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日光二荒山神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月9日 (水)
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- | * | + | *1戸田忠友(1847-1924)<1873-1875>:子爵。元宇都宮藩主。1873年(明治6年)3月10日、[[教導職]]権少教正。同年3月12日、二荒山神社(日光?宇都宮?)宮司。6月29日、少教正。1874年(明治7年)6月8日、権中教正。1875年(明治8年)9月3日、二荒山神社宮司を退任。(略歴は[[宇都宮二荒山神社#組織]]を参照) |
- | * | + | *2柿沼広身(1827-1893)<1875-1880>:[[鹿沼・今宮神社]]の神職。[[平田派]]に入門。戊辰戦争で江戸城に集結し、新政府軍を守る。1874年(明治7年)6月、日光二荒山神社権宮司。1875年(明治8年)10月(12月?)から1880年(明治13年)6月まで日光二荒山神社宮司。 |
- | * | + | *3早尾海雄(1843-1894)<1880-1887>:上総国武射郡出身。1843年(天保14年)生。1878年(明治11年)10月、[[都々古別神社]]宮司。[[玉前神社]]宮司。[[安房神社]]少宮司、[[伊勢神宮]]禰宜。1880年(明治13年)5月、日光二荒山神社宮司。1887年(明治20年)3月、松平容保の宮司赴任で禰宜となる。1893年(明治26年)11月まで。1894年(明治27年)死去。 |
- | * | + | *4松平容保(1835-1893)<1887-1893>:会津藩主。日光東照宮宮司。1887年(明治20年)9月から1893年(明治26年)5月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は[[日光東照宮#組織]]を参照) |
- | *高橋城司(1895-?)<1944-1960> | + | *5渡部邁(1842-1914)<1893-1896>:壬生藩医渡辺宗玄の子。1842年(天保13年)生。尊王派として活動したため、天狗党の乱の際に処分された。1893年(明治26年)12月から1896年(明治29年)12月まで日光二荒山神社宮司。[[三島大社]]宮司。1914年(大正3年)死去。墓所は[[谷中霊園]]。蔵書家で、旧蔵書が東京大学、九州大学、東北大学狩野文庫に所蔵されている。著書『宇都宮神社考』。 |
- | + | *6金鑚宮守(1863-1942)<1897-1898>:1897年(明治30年)1月から1898年(明治31年)2月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は[[金鑚神社#組織]]を参照) | |
- | *喜田川清香()<-1993> | + | *7中山信徴(1846-1917)<1898-1898>:松岡(手綱)藩主。大成教3代管長。日光東照宮宮司。1898年(明治31年)2月から11月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は[[神道大成教#組織]]を参照) |
- | *吉田健彦(1936-)<1993-2018> | + | *8小野村胤信(1864-1908)<1898-1899>:下総国佐原出身。1898年(明治31年)11月から1899年(明治32年)1月まで日光二荒山神社宮司。[[結城神社]]宮司。[[若狭彦神社]]宮司。[[湊川神社]]宮司。1908年(明治41年)9月1日死去。(略歴は[[若狭彦神社#組織]]を参照) |
- | *中麿輝美()<2018->: | + | *9園田弘(生没年不詳)<1899-1903>:1899年(明治32年)4月から1903年(明治36年)1月まで日光二荒山神社宮司。のち[[八坂神社]]宮司、[[射水神社]]宮司、[[玉前神社]]宮司を歴任。(略歴は、[[射水神社#組織]]を参照) |
+ | *10神宮嵩寿(1849-1921)<1903-1905>:[[御嶽教]]4代管長。[[金刀比羅宮]]宮司、[[氷川神社]]宮司、[[八坂神社]]宮司を経て1903年(明治36年)1月9日、日光二荒山神社宮司。1905年(明治38年)3月、神職を辞め、御嶽教管長4代となる。(略歴は、[[御嶽教#組織]]を参照) | ||
+ | *11立木兼善(1834-1909)<1905-1909>:淡路出身の官僚・政治家。1905年(明治38年)3月13日から1909年(明治42年)6月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は、[[石上神宮#組織]]を参照) | ||
+ | *12村上信夫(1848-?)<1909-1914>:1848年(嘉永1年)生。1893年(明治26年)12月日光二荒山神社禰宜。1909年(明治42年)6月から1914年(大正3年)7月まで日光二荒山神社宮司。同年9月30日、日光町長。 | ||
+ | *13竹間清臣(1863-1923)<1914->:1914年(大正3年)7月、日光二荒山神社宮司。(経歴は[[駒形神社#組織]]を参照) | ||
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+ | *稲村真里(1867-1961)<>:(経歴は[[香椎宮#組織]]を参照) | ||
+ | *加藤直久(1875-1937)<>:(略歴は[[平安神宮#組織]]を参照) | ||
+ | *高橋城司(1895-?)<1944-1960>:群馬県出身。1916年(大正5年)[[早稲田大学]]中退。1920年(大正9年)群馬県属。1926年(昭和1年)内務省属。1929年(昭和4年)内務省[[神社局]]に勤務。1931年(昭和6年)[[春日大社]]禰宜。1933年(昭和8年)[[伊豆山神社]]宮司。1934年(昭和9年)[[熱田神宮]]権宮司。同年、[[談山神社]]宮司。1939年(昭和14年)2月1日[[日吉大社]]宮司。1941年(昭和16年)、滋賀県祭務官。1944年(昭和19年)から1960年(昭和35年)まで日光二荒山神社宮司。1946年(昭和21年)、栃木県神社庁初代庁長。1952年(昭和27年)[[神社本庁]]理事。 | ||
+ | *喜田川清香()<-1993>:1993年(平成5年)まで | ||
+ | *吉田健彦(1936-)<1993-2018>:1983年(昭和58年)権宮司。1993年(平成5年)宮司。2001年(平成13年)から2010年(平成22年)まで栃木県神社庁長。在任中、世界遺産登録。 | ||
+ | *中麿輝美()<2018->:2018年(平成30年)日光二荒山神社宮司。 | ||
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+ | ===権宮司=== | ||
+ | *阿部浩()<>: | ||
+ | *柿沼広身()<>: | ||
+ | *小村鄰(1848-1920)<>:下総古河出身。(略歴は[[北海道神宮#組織]]を参照) | ||
+ | *吉田健彦()<>: | ||
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2022年11月9日 (水) 時点における最新版
日光二荒山神社 にっこう ふたらさん じんじゃ | |
中宮祠 | |
概要 | 日光山の神を奉斎する神社。 |
奉斎 | 二荒山神 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 栃木県日光市山内2307 |
所在地(旧国郡) | 下野国河内郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正二位勲四等・下野国一宮・朱印地拝領神社・国幣中社・別表神社 |
関連記事 | 二荒山信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
組織
宮司
- 1戸田忠友(1847-1924)<1873-1875>:子爵。元宇都宮藩主。1873年(明治6年)3月10日、教導職権少教正。同年3月12日、二荒山神社(日光?宇都宮?)宮司。6月29日、少教正。1874年(明治7年)6月8日、権中教正。1875年(明治8年)9月3日、二荒山神社宮司を退任。(略歴は宇都宮二荒山神社#組織を参照)
- 2柿沼広身(1827-1893)<1875-1880>:鹿沼・今宮神社の神職。平田派に入門。戊辰戦争で江戸城に集結し、新政府軍を守る。1874年(明治7年)6月、日光二荒山神社権宮司。1875年(明治8年)10月(12月?)から1880年(明治13年)6月まで日光二荒山神社宮司。
- 3早尾海雄(1843-1894)<1880-1887>:上総国武射郡出身。1843年(天保14年)生。1878年(明治11年)10月、都々古別神社宮司。玉前神社宮司。安房神社少宮司、伊勢神宮禰宜。1880年(明治13年)5月、日光二荒山神社宮司。1887年(明治20年)3月、松平容保の宮司赴任で禰宜となる。1893年(明治26年)11月まで。1894年(明治27年)死去。
- 4松平容保(1835-1893)<1887-1893>:会津藩主。日光東照宮宮司。1887年(明治20年)9月から1893年(明治26年)5月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は日光東照宮#組織を参照)
- 5渡部邁(1842-1914)<1893-1896>:壬生藩医渡辺宗玄の子。1842年(天保13年)生。尊王派として活動したため、天狗党の乱の際に処分された。1893年(明治26年)12月から1896年(明治29年)12月まで日光二荒山神社宮司。三島大社宮司。1914年(大正3年)死去。墓所は谷中霊園。蔵書家で、旧蔵書が東京大学、九州大学、東北大学狩野文庫に所蔵されている。著書『宇都宮神社考』。
- 6金鑚宮守(1863-1942)<1897-1898>:1897年(明治30年)1月から1898年(明治31年)2月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は金鑚神社#組織を参照)
- 7中山信徴(1846-1917)<1898-1898>:松岡(手綱)藩主。大成教3代管長。日光東照宮宮司。1898年(明治31年)2月から11月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は神道大成教#組織を参照)
- 8小野村胤信(1864-1908)<1898-1899>:下総国佐原出身。1898年(明治31年)11月から1899年(明治32年)1月まで日光二荒山神社宮司。結城神社宮司。若狭彦神社宮司。湊川神社宮司。1908年(明治41年)9月1日死去。(略歴は若狭彦神社#組織を参照)
- 9園田弘(生没年不詳)<1899-1903>:1899年(明治32年)4月から1903年(明治36年)1月まで日光二荒山神社宮司。のち八坂神社宮司、射水神社宮司、玉前神社宮司を歴任。(略歴は、射水神社#組織を参照)
- 10神宮嵩寿(1849-1921)<1903-1905>:御嶽教4代管長。金刀比羅宮宮司、氷川神社宮司、八坂神社宮司を経て1903年(明治36年)1月9日、日光二荒山神社宮司。1905年(明治38年)3月、神職を辞め、御嶽教管長4代となる。(略歴は、御嶽教#組織を参照)
- 11立木兼善(1834-1909)<1905-1909>:淡路出身の官僚・政治家。1905年(明治38年)3月13日から1909年(明治42年)6月まで日光二荒山神社宮司。(略歴は、石上神宮#組織を参照)
- 12村上信夫(1848-?)<1909-1914>:1848年(嘉永1年)生。1893年(明治26年)12月日光二荒山神社禰宜。1909年(明治42年)6月から1914年(大正3年)7月まで日光二荒山神社宮司。同年9月30日、日光町長。
- 13竹間清臣(1863-1923)<1914->:1914年(大正3年)7月、日光二荒山神社宮司。(経歴は駒形神社#組織を参照)
- 稲村真里(1867-1961)<>:(経歴は香椎宮#組織を参照)
- 加藤直久(1875-1937)<>:(略歴は平安神宮#組織を参照)
- 高橋城司(1895-?)<1944-1960>:群馬県出身。1916年(大正5年)早稲田大学中退。1920年(大正9年)群馬県属。1926年(昭和1年)内務省属。1929年(昭和4年)内務省神社局に勤務。1931年(昭和6年)春日大社禰宜。1933年(昭和8年)伊豆山神社宮司。1934年(昭和9年)熱田神宮権宮司。同年、談山神社宮司。1939年(昭和14年)2月1日日吉大社宮司。1941年(昭和16年)、滋賀県祭務官。1944年(昭和19年)から1960年(昭和35年)まで日光二荒山神社宮司。1946年(昭和21年)、栃木県神社庁初代庁長。1952年(昭和27年)神社本庁理事。
- 喜田川清香()<-1993>:1993年(平成5年)まで
- 吉田健彦(1936-)<1993-2018>:1983年(昭和58年)権宮司。1993年(平成5年)宮司。2001年(平成13年)から2010年(平成22年)まで栃木県神社庁長。在任中、世界遺産登録。
- 中麿輝美()<2018->:2018年(平成30年)日光二荒山神社宮司。
権宮司
- 阿部浩()<>:
- 柿沼広身()<>:
- 小村鄰(1848-1920)<>:下総古河出身。(略歴は北海道神宮#組織を参照)
- 吉田健彦()<>:
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』