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興福寺一乗院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年2月26日 (日) 時点における版
一乗院(いちじょういん)は、奈良県奈良市の法相宗興福寺の別当を務めた門跡寺院。廃絶。本尊は阿弥陀如来と大日如来(「興福寺諸堂縁起」)。中世には大覚寺門跡を兼務していたこともある。「橘御殿」「長講堂」とも呼ばれた。宮門跡。興福寺関連旧跡。(参考 同名寺院一乗院、長講堂 (同名))
歴史
天禄年間(970-973)に定昭が創建。関白藤原師実の子の覚信が入寺して、門跡となる(兄弟の尋範は大乗院門跡に入寺した)。室町幕府最後の将軍の足利義昭が就任前に門跡を務めていた。 大乗院と交互に別当を務めた。久邇宮朝彦親王は40代一乗院門跡尊応法親王だった。 最後の門跡である応昭は、還俗し、華族に列せられ水谷川忠起となり、春日大社宮司となった。跡地は奈良地方裁判所となっている。 宸殿が唐招提寺に移築されて現存。
東大寺にある一乗院宮東大寺墓地と喜光寺にある一乗院宮喜光寺墓地がある。 近衛家、鷹司家が管領。
南北朝時代、覚実が金峰山寺検校であったため、後醍醐天皇を吉野に招いた。武家側に付いた大乗院と対立した。 室町時代、大和国守護職の権限を大乗院門跡と東西で当分。吉野郡、宇智郡を含む東部を支配した。 坊人から筒井家が台頭。
組織
住職
- 1定昭(906-983):藤原師尹の子。大覚寺住職を兼ね、18代良信まで大覚寺を兼帯する。東寺長者。興福寺別当。金峰山寺検校。金剛峯寺座主。嵯峨僧都、一乗院僧都とも呼ばれる。
- 2定好
- 3真範(986/987-1054):興福寺別当。元興寺、長谷寺を兼務。
- 4頼信(1010-1076):興福寺別当。
- 5頼尊
- 6覚信(1065-1121):貴族入寺の初例。興福寺別当。大僧正。
- 7玄覚
- 8覚英(?-1157):
- 9覚継(恵信)(1124-1171):浄瑠璃寺を一乗院祈願所とし、現在の庭園整備を行った。延暦寺との抗争の指揮に失敗して、衆徒から追放される。伊豆配流。
- 10信円(1153-1224):藤原忠通の4男で慈円の兄。一乗院と大乗院(4代)の両門跡を兼務する。金峰山検校。興福寺別当。正暦寺を再興。菩提山本願僧正。
- 11良円(1178-1220):九条兼実の子。興福寺別当。
- 12実信
- 13実静(実浄)
- 14信昭(1253-1286):近衛兼経の子。興福寺別当。
- 15隆信
- 16覚恵
- 17覚昭(?-1308):近衛基平の子。興福寺別当。
- 18良信(1278-1329):興福寺別当。
- 19良覚
- 20信助
- 21覚実
- 22玄円法親王(?-1348):後醍醐天皇皇子。
- 23実玄(?-1387):近衛経忠の子。南朝につき流罪。
- 24良玄法親王:南朝の尊良親王王子。
- 25良昭(1385-1414):近衛道嗣の子。興福寺別当。
- 26玄昭
- 27良兼:近衛兼嗣の子。興福寺別当。
- 28昭円
- 29教玄
- 30信玄
- 31良誉
- 32覚誉(?-1562):近衛尚道の子。興福寺別当。
- 33覚慶(足利義昭)(1537-1597):還俗して最後の将軍となる。常国寺などに墓。
- 34尊勢:近衛前久の子。
- 35尊覚法親王(1608-1661):後陽成天皇皇子。一乗院宮東大寺墓地。
- 36真敬法親王(信敬法親王)(1649-1706):後水尾天皇の第16皇子。興福寺別当。清水寺別当。一乗院宮東大寺墓地。
- 37尊賞法親王(尊昭法親王)(1699-1746):霊元天皇の第14皇子。興福寺別当。一乗院宮喜光寺墓地。
- 38(尊真法親王):後を継ぐ予定だったが青蓮院門跡に移る?青蓮院宮下ノ墓地。
- 39尊映法親王:京極宮(桂宮)家仁親王の第3王子。一乗院宮喜光寺墓地。
- 40舜仁法親王(公猷法親王):有栖川宮織仁親王の第4王子。輪王寺宮。天台座主。輪王寺宮上野墓地、輪王寺宮日光墓地、輪王寺宮毘沙門堂墓地、輪王寺宮滋賀院墓地(治定外)。
- 41尊誠法親王(1806-1822):伏見宮貞敬親王王子。一乗院宮喜光寺墓地。
- 42尊常法親王(1818-1836):伏見宮貞敬親王王子。一乗院宮喜光寺墓地。
- 43尊応法親王(尊融法親王、久邇宮朝彦親王)(1824-1891):伏見宮邦家親王の第4王子。青蓮院門跡。天台座主。還俗して神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。
- 44応昭:近衛忠煕の子。還俗して水谷川忠起と改名。春日大社宮司を務める。
(望月『仏教大辞典 付録』など)