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駒形神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*二見清六(1826-1890)<1877-1890>:南部藩士。盛岡出身。島川鎌満の子。1826年(文政9年)生。1849年(嘉永2年)藩主擁立問題で閉門。1868年(明治1年)、戊辰戦争で奥羽連盟として従軍して官軍と戦う。降伏時に官軍との折衝役に当たり、官軍退去後の勤番を命じられた。1877年(明治10年)5月、駒形神社宮司。1890年(明治23年)8月23日死去(官報)。65歳。歌人。蘆園。墓所は正伝寺。島川成一。瀬蔵。 | *二見清六(1826-1890)<1877-1890>:南部藩士。盛岡出身。島川鎌満の子。1826年(文政9年)生。1849年(嘉永2年)藩主擁立問題で閉門。1868年(明治1年)、戊辰戦争で奥羽連盟として従軍して官軍と戦う。降伏時に官軍との折衝役に当たり、官軍退去後の勤番を命じられた。1877年(明治10年)5月、駒形神社宮司。1890年(明治23年)8月23日死去(官報)。65歳。歌人。蘆園。墓所は正伝寺。島川成一。瀬蔵。 | ||
- | *島川竹介(-1893)<-1893>:1893年(明治26年)9月6日死去(官報)。 | + | *島川竹介(?-1893)<?-1893>:1893年(明治26年)9月6日死去(官報)。 |
*磐瀬弘治(生没年不詳)<1893-1896>:福島県出身。1893年(明治26年)11月29日駒形神社宮司。1896年(明治29年)4月29日、[[石上神宮]]宮司。1897年(明治30年)8月13日、[[伊佐須美神社]]宮司。1942年(昭和17年)1月まで特定郵便局長を務めた。 | *磐瀬弘治(生没年不詳)<1893-1896>:福島県出身。1893年(明治26年)11月29日駒形神社宮司。1896年(明治29年)4月29日、[[石上神宮]]宮司。1897年(明治30年)8月13日、[[伊佐須美神社]]宮司。1942年(昭和17年)1月まで特定郵便局長を務めた。 | ||
- | *浅井清長(生没年不詳)<1896-1900>:1880年(明治13年) | + | *浅井清長(生没年不詳)<1896-1900>:1880年(明治13年)7月28日、[[駿河浅間神社]]主典。1887年(明治20年)4月14日、[[小国神社]]禰宜。1896年(明治29年)4月29日、駒形神社宮司。1900年(明治33年)[[丹生川上神社]]宮司。1901年(明治34年)[[大和神社]]宮司。 |
- | *亘理隆胤(1848-1916)<>:仙台藩佐沼亘理家当主。1848年(嘉永1年) | + | *亘理隆胤(1848-1916)<>:仙台藩佐沼亘理家当主。1848年(嘉永1年)生。戊辰戦争で秋田に進軍。[[教導職]]権大講義。[[岩木山神社]]権宮司。1889年(明治22年)初代佐沼町長。1916年(大正5年)死去。 |
*9長谷外余男(1890-1973)<1902-1903>:1902年(明治35年)から1903年(明治36年)2月5日まで。(略歴は、[[熱田神宮#組織]]を参照) | *9長谷外余男(1890-1973)<1902-1903>:1902年(明治35年)から1903年(明治36年)2月5日まで。(略歴は、[[熱田神宮#組織]]を参照) | ||
- | *10竹間清臣(1863-1923)<1903-1907>:1903年(明治36年)2月5日、駒形神社宮司。1907年(明治40年) | + | *10竹間清臣(1863-1923)<1903-1907>:1903年(明治36年)2月5日、駒形神社宮司。1907年(明治40年)4月25日、[[浅間大社]]宮司。[[高良大社]]、[[霊山神社]]宮司。 |
*11当山亮道(?-1936)<1907-1910>:新潟県出身の神職。1907年(明治40年)4月25日から1910年(明治43年)12月28日まで駒形神社宮司。(略歴は、[[平安神宮#組織]]を参照) | *11当山亮道(?-1936)<1907-1910>:新潟県出身の神職。1907年(明治40年)4月25日から1910年(明治43年)12月28日まで駒形神社宮司。(略歴は、[[平安神宮#組織]]を参照) | ||
- | *松島浅之助(生没年不詳)<?-1930> | + | *松島浅之助(生没年不詳)<?-1930>:和歌山県出身。1930年(昭和5年)7月30日、[[忌宮神社]]宮司。[[出石神社]]宮司を経て1944年(昭和19年)[[伊弉諾神社]]宮司。1947年(昭和22年)退任。 |
- | *16野村暲治()<1930-1936> | + | *16野村暲治()<1930-1936>:[[賀茂御祖神社]]禰宜を経て1930年(昭和5年)7月30日、駒形神社宮司。1936年(昭和11年)6月、[[白山比咩神社]]宮司就任。 |
- | *17前田勝也(1900-1981)<1936-1939>:山形県出身。1931年(昭和6年) | + | *17前田勝也(1900-1981)<1936-1939>:山形県出身。1931年(昭和6年)[[国学院大学]]神道部卒。1936年(昭和11年)駒形神社宮司。1939年(昭和14年)8月28日、[[鹿児島神宮]]宮司。(略歴は、[[北海道神宮#組織]]を参照) |
- | * | + | *河田晴夫(1907?-1978)<?-1942>:1942年(昭和17年)9月21日まで。同日、[[尾張大国霊神社]]宮司。陸軍少尉。(略歴は、[[松尾大社#組織]]を参照) |
- | * | + | *水島稔(生没年不詳)<1942-?>:陸軍軍曹。[[住吉大社]]禰宜を経て1942年(昭和17年)9月21日、駒形神社宮司。 |
- | * | + | *山下知躬(1910-1990)<1945-1990>:北海道出身。1910年(明治43年)生。1931年(昭和6年)国学院大学高等師範部卒。1932年(昭和7年)[[日枝神社]]主典。1939年(昭和14年)[[甲斐・浅間神社]]禰宜。1943年(昭和18年)[[札幌神社]]禰宜。1944年(昭和19年)[[塩竈神社]]禰宜。1945年(昭和20年)5月、駒形神社宮司。1990年(平成2年)8月3日死去。 |
- | *藤原正良()<1990-1991> | + | *藤原正良()<1990-1991>:[[盛岡八幡宮]]宮司。1990年(平成2年)12月20日から1991年(平成3年)3月31日まで特任宮司。 |
- | * | + | *22山下知彦(?-2009)<1991-2009>:山梨県出身。1991年(平成3年)4月1日、駒形神社宮司。2009年(平成21年)3月18日死去。 |
*23山下明()<2012->:2012年(平成24年)5月1日、駒形神社宮司。 | *23山下明()<2012->:2012年(平成24年)5月1日、駒形神社宮司。 | ||
2022年8月11日 (木) 時点における版
駒形神社 こまがた じんじゃ | |
概要 | 駒ケ岳の神を奉斎する神社。 |
奉斎 | 駒形神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 岩手県奥州市水沢区中上野町1-83 |
所在地(旧国郡) | 陸奥国胆沢郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・国幣小社・別表神社 |
関連記事 |
目次 |
概要
歴史
- 802年(延暦21年)1月:『日本紀略』に「陸奥国三神」が坂上田村麻呂の東征に霊験があったと記す。
- 802年(延暦21年)頃:坂上田村麻呂、胆沢城を築城。
- 坂上田村麻呂、煤孫村で倒れた愛馬を葬り、馬頭観音堂を建立。
- 850年(嘉祥3年):円仁、馬塚の由来を聞き、馬峰寺(煤孫寺)を建て、駒岳権現宮(新山)を建立した。
- 851年(仁寿1年)9月2日:陸奥国駒形神、正五位下(文徳実録)。
- 862年(貞観4年)6月18日:従四位下(三代実録)。陸奥国では最高位。
- 924年(延長2年):『延喜式』に記載。
- 1314年(正和3年):馬峰寺堂守の宮松が京都聖護院で修行して貴徳院の号を授かった。
- 江戸時代:山頂の本宮の造替は仙台藩と盛岡藩が交互に20年ごとに担当した。
- 寛永年間:岩崎城代の柏山明和が御駒堂を建立し、駒ケ岳の里宮とした。
- 1870年(明治3年):神仏分離に伴い、馬峰寺は煤孫寺と改称し、駒形権現宮は古館神社と改称した。
- 1870年(明治3年):岩崎御駒堂を駒形神社と改称した。
- 1871年(明治4年)5月14日:駒形神社(山頂本社)、国幣小社に列格。
- 1872年(明治5年)11月:水沢塩竈神社の社殿を駒形神社仮遥拝所とした。のち正式な遥拝所となる。水沢塩竈神社は境内の春日神社に仮遷座合祀。
- 1874年(明治7年)11月:水沢塩竈神社、仮遷座していた春日神社社殿を本社とする。
- 1896年(明治29年)8月:水沢塩竈神社、社地を駒形神社と分割して独立した神社となる。
- 1903年(明治36年)1月:山上の本社から御神体を奉遷し遥拝所を駒形神社本社とした。山頂の神社は奥宮とした。水沢塩竈神社を編入し、摂社となる。
境内
組織
大宮司・宮司
- 二見清六(1826-1890)<1877-1890>:南部藩士。盛岡出身。島川鎌満の子。1826年(文政9年)生。1849年(嘉永2年)藩主擁立問題で閉門。1868年(明治1年)、戊辰戦争で奥羽連盟として従軍して官軍と戦う。降伏時に官軍との折衝役に当たり、官軍退去後の勤番を命じられた。1877年(明治10年)5月、駒形神社宮司。1890年(明治23年)8月23日死去(官報)。65歳。歌人。蘆園。墓所は正伝寺。島川成一。瀬蔵。
- 島川竹介(?-1893)<?-1893>:1893年(明治26年)9月6日死去(官報)。
- 磐瀬弘治(生没年不詳)<1893-1896>:福島県出身。1893年(明治26年)11月29日駒形神社宮司。1896年(明治29年)4月29日、石上神宮宮司。1897年(明治30年)8月13日、伊佐須美神社宮司。1942年(昭和17年)1月まで特定郵便局長を務めた。
- 浅井清長(生没年不詳)<1896-1900>:1880年(明治13年)7月28日、駿河浅間神社主典。1887年(明治20年)4月14日、小国神社禰宜。1896年(明治29年)4月29日、駒形神社宮司。1900年(明治33年)丹生川上神社宮司。1901年(明治34年)大和神社宮司。
- 亘理隆胤(1848-1916)<>:仙台藩佐沼亘理家当主。1848年(嘉永1年)生。戊辰戦争で秋田に進軍。教導職権大講義。岩木山神社権宮司。1889年(明治22年)初代佐沼町長。1916年(大正5年)死去。
- 9長谷外余男(1890-1973)<1902-1903>:1902年(明治35年)から1903年(明治36年)2月5日まで。(略歴は、熱田神宮#組織を参照)
- 10竹間清臣(1863-1923)<1903-1907>:1903年(明治36年)2月5日、駒形神社宮司。1907年(明治40年)4月25日、浅間大社宮司。高良大社、霊山神社宮司。
- 11当山亮道(?-1936)<1907-1910>:新潟県出身の神職。1907年(明治40年)4月25日から1910年(明治43年)12月28日まで駒形神社宮司。(略歴は、平安神宮#組織を参照)
- 松島浅之助(生没年不詳)<?-1930>:和歌山県出身。1930年(昭和5年)7月30日、忌宮神社宮司。出石神社宮司を経て1944年(昭和19年)伊弉諾神社宮司。1947年(昭和22年)退任。
- 16野村暲治()<1930-1936>:賀茂御祖神社禰宜を経て1930年(昭和5年)7月30日、駒形神社宮司。1936年(昭和11年)6月、白山比咩神社宮司就任。
- 17前田勝也(1900-1981)<1936-1939>:山形県出身。1931年(昭和6年)国学院大学神道部卒。1936年(昭和11年)駒形神社宮司。1939年(昭和14年)8月28日、鹿児島神宮宮司。(略歴は、北海道神宮#組織を参照)
- 河田晴夫(1907?-1978)<?-1942>:1942年(昭和17年)9月21日まで。同日、尾張大国霊神社宮司。陸軍少尉。(略歴は、松尾大社#組織を参照)
- 水島稔(生没年不詳)<1942-?>:陸軍軍曹。住吉大社禰宜を経て1942年(昭和17年)9月21日、駒形神社宮司。
- 山下知躬(1910-1990)<1945-1990>:北海道出身。1910年(明治43年)生。1931年(昭和6年)国学院大学高等師範部卒。1932年(昭和7年)日枝神社主典。1939年(昭和14年)甲斐・浅間神社禰宜。1943年(昭和18年)札幌神社禰宜。1944年(昭和19年)塩竈神社禰宜。1945年(昭和20年)5月、駒形神社宮司。1990年(平成2年)8月3日死去。
- 藤原正良()<1990-1991>:盛岡八幡宮宮司。1990年(平成2年)12月20日から1991年(平成3年)3月31日まで特任宮司。
- 22山下知彦(?-2009)<1991-2009>:山梨県出身。1991年(平成3年)4月1日、駒形神社宮司。2009年(平成21年)3月18日死去。
- 23山下明()<2012->:2012年(平成24年)5月1日、駒形神社宮司。
- 大東延慶(1850-1921)<>:1850年(嘉永3年)生。1921年(大正10年)3月21日死去。厳の屋。
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』