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国家仏教

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年2月6日 (土)

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国家仏教


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法会

『延喜式』に記載の国家的法会。『事典古代の祭祀と年中行事』より。

名称 実施日 会場 目的 本尊 経典 天皇の関与 概要
御斎会 1/8~1/14 大極殿 祈願・修学 盧舎那仏 金光明経 ときに天皇出御。 律令国家で最も重要な仏教法会だった。大極殿で毎年1月8日から14日まで行われた最勝会。毘盧遮那仏を高御座に奉安し、『金光明最勝王経』を講じた。称徳天皇の768年(神護景雲2年)頃から恒例となる。法会を運営する行事官は太政官官員で構成した。後七日御修法と同じ日程で、顕教の御斎会と密教の御修法で顕密の対となる。室町時代に廃絶。
真言法(後七日御修法1/8~1/14 真言院 祈願 曼荼羅 玉体加持。御衣加持。 密教修法。空海は御修法を行う上奏文を提出し、834年(承和1年)12月、勅許を得る。835年(承和2年)1月8日に初めて行った。1月8日から1月14日の期間は大極殿での御斎会が恒例となっていたが、空海は密教修法の意義を説いて認められた。空海は同年死去。会場となる真言院の成立は829年(天長6年)説や834年(承和1年)説がある。1353年(正平8年/文和2年)の真言院廃滅の後は、明治初年まで紫宸殿が道場となった。1460年(寛正1年)を最後に百数十年中断。近世、醍醐寺義演の働き掛けで1623年(元和9年)復興。1871年(明治4年)廃絶するが、1883年(明治16年)1月8日、東寺灌頂院を道場として復興した。
大元帥法 1/8~1/14 治部省 祈願 大元帥明王 阿〓婆拘鬼神大将上仏陀羅尼神呪経 御衣加持。 密教修法。7日間、天皇の御衣を加持する。初日に御衣を賜って道場に送り、御衣筥に入れて緋色の紐で結ぶ。結願の日に御衣を奉還する。法琳寺の常暁(?-866)が840年(承和7年)12月に宮中常寧殿で営んだのが起源。以後、国家鎮護の修法として重視され、851年(仁寿1年)から後七日御修法に准じて毎年同期間に行うことが勅許された。866年(貞観8年)から治部省で行った。即位など臨時に行うこともあった。当初は後七日御修法よりも重視されていたという。大元帥法は臣下が独断で行うことは禁止されていた。
延暦寺修法 12/23~1/14 延暦寺 祈願 密教修法。
延暦寺定心院修法 1月(7日間) 延暦寺定心院 祈願 密教修法。
延暦寺定心院正月悔過 1月 延暦寺定心院 祈願
延暦寺西塔院釈迦堂正月悔過 1月 延暦寺釈迦堂 祈願
諸国国分二寺正月金光明経会 1/8~1/14 国分僧寺国分尼寺 祈願 金光明経
諸国国庁吉祥悔過 1/8~1/14 国府 祈願 吉祥天 金光明経
季読経(季御読経) 2月(3日間) 大極殿または紫宸殿 祈願 盧遮那仏 大般若経 僧100人が出仕。『江家次第』に招かれた僧の33寺が挙げられている。708年(和銅1年)もしくは729年(天平1年)に始まったという。862年(貞観4年)に年4回(2月・4月・8月・10月)となる。877年(元慶1年)3月に春秋二季となる。延喜式には3日間とあるが、天慶年間以降は4日間となる。大極殿・紫宸殿を会場としたが、天慶・天徳年間以降は紫宸殿が恒例となり、清涼殿を会場としたこともあるという。(国史大辞典など)
新薬師寺修法 2月 新薬師寺 祈願 密教修法。
諸国国分二寺金剛般若経会(崇道天皇春秋読経) 2月(7日間) 国分僧寺・国分尼寺 回向 金剛般若経 崇道天皇の供養のために国分寺・国分尼寺に金剛般若経を読経させた。
薬師寺最勝会 3/7-3/13 薬師寺講堂 修学 阿弥陀如来 金光明経 勅使派遣 南京三会の一つ。830年(天長7年)に仲継の発議を受け直世王の上奏で始まる。竪義が行われ、官僧の出世の登龍門となった。1445年(文安2年)6月、暴風で薬師寺諸堂が倒壊して最勝会も廃絶した。
興福寺国忌(藤原乙牟漏忌日) 3月10日 興福寺 回向 藤原乙牟漏の国忌。
授戒 3月11日 三戒壇 修学
東大寺華厳会 3月14日 東大寺 祈願? 華厳経 官人史生1人が楽人を率いて参加。
西大寺成道会 3月15日 西大寺 報恩 釈迦如来 古代には現在の12月8日ではなく、上座部所伝の3月15日に行っていた。
東寺春秋修法 3月15日 東寺 祈願? 密教修法。
西寺国忌(桓武天皇忌日) 3月17日 西寺 回向 桓武天皇の国忌。
東寺国忌(仁明天皇忌日) 3月21日 東寺 回向 仁明天皇の国忌。
嘉祥寺地蔵悔過 3月 嘉祥寺 祈願 地蔵菩薩
大般若会 4/1~8/30 十六大寺 祈願 大般若経 東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺、新薬師寺、唐招提寺、本元興寺、弘福寺、四天王寺、崇福寺、東西法華寺(?)、梵釈寺などで4月1日から8月30日まで食事の時に食堂で大般若経1巻を読経した
大安寺大般若会 4/6~4/7 大安寺 祈願 大般若経 勅会 道慈の上奏で737年(天平9年)4月に勅会となる。僧150人が出仕して大般若経が真読した。大般若四処十六会図像を作成した。官人史生1人が楽人を率いて参加。(国史大辞典など)
御灌仏(殿上灌仏) 4月8日 清涼殿祈願・報恩 釈迦如来
東寺西寺四月八日・七月十五日斎会 4月8日 東寺・西寺 祈願・報恩 釈迦如来
下野国薬師寺四月八日・七月十五日斎会 4月8日 下野薬師寺 祈願・報恩 釈迦如来
崇福寺悔過 4/13~4/15 崇福寺 祈願
十五大寺安居 4/15~7/15 十五大寺 修学
招提寺安居 4/15~7/15 唐招提寺 修学
諸国金光明寺安居 4/15~7/15 国分寺 修学 金光明経 尼も国分僧寺に集まる。
東寺国忌(藤原沢子忌日) 6月30日 東寺 回向 仁明天皇女御で光孝天皇生母の藤原沢子(?-839)の国忌。藤原総継の娘。839年(承和6年)6月30日に突然死去。即日、贈従三位。884年(元慶8年)、光孝天皇即位と共に皇太后が贈られ、国忌が置かれ、墓を陵に改められ、十陵五墓に加えられた。
東寺国忌(藤原胤子忌日) 6月30日 東寺 回向 宇多天皇女御で醍醐天皇生母の藤原胤子(?-896)の国忌。藤原高藤の娘。893年(寛平5年)女御となる。896年(寛平8年)6月30日死去。897年(寛平9年)、醍醐天皇即位で、7月19日に皇太后を贈られた。同年12月8日に国忌が定められ、同日、陵が十陵に定められた。
本元興寺万花会 6月15日 本元興寺 祈願? 843年(承和10年)5月26日の仁明天皇の勅で恒例となる(続日本後紀)。
東寺西寺文殊会 7月8日 東寺・西寺 祈願? 文殊菩薩 文殊師利般涅槃経
盂蘭盆会 7月15日 七寺 回向 盂蘭盆経
東寺西寺四月八日・七月十五日斎会 7月15日 東寺・西寺 回向 盂蘭盆経
下野国薬師寺四月八日・七月十五日斎会 7月15日 下野薬師寺 回向 盂蘭盆経
薬師寺大般若会 7/23~7/29 薬師寺 祈願 大般若経 僧30人が出仕する。
季読経(季御読経) 8月(3日間) 大極殿 祈願 盧遮那仏 大般若経
西寺国忌(光孝天皇忌日) 8月26日 西寺 回向 光孝天皇(830-887)<884-887>の国忌。887年(仁和3年)8月26日崩御。
西寺国忌(文徳天皇忌日) 8月27日 西寺 回向 文徳天皇(827-858)<850-858>の国忌。858年(天安2年)8月27日崩御。
諸国国分二寺金剛般若経会(崇道天皇春秋読経) 8月(7日間) 国分僧寺・国分尼寺 回向 金剛般若経
東大寺大般若会 9月15日 東大寺 祈願 大般若経 官人史生1人が楽人を率いて参加。
延暦寺灌頂 9月15日 延暦寺 修学
金剛峰寺修功徳 9月24日 金剛峰寺 祈願? 832年(天長9年)に始まる。高野山万燈会。
興福寺維摩会 10/10~10/16 興福寺講堂 修学・回向 維摩経 勅使派遣 南京三会の一つ。藤原鎌足が658年(斉明4年)に元興寺福亮を招いた維摩経を講じたのが始まり。706年(慶雲3年)に藤原不比等が鎌足の命日を結願日として再興するが中断。733年(天平5年)再興。757年(天平宝字1年)藤原仲麻呂が再興。802年(延暦21年)から恒例となる。859年(貞観1年)には維摩会講師を務めた僧が翌年1月の宮中御斎会と翌々年3月の薬師寺最勝会の講師を務める制度ができた。三会の講師を務め終えると已講となり、僧綱に出世した。中世以後、たびたび中断し、明治維新の興福寺廃止で廃絶した。
本元興寺万灯会 10月15日 本元興寺 祈願 843年(承和10年)5月26日の仁明天皇の勅で恒例となる(続日本後紀)。
嘉祥寺地蔵悔過 10月 嘉祥寺 祈願 地蔵菩薩
東寺春秋修法・秋灌頂 11月16日 東寺 祈願? 密教修法。
崇福寺国忌(天智天皇忌日) 12月3日 崇福寺 回向 天智天皇(626-671)<668-671>の国忌。671年(天智10年)12月3日崩御。のち律令国家の祖とみなされ、陵墓への奉幣も長く続けられた。
崇福寺悔過 12/3~12/5 崇福寺 祈願
御仏名 12/19~12/21 清涼殿 祈願・修学 774年(宝亀5年)12月に始まった。823年(弘仁14年)12月には長恵、勤操、空海らを請じて清涼殿で行っている。建久年間には12月19日~25日の期間の1日だけと定められた。永和頃には廃絶した。
東寺国忌(光仁天皇忌日) 12月23日 東寺 回向 光仁天皇(709-781)<770-781>の国忌。781年(天応1年)4月3日に譲位して12月23日崩御。
出雲国四王寺春秋修法 出雲四王寺 祈願 密教修法。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99」より作成

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