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忍性旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月18日 (日)

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'''忍性'''(にんしょう)(1217-1303)は、[[真言律宗]][[西大寺流]]の僧侶。大和出身。伴氏。[[叡尊]]、[[覚盛]]に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[四天王寺]]別当。'''忍性菩薩'''。  
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'''忍性'''(にんしょう)(1217-1303)は、[[真言律宗]][[西大寺流]]の僧侶。大和国城下郡出身。[[伴氏]]。[[叡尊]]、[[覚盛]]に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[東大寺]]大勧進14代。[[四天王寺]]別当65世。'''忍性菩薩'''。  
== 一覧 ==
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===関東2:鎌倉入り===
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*[[鎌倉・新清凉寺]]:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。
*[[鎌倉・新清凉寺]]:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。
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*[[龍華寺]]:神奈川県横浜市金沢区。縁起によれば鎌倉入りの時に最初に住んだという。
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*[[武蔵・龍華寺]]:神奈川県横浜市金沢区。縁起によれば鎌倉入りの時に最初に住んだという。
*[[多宝寺]]:弘長2年(1262)から5年間住む。廃絶。五輪塔がある。
*[[多宝寺]]:弘長2年(1262)から5年間住む。廃絶。五輪塔がある。
*[[鶴岡八幡宮]]:文永2年、八幡神に授戒。
*[[鶴岡八幡宮]]:文永2年、八幡神に授戒。
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*[[東大寺]]:永仁元年(1293)8月、東大寺大勧進第14代を務める。
*[[東大寺]]:永仁元年(1293)8月、東大寺大勧進第14代を務める。
*[[四天王寺]]:永仁2年(1294)、四天王寺別当となる。
*[[四天王寺]]:永仁2年(1294)、四天王寺別当となる。
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**[[四天王寺悲田院]]:施行院?
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**[[四天王寺敬田院]]
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*[[金剛心院]]:京都府宮津市。
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*[[大福田寺]]:三重県桑名市
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*[[十念寺]]:奈良県奈良市。忍性供養塔が現存。
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*[[豊後国分寺]]
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*[[京都・白毫寺]]:京都府京都市。旧地の[[知恩院]]に現存する石塔は忍性の供養塔ともいう。
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==年譜==
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===経歴===
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*1235年(嘉禎1年)8月25日:寂滅ら行基墓を発掘。忍性もこれに遭遇したと思われる。
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*1252年(建長4年):関東に下る
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*1267年(文永4年):極楽寺開山に迎えられる。
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*1303年(嘉元1年)7月12日:極楽寺で死去。87歳。
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===死後===
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*1328年(嘉暦3年):後醍醐天皇から「忍性菩薩」号下賜。
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*1976年(昭和51年):極楽寺墓の解体修理。
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*1982年(昭和57年):額安寺墓の解体修理。
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*1986年(昭和61年):竹林寺墓の発掘調査。
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==著作==
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*『東征伝絵巻』
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*『忍性菩薩十種大願』
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==伝記==
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*『性公大徳譜』:没後7年に極楽寺の澄名が執筆。
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*『元亨釈書』:
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*『本朝高僧伝』:
==参考文献==
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2019年8月18日 (日) 時点における最新版

忍性(にんしょう)(1217-1303)は、真言律宗西大寺流の僧侶。大和国城下郡出身。伴氏叡尊覚盛に師事。鎌倉・極楽寺を創建。東大寺大勧進14代。四天王寺別当65世。忍性菩薩

目次

一覧

大和

  • 大和・浄土寺:生誕地の石碑を管理。
  • 朝護孫子寺:安貞元年(1227)、11歳で信貴山で学ぶ。
  • 額安寺:母が死去した貞永元年(1232)、出家した寺院。嘉元元年(1303)、叡尊系の僧が別当を継ぐことが定まり、西大寺末となる。
  • 安倍文殊院:出家の後、母の弔いのため、毎月参詣。
  • 大和・竹林寺:行基の墓。嘉禎元年(1235)から青年時代の6年間毎月参詣。
  • 東大寺戒壇院:天福元年(1233)、受戒。
  • 西大寺:仁治元年(1240)、叡尊に師事し、沙弥戒、次いで通受を受ける。
  • 泉涌寺:寛元元年(1243)律宗典籍を借りに行く。
  • 家原寺:戒壇で寛元3年(1245)別受を受ける。
  • 唐招提寺:永仁6年(1298)、忍性が『東征伝絵巻』を奉納。
  • 大和・般若寺:文殊菩薩像を造立。

関東1

  • 春日大社:奈良県奈良市。建長4年(1252)関東下向前に参拝。
  • 鹿島神宮:茨城県鹿嶋市。建長4年(1252)9月15日、3日間参籠。
    • 御手洗寺:寺伝によるとここに住したという。
  • 普渡寺:茨城県潮来市。鹿島神宮の神託で、地蔵像を刻み、祀ったという。普門院。
  • 常陸・極楽寺:茨城県つくば市。建長4年(1252)12月4日、忍性が入る。筑波山の南尾根の宝筐山にあった。廃絶。最初の拠点。三村寺。山内には尼寺(三村尼寺)もあった。
  • 常陸・般若寺:茨城県土浦市。建長年間、忍性が入る。
  • 東城寺:筑波山南の宝篋山にある。記録はないが極楽寺や般若寺と類似したまま結界石が残り、忍性の関与は疑いないという。
  • 観音寺:茨城県行方市。寺伝によると文応元年(1260)に忍性が中興。
  • 福泉寺:茨城県鉾田市。忍性との関わりが想定される清涼寺式釈迦如来像を本尊とする。臨済宗。
  • 大日寺:千葉県松戸市。『鎌倉大草紙』では千葉頼胤が建長年間に忍性を招いて創建。現在は万満寺。

関東2:鎌倉入り

  • 鎌倉・新清凉寺:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。
  • 武蔵・龍華寺:神奈川県横浜市金沢区。縁起によれば鎌倉入りの時に最初に住んだという。
  • 多宝寺:弘長2年(1262)から5年間住む。廃絶。五輪塔がある。
  • 鶴岡八幡宮:文永2年、八幡神に授戒。
  • 鎌倉・極楽寺:文永4年(1267)8月、死去まで過ごした鎌倉の拠点。
  • 称名寺:文永4年(1267)9月、忍性の推薦で、審海が入る。
  • 江ノ島:文永6年(1269)、祈雨。
  • 椎尾山宝塔:茨城県桜川市。弘安元年(1278)に建立。山頂には天台宗薬王院がある。
  • 鎌倉・永福寺:二階堂。弘安7年(1284)、永福寺別当となる。
  • 鎌倉・明王院:五大堂。弘安7年(1284)、明王院別当となる。
  • 高徳院:鎌倉大仏。弘安7年(1284)、大仏別当となる。
  • 浄光明寺
  • 田辺池:鎌倉市七里ガ浜。日蓮と祈雨を競った。正安3年(1301)にも祈雨。
  • 駿河・霊山寺:静岡県沼津市。弟弟子の成真が住した。現在は曹洞宗。
  • 熱海地蔵堂:所在不明。弘安5年(1282)に銅鐘を鋳造。候補地は複数ある。
  • 上総・願成寺:千葉県東金市。現在の願成就寺。極楽寺2代長老となった栄真がいた。
  • 鎌倉・浄福寺:所在不明。
  • 元箱根石仏群:正安2年(1300)、供養の導師を務める。

近畿の律寺古刹34寺が忍性の請願で関東御祈祷所に指定された。

近畿

年譜

経歴

  • 1235年(嘉禎1年)8月25日:寂滅ら行基墓を発掘。忍性もこれに遭遇したと思われる。
  • 1252年(建長4年):関東に下る
  • 1267年(文永4年):極楽寺開山に迎えられる。
  • 1303年(嘉元1年)7月12日:極楽寺で死去。87歳。

死後

  • 1328年(嘉暦3年):後醍醐天皇から「忍性菩薩」号下賜。
  • 1976年(昭和51年):極楽寺墓の解体修理。
  • 1982年(昭和57年):額安寺墓の解体修理。
  • 1986年(昭和61年):竹林寺墓の発掘調査。

著作

  • 『東征伝絵巻』
  • 『忍性菩薩十種大願』

伝記

  • 『性公大徳譜』:没後7年に極楽寺の澄名が執筆。
  • 『元亨釈書』:
  • 『本朝高僧伝』:

参考文献

  • 図録『忍性』奈良国立博物館
  • 松尾剛次『忍性』ミネルヴァ書房
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BF%8D%E6%80%A7%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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