ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
西国三十三所観音霊場
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(?画像) |
(?系譜) |
||
362行: | 362行: | ||
|22 | |22 | ||
|補陀洛山 | |補陀洛山 | ||
- | |[[ | + | |[[摂津・総持寺|総持寺]] |
|大阪府茨木市総持寺1丁目6-1 | |大阪府茨木市総持寺1丁目6-1 | ||
|千手観音 | |千手観音 | ||
390行: | 390行: | ||
|25 | |25 | ||
|御嶽山 | |御嶽山 | ||
- | |[[ | + | |[[播磨・清水寺|清水寺]] |
|兵庫県加東市平木1194 | |兵庫県加東市平木1194 | ||
|十一面千手観音 | |十一面千手観音 | ||
397行: | 397行: | ||
|26 | |26 | ||
|法華山 | |法華山 | ||
- | |[[一乗寺]] | + | |[[播磨・一乗寺|一乗寺]] |
|兵庫県加西市坂本町821-17 | |兵庫県加西市坂本町821-17 | ||
|聖観音 | |聖観音 | ||
404行: | 404行: | ||
|27 | |27 | ||
|書写山 | |書写山 | ||
- | |[[円教寺]] | + | |[[播磨・円教寺|円教寺]] |
|兵庫県姫路市書写2968 | |兵庫県姫路市書写2968 | ||
|六臂如意輪観音 | |六臂如意輪観音 | ||
446行: | 446行: | ||
|33 | |33 | ||
|谷汲山 | |谷汲山 | ||
- | |[[ | + | |[[美濃・華厳寺|華厳寺]] |
|岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 | |岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 | ||
|十一面観音 | |十一面観音 |
2015年2月19日 (木) 時点における版
西国三十三所観音霊場 |
目次 |
概要
宗派 | 寺院数 |
---|---|
真言宗系 | 計18 |
真言宗豊山派 | 4 |
真言宗醍醐派 | 3 |
高野山真言宗 | 2 |
東寺真言宗 | 1 |
真言宗御室派 | 1 |
真言宗泉涌寺派 | 1 |
真言宗智山派 | 1 |
真言宗花山院派 | 1 |
真言宗中山寺派 | 1 |
救世観音宗 | 1 |
単立 | 2 |
天台宗系 | 計16 |
天台宗 | 9 |
天台寺門宗 | 1 |
粉河観音宗 | 1 |
本山修験宗 | 1 |
単立 | 4 |
法相宗系 | 計2 |
法相宗 | 1 |
北法相宗 | 1 |
総計 | 36 |
西国三十三所は、近畿圏の観音を祀る寺院によって構成されている巡礼霊場である。縁起によると、奈良時代に長谷寺の徳道によって創始され、平安時代後期に花山法皇が中興したとされる。歴史的には平安時代後期の11世紀に始まったと考えられている。数ある日本の巡礼霊場の中でも最古のものであり、日本の巡礼文化に与えた影響は大きい。日本各地に写し霊場が作られている。
歴史
中世前期
正確な創始は分からないが、平安時代末期の11世紀に三井寺や修験道に関わりの深いところで始められたと考えられている。記録上の最古の例は、行尊(1057-1135)によるもので、順番は異なるものの、すでに現在と同じ寺院構成であった(『寺門高僧記』)。この記録によると、当初、西国三十三所は現在と異なり長谷寺を第一番札所としていたことが分かる。縁起において西国三十三所は、長谷寺の徳道によって創始されたとされていることからも、このことは納得できることである。
一方、現在のように熊野から始まる配列も平安末期のうちに登場している。覚忠(1118-1177)の記録がそれである。これは平安末期に流行していた熊野詣の影響があったものと考えられる。観音を祀る寺院の中でも、熊野信仰の興隆に合わせて、熊野那智の存在感が高まったため、巡礼順路の変更が生じたものと思われる。ただし、鎌倉時代にも長谷寺を第一番札所とする巡礼が行われており、両者が混在していた時期もあるらしい。
また巡礼者の社会層に着目すると、三十三所巡礼は当初は修験者の修行の一環として行われていたらしい。熊野信仰と関わりがあったことからも判断できるように修験道との関わりが深かった。三十三度行者、山伏、勧進聖、遊行聖、熊野比丘尼、一般僧侶といった人物が参加している。鎌倉時代までの時点では、まだ一般社会には普及していなかった。
地域的にみると東国出身者の巡礼が多かった。現在残る中世の納札を調査すると東国出身者のものが多いという。鎌倉時代初期には西国三十三所を模して、東国に坂東三十三所が成立した。その史料上の初見は1234年(文暦1年)である(都都古別神社十一面観音立像台座銘文)。鎌倉時代、鎌倉を中心とする東国で観音信仰が盛んだったことが分かる。
中世後期
西国三十三所の歴史に転機が訪れるのは室町時代中頃である。この時期に現在の巡礼順路が定まり、修行僧の修行から庶民の巡礼へと移行し、「西国」三十三所の呼称が生まれた。また地方でも盛んに三十三所の移し霊場が創設された。
これらの変化をもたらしたのはやはり東国の影響であった。既述の通り、鎌倉時代以降、巡礼者の多くは東国出身者だった。 現在の三十三所の巡礼順路は、東国からの巡礼に合わせて形作られたのであった。この巡礼順路は15世紀後半には成立していたと考えられている(『撮壌集』)。現在の巡礼順路は、紀伊の熊野那智に始まり、紀伊、和泉、河内、大和、山城、近江、京、丹波、摂津、播磨、丹後、近江を経て、美濃で終わっている。これは東国から伊勢を経て、熊野詣を行い、京都と近畿各地を巡ったあと、再び東国に戻るのにあわせた順路であった。
また社会層をみると、従来の職業宗教者に加えて、15世紀中頃より一般庶民の参加も目立ち始めた(『幻雲稿』など)。各札所ごとに詠歌が定められているが、一般庶民による巡礼が盛んになった結果だという。巡礼詠歌は、歌風から16世紀ごろに成立したと推測されているが、東国出身者の観点から詠まれていると思われるものが認められる。
また「西国三十三所」の呼称が最初に史料で確認できるのも15世紀中頃である(『竹居清事』)。「西国」の呼称は、近畿圏で用いられるものとしては不自然で、東国出身者が名付けたものと考えるのが妥当である。
地方では盛んに移し霊場が創設された。国ごと、郡ごとに観音を祀った寺院が33箇所ずつ選定されて、三十三所霊場が創設された。1497年(明応6年)設立の武蔵国足立郡三十三所、1512年(永正9年)設立の陸奥国糠部郡三十三所、1513年(永正10年)設立の淡路国三十三所など、全国各地に設けられた。1454年(享徳3年)以前成立の洛中三十三所もある。中でも秩父霊場(1488年(長享2年)以前の成立)は、ほかの多くの地方観音霊場を押しのけて、西国霊場、坂東霊場と並ぶ霊場として定着を見た。これは霊場の寺院数を三十三所ではなく三十四所とし、西国霊場、坂東霊場と合わせて、百観音として位置づけたことが成功したのだろう。
三十三所を合祀した三十三所巡礼堂の建立も行われた。1450年(宝徳2年)に吉野に、1487年(長享1年)には越智郡に立てられている。
近世
江戸時代の西国三十三所巡礼は、江戸幕府の宗教政策により求道的な巡礼は衰退していったものの、民衆文化の台頭により一般庶民の巡礼はますます盛んとなった。
江戸幕府は、宗教者の放浪を嫌い、遊行宗教者の抑圧政策を取り、地方定住を促した。また自由に勧進を行うことを禁止し、許可制とした。これにより三十三所巡礼を支えた各寺院の勧進聖たちは衰退を余儀なくされた。
一方、都市文化の興隆を背景として、各寺院は三十三所であることを強調した居開帳、出開帳を盛んに行った。葛井寺では8回の出開帳を江戸、大坂、堺で、宝厳寺では14回の出開帳を、江戸、京都、大坂で行っている。
また江戸時代には、安定した社会と交通網の整備により伊勢詣や善光寺参りのような一般庶民の巡礼文化が発達した。三十三所巡礼は、巡礼文化の一つとして定着した。巡礼のためのガイドブックや絵図なども盛んに作られた。18世紀末には納経帳が登場し、巡礼者の間に普及した。
地方観音霊場の創設は盛んに行われ、複雑化していった。地方観音霊場のなかに西国三十三所の寺院も組み込み、地方霊場と中央霊場が相互に提携する関係も生まれた。三十三所の石仏の建立や、お砂ふみも行われるようになった。
近代
明治初年の廃仏毀釈によって、一時的に消滅した札所もあったが復興し、明治20年代には巡礼も再び行われるようになった。戦後は1960年代にバスや自家用車による現代的な巡礼スタイルが広まり、旅行会社によるツアーも企画されるようになった。西国三十三所札所会が設立され、1987年(昭和62年)には花山法皇による霊場中興一千年記念行事が行われた。また番外札所が加えられたのは近代になってからであった。
系譜
番 | 山号 | 名称 | 所在地 | 札所本尊 | 現在の教団 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 那智山 | 青岸渡寺 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 | 如意輪観音 | 天台宗 |
2 | 紀三井山 | 紀三井寺 | 和歌山県和歌山市紀三井寺1201 | 十一面観音 | 救世観音宗(真言宗系) 総本山 |
3 | 風猛山 | 粉河寺 | 和歌山県紀の川市粉河2787 | 千手千眼観音 | 粉河観音宗(天台宗系) 総本山 |
4 | 槙尾山 | 施福寺 | 大阪府和泉市槇尾山町136 | 千手千眼観音 | 天台宗 |
5 | 紫雲山 | 葛井寺 | 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16-21 | 十一面千手千眼観音 | 真言宗御室派 |
6 | 壺阪山 | 南法華寺 | 奈良県高市郡高取町壺阪3 | 十一面千手千眼観音 | 単立(真言宗系) |
7 | 東光山 | 龍蓋寺 | 奈良県高市郡明日香村岡806 | 如意輪観音 | 真言宗豊山派 |
番外 | 長谷寺 法起院 | 奈良県桜井市初瀬776 | 徳道 | 真言宗豊山派 | |
8 | 豊山 | 長谷寺 | 奈良県桜井市初瀬731-1 | 十一面観音 | 真言宗豊山派 |
9 | 興福寺 南円堂 | 奈良県奈良市登大路町48 | 不空羂索観音 | 法相宗 大本山 | |
10 | 明星山 | 三室戸寺 | 京都府宇治市莵道滋賀谷21 | 千手観音 | 本山修験宗 |
11 | 深雪山 | 醍醐寺 准胝観音堂 | 京都府京都市伏見区醍醐醍醐山 | 准胝観音 | 真言宗醍醐派 総本山 |
12 | 岩間山 | 正法寺 | 滋賀県大津市石山内畑町82 | 千手観音 | 真言宗醍醐派 |
13 | 石光山 | 石山寺 | 滋賀県大津市石山寺1丁目1-1 | 如意輪観音 | 東寺真言宗 |
14 | 長等山 | 園城寺 観音堂 | 滋賀県大津市園城寺町246 | 如意輪観音 | 天台寺門宗 総本山 |
番外 | 華頂山 | 元慶寺 | 京都府京都市山科区北花山河原町13 | 薬師如来 | 天台宗 |
15 | 新那智山 | 今熊野観音寺 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町32 | 十一面観音 | 真言宗泉涌寺派 |
16 | 音羽山 | 清水寺 | 京都府京都市東山区清水1丁目294 | 十一面千手千眼観音 | 北法相宗 大本山 |
17 | 補陀洛山 | 六波羅蜜寺 | 京都府京都市東山区轆轤町81-1 | 十一面観音 | 真言宗智山派 |
18 | 紫雲山 | 頂法寺 | 京都府京都市中京区堂之前町248 | 如意輪観音 | 単立(天台宗系) |
19 | 霊〓山 | 行願寺 | 京都府京都市中京区行願寺門前町17 | 千手観音 | 天台宗 |
20 | 西山 | 善峯寺 | 京都府京都市西京区大原野小塩町1372 | 千手観音 | 単立(天台宗系) |
21 | 菩提山 | 穴太寺 | 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46 | 聖観音 | 天台宗 |
22 | 補陀洛山 | 総持寺 | 大阪府茨木市総持寺1丁目6-1 | 千手観音 | 高野山真言宗 |
23 | 応頂山 | 勝尾寺 | 大阪府箕面市粟生間谷2914-1 | 十一面千手観音 | 高野山真言宗 |
24 | 紫雲山 | 中山寺 | 兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1 | 十一面観音 | 真言宗中山寺派 大本山 |
番外 | 東光山 | 花山院 | 兵庫県三田市尼寺352 | 薬師如来 | 真言宗花山院派 |
25 | 御嶽山 | 清水寺 | 兵庫県加東市平木1194 | 十一面千手観音 | 天台宗 |
26 | 法華山 | 一乗寺 | 兵庫県加西市坂本町821-17 | 聖観音 | 天台宗 |
27 | 書写山 | 円教寺 | 兵庫県姫路市書写2968 | 六臂如意輪観音 | 天台宗 |
28 | 成相山 | 成相寺 | 京都府宮津市成相寺339 | 聖観音 | 単立(橋立真言宗) |
29 | 青葉山 | 松尾寺 | 京都府舞鶴市松尾532 | 馬頭観音 | 真言宗醍醐派 |
30 | 厳金山 | 宝厳寺 | 滋賀県長浜市早崎町1664-1 | 千手千眼観音 | 真言宗豊山派 |
31 | 姨綺耶山 | 長命寺 | 滋賀県近江八幡市長命寺町157 | 千手観音・十一面観音・聖観音 | 単立(天台宗系) |
32 | 繖山 | 観音正寺 | 滋賀県近江八幡市安土町石寺2 | 千手千眼観音 | 単立(天台宗系) |
33 | 谷汲山 | 華厳寺 | 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 | 十一面観音 | 天台宗 |
京都・法音寺が復興の本部となったらしい?
画像
参考文献
- 図録『西国三十三所』平成7