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薬師寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年5月5日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市にある南都仏教の本山寺院。薬師信仰の代表的寺院。法相宗大本山。官寺七大寺・四大寺の一つで、僧尼を管轄する僧綱所が設置された。元は天武天皇が藤原京に建てたが、平城京に移された。旧地にも本薬師寺が残された。東塔のみを残し、中世以来、伽藍の衰退が著しかったが、昭和戦後期に高田好胤が金堂再建を果たした。鎮守は、休ケ岡八幡宮。薬師寺関連旧跡も参照。(参考薬師寺 (同名))
目次 |
伽藍
昭和以降
名称 | エリア | 本尊など | 概要 |
---|---|---|---|
金堂 | 白鳳伽藍 | 薬師三尊 | 697年(文武1年)7月29日、薬師三尊像を開眼。1528年(享禄1年)、兵火で焼失。郡山城主増田長盛が仮金堂を造営。1968年(昭和43年)から写経勧進が始まり、1976年(昭和51年)再建。修正会では吉祥天女画像を祀る。 |
東塔 | 白鳳伽藍 | 唯一現存する創建当初の建造物。三重塔。2021年(令和3年)2月15日竣工。2023年(令和5年)4月21日落慶法要。同時に初層に釈迦因相四相像(中村晋也作)を奉安する。 | |
西塔 | 白鳳伽藍 | 1528年(享禄1年)の兵火で焼失。1981年(昭和56年)再建。2015年(平成27年)、初層に釈迦果相四相像(成道・転法輪・涅槃・分舎利、中村晋也作)を奉安する。 | |
大講堂 | 白鳳伽藍 | 弥勒三尊 | 現在の本尊は弥勒如来で向かって右に法苑林菩薩、向かって左に大妙相菩薩を祀る。阿僧伽菩薩(無著)、伐蘇畔度菩薩(世親)も祀る。元は阿弥陀三尊繍仏が祀られていた。持統天皇が天武天皇の七回忌にあたり制作したものという。1528年(享禄1年)の兵火で焼失。1852年(嘉永5年)再建。弥勒如来は植槻寺旧蔵で、1993年(平成5年)に大講堂に祀られた。2003年(平成15年)再建。同年に釈迦十大弟子(中村晋也作)が祀られた。阿僧伽菩薩と伐蘇畔度菩薩(中村晋也作)は2007年(平成19年)に奉安された。 |
仏足石 | 白鳳伽藍 | 釈迦如来 | 大講堂にある。日本で現存最古の仏足石。753年(天平勝宝5年)の年記がある。仏足跡歌碑(奈良時代)も付属する。 |
食堂 | 白鳳伽藍 | 阿弥陀三尊 | 730年(天平2年)頃に初代食堂が建立。973年(天延1年)焼失。1005年(寛弘2年)再建。2017年(平成29年)再建され、阿弥陀三尊浄土図(田渕俊夫筆)が祀られた。 |
東僧坊 | 白鳳伽藍 | ||
西僧坊 | 白鳳伽藍 | ||
鐘楼 | 白鳳伽藍 | ||
東院堂 | 白鳳伽藍 | 聖観世音菩薩 | 聖観世音菩薩像や四天王などを祀る。養老年間(717~724)に長屋王妃の吉備内親王が母の元明天皇の追善のために建立。1285年(弘安8年)に再建されたのが現在の建物で南向きにあった。1733年(享保18年)に現在地に西向きで移築された。 |
不動堂 | 白鳳伽藍 | 不動明王 | 本尊は不動明王で、役小角・蔵王権現などを祀る。薬師寺修験咒師本部の拠点。 |
大宝蔵殿 | 白鳳伽藍 | 1966年(昭和41年)建立。 | |
平木大明神社 | 白鳳伽藍 | 不詳 | 不詳 |
若宮社 | 白鳳伽藍 | 大津皇子? | 1791年(寛政3年)の境内図では西塔の西南に描かれている。それ以後に休ケ岡八幡宮の東北に遷座。1949年(昭和24年)の修復時に旧地に近い現在地に遷座。 |
弁才天社 | 白鳳伽藍 | 弁才天 | |
龍王社 | 白鳳伽藍 | 大津皇子? | |
中門 | 白鳳伽藍 | 1984年(昭和59年)再建。 | |
南門 | 白鳳伽藍 | 1512年(永正9年)建立の薬師寺西院を移築。 | |
大乗院 | 白鳳伽藍 | 東側 | |
西ノ坊 | 白鳳伽藍 | 不動堂? | |
玄奘塔 | 玄奘三蔵院伽藍 | 玄奘 | 玄奘像と玄奘頂骨を奉安する。1991年(平成3年)建立。玄奘舎利は1981年(昭和56年)に武蔵・慈恩寺から分骨されたもの。1991年(平成3年)、玄奘像(大川逞一作)を奉安。 |
大唐西域壁画殿 | 玄奘三蔵院伽藍 | 2000年(平成12年)12月31日、大唐西域壁画(平山郁夫作)を奉安。 | |
経蔵 | 玄奘三蔵院伽藍 | ||
本坊寺務所 | 本坊 | ||
大基堂 | 本坊 | 本坊寺務所と接続する。歴代住職僧侶を位牌を祀る | |
地蔵院 | 本坊 | 本坊寺務所と接続する。 | |
写経道場 | 本坊 | ||
慈恩殿 | 本坊 | ||
まほろば会館 | 本坊 | ||
龍眼院 | 本坊西側 | ||
世尊院 | 本坊西側 | ||
法光院 | 本坊西側 | ||
金蔵院 | 本坊西側 | ||
福蔵院 | 本坊北側 | ||
宝積院 | 本坊北側 | ||
実宝院 | 本坊北側 | ||
法輪院 | 本坊北西 | ||
円成院 | 本坊北西 | ||
福寿院 | 本坊北西 | ||
養勝院 | 本坊東側 | ||
休ケ岡八幡宮 | 八幡宮周辺 | 応神天皇・神功皇后・仲津姫命 | 寛平年間(889~898)に別当栄紹が宇佐八幡宮から勧請して創建。神像3体は神像彫刻として国内最古級のもの。「休ケ岡」の名前は、八幡大神が大安寺八幡宮から山城の石清水八幡宮に勧請されるときにこの地で休んだことに由来するという。1603年(慶長8年)、豊臣秀頼が再建したのが現在の社殿。 |
孫太郎稲荷神社 | 八幡宮周辺 | 倉稲魂命 | |
祠 | 八幡宮周辺 | 孫太郎稲荷神社のそばにある | |
八幡院 | 八幡宮周辺 | ||
龍蔵院 | 墓地周辺 | ||
薬師寺墓地 | 墓地周辺 | 市営墓地か。 | |
東京別院 | その他 | 薬師如来 | 東京別院。東京都品川区東五反田。 |
岐阜別院 | その他 | 薬師如来 | 岐阜別院。岐阜県各務原市那加雄飛ケ丘町。 |
潮音寺 | その他 | 観音菩薩 | 東関東別院。茨城県潮来市日の出。 |
聖光寺 | その他 | 観音菩薩 | 別院。長野県茅野市北山蓼科。 |
喜光寺 | その他 | 阿弥陀如来 | 法相宗別格本山。奈良県奈良市菅原町。 |
本薬師寺 | 関連 | 奈良県橿原市城殿町。小堂がある。 |
組織
住職(明治以前)
- この表は松久保秀胤「法相宗・薬師寺」『日本仏教基礎講座 奈良仏教』に基づく。
- 数字は「一応時代順に番号を付したにすぎない」としており、正式な世代数でなく、参考のためのものである。
- 薬師寺には別当や権別当などの役職があったが、職掌や組織ははっきりしない。
- 薬師寺別当は尋憲を最後に廃絶し、以後は塔頭寺院が「年番預かり」として住職の役割を果たした。
職名 | 名前 | 生没年 | 宗派系統 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 祚蓮 | 生没年不詳 | 法相宗 その他 | ||
2 | 道昭 | 629-700 | 法相宗南寺伝 | 日本法相宗の開祖。法相宗初伝。元興寺で学び、入唐。玄奘に師事した。 | |
3 | 智淵 | 法相宗 その他 | |||
4 | 道服 | 法相宗 その他 | |||
5 | 行基 | 668-749 | 法相宗南寺伝 | 奈良時代の高僧。東大寺四聖の一。 | |
6 | 恵忠 | 生没年不詳 | 法相宗 その他 | ||
7 | 行達 | 法相宗南寺伝 | |||
8 | 戒明 | 生没年不詳 | 華厳宗 | 入唐。 | |
9 | 別当 | 弘耀(弘曜) | 生没年不詳 | 法相宗南寺伝 | |
10 | 如宝 | ?-815 | 律宗 | 唐招提寺長老4世。西域出身。鑑真と共に来日。 | |
11 | 仲継 | ?-843 | 法相宗南寺伝 | ||
12 | 慧達 | 796-878 | 法相宗南寺伝 | 薬師寺万燈会を創始。 | |
13 | 別当 | 忠海 | 法相宗南寺伝 | ||
14 | 真慧 | 法相宗南寺伝 | |||
15 | 明哲 | 華厳宗 | |||
16 | 興照 | 法相宗南寺伝 | |||
17 | 壱演 | 803-867 | 真言宗 | 諡号は慈済(法名風諡の初例)。超昇寺座主。真如の弟子。山城相応寺を創建。 | |
18 | 平智 | 法相宗義淵系 | |||
19 | 長朗 | 803-879 | 華厳宗 | ||
20 | 平勢 | 真言宗 | |||
21 | 薬仁 | ?-874 | 律宗 | ||
22 | 義叡 | 813-892 | 真言宗 | ||
23 | 隆光 | 法相宗南寺伝 | |||
24 | 平仁 | 生没年不詳 | 華厳宗 | 東大寺の学僧。 | |
25 | 由性 | 法相宗南寺伝 | 花山僧正遍昭の子。 | ||
26 | 常詮(常全) | 天台宗 | |||
27 | 香揮 | 法相宗義淵系 | |||
28 | 栄紹(栄照) | 法相宗義淵系 | 休ケ岡八幡宮を創建(『朝野群載』16)。 | ||
29 | 平海 | 法相宗 その他 | |||
30 | 善円(慈念) | 法相宗南寺伝・華厳宗 | |||
31 | 別当 | 会〓(会孟) | 法相宗義淵系 | 「会全」か。 | |
32 | 別当 | 延誉 | 法相宗 その他 | ||
33 | 延湛 | 法相宗南寺伝 | |||
34 | 義聖 | 華厳宗 | |||
35 | 別当 | 太舜 | 法相宗義淵系 | ||
36 | 恩訓 | 法相宗南寺伝 | |||
37 | 別当 | 基維 | 法相宗 その他 | ||
38 | 権別当 | 常能 | 法相宗 その他 | ||
39 | 別当 | 済源 | 885-960 | 三論宗 | 念仏行者。『日本往生極楽記』に登場。 |
40 | 別当 | 玄〓 | 法相宗義淵系 | ||
41 | 安鏡 | 三論宗 | |||
42 | 蔵祚 | 法相宗南寺伝 | |||
43 | 別当 | 趁禅 | 法相宗南寺伝 | ||
44 | 別当 | 平超 | 三論宗 | 大安寺別当も兼ねる | |
45 | 禅閑 | 三論宗 | |||
46 | 別当 | 暦禅 | 法相宗南寺伝 | ||
47 | 別当 | 増祐(懐寿) | ?-976 | 法相宗南寺伝・天台宗 | 元は延暦寺の僧侶。 |
48 | 別当 | 輔静 | 法相宗南寺伝 | 西大寺別当 | |
49 | 別当 | 桓恩 | 法相宗南寺伝 | ||
50 | 別当 | 道静 | 律宗 | ||
51 | 別当 | 仁諶 | 法相宗南寺伝 | ||
52 | 別当 | 真円 | 法相宗南寺伝 | ||
53 | 別当 | 隆経 | 法相宗義淵系 | ||
54 | 隆禅 | 1038-1100 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺大乗院を創建。大安寺別当。 | |
55 | 別当 | 行尊 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 法勝寺別当。法成寺長吏。 | |
56 | 小別当 | 静諶 | 法相宗南寺伝 | ||
57 | 権別当 | 頼諶 | 法相宗義淵系 | ||
58 | 別当 | 隆信 | 法相宗南寺伝 | ||
59 | 別当 | 円範 | 法相宗義淵系 | ||
60 | 別当 | 頼祐 | 法相宗義淵系 | ||
61 | 別当 | 覚晴 | ?-1148 | 法相宗 その他 | 興福寺別当。法隆寺別当 |
62 | 別当 | 隆覚 | 1074-1158 | 法相宗南寺伝 | 興福寺別当。法華寺別当。通称は密厳院僧正。 |
63 | 別当 | 玄雅 | 法相宗義淵系 | ||
64 | 別当 | 定耀 | 法相宗南寺伝 | ||
65 | 別当 | 覚興 | 法相宗南寺伝 | ||
66 | 別当 | 行恵 | 法相宗義淵系 | ||
67 | 別当 | 範雅 | 法相宗南寺伝 | ||
68 | 蔵俊 | 1104-1180 | 法相宗 その他 | 元興寺別当。興福寺権別当。興福寺興善院を創建。 | |
69 | 別当 | 弘雅(雅縁) | 1138-1223 | 法相宗義淵系 | 興福寺別当。大和・大野寺磨崖仏を作る。 |
70 | 別当 | 円玄 | ?-1250 | 法相宗義淵系 | 興福寺別当。 |
71 | 別当 | 親縁 | 生没年不詳 | 法相宗義淵系 | 興福寺別当。 |
72 | 別当 | 実性 | 生没年不詳 | 法相宗義淵系 | 興福寺別当。 |
73 | 別当 | 顕覚 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当? | |
74 | 尊信 | 1226-1283 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。長谷寺別当。 | |
75 | 別当 | 慈信 | ?-1325 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。 |
76 | 別当 | 尋覚 | 1282-1318 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。 |
77 | 別当 | 覚尊 | ?-1339 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。 |
78 | 別当 | 孝覚 | 1319-1368 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。長谷寺別当。橘寺別当。 |
79 | 別当 | 孝円 | 1378-1410 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。長谷寺別当。橘寺別当。 |
80 | 別当 | 経覚 | 1395-1473 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。通称は安位寺殿。将軍足利義教に追放される。 |
81 | 別当 | 尋尊 | 1430-1508 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。長谷寺別当。一条兼良の子。 |
82 | 別当 | 政覚 | 1453-1494 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。長谷寺別当。 |
83 | 別当 | 元雅 | 法相宗顕教 | ||
84 | 別当 | 経尋 | 1499-1526 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。 |
85 | 別当 | 尋円 | ?-1581 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 興福寺別当。大乗院門跡。 |
86 | 別当 | 尋憲 | 1529-1585 | 法相宗 興福寺大乗院系 | 最後の薬師寺別当。興福寺別当。大乗院門跡。 |
上記にないもの
- 隆雅:興福寺別当。
- 松園尚嘉:興福寺別当。
近現代の住職
現在は管主(かんす)と称す。
世数 | 僧名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
鹿園増忍 | 1808-1884 | 1874-1884 | 自坊は宝積院。1808年(文化5年)生。1868年(明治1年)の時点で「薬師寺総代」として書類に署名している。1874年(明治7年)薬師寺住職。1884年(明治17年)1月21日死去、77歳(『仏法東漸-シルクロードから古都奈良、そして現代へ』)。著書に「近世珍談」「安政街談」「春日社勅使参向御伺筆記」「備忘録」があり、維新期の史料として貴重とされる。養子に華道家鹿園一秀がいる。 | |
西谷勝遍 | ?-1899 | 1884-1899 | 自坊は法輪院。1884年(明治17年)薬師寺住職。1886年(明治19年)法相宗に加盟。1899年(明治32年)法相宗大本山に昇格させる。1892年(明治25年)7月1日、法相宗管長[1]。1899年(明治32年)3月15日死去(近代法隆寺の歴史)。 | |
秦行純 | 1834-1913 | 1899-1901 | 法隆寺の僧。1834年(天保5年)生。1899年(明治32年)から1901年(明治34年)まで法隆寺を本務として薬師寺住職を兼務。1913年(大正2年)死去。(略歴は法隆寺#組織を参照) | |
佐伯定胤 | 1867-1952 | 1901-1912 | 法隆寺の僧。1867年(慶応3年)生。1901年(明治34年)10月15日から1916年(大正5年)まで薬師寺住職(法隆寺辞典。次項と矛盾)。途中の1903年(明治36年)から法隆寺管主(本務)に就任。1952年(昭和27年)死去。(略歴は法隆寺#組織を参照) | |
橋本隆遍 | 1876-1920 | 1912-1920 | 1876年(明治9年)生。1912年(大正1年)6月、薬師寺住職就任(法隆寺年表)。1917年(大正6年)11月22日、法相宗管長[2]。病弱で1920年(大正9年)5月4日死去(法隆寺年表)。著書『薬師寺伽藍縁起』。 | |
佐伯定胤 | 1867-1952 | 1920-1939 | 法隆寺の僧。再任。法隆寺を本務として兼務。1920年(大正9年)から1939年(昭和14年)6月1日まで薬師寺住職。 | |
橋本凝胤 | 1897-1978 | 1939-1967 | 自坊は大乗院。橋本隆遍の養子。奈良県平群村福貴の出身。実父は東繁松。1897年(明治30年)生。1904年(明治37年)法隆寺に入り、佐伯定胤に師事。宗教大学(大正大学)卒。在学中、東大寺の筒井英俊と共に『寧楽』発行。また東京大学に聴講生として通い、高楠順次郎に学ぶ。1916年(大正5年)橋本隆遍の養子となり、1920年(大正9年)家督相続。1923年(大正12年)、薬師寺に戻る。法隆寺勧学院に通い、佐伯定胤に唯識を学ぶ。1937年(昭和12年)、竪義遂業。1939年(昭和14年)、薬師寺住職、1941年(昭和16年)、初めて管長に就任。東塔などを修理。奈良国立文化財研究所設立を提唱。徳川夢声との対談が有名。1966年(昭和41年)、ブッダガヤに日本寺創建を発願し、宝篋印塔を建立。1978年(昭和53年)3月25日死去。 | |
高田好胤 | 1924-1998 | 1967-1998 | 薬師寺中興。自坊は法光院。大阪府出身。橋本凝胤に師事。東大寺橋本聖準の甥。1924年(大正13年)生。小学5年生で入寺。1946年(昭和21年)龍谷大学仏教学科卒。1967年(昭和42年)、薬師寺管主。1968年(昭和43年)法相宗管長に初就任。百万巻写経勧進を志し、1976年(昭和51年)に金堂再建を実現した。1998年(平成10年)6月22日、死去。 | |
松久保秀胤 | 1928- | 1998-2003 | 大阪府出身。橋本凝胤に師事。1928年(昭和3年)生。1938年(昭和13年)薬師寺入寺。1951年(昭和26年)島根大学文学部卒。1956年(昭和31年)法相宗宗務長。1967年(昭和42年)、薬師寺副住職。1978年(昭和53年)長野聖光寺住職を兼務。1998年(平成10年)から2003年(平成15年)まで薬師寺管主。2001年(平成13年)法相宗管長に初就任。 | |
安田暎胤 | 1938- | 2003-2009 | 自坊は八幡院。岐阜県出身。1938年(昭和13年)生。1950年(昭和25年)入寺。橋本凝胤に師事。1960年(昭和35年)龍谷大学文学部仏教学科卒。1960年(昭和35年)から2009年(平成21年)まで八幡院住職。1962年(昭和37年)龍谷大学大学院修了。1964年(昭和39年)名古屋大学でアフガニスタン調査。1967年(昭和42年)執事長・宗務長。1998年(平成10年)副住職。2003年(平成15年)から2009年(平成21年)まで薬師寺管主。岐阜地蔵寺住職。2005年(平成17年)国際仏教興隆協会理事長。 | |
山田法胤 | 1940- | 2009-2016 | 岐阜県出身。1940年(昭和15年)生。1956年(昭和31年)、中学3年で薬師寺入寺。橋本凝胤に師事。戦跡巡拝。1971年(昭和46年)執事。1998年(平成10年)執事長。2003年(平成15年)副住職。1990年(平成2年)から喜光寺住職を兼務。2009年(平成21年)から2016年(平成28年)まで薬師寺管主。 | |
村上太胤 | 1947- | 2016-2018 | 自坊は法光院。岐阜県各務原市出身。1947年(昭和22年)生。1956年(昭和31年)薬師寺に入寺。橋本凝胤に師事。1969年(昭和44年)龍谷大学文学部仏教学科卒。1977年(昭和52年)薬師寺執事。2003年(平成15年)執事長。薬師寺岐阜別院住職。2016年(平成28年)8月、薬師寺管主。2018年(平成30年)5月14日辞任。 | |
加藤朝胤 | 1949- | 2019- | 自坊は宝積院。愛知県一宮市出身。1949年(昭和24年)生。1972年(昭和47年)日本大学法学部卒。同年、薬師寺に入寺し、高田好胤に師事。1990年(平成2年)執事。2011年(平成23年)龍谷大学文学部仏教学科卒。2012年(平成24年)8月、執事長。2019年(令和1年)から薬師寺管主。 |