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一遍旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年5月16日 (木)
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- | '''一遍'''(いっぺん)(1234-1289)は、[[時宗]] | + | '''一遍'''(いっぺん)(1234-1289)は、[[時宗]]の開祖。踊り念仏と遊行賦算を広める。[[越智氏]]。伊予国出身。1234年2月15日生。父は河野通広。[[聖達]]の弟子で、[[浄土宗西山派]]開祖[[証空]]の孫弟子に当たる。1274年、[[阿弥陀如来]]の垂迹とされる[[熊野本宮大社]]で神勅を得て、全国を遊行賦算する。陸奥から薩摩まで巡って25万1724人に念仏札を授けたという。1289年8月23日兵庫観音堂で死去。墓所は摂津[[真光寺]]。現在では'''一遍上人'''とも呼ぶが、私度僧であり、当時は'''一遍聖'''と呼ばれていたらしい。 |
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==一覧== | ==一覧== | ||
===修行時代=== | ===修行時代=== | ||
- | *[[ | + | *[[伊予・宝厳寺]]:愛媛県松山市道後。一般に生誕地とされるが別説もある。出家した父'''河野通広'''(如仏)が隠棲していた。父は[[証空]]([[法然]]の弟子。[[西山派]]の祖)に師事していたという。 |
- | *[[継教寺]] | + | *[[継教寺]]:出家した[[天台宗]]寺院。所在地不明。10歳のとき、母の死を機に、'''縁教'''を師に出家し、'''随縁'''と称す。廃絶か。 |
- | * | + | *[[太宰府・無量寺]]:福岡県太宰府市連歌屋の原山にあった。13歳のとき、'''善入'''に伴われ、[[太宰府]]郊外の原山にいた[[聖達]](父と同じく証空の弟子)を訪ね、師事する。原八坊。廃絶。 |
- | * | + | *(肥前国清水):'''聖達'''の指示で'''華台'''に一年ほど学ぶ。華台は、聖達の法兄で、父通広の友人。一遍はこのとき初めて'''一遍房智真'''と名乗る。 |
- | * | + | *原山:聖達のもとに戻って12年間学ぶ。 |
*(伊予):父の死で帰国、還俗する。 | *(伊予):父の死で帰国、還俗する。 | ||
- | * | + | **七郎大明神:現在の児守社([[湯神社]]境内)に合祀。父河野通広の霊廟。 |
- | *[[善光寺]] | + | *(九州):縁者に暗殺されかけたのを機に発心、弟の'''聖戒'''とともに再び太宰府の聖達の元に行く |
- | *[[窪寺の草庵]] | + | *[[善光寺]]:1271年春参詣。長野県長野市。二河白道の図を入手 |
- | *菅生の岩屋:現在の[[ | + | *[[窪寺の草庵]]:1271年秋から3年間参籠。愛媛県松山市窪野町。二河白道の図を掛けて専修念仏の暮らしを送り、十一不二の偈を感得する。「己心領解の法門」。廃絶し、現在は「一遍上人窪寺遺跡」という名で石碑がある。 |
+ | *菅生の岩屋:現在の[[伊予・岩屋寺]]。愛媛県上浮穴郡久万高原町。[[四国霊場]]第45番札所。49の岩窟があるとされ、1273年夏から半年間参籠し、遁世の生き方を定める。 | ||
===遊行時代1:神勅を得る=== | ===遊行時代1:神勅を得る=== | ||
*(桜井):愛媛県今治市桜井。1274年(文永11年)2月8日の出発の数日後、桜井で聖戒と分かれる。 | *(桜井):愛媛県今治市桜井。1274年(文永11年)2月8日の出発の数日後、桜井で聖戒と分かれる。 | ||
- | *[[四天王寺]]:大阪府大阪市天王寺区。浄土教の聖地。1274年(文永11年) | + | *[[四天王寺]]:大阪府大阪市天王寺区。浄土教の聖地。1274年(文永11年)参詣。「十種の制文」を納めたという。この頃から賦算を始める。、ひと |
*[[高野山]]:和歌山県伊都郡高野町。1274年(文永11年)参詣。 | *[[高野山]]:和歌山県伊都郡高野町。1274年(文永11年)参詣。 | ||
+ | **[[金剛峰寺国城院]]:一遍が創建ともいう?廃絶。高野聖の拠点だった。 | ||
+ | **[[金剛峰寺本覚院]]:一遍ゆかりの熊野神社が今もあるという。 | ||
*[[熊野三山]] | *[[熊野三山]] | ||
- | **[[熊野本宮大社]] | + | **[[熊野本宮大社]]:和歌山県田辺市本宮町。一人の僧と出会い、念仏札を渡すが「いま信心は起こらない」と言われてしまう。一遍は煩悶して参籠したところ[[熊野権現]]から神勅を得る。「信不信、浄不浄をえらばず、その札を配るべし」と。のち、これを時宗の開宗とみなす。1274年(文永11年)の参詣、1276年(建治2年)ともいう。 |
+ | ***[[大斎原]]:一遍の石碑がある。 | ||
**[[熊野速玉大社]]:和歌山県新宮市。 | **[[熊野速玉大社]]:和歌山県新宮市。 | ||
+ | ***名号碑:熊野川町日足。 | ||
**[[熊野那智大社]]:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町。参籠。 | **[[熊野那智大社]]:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町。参籠。 | ||
*[[京都]]:1275年(建治1年)、初の上京。 | *[[京都]]:1275年(建治1年)、初の上京。 | ||
- | *伊予:1275年(建治1年) | + | *伊予:1275年(建治1年)、弟の聖戒と会うため帰国。 |
*四国巡教:1275年(建治1年)、四国巡教。 | *四国巡教:1275年(建治1年)、四国巡教。 | ||
*九州巡教:1276年(建治2年) | *九州巡教:1276年(建治2年) | ||
- | ** | + | **原山:聖達に再会。 |
**大隅正八幡宮:現在の[[鹿児島神宮]]。鹿児島県霧島市。 | **大隅正八幡宮:現在の[[鹿児島神宮]]。鹿児島県霧島市。 | ||
- | **[[豊前・永福寺]] | + | **[[豊前・永福寺]]:大分県別府市。伝記には寺の記述はないが、大友頼泰の帰依を受けて創建したという。 |
===遊行時代2:信者、弟子衆の形成、親戚の墓参=== | ===遊行時代2:信者、弟子衆の形成、親戚の墓参=== | ||
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*信濃 | *信濃 | ||
**善光寺:1279年(弘安2年)、2度目の参詣。 | **善光寺:1279年(弘安2年)、2度目の参詣。 | ||
- | **[[ | + | **[[信濃・金台寺]]:1279年(弘安2年)、伴野庄(長野県佐久市野沢)で歳末別時念仏。その旧跡か。聖絵には寺の記述はなし。 |
**[[河野通末墓]]:叔父の墓。不詳。 | **[[河野通末墓]]:叔父の墓。不詳。 | ||
**小田切の里:踊り念仏の創始 | **小田切の里:踊り念仏の創始 | ||
*(下野小野寺):1279年(弘安2年)、雨宿り | *(下野小野寺):1279年(弘安2年)、雨宿り | ||
- | **[[大慈寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。天台宗。聖絵に描かれているのはこの寺という。 | + | **[[下野・大慈寺|大慈寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。天台宗。聖絵に描かれているのはこの寺という。 |
**[[住林寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。 | **[[住林寺]]:栃木県栃木市岩舟町小野寺。 | ||
*白河の関:福島県白河市。1280年(弘安3年) | *白河の関:福島県白河市。1280年(弘安3年) | ||
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**ながさご:藤沢市とされる。1282年(弘安5年)春到着。3日間滞在。 | **ながさご:藤沢市とされる。1282年(弘安5年)春到着。3日間滞在。 | ||
**小袋坂:1282年(弘安5年)3月1日、鎌倉入りを試みるが制止される。 | **小袋坂:1282年(弘安5年)3月1日、鎌倉入りを試みるが制止される。 | ||
- | **[[ | + | **[[鎌倉・光照寺]]:神奈川県鎌倉市。1282年(弘安5年)3月1日、この地で野宿。その旧跡に建てられたという。 |
**片瀬の館:所在地不明。1282年(弘安5年)3月2日、別時念仏。 | **片瀬の館:所在地不明。1282年(弘安5年)3月2日、別時念仏。 | ||
- | **往生院:所在地不明。1282年(弘安5年) | + | **往生院:所在地不明。1282年(弘安5年)3月6日滞在。『一遍上人全集』では名越[[鎌倉・安養院|安養院]]の一院かと推測。 |
- | **[[片瀬地蔵堂]]:神奈川県藤沢市片瀬。1282年(弘安5年) | + | **[[片瀬地蔵堂]]:神奈川県藤沢市片瀬。1282年(弘安5年)3月7日入り、7月頃まで滞在。現在、跡地に解説板がある。 |
*箱根 | *箱根 | ||
*[[三島大社]]:静岡県三島市。伊豆国一宮。1282年(弘安5年)7月16日到着。 | *[[三島大社]]:静岡県三島市。伊豆国一宮。1282年(弘安5年)7月16日到着。 | ||
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*美濃 | *美濃 | ||
*近江 | *近江 | ||
- | **[[関寺]] | + | **[[関寺]]:滋賀県大津市。[[近江・長安寺]]が跡地という。1283年(弘安6年)入る。当初、[[園城寺]]僧の制止を受け、近くの草堂に籠るが、許されて7日の行法、惜しまれて14日の行法を行う。 |
*京都:3度目の滞在だが、本格的な京都布教は初めて。 | *京都:3度目の滞在だが、本格的な京都布教は初めて。 | ||
**四条京極の釈迦堂:京都府京都市中京区。一説には[[祇陀林寺]]内にあったとされる。のち四条道場[[金蓮寺]]となる。1284年(弘安7年)閏4月16日、入京し、この釈迦堂に入る。 | **四条京極の釈迦堂:京都府京都市中京区。一説には[[祇陀林寺]]内にあったとされる。のち四条道場[[金蓮寺]]となる。1284年(弘安7年)閏4月16日、入京し、この釈迦堂に入る。 | ||
**因幡堂:1284年(弘安7年)、2度目の参詣。ここで土御門前内大臣が結縁。 | **因幡堂:1284年(弘安7年)、2度目の参詣。ここで土御門前内大臣が結縁。 | ||
- | **[[悲田院]]:京都府京都市中京区。現在の[[本能寺]] | + | **[[悲田院]]:京都府京都市中京区。現在の[[本能寺]]のあたり。[[泉涌寺]]内に移転。1284年(弘安7年)一晩滞在。 |
**[[蓮光院]]:京都府京都市中京区。1284年(弘安7年)、滞在。 | **[[蓮光院]]:京都府京都市中京区。1284年(弘安7年)、滞在。 | ||
**[[京都・雲居寺]]:京都府京都市東山区。現在の高台寺のあたりにあった。1284年(弘安7年)参詣。寺院は廃絶。 | **[[京都・雲居寺]]:京都府京都市東山区。現在の高台寺のあたりにあった。1284年(弘安7年)参詣。寺院は廃絶。 | ||
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*[[教信寺]]:兵庫県加古川市。天台宗。浄土教の先駆者教信の旧跡。1286年(弘安9年)冬に参詣。 | *[[教信寺]]:兵庫県加古川市。天台宗。浄土教の先駆者教信の旧跡。1286年(弘安9年)冬に参詣。 | ||
*[[播磨・円教寺]]:兵庫県姫路市。書写山。1287年(弘安10年)春参詣。 | *[[播磨・円教寺]]:兵庫県姫路市。書写山。1287年(弘安10年)春参詣。 | ||
- | *[[ | + | *[[松原八幡神社]]:兵庫県姫路市。1287年(弘安10年)参詣。『別願和讃』を作る。 |
*備中 | *備中 | ||
**軽部宿:岡山県総社市清音軽部。1287年(弘安10年)教願の臨終を看取る。 | **軽部宿:岡山県総社市清音軽部。1287年(弘安10年)教願の臨終を看取る。 | ||
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*厳島神社:1287年(弘安10年)秋に2度目の参詣。臨時の祭礼を実施。 | *厳島神社:1287年(弘安10年)秋に2度目の参詣。臨時の祭礼を実施。 | ||
*菅生の岩屋:自らの旧跡を1288年(正応1年)に巡礼。 | *菅生の岩屋:自らの旧跡を1288年(正応1年)に巡礼。 | ||
- | *[[ | + | *[[繁多寺]]:愛媛県松山市。四国霊場第50番札所。1288年(正応1年)に3カ月滞在。父の遺品の浄土三部経を奉納。 |
*[[大山祇神社]]:愛媛県今治市の[[大三島]]。1288年(正応1年)12月から翌年にかけてここで過ごす。 | *[[大山祇神社]]:愛媛県今治市の[[大三島]]。1288年(正応1年)12月から翌年にかけてここで過ごす。 | ||
*[[別宮大山祇神社]]:愛媛県今治市別宮町。1289年(正応2年)参詣。 | *[[別宮大山祇神社]]:愛媛県今治市別宮町。1289年(正応2年)参詣。 | ||
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*明石 | *明石 | ||
*和田岬観音堂:兵庫県神戸市兵庫区。現在の[[真光寺]]。1289年(正応2年)7月下旬に観音堂に入る。8月23日死去。 | *和田岬観音堂:兵庫県神戸市兵庫区。現在の[[真光寺]]。1289年(正応2年)7月下旬に観音堂に入る。8月23日死去。 | ||
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+ | *江ノ島の島井戸 | ||
+ | *[[隔夜寺]] | ||
+ | *[[光触寺]] | ||
+ | *[[薩摩・念仏寺]] | ||
+ | *[[上総・称念寺]] | ||
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+ | 図様は賦算する姿を現した「遊行像」と、合掌像がある。 | ||
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+ | ==資料== | ||
+ | ===古典籍=== | ||
+ | *『播州法語集』:14世紀。一遍の説法をまとめたもの。 | ||
+ | *『一遍聖絵』:1299年。10周忌に編纂したもので史料としての信憑性が高いとされる。 | ||
+ | *『一遍上人絵詞伝』南要本:全10巻。清浄光寺蔵。 | ||
+ | *『一遍上人語録』:1763年刊。一海編。 | ||
+ | *『一遍上人絵伝』:歓喜光寺旧蔵。12巻。 | ||
+ | *『一遍上人年譜略』:神戸真光寺蔵。唯一、生年月日を伝える。 | ||
+ | *『遊行上人縁起絵』: | ||
==参考文献== | ==参考文献== |
2019年5月16日 (木) 時点における最新版
一遍(いっぺん)(1234-1289)は、時宗の開祖。踊り念仏と遊行賦算を広める。越智氏。伊予国出身。1234年2月15日生。父は河野通広。聖達の弟子で、浄土宗西山派開祖証空の孫弟子に当たる。1274年、阿弥陀如来の垂迹とされる熊野本宮大社で神勅を得て、全国を遊行賦算する。陸奥から薩摩まで巡って25万1724人に念仏札を授けたという。1289年8月23日兵庫観音堂で死去。墓所は摂津真光寺。現在では一遍上人とも呼ぶが、私度僧であり、当時は一遍聖と呼ばれていたらしい。
目次 |
一覧
修行時代
- 伊予・宝厳寺:愛媛県松山市道後。一般に生誕地とされるが別説もある。出家した父河野通広(如仏)が隠棲していた。父は証空(法然の弟子。西山派の祖)に師事していたという。
- 継教寺:出家した天台宗寺院。所在地不明。10歳のとき、母の死を機に、縁教を師に出家し、随縁と称す。廃絶か。
- 太宰府・無量寺:福岡県太宰府市連歌屋の原山にあった。13歳のとき、善入に伴われ、太宰府郊外の原山にいた聖達(父と同じく証空の弟子)を訪ね、師事する。原八坊。廃絶。
- (肥前国清水):聖達の指示で華台に一年ほど学ぶ。華台は、聖達の法兄で、父通広の友人。一遍はこのとき初めて一遍房智真と名乗る。
- 原山:聖達のもとに戻って12年間学ぶ。
- (伊予):父の死で帰国、還俗する。
- 七郎大明神:現在の児守社(湯神社境内)に合祀。父河野通広の霊廟。
- (九州):縁者に暗殺されかけたのを機に発心、弟の聖戒とともに再び太宰府の聖達の元に行く
- 善光寺:1271年春参詣。長野県長野市。二河白道の図を入手
- 窪寺の草庵:1271年秋から3年間参籠。愛媛県松山市窪野町。二河白道の図を掛けて専修念仏の暮らしを送り、十一不二の偈を感得する。「己心領解の法門」。廃絶し、現在は「一遍上人窪寺遺跡」という名で石碑がある。
- 菅生の岩屋:現在の伊予・岩屋寺。愛媛県上浮穴郡久万高原町。四国霊場第45番札所。49の岩窟があるとされ、1273年夏から半年間参籠し、遁世の生き方を定める。
遊行時代1:神勅を得る
- (桜井):愛媛県今治市桜井。1274年(文永11年)2月8日の出発の数日後、桜井で聖戒と分かれる。
- 四天王寺:大阪府大阪市天王寺区。浄土教の聖地。1274年(文永11年)参詣。「十種の制文」を納めたという。この頃から賦算を始める。、ひと
- 高野山:和歌山県伊都郡高野町。1274年(文永11年)参詣。
- 熊野三山
- 京都:1275年(建治1年)、初の上京。
- 伊予:1275年(建治1年)、弟の聖戒と会うため帰国。
- 四国巡教:1275年(建治1年)、四国巡教。
- 九州巡教:1276年(建治2年)
遊行時代2:信者、弟子衆の形成、親戚の墓参
- (伊予)
- 厳島神社:1278年(弘安1年)参詣
- 備前藤井の吉備津宮:神職の一族を信者とする。1278年(弘安1年)参詣
- 京都
- 因幡堂:京都府京都市下京区。1279年(弘安2年)滞在。
- 信濃
- (下野小野寺):1279年(弘安2年)、雨宿り
- 白河の関:福島県白河市。1280年(弘安3年)
- 河野通信墓:岩手県北上市稲瀬町。陸奥国江刺郡。通信は祖父。1280年(弘安3年)参詣。
- 松島:1280年(弘安3年)巡教
- 平泉:1280年(弘安3年)巡教
- 常陸:1280年(弘安3年)巡教
- 武蔵
- 石浜:1281年(弘安4年)到着
遊行時代2:鎌倉布教・京都布教
- 鎌倉
- 箱根
- 三島大社:静岡県三島市。伊豆国一宮。1282年(弘安5年)7月16日到着。
- 尾張
- 甚目寺:愛知県あま市。1283年(弘安6年)参詣。
- 美濃
- 近江
- 京都:3度目の滞在だが、本格的な京都布教は初めて。
- 四条京極の釈迦堂:京都府京都市中京区。一説には祇陀林寺内にあったとされる。のち四条道場金蓮寺となる。1284年(弘安7年)閏4月16日、入京し、この釈迦堂に入る。
- 因幡堂:1284年(弘安7年)、2度目の参詣。ここで土御門前内大臣が結縁。
- 悲田院:京都府京都市中京区。現在の本能寺のあたり。泉涌寺内に移転。1284年(弘安7年)一晩滞在。
- 蓮光院:京都府京都市中京区。1284年(弘安7年)、滞在。
- 京都・雲居寺:京都府京都市東山区。現在の高台寺のあたりにあった。1284年(弘安7年)参詣。寺院は廃絶。
- 六波羅蜜寺:京都府京都市東山区。1284年(弘安7年)参詣。
- 市屋道場:京都府京都市下京区。現在の西本願寺のあたりにあった。1284年(弘安7年)数日滞在。のちの京都塩竈・金光寺。
- (桂):5月から秋まで滞在。
- 丹後
- 穴太寺:京都府亀岡市。1284年(弘安7年)滞在。
- 久美浜:1285年(弘安8年)5月上旬、念仏を修す。
- 因幡
- 伯耆
- 美作
- 中山神社:岡山県津山市。美作国一宮。1285年(弘安8年)参詣。
- 四天王寺:1286年(弘安9年)参詣
- 住吉大社:1286年(弘安9年)参詣
- 聖徳太子墓:1286年(弘安9年)参詣
- 当麻寺:1286年(弘安9年)参詣。称讃浄土経を授与される。
- 石清水八幡宮:1286年(弘安9年)冬、参詣
- 四天王寺::1286年(弘安9年)年末、歳末別時念仏
遊行時代3:最後の帰郷
- 教信寺:兵庫県加古川市。天台宗。浄土教の先駆者教信の旧跡。1286年(弘安9年)冬に参詣。
- 播磨・円教寺:兵庫県姫路市。書写山。1287年(弘安10年)春参詣。
- 松原八幡神社:兵庫県姫路市。1287年(弘安10年)参詣。『別願和讃』を作る。
- 備中
- 軽部宿:岡山県総社市清音軽部。1287年(弘安10年)教願の臨終を看取る。
- 備後・吉備津神社:広島県福山市。1287年(弘安10年)参詣。「秦皇破陣楽」。
- 厳島神社:1287年(弘安10年)秋に2度目の参詣。臨時の祭礼を実施。
- 菅生の岩屋:自らの旧跡を1288年(正応1年)に巡礼。
- 繁多寺:愛媛県松山市。四国霊場第50番札所。1288年(正応1年)に3カ月滞在。父の遺品の浄土三部経を奉納。
- 大山祇神社:愛媛県今治市の大三島。1288年(正応1年)12月から翌年にかけてここで過ごす。
- 別宮大山祇神社:愛媛県今治市別宮町。1289年(正応2年)参詣。
- 大山祇神社:1289年(正応2年)2月ごろ再び参詣。
- 善通寺:香川県善通寺市。1289年(正応2年)3月~4月頃参詣。
- 曼荼羅寺:香川県善通寺市。1289年(正応2年)3月~4月頃参詣。
- 阿波・大鳥の里:徳島県吉野川市鴨島町敷地周辺。1289年(正応2年)6月1日、このあたりに来たときに発病。
- 大和大国魂神社:兵庫県南あわじ市。淡路国二宮。1289年(正応2年)7月に参詣。
- 志筑神社:兵庫県淡路市。1289年(正応2年)7月に参詣。
- 明石
- 和田岬観音堂:兵庫県神戸市兵庫区。現在の真光寺。1289年(正応2年)7月下旬に観音堂に入る。8月23日死去。
図様は賦算する姿を現した「遊行像」と、合掌像がある。
資料
古典籍
- 『播州法語集』:14世紀。一遍の説法をまとめたもの。
- 『一遍聖絵』:1299年。10周忌に編纂したもので史料としての信憑性が高いとされる。
- 『一遍上人絵詞伝』南要本:全10巻。清浄光寺蔵。
- 『一遍上人語録』:1763年刊。一海編。
- 『一遍上人絵伝』:歓喜光寺旧蔵。12巻。
- 『一遍上人年譜略』:神戸真光寺蔵。唯一、生年月日を伝える。
- 『遊行上人縁起絵』:
参考文献
- 大橋俊雄『一遍と時宗教団』教育社
- 栗田勇編『思想読本 一遍』法蔵館