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日蓮宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2016年4月29日 (金) 時点における版
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一覧
六老僧
- 日昭(1221-1323):日昭門流(浜門流)の開祖。下総出身。比叡山で学び日蓮の学友であった。鎌倉に妙法華寺、村田妙法寺を創建(両寺とものち移転)。不軽院、弁阿闍梨。
- 日朗(1245-1320):日朗門流の開祖。下総出身。鎌倉妙本寺、池上本門寺、下総本土寺を創建し、関東布教を行う。大国阿闍梨、筑後房、正法院、日朗菩薩。
- 日興(1246-1333):日興門流(富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、身延山を離れ、富士山麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて大石寺、北山本門寺を創建。伯耆阿闍梨、白蓮阿闍梨、常在院。
- 日向(1253-1314):日向門流(身延門流)の開祖。上総出身。久遠寺を継承。また上総妙光寺(藻原寺)を創建。佐渡阿闍梨、民部阿闍梨。
- 日頂(1252-1317):駿河出身。富木常忍の養子。下総真間弘法寺を創建。義父と対立し、日興の下へ赴き北山本門寺学頭となった。伊予阿闍梨。
- 日持(1250-?):駿河出身。日蓮没後、影像を造り、池上本門寺に祀った。のち海外布教を志し、蝦夷を経て大陸に渡ったともいう。蓮華阿闍梨、甲斐公、本応院。
鎌倉時代
- 富木常忍(1216-1299):中山門流の開祖。法華経寺を創建。
- 日弁(1239-1311):駿河出身。元は天台宗僧だったが、日興に師事。鷲山寺、上行寺を創建。乗観房、越後阿闍梨。
- 日印(1264-1328):天台宗僧だったが、日朗に師事。青蓮華寺、鎌倉本勝寺を創建。
室町時代
- 日像(1269-1342):四条門流の開祖。日朗の弟子で、日蓮の孫弟子にあたる。下総の出身。現在の本土寺の地で生まれたという。日蓮より「帝都弘通」の命を受け、京都に赴き、度重なる迫害を受けながら、妙顕寺に後醍醐天皇より勅願寺公認を得た。
- 大覚(1297-1364):日像の弟子。日蓮に大菩薩の号、日朗に菩薩の号、日像に菩薩の号を賜る。多くの寺院を建てる。妙実。
- 日静(1298-1369):六条門流の開祖。本圀寺を創建。妙龍院。
- 日祐(1298-1374):中山門流の僧。法華経寺3世となり伽藍整備。
- 日什(1314-1392):日什門流の開祖。会津出身。妙満寺を創建。玄妙阿闍梨。
- 日陣(1339-1419):日陣門流の開祖。越後出身。本圀寺日静に師事。本成寺を継承。日伝と対立し本圀寺を離れ本禅寺を創建。円光房、門一阿闍梨。
- 日隆(1384-1464):日隆門流の開祖。日霽に師事。日隆聖人。
- 日親(1407-1488):室町時代の中山門流の僧侶。上総出身。法華経寺日英に師事。京都に本法寺創建。折伏主義の激しい布教姿勢を取った。光勝寺を拠点に九州布教に尽力。足利義教に諌言して熱した鍋をかぶせられる拷問を受けた。久遠成院、鍋かぶり日親。
- 日朝(1422-1500):久遠寺11世。伽藍を整備し、中興と呼ばれる。
- 日真(1444-1528):日真門流の開祖。妙本寺日具に師事するが、勝劣を唱えて独立。京都に本隆寺、若狭に本境寺、越前に本興寺を創建した。常不軽院、大経房。
- 日辰(1508-1576):要法寺を創建。諸山融和に尽力。
- 朝山日乗(?-1577)
- 日珖(1532-1598):堺妙国寺の開山。頂妙寺3世。
江戸時代
- 日経(1560-1620):日什門流の僧。妙満寺27世。江戸城で行われた浄土宗との宗論で敗れたとされ、耳鼻を削がれた。慶長法難。
- 日乾(1560-1635):本満寺13世、久遠寺21世。鷹峰檀林を創建。身池対論に挑み勝利。
- 算砂(1558-1623):囲碁の家元の本因坊家の祖。寂光寺本因坊に住す。日海。
- 日奥(1565-1630):不受布施派の開祖。京都妙覚寺19世。豊臣秀吉の千僧供養の出仕を拒否。徳川家康が対馬に配流。安国院、仏性院。
- 日樹(1574-1631):不受布施派の僧侶。備中出身。池上本門寺16世、鎌倉妙本寺16世。身池対論で敗れ、信濃飯田に配流。
- 元政(1623-1668):法華律(草山律)の僧侶。京都出身。彦根藩士。妙顕寺日豊に師事。瑞光寺を創建。日政、不可思議、称心庵。
- 日講(1626-1698):不受布施派の講門流の開祖。佐土原に配流。安国院。佐土原に墓所。
- 増穂残口(1655-1742):
- 日潮(1674-1748):久遠寺36世。多数の門弟を育て、一大学派となる。