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唐沢山神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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唐沢山神社
からさわやま じんじゃ
Karasawayama-jinja 007.jpg
概要 古代の忠臣を奉斎する神社。
奉斎 藤原秀郷
(土岐昌訓論文)
所在地 栃木県佐野市富士町1409
所在地(旧国郡)
所属(現在) 神社本庁
格式など 別格官幣社別表神社
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目次

概要

唐沢山神社(からさわやま・じんじゃ)は、栃木県佐野市にある、平将門を討伐した鎮守府将軍藤原秀郷を祀る霊社。明治16年(1883)10月創建。明治23年(1890)11月、国家の英雄を祀る神社として別格官幣社に列格。居城唐沢山城本丸跡に鎮座する。神社本庁別表神社

奉斎

藤原秀郷」(明治23年内務省告示第41号、土岐昌訓論文)、「贈正二位藤原朝臣秀郷公」(大正11年『霊山唐沢山案内』)、「鎮守府将軍贈正二位藤原秀郷公」(昭和9、『唐沢山神社誌』)などと表記される。俵藤太田原藤太とも呼ばれ、下野国の在庁官人だった。下野国安蘇郡の唐沢山に築城し拠点とした。天慶2年(939)、平将門が反乱を起こすと、平貞盛らと協力し、翌年、将門を攻めて討伐したとされる。従四位下を授けられ、鎮守府将軍に任じられたという。 一般に生没年不詳とされるが、下野では正暦2年(991)に没したと伝承されている。秀郷が開基となった東明寺に葬られた。東明寺殿と贈られたという。唐沢山の西2kmに位置する、東明寺跡伝承地には現在も墳墓があり、神社の飛地境内になっている。また群馬県伊勢崎市の曹洞宗宝珠寺にも墓所がある。 神社創建直前の明治16年8月6日には正三位が追贈され、大正7年には正二位が追贈された。

由緒

唐沢山城は、佐野市街地、佐野城から北西4.3kmの唐沢山(247m)にある。藤原秀郷の嫡流とされる佐野家が拠点としたが、城は江戸時代に廃城となった。明治11年3月、佐野家を盛り立てるため、旧臣縁故者が沢英社を組織。ついで13年11月10日、43代当主の佐野郷(ごう)は、秀郷の霊廟を城跡に建設するために東明会を組織した。佐野常民の賛同を得て、明治14年3月17日、郷をはじめ地元住民らが神社創建願を栃木県に提出。すでに「唐沢山神社」の社名案が願書にみえる。8月には図面を添えて払い下げを願っている。

明治14年12月、唐沢山麓の官有林の払い下げと神社建設の許可が降りた。同年、天下谷政重を受持神官とする。翌年4月3日に地鎮祭を行ない、社殿を位置を定めた。16年9月に仮社殿が竣工し、10月25日、「鎮座仮式」を行った(『佐野の古蹟 唐沢山』に17年とあるが、他資料にいずれも16年とあるので誤植と思われる)。秀郷の「遠逝」の日である10月25日を例祭日とし、「建勲賜賽」の日である4月25日を春季祭とした。

鎮座直前の明治16年8月6日には正三位贈位が決まり、30日には佐野郷に伝達された(『公文類聚』)。この贈位の審議の際、政府では合わせて唐沢山神社の別格官幣社列格についても議論されていたらしい(『公文類聚』)。

歴史

創建は実現したものの仮社殿でまだ社格もなかった(?)。東明会は引き続き、活動を続けた。その結果、明治23年(1890)11月29日、内務省告示第41号で別格官幣社に列格された(『法令全書』)。翌年10月25日には、秀郷900年祭を執行。佐野常民、常羽の奔走が実り、明治39年9月15日、社殿改築を申請。10月25日仮殿遷座祭。41年10月15日本殿が竣工し、同月23日に正遷座祭が行われた。明治43年(1910)10月には一連の工事が完了したらしい。大正7年11月8日には秀郷に正二位贈位。それを記念して墓所を当社の飛地境内に編入した。11月21日には贈位を伝える策命使が墓所に参向した。大正7年の贈位は、天皇行幸のもと、栃木県で行われた陸軍特別大演習に合わせてのものらしい(「贈位内申書」)。

佐野常民は、当社の創建整備に尽力した。明治16年の贈位には前年12月に太政大臣三条実美宛に嘆願書を出しており、明治17年には官社列格の建議を行っていることが『公文録』で確認できる。大隈重信など各方面に働きかけるとともに、山士家左〓に『田原族譜』を編纂させ、野中準に『秀郷事実考』を考証させ、大森惟中に『秀郷勲功記』を作らせ、劇を上演させるなど藤原秀郷顕彰ムードの醸成を図った。別格官幣社列格が決まった当日には喜びの漢詩を綴っている。重信は、明治40年11月23日、自邸での講演で、相手が屈するまで自説を止めない故常民を回顧し、「決心を以って、前後ほとんど17、8年間の苦心経営して、ついに唐沢山神社を拵えた」とその信念を讃えている。

境内

  • 避来矢
  • 藤原秀郷墓:唐沢山から西2kmにある。当社飛地境内。東明寺跡にある無格社田原八幡宮の社地であったが、大正7年の正二位贈位に際して、同宮が近隣の天満宮に合祀合併されて墓地は唐沢山神社に寄贈された。
  • 田原八幡宮:藤原秀郷墓の傍らにあった、秀郷を祀る霊社。小祠は現存?

組織

宮司

別格官幣社列格とともに宮司が設置された。

唐沢山神社の歴代宮司
歴代 生没年 在職年 略歴
天下谷政重 1854-? 1881-1890 根古屋神社の社家の出身。1854年生(「天下谷政重氏伝」[1])。栃木県中教院で学ぶ。明治13年、藤原秀郷を祀る神社の創立の動きが起こると、11/25には天下谷政重の家で第二回会合が行われている。唐沢山神社創立の請願に名前を連ね、請願書の時点で「受持神官」と名乗っている。別格官幣社昇格後は「傭神官」となっている[2]。1901年9月13日、神宮奉斎会宇都宮本部より礼部補に任命[3]
1 佐野郷 1855-1906 1890-1895 藤原秀郷末裔の佐野家43代。佐野時行の娘婿[4]。実父は清水幸助。1880年、藤原秀郷を祀る神社の創建を訴える東明会の会長に就任する。1883年12月8日、家督相続。1890年12月15日、唐沢山神社宮司[5]。1895年4月10日まで[6]。1906年1月21日死去。52歳。
2 森口健吉 生没年不詳 1895-1897 略歴不詳。栃木県官吏か。1895年4月10日[7]から1897年10月26日[8]まで唐沢山神社宮司。
3 戸田忠友 1847-1924 1897-1899 旧宇都宮藩主。1897年10月26日[9]から1899年2月6日[10]まで唐沢山神社宮司。(略歴は宇都宮二荒山神社#組織を参照)
4 阿久津真澄 生没年不詳 1899-1902 栃木県出身。函館八幡宮禰宜[11]。札幌神社禰宜[12]。1899年2月6日[13]、唐沢山神社宮司。1902年8月15日[14]、札幌神社宮司。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
5 額賀大直 1877-1961 1902-1904 神社本庁長老。千葉県神社庁庁長。千葉県出身。額賀家は香取神宮の社家の一つ。1877年(明治10年)生。1902年(明治35年)神宮皇学館本科修了。同年、一時内務省属となるが同年8月15日、唐沢山神社宮司就任[15]。1904年(明治37年)12月7日[16]まで。以後、寒川神社札幌神社氷川神社浅間大社日光東照宮八坂神社住吉大社朝鮮神宮香取神宮の宮司を歴任。(略歴は香取神宮#組織を参照)
6 金子健治 生没年不詳 1904-1911 略歴不詳。寒川神社禰宜を経て1904年(明治37年)12月7日[17]から1911年10月20日[18]まで唐沢山神社宮司。
7 山川鵜市 1876- 1911-1921 1911年10月20日[19]から1921年(大正10年)9月2日、鎌倉宮宮司[20]。広瀬神社宮司、龍頭山神社宮司。著書『神祇辞典』。(略歴は広瀬大社#組織を参照)
8 有賀忠義 1883-1968 1921-1925 浅間大社禰宜を経て1921年(大正10年)9月2日、唐沢山神社宮司[21]。1925年2月12日[22]鹿児島神宮宮司。(略歴は鹿児島神宮#組織を参照)
9 平尾三郎 1888-? 1925-1927 1888年生[23]。平尾〓三郎の養子。1913年、国学院大学卒。富山日枝神社社掌、富山県招魂社神職。1925年2月12日[24]、唐沢山神社宮司。1927年8月13日[25]射水神社宮司。
10 秋元視之 ?-1932 1927-1932 宮城県出身。1911年、神宮皇学館卒。諏訪大社主典を経て1927年8月13日[26]、唐沢山神社宮司。1932年5月7日、在職で死去[27]
11 植村近平 1890-? 1932-1935 大阪府出身。1890年生[28]。神宮皇学館卒。陸軍工兵中尉。四條畷神社禰宜を経て1932年05月23日[29]から1935年5月2日[30]まで唐沢山神社宮司。1936年、満洲国の新京神社宮司兼范家屯神社神職[31]
12 伊達巽 1894-1988 1935-1937 御上神社宮司を経て1935年5月2日[32]唐沢山神社宮司。1937年(昭和12年)11/29津島神社宮司[33]。(明治神宮#組織を参照)
13 宮崎左止三 生没年不詳 1937-1942 山口県出身[34]。1924年、国学院大学高等師範部卒。明治神宮主典を経て1937/11/29[35]から1942年11月14日[36]まで唐沢山神社宮司。青島神社宮司となる。戦後、国学院大学庶務課長。
14 三宅光信 1891-? 1942-1944 岡山県の木華咲耶比咩神社の出身。1891年生。神宮皇学館中退。吉備津彦神社禰宜。岡山県祭務官補。1942年11月14日[37]から1944年12月16日[38]まで唐沢山神社宮司。岡山県祭務官。昭和21年1月10日、岡山県護国神社社司[39]。戦後、操山神社宮司。
15 長島精治 生没年不詳 1944-? 明治神宮禰宜を経て1944年12月16日[40]
16 薗田武雄 1907-1997 1945-1945 1945年7月7日唐沢山神社宮司[41]を経て1945年(昭和20年)12月28日秩父神社宮司[42]。(秩父神社#組織を参照)
17 佐野五郎 1904-1960 1945-1960 栃木県神社庁長。佐野家45代。佐野郷の実家の清水家の出身で、佐野郷の孫で養女のフヂ子と結婚[43]。1904年(明治37年)生。1927年(昭和2年)慶応義塾大学高等部卒。1932年(昭和7年)皇典講究所神職養成部修了。1934年(昭和9年)熊野那智大社禰宜。滋賀県祭務官を経て1945年(昭和20年)12月28日唐沢山神社宮司[44]。1957年(昭和32年)栃木県神社庁長。1960年(昭和35年)9月28日死去。
18 横瀬勝寿 1934-2024 1963-1968 栃木県神社庁長。1934年(昭和9年)生。国学院大学卒。1963年(昭和38年)10月10日から1968年(昭和43年)3月31日まで唐沢山神社宮司。1979年(昭和54年)賀蘇山神社宮司。1995年(平成7年)栃木県神社庁長。2024年(令和6年)11月22日死去。
19 佐野正行 1942-2024 1968-2024 1942年(昭和17年)生。1968年(昭和43年)3月31日、唐沢山神社宮司。2024年(令和6年)3月31日死去。
20 佐野由希子 1973- 2024- 1973年(昭和48年)生。青山学院大学卒。国学院大学神道学専攻科修了。富山テレビ放送に勤務しアナウンサーを務める。2024年(令和6年)7月、唐沢山神社宮司。神社本庁の別表神社では初の女性宮司。

画像

参考文献

  • 江森泰吉、明治34年『佐野の古蹟 唐沢山』
  • 『大日本神社志』
  • 唐沢山神社ウェブサイト
  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』
  • 『唐沢山神社誌』[45]

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%94%90%E6%B2%A2%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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