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長田神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*大中春愛()<-1885>:世襲最後。55代。1885年(明治18年)退任。 | *大中春愛()<-1885>:世襲最後。55代。1885年(明治18年)退任。 | ||
*1林源吾(?-1914)<1885-1887>:1885年(明治18年)5月12日から1887年(明治20年)4月まで長田神社宮司。(略歴は、[[生田神社#組織]]を参照) | *1林源吾(?-1914)<1885-1887>:1885年(明治18年)5月12日から1887年(明治20年)4月まで長田神社宮司。(略歴は、[[生田神社#組織]]を参照) | ||
- | *2林立守()<> | + | *2林立守()<>:(略歴は、[[四條畷神社#組織]]を参照) |
- | *3檜垣常伯()<> | + | *3檜垣常伯()<>:松尾大社宮司。 |
*4赤川〓助(1843-1921)<1907-1921>:山口藩士。[[明倫館]]で学ぶ。維新後は内務官僚となり、秋田県令などを歴任。1902年(明治35年)2月3日、[[広田神社]]宮司。1903年(明治36年)2月6日、[[松尾大社]]宮司。1907年(明治40年)3月6日、長田神社宮司。1921年(大正10年)、在職で死去。(〓は章+夂+貢の下に心) | *4赤川〓助(1843-1921)<1907-1921>:山口藩士。[[明倫館]]で学ぶ。維新後は内務官僚となり、秋田県令などを歴任。1902年(明治35年)2月3日、[[広田神社]]宮司。1903年(明治36年)2月6日、[[松尾大社]]宮司。1907年(明治40年)3月6日、長田神社宮司。1921年(大正10年)、在職で死去。(〓は章+夂+貢の下に心) | ||
*5金原利道(?-1946)<?-1921>:1921年(大正10年)9月2日、[[沼名前神社]]宮司。(略歴は[[多賀大社#組織]]を参照) | *5金原利道(?-1946)<?-1921>:1921年(大正10年)9月2日、[[沼名前神社]]宮司。(略歴は[[多賀大社#組織]]を参照) | ||
*6矢野豁(1881-1945)<1921-1923>:愛媛県出身の神職。1921年(大正10年)9月2日から1923年(大正12年)1月24日まで長田神社宮司。(略歴は、[[玉前神社#組織]]を参照) | *6矢野豁(1881-1945)<1921-1923>:愛媛県出身の神職。1921年(大正10年)9月2日から1923年(大正12年)1月24日まで長田神社宮司。(略歴は、[[玉前神社#組織]]を参照) | ||
- | *7宮原正喬()<> | + | *7宮原正喬()<>:神宮神部署長 |
- | *8米野一馬()<> | + | *8米野一馬()<>:若狭彦神社宮司 |
- | *9藤巻正之()<> | + | *9藤巻正之()<>:伏見稲荷大社宮司 |
*10吉村清享(1873-1929)<1929-1929>:山口県出身の神職。1873年(明治6年)生。[[赤間宮]]禰宜、[[長門・住吉神社]]禰宜。1915年(大正4年)12月22日、[[忌宮神社]]宮司。1918年(大正7年)10月28日、[[神宮神部署]]主事。1924年(大正13年)2月4日、[[大神神社]]宮司。1926年(昭和1年)10月1日、[[津島神社]]宮司。1929年(昭和4年)3月5日、長田神社宮司。1929年(昭和4年)12月29日、在職で死去。著書『春祝 賀茂百樹大人還暦祝詞集』 。 | *10吉村清享(1873-1929)<1929-1929>:山口県出身の神職。1873年(明治6年)生。[[赤間宮]]禰宜、[[長門・住吉神社]]禰宜。1915年(大正4年)12月22日、[[忌宮神社]]宮司。1918年(大正7年)10月28日、[[神宮神部署]]主事。1924年(大正13年)2月4日、[[大神神社]]宮司。1926年(昭和1年)10月1日、[[津島神社]]宮司。1929年(昭和4年)3月5日、長田神社宮司。1929年(昭和4年)12月29日、在職で死去。著書『春祝 賀茂百樹大人還暦祝詞集』 。 | ||
- | * | + | *11高根政次郎(1882-1935)<>:(略歴は[[函館八幡宮#組織]]を参照) |
*12菊池武文(1871-1939)<-1939>:福島県出身。1871年(明治4年)生。1895年(明治28年)国学院大学卒。1915年(大正4年)[[砥鹿神社]]宮司。1916年(大正5年)[[諏訪大社]]宮司。1922年(大正11年)[[出羽三山神社]]宮司(1931-1922?)。[[厳島神社]]宮司。一時、[[皇典講究所]]に勤務。のち長田神社宮司。1939年(昭和14年)死去。 | *12菊池武文(1871-1939)<-1939>:福島県出身。1871年(明治4年)生。1895年(明治28年)国学院大学卒。1915年(大正4年)[[砥鹿神社]]宮司。1916年(大正5年)[[諏訪大社]]宮司。1922年(大正11年)[[出羽三山神社]]宮司(1931-1922?)。[[厳島神社]]宮司。一時、[[皇典講究所]]に勤務。のち長田神社宮司。1939年(昭和14年)死去。 | ||
*13満井成吉(1882-1968)<1939-1968>:大阪府出身。1882年(明治15年)生。1908年(明治41年)[[神宮皇学館]]本科卒。1925年(大正14年)[[多賀大社]]禰宜。1927年(昭和2年)[[多度大社]]宮司。1930年(昭和5年)[[伊勢神宮]]禰宜。1933年(昭和8年)[[日吉大社]]宮司。1939年(昭和14年)2月1日、長田神社宮司。1968年(昭和43年)5月31日退任。1957年(昭和32年)から1961年(昭和36年)まで兵庫県神社庁長。1968年(昭和43年)7月24日死去。86歳。 | *13満井成吉(1882-1968)<1939-1968>:大阪府出身。1882年(明治15年)生。1908年(明治41年)[[神宮皇学館]]本科卒。1925年(大正14年)[[多賀大社]]禰宜。1927年(昭和2年)[[多度大社]]宮司。1930年(昭和5年)[[伊勢神宮]]禰宜。1933年(昭和8年)[[日吉大社]]宮司。1939年(昭和14年)2月1日、長田神社宮司。1968年(昭和43年)5月31日退任。1957年(昭和32年)から1961年(昭和36年)まで兵庫県神社庁長。1968年(昭和43年)7月24日死去。86歳。 |
2024年2月2日 (金) 時点における版
長田神社 ながた じんじゃ | |
概要 | 神功皇后が神託を受けて創建した神社。 |
奉斎 | 事代主神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1 |
所在地(旧国郡) | 摂津国八部郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・官幣中社・別表神社 |
関連記事 | 事代主信仰 |
目次 |
概要
長田神社(ながた・じんじゃ)は、兵庫県神戸市長田区にある事代主神を祀る神社。神功皇后が広田神社、生田神社と共に建てたと伝える。須磨に元宮長田神社がある。
歴史
山背根子の娘の長媛が奉仕したとされる。 豊臣秀吉が社領55石を寄進。
境内
- 本殿:1924年(大正13年)焼失。1928年(昭和3年)再建。
- 天照皇大神社:祭神は天照皇大神。御垣内内。
- 八幡社:祭神は応神天皇。御垣内内。
- 蛭子社:祭神は蛭子神。
- 松尾社:
- 出雲社:祭神は大国主神。
- 月読社:祭神は月読神。
- 楠宮稲荷社:
- 熊鷹稲荷社:
- 神撫山遥拝所:神体山という神撫山(高取山)を遥拝する。
- 鬼室
- 神楽殿:
- 遙拝所:伊勢神宮の遙拝所か。
- 薬師堂:神仏分離で廃絶。
- 御船山:神功皇后が船を着けたところとも、長田神が鎮座するときに船具を埋納したところという、明治の中頃まで小さな丘があった。1897年(明治30年)苅藻川を拡張して堤防敷地としたため丘はなくなったという。1902年(明治35年)石碑建立。
- 元宮長田神社:兵庫県神戸市須磨区天神町。
- 長田神社吉田御旅所:兵庫県神戸市兵庫区吉田町。
- 長田神社一ノ谷御旅所:兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町。
組織
神主職は明治まで大中臣氏の大中家が世襲。
- 歴代宮司[1]
神主
- 大中臣房春()<>:初代?
- 大中臣行宗()<1159->:1159年(平治1年)就任。
- 大中臣盛行(-1221)<1195->:1195年(建久6年)就任。1221年(承久3年)死去。
- 大中臣盛清()<1220->:盛行の子。1220年(承久2年)就任。景盛に訴えられ、追放。
- 大中臣景盛()<1232->:盛行の子。1232年(貞永1年)就任。
宮司
- 大中春愛()<-1885>:世襲最後。55代。1885年(明治18年)退任。
- 1林源吾(?-1914)<1885-1887>:1885年(明治18年)5月12日から1887年(明治20年)4月まで長田神社宮司。(略歴は、生田神社#組織を参照)
- 2林立守()<>:(略歴は、四條畷神社#組織を参照)
- 3檜垣常伯()<>:松尾大社宮司。
- 4赤川〓助(1843-1921)<1907-1921>:山口藩士。明倫館で学ぶ。維新後は内務官僚となり、秋田県令などを歴任。1902年(明治35年)2月3日、広田神社宮司。1903年(明治36年)2月6日、松尾大社宮司。1907年(明治40年)3月6日、長田神社宮司。1921年(大正10年)、在職で死去。(〓は章+夂+貢の下に心)
- 5金原利道(?-1946)<?-1921>:1921年(大正10年)9月2日、沼名前神社宮司。(略歴は多賀大社#組織を参照)
- 6矢野豁(1881-1945)<1921-1923>:愛媛県出身の神職。1921年(大正10年)9月2日から1923年(大正12年)1月24日まで長田神社宮司。(略歴は、玉前神社#組織を参照)
- 7宮原正喬()<>:神宮神部署長
- 8米野一馬()<>:若狭彦神社宮司
- 9藤巻正之()<>:伏見稲荷大社宮司
- 10吉村清享(1873-1929)<1929-1929>:山口県出身の神職。1873年(明治6年)生。赤間宮禰宜、長門・住吉神社禰宜。1915年(大正4年)12月22日、忌宮神社宮司。1918年(大正7年)10月28日、神宮神部署主事。1924年(大正13年)2月4日、大神神社宮司。1926年(昭和1年)10月1日、津島神社宮司。1929年(昭和4年)3月5日、長田神社宮司。1929年(昭和4年)12月29日、在職で死去。著書『春祝 賀茂百樹大人還暦祝詞集』 。
- 11高根政次郎(1882-1935)<>:(略歴は函館八幡宮#組織を参照)
- 12菊池武文(1871-1939)<-1939>:福島県出身。1871年(明治4年)生。1895年(明治28年)国学院大学卒。1915年(大正4年)砥鹿神社宮司。1916年(大正5年)諏訪大社宮司。1922年(大正11年)出羽三山神社宮司(1931-1922?)。厳島神社宮司。一時、皇典講究所に勤務。のち長田神社宮司。1939年(昭和14年)死去。
- 13満井成吉(1882-1968)<1939-1968>:大阪府出身。1882年(明治15年)生。1908年(明治41年)神宮皇学館本科卒。1925年(大正14年)多賀大社禰宜。1927年(昭和2年)多度大社宮司。1930年(昭和5年)伊勢神宮禰宜。1933年(昭和8年)日吉大社宮司。1939年(昭和14年)2月1日、長田神社宮司。1968年(昭和43年)5月31日退任。1957年(昭和32年)から1961年(昭和36年)まで兵庫県神社庁長。1968年(昭和43年)7月24日死去。86歳。
- 14津田信基(1916-2000)<1968-1996>:1916年(大正5年)生。1938年(昭和13年)神宮皇学館本科卒。1942年(昭和17年)生田神社主典。1946年(昭和21年)長田神社主典。1956年(昭和31年)長田神社禰宜。1965年(昭和40年)から長田神社権宮司。1968年(昭和43年)5月31日から1996年(平成8年)まで長田神社宮司。1986年(昭和61年)兵庫県神社庁庁長。1997年(平成9年)神社本庁長老。大阪府池田市の池田八坂神社宮司。2000年(平成12年)死去。
- 藤原正克()<1996-2015>:近江神宮禰宜、長田神社禰宜を経て1988年(昭和63年)白山比咩神社権宮司。1996年(平成8年)長田神社権宮司。同年から2015年(平成27年)まで長田神社宮司。同年兵庫県神社庁庁長。
- 脇延秀(1945-)<2015->:滋賀県出身。1945年(昭和20年)生。2001年(平成13年)長田神社権宮司。2015年(平成27年)3月25日、宮司。
権宮司
- 市弘和(?-1965)<1956-1965>:国学院大学卒。湊川神社を経て長田神社禰宜。1956年(昭和31年)から1965年(昭和40年)まで権宮司。1965年(昭和40年)7月17日死去。59歳。
- 津田信基(1916-2000)<1965-1968>:のち宮司。1965年(昭和40年)から1968年(昭和43年)まで権宮司。
- 高木靖彦()<1968-1993>:1968年(昭和43年)から1993年(平成5年)まで権宮司。
- 宮下篤郎(?-2005)<1993-1996>:神戸水天宮宮司。1993年(平成5年)から1996年(平成8年)まで権宮司。2005年(平成17年)9月8日死去。78歳。
- 藤原正克()<1996-2001>:のち宮司。白山比咩神社権宮司。1996年(平成8年)から2001年(平成13年)まで長田神社権宮司。
- 脇延秀(1945-)<2001-2015>:2001年(平成13年)から2015年(平成27年)まで権宮司。のち宮司。
画像
資料
- 『古事類苑』「長田神社」[2]
- 1940『兵庫県官国幣社誌』「長田神社」[3]
- 1922『長田神社記』[4]
- 1929『官幣中社長田神社復旧御造営史』[5][6]
- 1941『官国幣社特殊神事調』「長田神社」[7]
- 岡田米夫1972『長田神社史』[8]
- 1985『長田神社商工祭五十年史』[9]