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禅林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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853年(仁寿3年)、[[空海]]の弟子の'''真紹'''が創建。その後、'''永観'''が念仏の拠点として中興。永観(ようかん)は日課一万遍の念仏を行なっていたと言われ、見返り阿弥陀の説話が著名である。永観堂(えいかんどう)という当寺の通称にその名を残している。'''静遍'''が法然の『選択本願念仏集』を批判しようと熟読したところ、返って自らの非を悟り改宗した。改宗のときに、すでに亡くなっていた法然を11世住職とし、自らは12世とした。永観も静遍も真言宗系の[[東大寺]]念仏別所である[[光明山寺]]に住したこともある。静遍が[[証空]]に譲り、証空が住した。その後、浄音が17世となったときに正式に真言宗から浄土宗(西山派)となったという。発展して、西山派西谷流の本山となった。 | 853年(仁寿3年)、[[空海]]の弟子の'''真紹'''が創建。その後、'''永観'''が念仏の拠点として中興。永観(ようかん)は日課一万遍の念仏を行なっていたと言われ、見返り阿弥陀の説話が著名である。永観堂(えいかんどう)という当寺の通称にその名を残している。'''静遍'''が法然の『選択本願念仏集』を批判しようと熟読したところ、返って自らの非を悟り改宗した。改宗のときに、すでに亡くなっていた法然を11世住職とし、自らは12世とした。永観も静遍も真言宗系の[[東大寺]]念仏別所である[[光明山寺]]に住したこともある。静遍が[[証空]]に譲り、証空が住した。その後、浄音が17世となったときに正式に真言宗から浄土宗(西山派)となったという。発展して、西山派西谷流の本山となった。 | ||
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==歴代住職== | ==歴代住職== |
2016年12月8日 (木) 時点における版
禅林寺 ぜんりんじ | |
概要 | 浄土宗西山派西谷流の拠点。 |
奉斎 | |
所在地 | 京都府京都市左京区永観堂町48 |
所在地(旧国郡) | 山城国 |
所属(現在) | 浄土宗西山禅林寺派 |
格式など | 浄土宗西山禅林寺派 総本山 |
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目次 |
概要
禅林寺(ぜんりんじ)は、京都府京都市左京区にある、浄土宗の本山寺院。元は真言宗の門跡寺院。永観堂。(参考:同名寺院禅林寺_(同名))
853年(仁寿3年)、空海の弟子の真紹が創建。その後、永観が念仏の拠点として中興。永観(ようかん)は日課一万遍の念仏を行なっていたと言われ、見返り阿弥陀の説話が著名である。永観堂(えいかんどう)という当寺の通称にその名を残している。静遍が法然の『選択本願念仏集』を批判しようと熟読したところ、返って自らの非を悟り改宗した。改宗のときに、すでに亡くなっていた法然を11世住職とし、自らは12世とした。永観も静遍も真言宗系の東大寺念仏別所である光明山寺に住したこともある。静遍が証空に譲り、証空が住した。その後、浄音が17世となったときに正式に真言宗から浄土宗(西山派)となったという。発展して、西山派西谷流の本山となった。
歴代住職
- 1真紹:空海の弟子。東寺二長者。真紹僧都。禅林寺僧都。石山僧都。
- 2宗叡:真紹の甥。真如法親王に随従して入唐。帰国。東大寺別当。東寺長者。京都・円覚寺開山となる。宗叡僧正。禅林寺僧正。後入唐僧正。
- 3真如法親王:平城天皇皇子。インドを目指し入唐し行方不明になる。実際には住職になっていないが真紹、宗叡に縁のある人物であることから偲んで一世に数えたという。
- 4安載:安載内供。
- 寛空:寛空僧正。短期間のため一世とせず。
- 寛忠:敦固親王(宇多天皇皇子)の王子。寛忠僧正。短期間のため一世とせず。
- 元果:元果僧都。短期間のため一世とせず。
- 明観:佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。明観僧正。短期間のため一世とせず。
- 5深覚:藤原師輔の11男。東大寺別当。東寺長者。深覚僧正。高野山無量寿院を創建。
- 覚源:花山天皇皇子。覚源僧正。
- 6深観:花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。
- 7永観:中興。長座念仏して舎利の倍増を得る。念仏行道に励むとき、阿弥陀像が先を走り、振り向き「永観遅し」と言ったという。永観堂の名の由来。永観律師。以降、浄土教の寺院となる。
- 8覚叡:覚叡阿闍梨。
- 9永恵:永恵上人。
- 10珍海:照登親王(花山天皇皇孫)の王子。あるいは内匠頭基光の子。珍海已講。禅林寺僧都。
- 11源空(法然):浄土宗開祖。実際には住職になっていないが、浄土宗に帰したのち一世に数える。勅諡円光大師。
- 12静遍:仁和寺出身の真言僧だったが、法然の著書を読み帰依したという。源頼朝の帰依を受けたという。静遍僧都。
- 13証空:浄土宗西山流の開祖。西山国師。
- 14道誉:藤原兼房の子。園城寺にいた。禅林寺僧正。道誉僧正。
- 15道智:摂政九条道家の子。園城寺長吏。死後、その霊が怪異を起こしたため、近くに離宮を建てた亀山天皇が慰めるために無関普門を招いて堂宇を設けたのが南禅寺の始まりという。現在、南禅寺の鎮守神として塔頭最勝院に祀られている。道智僧正。狛僧正。駒僧正。
- 16永空正覚:
- 17法興浄音:西谷流の開祖。仁和寺の西側に京都・光明寺(西谷光明寺、新光明寺)を創建。
- 18朝阿観智:西谷光明寺2世。
- 19覚融行観:西谷光明寺3世。関東に布教に進出し、武蔵・光明寺(鵜木光明寺)を創建。
- 20覚願:
- 21覚生:
- 22観意:
- 23観教:行観の弟子。鵜木光明寺から晋山。
- 24道覚浄弁:鵜木光明寺から晋山。
- 25識阿:上野国に進出し、吾妻・善導寺を創建。
- 26円光:
- 27光融妙静:「善導寺を創し」(『禅林寺誌』)とあるが、吾妻善導寺のことか。
- 28空〓召運((瑞のつくり)+しんにょう ):尾張・曼陀羅寺開山天真乗運の弟子。曼陀羅寺2世。尾張常念寺を創建。
- 29在空栄運:
- 30妙諫:
- 31撮堂賢立:吾妻善導寺から晋山。
- 32永承祐音:尾張曼陀羅寺から晋山。
- 33一冲融舜:尾道宝土寺から晋山。
- 34舜叔宏善:伽藍を復興。『禅林寺縁起』を作成。粟生光明寺18世を兼任。
- 35実空顕貞:京都善長寺から晋山。
- 36智空甫叔:紀伊・総持寺から晋山。実父が建てた醍醐融雲寺の開山となる。引退しようとした時、正親町上皇が綸旨を下して留めたといい、「御留の綸旨」と言って現存するという。弟子に安楽庵策伝がいる。
- 37果空俊弌:紀伊総持寺から晋山。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。本堂、御影堂などを再建。
- 38頂空寿仙:京都万年寺を創建。
- 39行空龍道:越前・安養寺から晋山。
- 40真空久円:堺・十万寺(北十万)に住し、紀伊総持寺を経て晋山。光林寺(京都か)に引退
- 41月空清感:安芸・誓願寺から晋山。
- 42積峰慶善:桑名・浄土寺から晋山。
- 43圭道秦〓(王+賛):三河・崇福寺から晋山。紫衣参内の綸旨を得る。本堂再興。本堂と御影堂の間の廊下を作る。江戸で客死。
- 44養空霊徹:越前・長寿院(現在、明石に移転)から晋山。常紫衣の許可を得る。
- 45寰空貞凖:桑名浄土寺から尾張曼陀羅寺に転じたのち晋山。
- 46是空回隆:伊勢養草寺、三河・法蔵寺を経て晋山。引退して摂津浄橋寺に住す。
- 47太空湖南:淡路日光寺から晋山。江戸で客死。
- 48天空助三:大津九品寺、桑名浄土寺を歴任して当寺に晋山。本堂再興。
- 49三空普及:播磨如来寺から晋山。信行庵(不詳)に隠居。
- 50浣谿炬範:熱田正覚寺、曼陀羅寺を経て晋山。醍醐一音寺に隠居
- 51乙空恵海:美濃慈恩寺、伊勢養草寺を経て晋山。
- 52台空阿三:京都休務寺、播磨法界寺を歴任して晋山。
- 53演空良義:桑名薬師寺、高砂十輪寺を経て晋山。御影堂を修復。延寿寺に退隠。
- 54霊空是堪:伊勢大林寺、桑名浄土寺を経て晋山。信行庵(不詳)に隠居。
- 55英空灌龍:曼陀羅寺から晋山。
- 56瑞空愿亮:播磨利生寺から晋山。書に優れたという。
- 57貫空巨道:美濃立政寺から晋山。
- 58盤空有倫:淡路日光寺から晋山。
- 59霊空万瀏:播磨利生寺から晋山。仏陀寺で死去。
- 60攀空泰凖:
- 61綜空練耕:祐福寺から晋山。
- 62澹空旭応:岳陽と号す。山科来迎寺で死去。
- 63誠空義諦:利生寺から晋山。播磨で死去。
- 64実空俊瑞:正覚寺から晋山。専求寺で死去。
- 65水空洗懐:越前安養寺から晋山。
- 66観空照〓(王+(隣のつくり)):十輪寺から晋山。
- 67仁空観識:祐福寺から晋山。祥光寺に退隠。尾張極楽寺で死去。
- 68恬空泰然:越前安養寺から晋山。
- 69万空霊円:伊勢大林寺から晋山。
- 70淵空旭泉:曼陀羅寺から晋山。
- 71東山天華(徹空):西福寺で死去。俊玉。近代日本で最初の公立精神病院「京都癲狂院」を建てたという
- 72亀空観鏡:曼陀羅寺から晋山。
- 73柴田基範(洪空):初の公選。美濃立政寺から晋山。
- 74恭空儼敬:美濃立政寺から晋山。
- 75清水亮弁(範空):美濃立政寺から晋山。
- 76近藤亮厳(超空):兵庫阿弥陀寺から晋山。耆山と号す。御影堂再建。法然700回大遠忌執行。
- 管長代務:青井俊法:大正9年(1920)9月4日管長代務者就任認可(官報)。
- 77青井俊法:大正9年(1920)11月8日管長就任認可(官報)。のち辞職。
- 管長事務取扱:酒見真功:大正13年(1924)6月6日管長事務取扱就任認可(官報)。のち辞職。
- 78祖父江圭学(大空):大正13年(1924)9月29日管長就任認可(官報)。
- 管長事務取扱:藤原齢教:昭和4年11月6日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 79大西玄光:昭和4年(1929)12月28日管長就任認可(官報)。のち辞職。
- 管長事務取扱:柴田隆明:昭和11年(1936)6月12日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 80淵江朴聞:昭和11年(1936)8月21日管長就任認可(官報)。在任中死去(官報)。
- 管長事務取扱:柴田隆明:昭和14年10月4日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 81柴田隆明(顕空):昭和14年(1939)12月13日管長就任認可(官報)。
- 82伊藤天力(軌空)
- 83
- 84三輪亮明(教空)
- 85
- 86丹羽観堂(卍空)
- 87森凖玄(東空)
- 88五十嵐隆明(徹空)
- 89小木曽善龍(修空)
- 90中西玄礼(義空)
(稲村修道『禅林寺誌』(大正2)ほか)
歴代門跡
- 1真紹
- 2宗叡
- 3深覚
- 4深観
- 5良深
- 6永観
- 7尊誉
- 8覚誉
- 9道智
(『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』) 良深、尊誉、覚誉は『禅林寺誌』に記載なし
画像
参考文献
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版