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律宗

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*天台系円頓戒
*天台系円頓戒
**円頓戒:[[最澄]]の創唱した大乗戒。[[延暦寺戒壇院]]が拠点。『梵網経』を典拠とする。円戒。
**円頓戒:[[最澄]]の創唱した大乗戒。[[延暦寺戒壇院]]が拠点。『梵網経』を典拠とする。円戒。
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**[[黒谷流]]:[[良忍]]に学んだ叡空が開く。[[黒谷青龍寺]]を発祥地としてのち拠点は法勝寺に移る。[[法然]]を通じて広がる。浄土宗はこの系統。興円、円観らは黒谷から出て[[神蔵寺]]、[[帝釈寺]]を拠点とする。
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**[[黒谷流]]:[[良忍]]に学んだ叡空が円頓戒を復興を志して開く。[[黒谷青龍寺]]を発祥地としてのち拠点は法勝寺に移る。[[法然]]を通じて広がる。浄土宗はこの系統。叡空、[[法然]]、[[信空]]、湛空、恵尋、恵顗、興円、[[円観]]と伝えられた。興円、円観らは黒谷から出て[[神蔵寺]]、[[帝釈寺]]を拠点とする。円頓戒は密教と無関係だったが恵顗の時から円頓戒を重授戒灌頂として授けるようになった。
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**三鈷寺流:
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**三鈷寺流:[[三鈷寺]]
**廬山寺流:黒谷流の支流?[[浄土宗本山流]]も学んだ実導が開く。[[廬山寺]]が拠点。
**廬山寺流:黒谷流の支流?[[浄土宗本山流]]も学んだ実導が開く。[[廬山寺]]が拠点。
**二尊院流:[[二尊院]]が拠点
**二尊院流:[[二尊院]]が拠点

2017年7月25日 (火) 時点における版

律宗(りっしゅう)は、北伝仏教大乗仏教の一宗派。日本では、現在の律宗唐招提寺派真言律宗西大寺派以外にも、個々に様々な教団や潮流が存在した。

目次

流派

中国

  • 并部派:四分律。法願(524-587)が中心。并州(山西省太原市)の大興国寺を拠点とした。
  • 相部派:四分律。開祖は法礪(569-635)。相州日光寺(河北省邯鄲市臨漳県)を拠点とした。
  • 西塔派:開祖は満意(569-635)。
  • 南山派:四分律。開祖は道宣(596-667)。終南山豊徳寺を拠点とした。鑑真を経て日本に伝わった。
  • 東塔派:四分律。開祖は懐素(625-698)。長安崇福寺東塔を拠点とした、
  • 会正派:開祖は允堪(1005-1061)。西湖菩提寺が拠点。
  • 資持派:開祖は元照(1048-1116)。杭州祥符寺、杭州霊芝崇福寺

日本

唐招提寺西大寺東大寺戒壇院泉涌寺が四本山。

  • 古代の戒律
  • 天台系円頓戒
    • 円頓戒:最澄の創唱した大乗戒。延暦寺戒壇院が拠点。『梵網経』を典拠とする。円戒。
    • 黒谷流良忍に学んだ叡空が円頓戒を復興を志して開く。黒谷青龍寺を発祥地としてのち拠点は法勝寺に移る。法然を通じて広がる。浄土宗はこの系統。叡空、法然信空、湛空、恵尋、恵顗、興円、円観と伝えられた。興円、円観らは黒谷から出て神蔵寺帝釈寺を拠点とする。円頓戒は密教と無関係だったが恵顗の時から円頓戒を重授戒灌頂として授けるようになった。
  • 円頓戒・四分律兼学
    • 安楽律院流:慈山妙立が開く。安楽律院が拠点。梵網戒に加えて四分律も学ぶ。異端論争をもたらした。12年籠山行と結び付ける。寺門派では園城寺法明院が拠点。
    • 浄土宗興律派:浄土宗で通常用いる天台系円頓戒に加えて、四分律を受ける一派。浄土律。
    • 壬生派:知空の一派。
    • 法華律宗
    • 融通律:

人物


寺院

経典

小乗律

  • 五部律
    • 『十誦律』:説一切有部が伝えた律典。薩婆多部十誦律ともいう。
    • 『四分律』:法蔵部が伝えた律典。曇無徳律とも。
    • 『僧祇律』:大衆部が伝えた律典。摩訶僧祇律とも。
    • 『五分律』:化地部が伝えた律典。
    • 『解脱律』:飲光部が伝えた律典。書名のみ伝わり現存しない。迦葉遺律、伽葉惟律ともいう。
  • 有部律:根本説一切有部が伝えた律典群。真言宗で用いられている。チベット密教でも用いる。

大乗律

  • 『梵網経』
  • 『瓔珞本業経』:『梵網経』系の戒律を説く。
  • 『菩薩地持経』:瑜伽系


  • パーリ律
  • 「表無表章」:自誓受戒
  • 『占察経』:自誓受戒が説かれている。

教義

現代の日本仏教では全く消滅している制度だが、僧俗の階梯は次の七つがあった。男性は優婆塞、沙弥、比丘。女性は優婆夷、沙弥尼の次に、2年間式叉摩那となった後、比丘尼となる。これを七衆という。優婆塞、優婆夷は在俗信者。沙弥、沙弥尼、式叉摩那は見習い僧で、比丘、比丘尼が正式な僧侶とされる。それぞれの段階を進むごとに受戒が必要であった。

戒律に関する儀式としては授戒(受戒)、捨戒、布薩などがある。比丘授戒には通受、別受、従他受戒、自誓受戒、重受戒などの種類がある。従他受戒は通常の受戒で、自誓受戒は戒師がいない時に仏から直接受戒する臨時の作法。重受戒は重ねて受戒すること。布薩は月二回行う反省会のこと。三聚浄戒を三つ同時に受ける場合、通受といい、摂律儀戒だけを受けることを別受という。受戒には三師七証と呼ばれる10人の僧侶(比丘)が必要とされる。儀式の責任者の戒和尚(戒和上)、儀式の司会者となる羯磨師(こんまし)、受戒者に教える教授師の3人と証明師7人。増えてもいいし、略式では減っても良い。薬師寺戒壇や観世音寺戒壇では三師二証5人で行われた。

受戒すれは戒牒が授けられる。古い戒牒としては空海が東大寺戒壇院で具足戒を受けた時の写しが残っている。延暦14年4月9日付だが、本当にこの日に受けたかは疑問視されている。受戒の日が僧侶になった経歴の起点となり、席次などで年齢よりも戒﨟が重視された。

男女で大きな違いがあり、インドの女性蔑視が反映された結果と言われる。戒壇での受戒に参加できるのは男性のみ。そのため日本古代の尼僧はほとんど沙弥戒のみで、正式な僧侶として比丘尼になるものはまれだった。また式叉摩那から比丘尼になるための受戒は2回必要だった。式叉尼が尼戒壇で受戒の後、本法位となり、その後、僧寺戒壇で受戒してようやく比丘尼となった。

東大寺や観世音寺では原則として毎年3月から4月に行われた。一方、薬師寺では3年に一度でしか行われなかった。さらに円仁が下野国周辺の僧侶の受戒を延暦寺で行うこととしたため、薬師寺戒壇は早くに廃れた。東大寺と観世音寺では中世末まで行われていた。受戒者が増えた延暦寺では4月8日と11月8日が恒例となった。

天台宗では梵網戒のみを授ける日本独自の授戒が行われている。最澄が提唱した大乗戒である。延暦寺戒壇では釈迦を戒和上、文殊を羯磨師、弥勒を教授師、十方仏を証明師、十方菩薩を立会人の同学等侶として授戒する。以上を不現前五師という。実際には座主が伝戒師となる。松尾剛次は一種の自誓受戒と解釈している。しかし、対外的には、梵網戒のみの天台僧は半人前の沙弥扱いであった。そのため、比叡山の僧が中国に留学する時は東大寺戒壇で受戒したとの戒牒を偽造して持って行った。


小乗戒(声聞戒)

  • 具足戒:
    • 比丘戒
    • 比丘尼戒

大乗戒(菩薩戒)

  • 梵網戒:『梵網経』に基づく。
    • 十重禁戒:十戒とも。
    • 四十八軽戒:
  • 瑜伽戒
    • 三聚浄戒:多数の経典に説かれるが『瑜伽師地論』などがある。
    • 地持戒:瑜伽師地論系『菩薩地持経』に基づく。
  • 十六条戒:曹洞宗独自の戒。三帰戒と三聚浄戒と十重禁戒。道元が提唱。
    • 三帰戒:曹洞宗独自の戒。
  • 達磨一心戒
  • 三摩耶戒:菩提心戒とも。

  • 在家戒
    • 五戒:在家戒
    • 八斎戒:在家戒。八戒、八関斎戒、近住戒とも。
    • 十善戒:十戒とも。
  • 沙弥戒:十戒、沙弥十戒とも。

文献

  • 『律苑僧宝伝』:日中の律僧の伝記。野中寺3世の戒山慧堅が元禄2年編纂。平成19年刊行[1][2][3]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97」より作成

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