶)
- 平河藤高:山田大王神社
- 平河義高:荒田大王神社
- 平河盛高:横瀬大王神社
- 平河師高:深田大王神社
- 平河重高:平川大王神社
- 緒方惟栄:二宮八幡社
- 大野泰基:二宮八幡社、御霊神社
- 木元夕路木:稲主神社
- 讃岐局:源頼家の室で比企能員の娘。北条家に滅ぼされた。 蛇苦止明神。妙本寺蛇苦止堂に祀られる。
南北朝・室町時代
- 新田義興:矢口・新田神社
- 新田義氏():義氏神社
- 足利直義(1306-1352):足利尊氏の弟。尊氏と対立し、鎌倉で死去。毒殺とも。1362年(貞治1年)7月22日、天龍寺の近くに祠を建てて大蔵二位明神と称す(愚管記、建長寺年代記、鎌倉大日記)。1363年(貞治2年)7月1日、「大倉二位明神」号を贈る(鎌倉大日記)。大蔵明神とも(臥雲日件録)。墓所の大休寺に神廟があり、「大倉二位明神」と呼ばれた(大日本地名辞書)。
- 足利義嗣(1394-1418):足利義満の子。新大蔵明神の号が贈られた(臥雲日件録)。
- 吉田清存(?-1352):薩摩国鹿児島郡の吉田城主の吉田位清の弟。兄弟は不和にして弟は1352年(文和1年)3月23日自害に追い込まれた。清存の怨霊が出現し、吉田権現として祀られた。
- 義昭(1405?-1441):足利義満の子。大覚寺門跡31世。1437年、異母兄の将軍将軍足利義教に対抗して吉野で反乱を起こした。九州に逃れ、島津忠国に討たれる。永徳寺(宮崎県)などに墓。大覚寺八幡宮、福島大明神(福島金谷神社)として祀られた。菩提寺は大興寺。金谷神社の社伝によると1498年(明応7年)9月25日、島津忠朝が吉田兼倶に頼んで後土御門天皇の勅で福島大明神と号したという。
- 島津忠国(1403-1470):島津家9代。子の立久に実権を奪われたことについてクーデター説もある。1496年(明応5年)に神像が制作され、翌年、小城権現社に祀られた。小城権現社は鶴嶺神社に合祀されたと思われる。
- 宣澄(?-1468):戸隠山の天台宗僧侶。山内の争論で真言宗の僧侶に暗殺され、亡霊となったという。宣澄社。
南朝関係は南朝人物旧跡を参照
戦国時代
- 九鬼澄隆():九鬼岩倉神社
- 菊姫():増福院
- 相良治頼():西村大王神社、治頼神社
- 城井鎮房():城井神社
- 城井朝房():祟りが起こったので宇都宮神社(玉東町木葉)に合祀。
- 城井鎮房の家臣():扇城神社
- 上村長種():若宮神社(上村白髪神社内)。相良長種。
- 上村頼孝():正宮八幡(上村白髪神社内)
- 上村頼継():大王神社(上村白髪神社内)
- 伊東祐邑(?-1486):伊東祐国の弟。1486年(文明18年)継承争いで暗殺され、祟をなす。1531年(享禄4年)12月13日、伊東祐充は朝廷から加護八幡宮の神号を得て一乗院で供養したという。加護神社。
- 大友政親(?-1496):戸室御霊社
- 少弐高経(?-1497):戦国時代の武将。大内義興に討たれた。境原若宮神社に合祀。
- 大野泰基():野村御霊神社、二宮八幡社
- 小野道好(政次)():井伊家の家老。主君を裏切り処刑されたが、祟ったとされ、但馬明神として祀られたという。遠江引佐・二宮神社内の天王社に合祀された。
- 佐伯惟治(?-1527):戦国武将。栂牟礼城主。大友義鑑の配下にいたが、謀叛の疑いで討たれた。佐伯惟治墓。祟りを起こしたとされ、富尾権現・鴟尾権現として豊後や日向の各地に祀られた。
- 宍戸隆忠(?-1529):宍戸元源の次男という。1529年(異説あり)に家臣に暗殺され、奇異を起こしたとされる。宍戸神社など。
- 吉川興経(1508-1550):戦国武将。毛利元就の策略で家を乗っ取られ殺害された。吉香神社に祀られた。
- 島津忠兼(?-1565):讒言され殺された。若宮大明神。
- 隈姫(生没年不詳):島津義弘の妻と伝える。人吉領主の相良義日(不詳)の娘。両家の不和で離縁。和睦を望んだが果たさず自害。宝現大明神。隈媛神社祭神。
- 真田清鏡():在庁神社は岩手県盛岡市にある霊社。浅岸薬師神社内。また清鏡神社?
- 朝倉義景(1533-1573):戦国時代の越前の武将。織田信長に敗れた。祟りを恐れた松平家が安波賀春日神社境内の瀧殿社に祀った。
- 内空閑鎮信(?-1574):津奈木で戦死。熊本県熊本市北区植木町山本の今宮霊社(正院厳島神社)に祀る。
- 北畠具教(1528-1576):北畠家。織田信長に降るが謀略で旧臣に殺害された。三瀬・北畠神社の祭神。北畠具教胴塚、北畠具教首塚。
- 築山殿(1542-1579):徳川家康の正室。信康の生母。信康と共に処刑された。岡崎八柱神社。
- 松平信康(1559-1579):徳川家康の長男。武田勝頼と内通を疑われて自害。出羽・中山神社、岡崎若宮八幡宮。復鎮霊社。
- 明智光秀(1528-1582):戦国武将。豊臣秀吉に敗れた。福知山・御霊神社
- 入来院重豊(?-1583):嗣子なく入来院家は島津家に乗っ取られた形となった。広瀬神社。重来神社に合祀か。
- 柴田勝家(?-1583):戦国大名。織田信長の家臣。自害後に城下の人々が御霊を慰めるために祠に祀ったという(柴田神社)。
- 吉良親実(1563-1588):戦国武将。長宗我部家の継承争いで自刃。吉良神社(木塚明神)、土佐安田・蓮池神社、葛岡神社に祀られた。
- 七人みさき:吉良親実と共に処刑された7人。七所神社(吉良神社境内)に祀る。
- 比江山親興():比江山神社、比江山神社(出雲大社土佐分祠境内)、比江山神社(香美市土佐山田町新改)。
- 津野親忠():長曽我部元親の子。内紛で長曽我部盛親の命で自刃。津野神社。
- 長曽我部家旧臣:山内家の入封に反対して成敗された旧臣たち。石丸神社。
- 池頼和(?-1593):細川氏の一族。長宗我部元親に謀反の疑いを掛けられ、自刃。高知市の清道寺の細川氏墓地に土佐・若宮明神社が建てられ祀られた。
- 江田隆貫():三次市松原八幡神社に御霊神社がある。
- 大蔵(生没年不詳):飯道寺岩本院の山伏。伊賀で自害。大蔵八幡宮に祀られた(下柘植の日置神社境内に遷座)。
- 九戸政実(?-1591):南部家に仕えた武将。南部家の当主を主張し、南部信直と対立して討伐された。政実神社(九戸神社内)、九戸政実神社(呑香稲荷神社内)、九戸神社(宮城県栗原市栗駒稲屋敷九ノ戸[1])に祀られる。
- 波多親(生没年不詳):朝鮮出兵の遅参などで秀吉の怒りを買い滅亡。一族郎党の怨霊は「岸岳末孫」(キシダケバッソン)などの名で佐賀県各地に祀られている。
- 入来院重時(1573-1600):入来院重豊の養嗣子。関ヶ原の戦いで戦死。重来神社。
- 五十余洲神社
- 島津歳久:平松神社。
- 島津忠明:西原神社。
- 島津忠次:若宮神社。
- 北原左馬頭():1557年(弘治3年)、伊東氏の攻められ自害した徳満城主北原左馬頭の霊を慰めるため、飯野城主北原民部少輔が宮崎県えびの市原田に剣神社を創建。
- 白坂兼次(生没年不詳):北原氏家臣。志和池城主。小山川原合戦で戦死。「兼次の亡霊に怪気がある」として新山寺に荒人三社大明神として祀られた。明治に科長神社境内に遷座。
- 大西元武():大西神社
江戸時代
- 清玄坊():清玄坊神社
- 佐倉惣五郎(生没年不詳):怨霊となった義民。東勝寺宗吾霊堂、口ノ宮神社、義雲宮。
- 山家清兵衛(1579-1620):宇和島藩家老。政敵に暗殺された。和霊神社、丸之内和霊神社、桑坂山・和霊神社。
- 宮島平左衛門(?-1638):飛騨地方の鉱山開発の功労者だが、同僚の讒言で1638年(寛永15年)に横死した。高山城内に怪異が頻発したため領主が1641年(寛永18年)5月、その神霊を祀った。宮島霊神、平野明神と呼ばれ、飛騨・黄金神社の前身となった。
- 島津久章(?-1639):新城島津家初代当主。鹿児島藩により突如流刑処分となり、乱闘の結果殺害された。大和大明神。鹿児島県指宿市岩本に薩摩・大和神社があった。
- 小野尊俊():日御碕神社神職。松江・推恵神社、隠岐・推恵神社
- 薫的(1625-1671):曹洞宗瑞応寺住職。異を唱えて投獄され獄死。薫的神社祭神。
- 村上兄弟():吾清霊社
- 松平永兼():暘谷霊社。松本神社。
- 牧野秀成():弥彦神社五所宮(祭祀は廃され十柱神社となる)
- 多田加助():義民。貞享義民社。
- 小倉実起(1622-1684):公家。一度は皇太子と目されていた霊元天皇皇子(勧修寺宮済深親王)を出家させる決定に反対したところ、佐渡配流。霊元天皇を継いだ東山天皇の外戚の松木家邸内に祀られた。
- 高橋安之丞(?-1688):義民。若宮神社。
- 大竹与茂七(1678-1713):義民。五十志霊神社
- 徳川宗春(1696-1764):孚式権現社。名古屋藩主。
- お岩():四谷於岩稲荷田宮神社、新川於岩稲荷田宮神社。
- お菊():お菊神社(姫路・十二所神社)
- 柏巌門昌():祟りを起こすが、神社はない。
- お花():林下寺お花大権現。
- お綱():真光院お綱堂。
- お花():お花善神(徳守神社内)
- おきた姫(於喜多)():新田開発のために人柱にされたという。沖田神社祭神。
- 井原与右衛門():隠田の罪で一家処刑。六人塚。桜井神社に祀られた。
- 松平頼雄(1668-1718):西条藩世嗣。廃嫡された。邦安神社(日前神宮内)
- 門馬隆経():中村藩家老。体興霊神(涼ケ岡八幡神社内)。
- 僧侶某():今治の正福寺(現在の高野山今治別院。蔵敷八幡宮別当)住職。政治批判をして捕まり簀巻きにされて海に投じられた。のち藩主に祟る。恕霊神という名で蔵敷八幡(吹揚神社に合祀)の近くに祀られた。
- 恵林():弓立円通寺の僧。桜木明神に祀られた。
- 豊島忠松():神社はない?
- 日忌様():謀殺した代官豊島忠松の亡霊に殺された25人の若者。
- 七人童子(-1750):権兵衛神社(香川県笠岡)
- 養心院():林姫。7代多久茂尭長女。西原神社に祀られた。
- 朝鮮人の童子二人():多久安順が慶長の役で連行してきた子供。道に迷っていたところを連れ帰った。あまりに賢いので警戒して処刑したが、処刑した家臣の家に凶事が続いた。そのため高麗権現として祀った。多久市多久町。松山墓地の入口にある。
- 馬之助():馬之助神社。
- 一木政利():野中兼山の側近。土木家。室津港改修の際に人柱になったという。一木神社に祀る。
- 吉原玄宅():高崎藩士。医師。源空寺玄宅堂に祀られる。
東大寺修二会神名帳に登場する御霊神
由来がはっきりしない。
その他
- 鎌倉権五郎信仰
- 那須・御霊神社:栃木県那須郡那珂川町恩田。那須与一を祀る。
- 小野御霊神社:京都府京都市左京区大原上野町。惟喬親王を祀る。
- 大津鳥居川・御霊神社:滋賀県大津市鳥居川町。弘文天皇を祀る。敗戦後ここに逃れて没したとも。
- 大津北大路・御霊神社:大津市北大路。弘文天皇を祀る。没地の瀬田橋に近い。
- 大津大江・御霊神社:滋賀県大津市大江。弘文天皇を祀る。近江国庁跡に近い。
- 木津御霊神社:京都府木津川市木津宮ノ裏。祭神は藤原広嗣、早良親王、伊予親王。
- 御霊神社:京都府木津川市加茂町。山城国分寺跡にあったが発掘調査のために現在地に遷座。恭仁神社に合祀。
- 灯明寺御霊神社:京都府木津川市加茂町兎並寺山。祭神は崇道天皇、井上内親王、長部親王、藤原吉子、文屋宮田麻呂、橘逸勢。
- 衣笠御霊神社(六請神社):京都府京都市北区等持院中町。
- 正代御霊神社:埼玉県東松山市正代。源義平(悪源太)を祀る。平清盛暗殺を図ったが返り討ちにあった。
- 戸室・御霊神社:大分県臼杵市戸室。非業の死を遂げた藩主大友政親を祀る。
- 野村・御霊神社:大分県臼杵市野村。大友氏に滅ぼされた大野泰基を祀る。
- 大泊・御霊神社:大分県臼杵市大泊。「大友家の二階崩れの変」に巻き込まれ処刑された田口与一郎を祀る。
- 風成・御霊神社:大分県臼杵市風成。「大友家の二階崩れの変」に巻き込まれ処刑された田口与一郎の姉を祀る。
- 桑原・御霊神社:大分県臼杵市桑原。藤原広嗣を祀る。
- 恩智御霊神社:岡山県真庭市蒜山上福田。黒住宗忠が最初に奉斎された神社。廃絶。
- 御霊明神社:金子近範。埼玉県入間市木蓮寺。
- 大国魂神社:東京都府中市宮町。武蔵国総社。官幣小社。別表神社。主祭神の他に御霊大神を祀る、
- 夫荒神社:京都府京都市右京区宇多野福王子町。福王子神社内。丹波の氷室から氷を運ぶ途中に命を落とした役夫を祀るともいう。 (『日本歴史地名大系』)
- 越前・松原神社:福井県敦賀市松原町。当初、白川家から「御霊大明神」の神号を授与された。