ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
長門・中山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月20日 (日)
(版間での差分)
4行: | 4行: | ||
[[中山忠光墓]](勝野原官修墳墓)、[[愛新覚羅社]]、祖霊社がある。 | [[中山忠光墓]](勝野原官修墳墓)、[[愛新覚羅社]]、祖霊社がある。 | ||
- | + | ==歴史== | |
+ | {{山口県の招魂社}} | ||
*1864年(元治1年)11月8日:中山忠光、俗論党の手により暗殺。下関に運ばれる途中の勝野に埋葬された。 | *1864年(元治1年)11月8日:中山忠光、俗論党の手により暗殺。下関に運ばれる途中の勝野に埋葬された。 | ||
*1865年(慶応1年)11月:長府藩が「中山社」を創建。 | *1865年(慶応1年)11月:長府藩が「中山社」を創建。 |
2023年8月20日 (日) 時点における最新版
中山神社(なかやま・じんじゃ)は、山口県下関市綾羅木本町にある中山忠光を祀る霊社。元々は官祭招魂社として扱われていたが、神社に変更され、県社となった。勝野原招魂場、綾羅木招魂社。
歴史
- 1864年(元治1年)11月8日:中山忠光、俗論党の手により暗殺。下関に運ばれる途中の勝野に埋葬された。
- 1865年(慶応1年)11月:長府藩が「中山社」を創建。
- 1875年(明治8年)7月:官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。
- 1886年(明治19年):招魂社となる。
- 1887年(明治20年)5月:墓地と分離し、墓地の東500mに社殿を造営
- 1923年(大正12年):墳墓に隣接した現在地に社殿を造営。
- 1928年(昭和3年):中山神社と改称し、県社に列格された。
- 津田勉2009「県内二十二の官祭招魂社」『山口県神道史研究』21