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禅林寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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他に浴室、総門、中門、庫裏、鶴寿台、永観堂会館、図書館がある。 | 他に浴室、総門、中門、庫裏、鶴寿台、永観堂会館、図書館がある。 | ||
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==歴代住職== | ==歴代住職== |
2018年5月11日 (金) 時点における版
禅林寺 ぜんりんじ | |
概要 | 浄土宗西山派西谷流の拠点。 |
奉斎 | |
所在地 | 京都府京都市左京区永観堂町48 |
所在地(旧国郡) | 山城国 |
所属(現在) | 浄土宗西山禅林寺派 |
格式など | 浄土宗西山禅林寺派 総本山 |
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目次 |
概要
禅林寺(ぜんりんじ)は、京都府京都市左京区にある、浄土宗西山派の本山寺院。浄土宗西山禅林寺派総本山。本尊は「見返り阿弥陀」として知られる阿弥陀如来。元は真言宗の門跡寺院で、大日如来を本尊とした。南都仏教と関わりが深く、東大寺関連旧跡。一時期は三論宗も盛んに学ばれた。古代の定額寺でもある。鎮守は若王子神社。通称の永観堂がよく知られる。無量寿院と号す。山号は聖衆来迎山。(参考:同名寺院禅林寺_(同名))
歴史
古代
仁寿3年(853)、空海の弟子の真紹が藤原関雄という人物の旧宅を購入して大日如来を祀って創建。貞観5年(863)9月6日、定額寺となる。この時の三代実録の記事によると、河内観心寺を移して禅林寺としたという。「禅林・観心両寺座主職相承次第」(東寺文書)という文書があり、観心寺と禅林寺は兼務されていたらしい。貞観10年、真紹は「禅林寺清規」15条を定め、宗叡に伝えた。 元慶元年(877)、清和上皇の勅願で寺内に山城・円覚寺が創建され、禅林寺の伽藍も整えられた。 正暦4年(993)、火災で焼失。深覚が伽藍再建した。
永暦元年(1160)、後白河上皇が熊野那智大社を分霊して若王子神社を創建し、禅林寺の鎮守となった。
中世
東大寺別当の永観(ようかん)が浄土教の拠点として中興。永観は塔頭東南院を創建し、日課一万遍の念仏を行なっていたといい、『禅林寺縁起』などに記された見返り阿弥陀の説話が著名である。永保2年(1082)、永観が阿弥陀堂で行堂念仏していたところ(常行三昧と思われる)、阿弥陀仏が永観と共に行堂を始め、振り向いて「永観遅し」と諌めたという。首を左に振り向いた姿を表した異形の阿弥陀像がのちに本尊となる。永観堂(えいかんどう)という当寺の通称にその名を残している。静遍が法然の『選択本願念仏集』を批判しようと熟読したところ、返って自らの非を悟り改宗した。改宗のときに、すでに亡くなっていた法然を11世住職とし、自らは12世とした。永観も静遍も真言宗系の東大寺念仏別所である光明山寺に住したこともある。静遍が証空に譲り、証空が住した。その後、浄音が17世となったときに正式に真言宗から浄土宗(西山派)となったという。発展して、西山派西谷流の拠点となった。
文永元年(1264)には亀山天皇が禅林寺の隣に離宮禅林寺殿を建て、南禅寺の起源となる。 室町時代には聖衆来迎院という堂を中心に当麻曼陀羅の信仰が盛んになった。 応永年間、後小松天皇生母の通陽門院が堂塔を修復。 応仁元年(1467)9月18日、東岩倉の戦いで南禅寺などと共に焼失。
近世
応仁の乱で荒廃後、明応6年()、法然を祀る御影堂や書院を再建。永正年間、方丈(釈迦堂)や境内の堂宇を廊でつなぐ臥龍廊が建てられた。慶長12年(1607)、阿弥陀堂を再建。御影堂は慶長5年再建ともいう(禅林寺正選歴代記)。 天正元年、豊臣秀吉から寺領43石が寄進され、幕末まで維持した。
宏善や甫叔らといった歴代が皇室の帰依を受け、元亀3年(1572)、香衣出世の寺と認められ、本山としての地位を確立した。
近代
大正元年(1912)現在の御影堂を建立。昭和3年には多宝塔を建立した。
(日本歴史地名大系、国史大辞典)
伽藍
- 阿弥陀堂:現在の本堂。
- 御影堂:法然を祀る。祖師堂ともいう。
- 方丈:釈迦堂ともいう。
- 古方丈
- 瑞紫殿:本尊は阿弥陀如来。創建時に祀られた大日如来など五仏のうち、唯一残ったとされ、「火除けの阿弥陀」と呼ばれている。
- 開山堂
- 多宝塔
- 弁天堂
- 位牌堂
- 画仙堂
- 千仏洞
- 寺務所
- 宗務所
- 聖峰閣
- 清和天皇髪塔:治定外
- 後三条天皇骨塔:治定外
他に浴室、総門、中門、庫裏、鶴寿台、永観堂会館、図書館がある。
子院
- 智福院:現存
- 帰命院:
- 真善院:
- 信行律院:
- 東南院:
- 薬王院:
- 松岳院:現存。松岳庵
- 花月庵:
- 井正庵:
歴代住職
- 1真紹:空海の弟子。東寺二長者。真紹僧都。禅林寺僧都。石山僧都。
- 2宗叡:真紹の甥。真如法親王に随従して入唐。帰国。東大寺別当(??)。東寺長者。京都・円覚寺開山となる。宗叡僧正。禅林寺僧正。後入唐僧正。
- 3真如法親王:平城天皇皇子。インドを目指し入唐し行方不明になる。実際には住職になっていないが真紹、宗叡に縁のある人物であることから偲んで一世に数えたという。
- 4安載:安載内供。
- 寛空:寛空僧正。短期間のため一世とせず。
- 寛忠:敦固親王(宇多天皇皇子)の王子。寛忠僧正。短期間のため一世とせず。
- 元果:元果僧都。短期間のため一世とせず。
- 明観:佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。醍醐寺11世。明観僧正。短期間のため一世とせず。(略歴は醍醐寺#組織を参照)
- 5深覚(955-1043):勧修寺長吏。東大寺別当60世・62世・68世。東寺長者。(略歴は勧修寺#組織を参照)
- 覚源:花山天皇皇子。東大寺別当77世。覚源僧正。(略歴は東大寺#組織を参照)
- 6深観(1001-1050):花山天皇第4皇子。東大寺別当73世。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。(略歴は東大寺#組織を参照)
- 7永観:中興。長座念仏して舎利の倍増を得る。念仏行道に励むとき、阿弥陀像が先を走り、振り向き「永観遅し」と言ったという。永観堂の名の由来。永観律師。以降、浄土教の寺院となる。東大寺別当83世。(略歴は永観旧跡を参照)
- 8覚叡:覚叡阿闍梨。
- 9永恵:永恵上人。
- 10珍海:照登親王(花山天皇皇孫)の王子。あるいは内匠頭基光の子。珍海已講。禅林寺僧都。
- 11源空(法然):浄土宗開祖。実際には住職になっていないが、浄土宗に帰したのち一世に数える。勅諡円光大師。
- 12静遍:仁和寺出身の真言僧だったが、法然の著書を読み帰依したという。源頼朝の帰依を受けたという。静遍僧都。
- 13証空:浄土宗西山流の開祖。西山国師。
- 14道誉:藤原兼房の子。園城寺にいた。禅林寺僧正。道誉僧正。
- 15道智:摂政九条道家の子。園城寺長吏。死後、その霊が怪異を起こしたため、近くに離宮を建てた亀山天皇が慰めるために無関普門を招いて堂宇を設けたのが南禅寺の始まりという。現在、南禅寺の鎮守神として塔頭最勝院に祀られている。道智僧正。狛僧正。駒僧正。
- 16永空正覚:
- 17法興浄音:西谷流の開祖。仁和寺の西側に京都・光明寺(西谷光明寺、新光明寺)を創建。
- 18朝阿観智:西谷光明寺2世。
- 19覚融行観:西谷光明寺3世。関東に布教に進出し、武蔵・光明寺(鵜木光明寺)を創建。
- 20覚願:
- 21覚生:
- 22観意:
- 23観教:行観の弟子。鵜木光明寺から晋山。
- 24道覚浄弁:鵜木光明寺から晋山。
- 25識阿:上野国に進出し、吾妻・善導寺を創建。
- 26円光:
- 27光融妙静:「善導寺を創し」(『禅林寺誌』)とあるが、吾妻善導寺のことか。
- 28空〓召運((瑞のつくり)+しんにょう ):尾張・曼陀羅寺開山天真乗運の弟子。曼陀羅寺2世。尾張常念寺を創建。
- 29在空栄運:
- 30妙諫:
- 31撮堂賢立:吾妻善導寺から晋山。
- 32永承祐音:尾張曼陀羅寺から晋山。
- 33一冲融舜:尾道宝土寺から晋山。
- 34舜叔宏善:伽藍を復興。『禅林寺縁起』を作成。粟生光明寺18世を兼任。
- 35実空顕貞:京都善長寺から晋山。
- 36智空甫叔:紀伊・総持寺から晋山。実父が建てた醍醐融雲寺の開山となる。引退しようとした時、正親町上皇が綸旨を下して留めたといい、「御留の綸旨」と言って現存するという。弟子に安楽庵策伝がいる。
- 37果空俊弌:紀伊総持寺から晋山。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。本堂、御影堂などを再建。
- 38頂空寿仙:京都万年寺を創建。
- 39行空龍道:越前・安養寺から晋山。
- 40真空久円:堺・十万寺(北十万)に住し、紀伊総持寺を経て晋山。光林寺(京都か)に引退
- 41月空清感:安芸・誓願寺から晋山。
- 42積峰慶善:桑名・浄土寺から晋山。
- 43圭道秦〓(王+賛):三河・崇福寺から晋山。紫衣参内の綸旨を得る。本堂再興。本堂と御影堂の間の廊下を作る。江戸で客死。
- 44養空霊徹:越前・長寿院(現在、明石に移転)から晋山。常紫衣の許可を得る。
- 45寰空貞凖:桑名浄土寺から尾張曼陀羅寺に転じたのち晋山。
- 46是空回隆:伊勢養草寺、三河・法蔵寺を経て晋山。引退して摂津浄橋寺に住す。
- 47太空湖南:淡路日光寺から晋山。江戸で客死。
- 48天空助三:大津九品寺、桑名浄土寺を歴任して当寺に晋山。本堂再興。
- 49三空普及:播磨如来寺から晋山。信行庵(不詳)に隠居。
- 50浣谿炬範:熱田正覚寺、曼陀羅寺を経て晋山。醍醐一音寺に隠居
- 51乙空恵海:美濃慈恩寺、伊勢養草寺を経て晋山。
- 52台空阿三:京都休務寺、播磨法界寺を歴任して晋山。
- 53演空良義:桑名薬師寺、高砂十輪寺を経て晋山。御影堂を修復。延寿寺に退隠。
- 54霊空是堪:伊勢大林寺、桑名浄土寺を経て晋山。信行庵(不詳)に隠居。
- 55英空灌龍:曼陀羅寺から晋山。
- 56瑞空愿亮:播磨利生寺から晋山。書に優れたという。
- 57貫空巨道:美濃立政寺から晋山。
- 58盤空有倫:淡路日光寺から晋山。
- 59霊空万瀏:播磨利生寺から晋山。仏陀寺で死去。
- 60攀空泰凖:
- 61綜空練耕:祐福寺から晋山。
- 62澹空旭応:岳陽と号す。山科来迎寺で死去。
- 63誠空義諦:利生寺から晋山。播磨で死去。
- 64実空俊瑞:正覚寺から晋山。専求寺で死去。
- 65水空洗懐:越前安養寺から晋山。
- 66観空照〓(王+(隣のつくり)):十輪寺から晋山。
- 67仁空観識:祐福寺から晋山。祥光寺に退隠。尾張極楽寺で死去。
- 68恬空泰然:越前安養寺から晋山。
- 69万空霊円:伊勢大林寺から晋山。
- 70淵空旭泉:曼陀羅寺から晋山。
- 71東山天華(徹空):西福寺で死去。俊玉。近代日本で最初の公立精神病院「京都癲狂院」を建てたという
- 72亀空観鏡:曼陀羅寺から晋山。
- 73柴田基範(洪空):初の公選。美濃立政寺から晋山。
- 74恭空儼敬:美濃立政寺から晋山。
- 75清水亮弁(範空):美濃立政寺から晋山。
- 76近藤亮厳(超空):兵庫阿弥陀寺から晋山。耆山と号す。御影堂再建。法然700回大遠忌執行。
- 管長代務:青井俊法:大正9年(1920)9月4日管長代務者就任認可(官報)。
- 77青井俊法:大正9年(1920)11月8日管長就任認可(官報)。のち辞職。
- 管長事務取扱:酒見真功:大正13年(1924)6月6日管長事務取扱就任認可(官報)。のち辞職。
- 78祖父江圭学(大空):大正13年(1924)9月29日管長就任認可(官報)。
- 管長事務取扱:藤原齢教:昭和4年11月6日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 79大西玄光:昭和4年(1929)12月28日管長就任認可(官報)。のち辞職。
- 管長事務取扱:柴田隆明:昭和11年(1936)6月12日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 80淵江朴聞:昭和11年(1936)8月21日管長就任認可(官報)。在任中死去(官報)。
- 管長事務取扱:柴田隆明:昭和14年10月4日管長事務取扱就任認可(官報)。
- 81柴田隆明(顕空):昭和14年(1939)12月13日管長就任認可(官報)。
- 82伊藤天力(軌空)
- 83
- 84三輪亮明(教空)
- 85
- 86丹羽観堂(卍空)
- 87森凖玄(東空)
- 88五十嵐隆明(徹空)
- 89小木曽善龍(修空)
- 90中西玄礼(義空)
(稲村修道『禅林寺誌』(大正2)ほか)
歴代門跡
- 1真紹(797-873)
- 2宗叡(809-884)
- 3深覚(955-1043)
- 4深観(1001-1050):東大寺別当
- 5良深(1025-1077)
- 6永観(1033-1111):東大寺別当
- 7尊誉
- 8覚誉
- 9道智(1217-1269)
(『日本仏家人名辞書』『望月仏教大辞典』) 良深、尊誉、覚誉は『禅林寺誌』に記載なし
歴代座主
- 真紹(797-873)
- 宗叡(809-884)
- 峰教():
- 禅安():
- 円性():
- 神行():
- 神予():
- 神隆():
- 円明():
- 寛忠(906-977):敦固親王第三王子。
- 深覚(955-1043)
- 深観(1001-1050):東大寺別当
- 良深(1025-1077):
- 覚任(1088-1152):般若寺別当。東寺三長者。
- 実意():
- 公祐():
- 範賢():
- 公深():
- 長厳(1152-1228)
- 能意():
- 教深():
- 実位():
- 公遍():
- 長能():
- 守恵():
- 道朝():
- 守恵():再任。
- 道耀(1234-1304):東寺長者。
- 守恵():再任。
- 益守():
(『石山寺座主并禅林・観心両寺座主相承次第』[1]より)
画像
参考文献
- 中西随功監修、2011『証空事典』東京堂出版