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玉前神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月9日 (水)

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*田中重則(-1894)<-1894>:1894年(明治27年)4月22日死去(官報)。
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*秋山光条(1843-1902)<1874-1874>:(略歴は[[八坂神社#組織]]を参照)
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*矢野豁(1881-1945)<1913-1915>:愛媛県出身の神職。1904年(明治37年)神宮皇学館卒。1911年(明治44年)[[神社局]]書記。1913年(大正2年)玉前神社宮司。1915年(大正4年)[[鎌倉宮]]宮司。1921年(大正10年)[[長田神社]]宮司。1923年(大正12年)[[神宮]]禰宜。1930年(昭和5年)[[松尾大社]]宮司。1933年(昭和8年)[[賀茂御祖神社]]宮司。1936年(昭和11年)[[賀茂別雷神社]]宮司。(『神道人名辞典』)
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*城井寿章()<1877->:1877年(明治10年)7月、玉前神社宮司。
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*園田弘<1907->:(略歴は、[[射水神社#組織]]を参照)
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*田中重則(?-1894)<-1894>:1894年(明治27年)4月22日死去(官報)。
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*杉谷正隆(1865-1945)<1894-1894>:熊本県出身の神職。1894年(明治27年)5月、玉前神社宮司。同年7月27日、[[安房神社]]宮司。のち[[浅間大社]]宮司、[[氷川神社]]宮司、[[香椎宮]]宮司、[[平安神宮]]宮司、[[八坂神社]]宮司、[[乃木神社]]社司を歴任。(略歴は、[[平安神宮#組織]]を参照)
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*田中美也司()<1894->:[[儒学者]]。1894年(明治27年)7月27日、玉前神社宮司。著書『商用文講話及文範』『商業作文』『商業歴史教科書』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803165][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803166]。
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*保科保操()<1897->:1897年(明治30年)7月1日から1899年(明治32年)4月29日まで玉前神社宮司。[[丹生川上神社]]宮司に転任。(略歴は、[[砥鹿神社#組織]]を参照)
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*森村正俊()<1903-1907>:1903年(明治36年)7月17日、玉前神社宮司。1907年(明治40年)3月6日、[[広瀬神社]]宮司。
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*園田弘(生没年不詳)<1907->:生没年不詳。[[日光二荒山神社]]宮司、[[八坂神社]]宮司、[[射水神社]]宮司を歴任。1907年(明治40年)3月、[[玉前神社]]宮司。(略歴は、[[射水神社#組織]]を参照)
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*矢野豁(1881-1945)<1913-1915>:愛媛県出身の神職。1881年(明治14年)生。1904年(明治37年)[[神宮皇学館]]本科卒。新潟県や大分県の中学校の教諭を務める。1911年(明治44年)[[神社局]]書記。1913年(大正2年)10月23日、玉前神社宮司。1915年(大正4年)3月20日、[[鎌倉宮]]宮司。1921年(大正10年)9月2日、[[長田神社]]宮司。1923年(大正12年)1月24日[[神宮]]禰宜。1930年(昭和5年)3月31日、[[松尾大社]]宮司。1933年(昭和8年)4月4日、[[賀茂御祖神社]]宮司。1936年(昭和11年)12月19日[[賀茂別雷神社]]宮司。1945年(昭和20年)7月7日死去。
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*栗原崇次()<>
==画像==
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2022年11月9日 (水) 時点における最新版

玉前神社
たまさき じんじゃ
Tamasaki-jinja (4).jpg
概要
奉斎 玉埼神
(土岐昌訓論文)
所在地 千葉県長生郡一宮町一宮3048
所在地(旧国郡) 上総国長生郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社上総国一宮国幣中社別表神社
関連記事 玉依姫信仰


目次

概要

歴史

境内

組織

宮司

  • 秋山光条(1843-1902)<1874-1874>:(略歴は八坂神社#組織を参照)
  • 城井寿章()<1877->:1877年(明治10年)7月、玉前神社宮司。
  • 田中重則(?-1894)<-1894>:1894年(明治27年)4月22日死去(官報)。
  • 杉谷正隆(1865-1945)<1894-1894>:熊本県出身の神職。1894年(明治27年)5月、玉前神社宮司。同年7月27日、安房神社宮司。のち浅間大社宮司、氷川神社宮司、香椎宮宮司、平安神宮宮司、八坂神社宮司、乃木神社社司を歴任。(略歴は、平安神宮#組織を参照)
  • 田中美也司()<1894->:儒学者。1894年(明治27年)7月27日、玉前神社宮司。著書『商用文講話及文範』『商業作文』『商業歴史教科書』[1][2]
  • 保科保操()<1897->:1897年(明治30年)7月1日から1899年(明治32年)4月29日まで玉前神社宮司。丹生川上神社宮司に転任。(略歴は、砥鹿神社#組織を参照)
  • 森村正俊()<1903-1907>:1903年(明治36年)7月17日、玉前神社宮司。1907年(明治40年)3月6日、広瀬神社宮司。
  • 園田弘(生没年不詳)<1907->:生没年不詳。日光二荒山神社宮司、八坂神社宮司、射水神社宮司を歴任。1907年(明治40年)3月、玉前神社宮司。(略歴は、射水神社#組織を参照)
  • 矢野豁(1881-1945)<1913-1915>:愛媛県出身の神職。1881年(明治14年)生。1904年(明治37年)神宮皇学館本科卒。新潟県や大分県の中学校の教諭を務める。1911年(明治44年)神社局書記。1913年(大正2年)10月23日、玉前神社宮司。1915年(大正4年)3月20日、鎌倉宮宮司。1921年(大正10年)9月2日、長田神社宮司。1923年(大正12年)1月24日神宮禰宜。1930年(昭和5年)3月31日、松尾大社宮司。1933年(昭和8年)4月4日、賀茂御祖神社宮司。1936年(昭和11年)12月19日賀茂別雷神社宮司。1945年(昭和20年)7月7日死去。
  • 栗原崇次()<>:

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%8E%89%E5%89%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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