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東大寺関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | **[[東大寺知足院|知足院]] | + | *[[東大寺薬師院|薬師院]]:執行職・三網職を務めた寺院。学侶や堂衆の寺院とは異なり、東大寺郷の近くにあった。多くの文書が残されている。廃絶。 |
- | + | *[[東大寺正法院|正法院]]:三網職を担った寺院。詳細は分かっていない。廃絶。 | |
+ | *[[東大寺知足院|知足院]]:現存。 | ||
+ | *[[東大寺新禅院|新禅院]]:現存。本尊は金色阿弥陀像。938年(天慶1年)に明珍が創建。念仏院と称した。定親が再興。三論宗の拠点。1197年(建久8年)、[[興福寺]]西金堂衆により破壊される。宝暦の火災で罹災。[[後嵯峨上皇]]祈願所。寺名のみ残る。現在は跡地に東大寺整肢園がある。 | ||
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+ | *観音院:現存。宝暦の火災で罹災。 | ||
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+ | *宝厳院:現存。元は大喜院の隣にあった。良覚が蓮乗院と同時期に創建。実清が天正年間に中興。宝暦の火災で罹災。現在地は旧実信院の位置。 | ||
+ | *大喜院:宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *深井坊:上生院の東、講堂の北にあった。廃絶。1495年(明応4年)に秀覚が創建。江戸時代中期以降に廃絶。 | ||
+ | *金蔵院:宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *上生院:現存。知足院の南にあった。浄実が中興。華厳宗寺院だったが、のち三論宗に転じた。宝暦の火災で罹災。寺名のみ残る。 | ||
+ | *見性院:宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *密乗院: | ||
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+ | *中性院:現存。宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *宝珠院:現存。創建年代は不明。二月堂を管理していたこともある。1562年(永禄5年)に玄覚が再建。 | ||
+ | *来迎院: | ||
+ | *蓮乗院:大仏殿の西にあった。1555年(弘治1年)実清が中興。 | ||
+ | *四聖坊:正倉院の南西にあった。四聖御影を祀っていた。堂宇は正倉院内に現存。廃絶。 | ||
+ | *清涼院:現存。尊勝院の北東にある。[[徳川家康]]の帰依を受けた実英が中興。寺名のみがあるとされる。 | ||
+ | *仏性院:仏生院。宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *金剛院: | ||
+ | *文殊院:宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *福寿院: | ||
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+ | *最勝院: | ||
+ | *正源院: | ||
+ | *証菩提院: | ||
+ | *尊光院:宝暦の火災で罹災。 | ||
+ | *迦葉院: | ||
+ | *禅花坊:尊勝院の北に隣接。1475年(文明7年)、英祐が成福院とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。 | ||
+ | *成福院:尊勝院の東にあった。1475年(文明7年)、英祐が禅花坊とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。 | ||
+ | *惣持院:現存。禅花坊の北にあった。英秀が創建。寺名のみ残るが、勧進所奥院を惣持院の建物として用いている。 | ||
+ | *西之院: | ||
+ | *西蔵院: | ||
+ | *西南院: | ||
+ | *唐禅院:鑑真の住坊として建てられた塔頭寺院。講堂の西、戒壇院の北にあった。 | ||
+ | *一音院: | ||
+ | *地蔵院:現存。室町時代に浄憲が再興。当初の位置は分かっていない。真言院の南に現存。 | ||
+ | *禅那院: | ||
+ | *千手院: | ||
+ | *紫摩金院:紫磨金院 | ||
+ | *新造屋: | ||
+ | *普門院: | ||
+ | *法性院: | ||
+ | *実信院: | ||
+ | *北林院:現存。成慶が中興。正倉院の西にあったが、1917年(大正6年)に現在地に移転。 | ||
+ | *正観院:現存。1844年(弘化1年)、広海が創建。正倉院の中にあった。1917年(大正6年)に現在地に再興。 | ||
+ | *金殊院:現存。清須が創建。講堂の北西にあり、見性院に接していた。寺名のみが残っている。 | ||
+ | *嘉祥院: | ||
+ | *中院: | ||
+ | *北室院: | ||
+ | *禅南院: | ||
+ | *福園院: | ||
+ | *西室院: | ||
+ | *東室院: | ||
==関係寺院== | ==関係寺院== |
2016年3月6日 (日) 時点における版
東大寺に関連する旧跡。
目次 |
東大寺草創に関わる旧跡
- 奉先寺 龍門石窟寺院の一つ。毘盧遮那仏の大仏がある。東大寺大仏は、ここをモデルにしたと言われる。
- 知識寺 聖武天皇が立ち寄り、ここの大仏を見て、東大寺大仏建立を思い立ったとされる寺院。石神社に塔の礎石と言われる石が残る。
- 甲賀寺 聖武天皇が最初に大仏を立て始めた寺。紫香楽宮の近くにあった。
- 喜光寺 行基が東大寺を建てる前に試しに建てたと言われる。「試みの大仏殿」。
- 金鍾山寺 東大寺の前身寺院。
- 福寿寺 東大寺の前身寺院
- 天地院 東大寺の前身寺院
- 黄金山神社 奈良時代の造立で金を産出
- 金華山 奈良時代の造立で金を産出と伝承
- 生駒法楽寺 西北の方位除けとされる
- 宇佐神宮 大仏建立に協力と託宣
- 手向山神社遷座旧跡
東大寺鎌倉復興に関わる旧跡
東大寺江戸復興に関わる旧跡
- 東大寺公慶堂
- 公慶墓
- 東大寺龍松院 公慶が住した。大勧進職を務めた。
- 東大寺長寿院 公慶が勧進の拠点とした寺院。浅草にあった
- 五劫院 公慶の墓がある。
- 日向・白鳥神社 江戸の大仏殿復興の時、当社の山林から虹梁となる木が切りだされた
- 東大寺東照宮
関連人物旧跡
- 菩提僊那旧跡
- 菩提僊那墓
- 円照
- 凝然
- 奝然
- 清玉
修二会関連旧跡
- 紫微中台十一面悔過所 光明皇后により十一面悔過が行われていた。
- 笠置山 実忠が修行したところ。修二会発祥の地。
- 難波津 修二会の本尊、小観音を迎えたところという
- 名張極楽寺 修二会の松明をつくる
- 道観塚
主要伽藍
- 大仏殿
- 講堂 廃絶
- 食堂 廃絶
- 二月堂
- 法華堂
- 戒壇堂
- 四月堂
- 開山堂
- 指図堂
- 転害門
- 俊乗堂
- 勧進所 八幡殿
- 勧進所 公慶堂
- 勧進所 阿弥陀堂
- 行基堂
- 念仏堂 東大寺別所?
- 東塔・西塔 廃絶
- 遠敷神社
- 飯道神社
- 興成神社
- 辛国神社
- 子安神社
- 五百立神社
- 厳島神社
- 英霊殿
- 天皇殿
- 東照宮 廃絶。現在天皇殿
- 潅頂堂 現在、勧学院
- 若狭井
- 阿弥陀院 廃絶
- 御髪塔 聖武天皇の髪を納めたとも、鎌倉再建のときの髪の綱を納めたともいう。
- 興福寺一乗院宮墓地
- 持仏堂 元談山神社本殿
- 手向山神社
御拝壇
主要子院
- 東南院:真言宗・三論宗の本拠となった門跡寺院。聖宝が創建。宝暦の火災で罹災。現在は本坊。
- 尊勝院:華厳宗の本拠となった寺院。武家勢力と近かった。
- 真言院:現存。空海が創建。
- 龍松院:現存。大勧進職を務めた寺院。公慶が創建。公慶時代は勧進所にあった。没後、旧大喜院に移った。
- 上之坊:良弁を祀る開山堂を管理する寺院。現存。1407年(応永14年)、春専が再建。
- 薬師院:執行職・三網職を務めた寺院。学侶や堂衆の寺院とは異なり、東大寺郷の近くにあった。多くの文書が残されている。廃絶。
- 正法院:三網職を担った寺院。詳細は分かっていない。廃絶。
- 知足院:現存。
- 新禅院:現存。本尊は金色阿弥陀像。938年(天慶1年)に明珍が創建。念仏院と称した。定親が再興。三論宗の拠点。1197年(建久8年)、興福寺西金堂衆により破壊される。宝暦の火災で罹災。後嵯峨上皇祈願所。寺名のみ残る。現在は跡地に東大寺整肢園がある。
- 龍蔵院:現存。
- 新福院:
- 自性院:宝暦の火災で罹災。
- 法輪院:
- 安養坊:
- 宝信院:
- 観音院:現存。宝暦の火災で罹災。
- 持宝院:現存。宝暦の火災で罹災。
- 宝厳院:現存。元は大喜院の隣にあった。良覚が蓮乗院と同時期に創建。実清が天正年間に中興。宝暦の火災で罹災。現在地は旧実信院の位置。
- 大喜院:宝暦の火災で罹災。
- 深井坊:上生院の東、講堂の北にあった。廃絶。1495年(明応4年)に秀覚が創建。江戸時代中期以降に廃絶。
- 金蔵院:宝暦の火災で罹災。
- 上生院:現存。知足院の南にあった。浄実が中興。華厳宗寺院だったが、のち三論宗に転じた。宝暦の火災で罹災。寺名のみ残る。
- 見性院:宝暦の火災で罹災。
- 密乗院:
- 善性院:
- 勝曼院:
- 中性院:現存。宝暦の火災で罹災。
- 宝珠院:現存。創建年代は不明。二月堂を管理していたこともある。1562年(永禄5年)に玄覚が再建。
- 来迎院:
- 蓮乗院:大仏殿の西にあった。1555年(弘治1年)実清が中興。
- 四聖坊:正倉院の南西にあった。四聖御影を祀っていた。堂宇は正倉院内に現存。廃絶。
- 清涼院:現存。尊勝院の北東にある。徳川家康の帰依を受けた実英が中興。寺名のみがあるとされる。
- 仏性院:仏生院。宝暦の火災で罹災。
- 金剛院:
- 文殊院:宝暦の火災で罹災。
- 福寿院:
- 阿弥陀院:
- 普賢院:
- 最勝院:
- 正源院:
- 証菩提院:
- 尊光院:宝暦の火災で罹災。
- 迦葉院:
- 禅花坊:尊勝院の北に隣接。1475年(文明7年)、英祐が成福院とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
- 成福院:尊勝院の東にあった。1475年(文明7年)、英祐が禅花坊とともに創建。江戸時代中期以降に廃絶した。
- 惣持院:現存。禅花坊の北にあった。英秀が創建。寺名のみ残るが、勧進所奥院を惣持院の建物として用いている。
- 西之院:
- 西蔵院:
- 西南院:
- 唐禅院:鑑真の住坊として建てられた塔頭寺院。講堂の西、戒壇院の北にあった。
- 一音院:
- 地蔵院:現存。室町時代に浄憲が再興。当初の位置は分かっていない。真言院の南に現存。
- 禅那院:
- 千手院:
- 紫摩金院:紫磨金院
- 新造屋:
- 普門院:
- 法性院:
- 実信院:
- 北林院:現存。成慶が中興。正倉院の西にあったが、1917年(大正6年)に現在地に移転。
- 正観院:現存。1844年(弘化1年)、広海が創建。正倉院の中にあった。1917年(大正6年)に現在地に再興。
- 金殊院:現存。清須が創建。講堂の北西にあり、見性院に接していた。寺名のみが残っている。
- 嘉祥院:
- 中院:
- 北室院:
- 禅南院:
- 福園院:
- 西室院:
- 東室院:
関係寺院