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修験道の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年9月2日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
目次 |
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開祖とその弟子・親族
- 役小角(生没年不詳):修験道の開祖。賀茂氏。葛城山、吉野など各地の霊山を開いたという。神変大菩薩、役行者、役優婆塞、山上様。
- 義学:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。義覚。前鬼。子孫は前鬼山に住んだという。
- 義玄:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。義賢。後鬼。子孫は洞川に住んだという。
- 義真:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。
- 寿元:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。
- 芳元:役小角の弟子。五鬼(五代弟子)の一人。
- 角仁:桜本坊の開山。役小角の弟子。
- 賀茂間介麻呂:役小角の父。賀茂氏。高賀茂真影麻呂。
- 白専女:役小角の母。渡都岐比売。刀自女。都都岐。
奈良時代以前
- 善正(生没年不詳):英彦山の開祖。北魏の孝武帝(510-535)の皇子という。
- 卜仙(生没年不詳):求菩提山の開祖。猛覚魔。継体天皇20年に求菩提山を開いたという。
- 忍辱(生没年不詳):英彦山の開祖。藤原恒雄。継体天皇25年、善正に師事して共に英彦山を開いたという。
- 聖徳太子(574-622):
- 蜂子皇子(生没年不詳):出羽三山の開山。崇峻天皇皇子で、聖徳太子のいとこにあたる。能除太子、照見大菩薩。
- 弘俊():羽黒山。能除太子の弟子。
- 心蓮():宝満山の開山。
- 慈興(生没年不詳):立山の開山。701年(大宝1年)、熊の姿で現れた阿弥陀如来に導かれて立山を開いたという。俗名は佐伯有頼。
奈良時代
- 徳道(656-?):長谷寺
- 行基(668-749):金峰山寺を再建。
- 仁聞(生没年不詳):六郷満山の開山。八幡神の化身。
- 金蓮(生没年不詳):伯耆大山の開山。猟師だったが、地蔵菩薩に導かれて養老年間(717-724)に伯耆・大山寺を開いたという。俗名は依道。
- 行善(生没年不詳):720年(養老4年)求菩提山に白山権現を祀り、護国寺などを創建。
- 寂仙(?-758):石鎚山の行者。嵯峨天皇の前世と言われる。寂仙菩薩。
- 泰澄(682-767):白山の開山。京都愛宕山を開いたともされる。越の大徳、神融禅師。
- 法蓮(生没年不詳):英彦山霊仙寺の開山。
- 鑑真(688-763):日本の律宗の開祖。葛城山に伝説が残る。
- 良弁(689-773):東大寺開山。石山寺開山。相模大山開山。義淵に法相宗を学び、審祥に華厳宗を学ぶが、雑密も学んだ。東大寺四聖。墓は、大和・開善寺跡にある。
- 神叡(?-777):自然智宗。吉野比曽寺で虚空蔵求聞持法を感得したという。
- 慶俊(生没年不詳):大安寺の僧。京都愛宕山を中興したとされる。
- 報恩(?-795):備前で活躍した伝説的な僧侶。吉野山で修行した。報恩大師。
平安時代
- 万巻(720-816):箱根山の開山。鹿島神宮、多度大社に神宮寺を創建。満願とも。
- 勝道(735-817):日光山の開山。
- 最澄(767-822):日本天台宗の開祖。比叡山の開山。伝教大師。
- 空海(774-835):日本真言宗の開祖。吉野山で修行。高野山の開山。弘法大師。
- 円珍(814-891):天台宗寺門派の開祖。智証大師(智證大師)。
- 学問(生没年不詳):戸隠修験の開祖。平安時代前期。850年、飯綱山で修行した後、霊地を求めて金剛杵を投げたら戸隠の岩屋に落ちた。そこで読経すると九頭龍が現れ、伽藍を建てるように告げて戸を閉めて隠れた。学門とも。学問行者。学門行者。
- 相応(831-918):比叡山の千日回峰行を創始する。
- 聖宝(832-909):修験道当山派の開祖。
- 観賢(854-925):聖宝の弟子。醍醐寺座主。
- 貞崇(866-944):聖宝の弟子。鳳閣寺を開く。
- 助憲():900年(昌泰3年)、宇多上皇を先導し、金峰山検校となる。
- 日蔵(905?-985?):三善清行の子と言われる。金峰山で修行。冥界で菅原道真と醍醐天皇に会ったという。道賢上人。
- 性空(910-1007):霧島山の開山。播磨・円教寺開山。書写上人。
- 良源(912-985):
- 兼俊():正暦寺開山。九条兼家の子。992年正暦寺を創建。
- 応照(生没年不詳):日本初の焼身入定僧という。平安時代中期。那智山で修行。
- 長明(生没年不詳):戸隠で焼身捨身。平安時代中期。
- 増誉(1032-1116):修験道本山派の開祖。
- 長快(1037-1122):熊野別当15代。
- 行尊(1057-1135):本山派の僧侶。熊野三山検校2代。西国三十三所霊場を開いたとも言われる。園城寺長吏。天台座主。平等院大僧正。
- 末代(生没年不詳):富士山の村山修験の開祖。
- 高算():白河上皇の帰依を受けた。金峰山寺の蓮華会を始めた。安禅寺を開いた。瀧光寺の近くが没地とされ、高算堂がある。
- 教懐(1001-1093):高野聖の祖。
- 頼厳(生没年不詳):求菩提山中興。延暦寺行尊に修験道を学び、求菩提山千日行を始め、護国寺を再興した。1142年の銅板法華経に名が残る。
- 隆明(1020-1104):園城寺長吏。三室戸寺を再興。
- 重源(1121-1206):
- 行勝(1130-1217):高野山五坊寂静院を創建。丹生都比売神社を再興。丹生都比売神社若宮祭神。
- 慶円(1140-1223):平等寺開山。
- 信円(1153-1224):正暦寺中興。藤原忠通の子。金峰山検校。
- 貞慶(1155-1213):興福寺の学僧。笠置寺に隠棲。
- 静恵法親王(1164-1203):聖護院門跡で初の皇族。後白河天皇皇子。
- 慶乗():那智の補陀落渡海の史料上の初出。平安時代後期。
鎌倉時代
- 長厳():後鳥羽上皇の先達。真言宗。那智山検校。
- 湛増(生没年不詳):熊野別当21代。源平合戦で、最初平家に就いたが、鶏を闘わせて源氏の勝利を占い(闘鶏神社の名前の由来)、源氏に就く。熊野水軍を統率。
- 文覚(生没年不詳):神護寺中興。
- 頼仁親王(1201-1264):児島修験の開祖。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、五流尊瀧院を中興。冷泉宮、児島宮。
- 覚仁親王(1198-1266):園城寺長吏。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟とともに五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。
- 徹雲():建長年間、後山を開き、道仙寺を創建したという。
- 円海():建長年間、世義寺を中興。
- 弁覚():常陸国出身。大方氏。関政平の弟。熊野修験を学び、大峰山の笙ノ窟で修行。日光修験の中興。日光山座主。1240年、光明院創建。
- 頼尊():富士山の村山修験の祖。鎌倉時代末期。
- 勝尊(?-1310):荒沢寺の開山。
南北朝・室町時代
- 宗信(生没年不詳):後醍醐天皇を迎えた吉野吉水院の僧。
- 文観(1278-1357):
- 助有法親王(1320-1349):後伏見天皇皇子。英彦山座主の祖。
- 志一():1362年(正平17年/貞治1年)七宝瀧寺を中興。
- 俊源():1375年(天授1年/永和1年)高尾山に飯綱権現を祀る。
- 良瑜(1330-1397):本山派の深仙灌頂を整備。
- 満済(1378-1435):三宝院門跡の醍醐寺座主兼務の始まり。
- 道興(1430-1501):聖護院門跡。京都から出発し、北陸、関東、東北地方まで巡歴し、諸寺を訪ねた。有力寺院の末寺化を図ったとみられる。その時の紀行文『廻国雑記』が残る。
- 法霊():法霊大明神として祀られた。
- 道満():三峰山観音院の開山。文亀年間。
- 延恵(生没年不詳):東大寺法華堂衆。小野流。当山派の重鎮だった。大峰山に13度入峰。
- 即伝(生没年不詳):各地の霊山を巡り、多くの流派を学び、修験道教学を大成したとされている。
- 道澄(1544-1608):聖護院門跡。豊臣秀吉が発願した京都方広寺の住職となる。近衛稙家の子。
近世
- 天海(1536-1643):日光東照宮を創建。金峰山寺学頭に就任し、山内金輪王寺の名前を日光に移す。慈眼大師。
- 角行(1541-1646):角行系富士信仰の開祖。富士講、扶桑教、実行教の開祖に仮託される。
- 義演(1558-1626):三宝院門跡。醍醐寺の中興の祖。東寺長者。
- 澄存(?-1652):今川氏真の子。住心院で活躍。
- 天宥(1606-1674):出羽三山の中興の祖。
- 心城():竹林院住職。元禄の山上本堂再建に尽力。
- 円空(1632-1695):
- 高賢(?-1707):三宝院門跡として初めて入峰。義演に師事。宝池院大僧正。
- 俊尊():当山派の諸国総袈裟頭の初代。大和鳳閣寺住職。
- 日光():三峰山のオイヌサマ信仰を興隆させる。1720年、眷属の札を配り始めた。
- 身禄(1671-1733):角行系富士信仰の行者。富士山で断食入定。
- 村上光清(1683-1759):富士講の行者。
- 高田藤四郎(1706-1782):富士講の行者。身禄の死に際し、富士信仰を喧伝。富士塚を初めて築いた。
- 覚明(1718-1786):木曽御嶽信仰の開祖。
- 木喰(1718-1810):
- 普寛(1731-1801):木曽御嶽信仰の開祖。
- 役藍泉(1751-1809):儒学者。本山派。周防徳山の教学院住職。藩校鳴鳳館教授。島田藍泉。
- 鉄門海():
- 小谷三志(1766-1841):不二道の開祖。禄行。
- 行智(1778-1841):当山派の学僧。サンスクリットに明るく、平田篤胤に教授したという。江戸の銀杏八幡宮別当覚吽院に住した。『木葉衣』『踏雲録事』の著者。当山派の総学頭。
- 播隆(1786-1840):信濃槍ケ岳を開山した江戸時代の浄土宗僧侶。越中出身。
- 美泉定山(1815-1877):高野山、出羽三山などで修行。蝦夷に渡り、札幌の定山渓温泉を開く。
近代
- 佐竹織江(1816-1864):英彦山の僧侶。伏見で捕まり禁門の変のときに処刑。
- 政所有緜(1821-1866):英彦山座主代。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、小倉藩に捕まり処刑。
- 鷹羽浄典(1823-1866):英彦山執当。尊皇攘夷派の志士。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが、捕まり処刑。
- 高千穂教有(1824-1872):英彦山座主。英彦山神社宮司。山口藩に乗じ、挙兵を計画するが捕まる。高千穂家はのち華族になる。
- 渋川栄承(1827-1866):英彦山の僧侶。政所有緜らとともに処刑。
- 柏木民部(1828-1871):英彦山の僧侶。奇兵隊に加わる。祐玉坊慶典。
- 橋本有幸(1834-1890):英彦山の僧侶。小倉藩に捕まるが、脱獄して英彦山に戻った。
- 阿部豪逸(1834-1882):英彦山の僧侶。禁門の変に加わる。中坊豪端。
- 水谷左門(1844-1864):英彦山の僧侶。禁門の変で戦死。水口坊観清。
- 実利(1843-1884):那智の滝で捨身。林実利、実利行者。
- 柴田花守(1809-1890):実行教初代管長。小谷三志に学ぶ。不二道を近代化して教派神道教団の実行教として組織。咲行。
- 宍野半(1844-1884):扶桑教初代管長。国学者。平田鉄胤に師事。富士講を糾合して扶桑教を設立。
- 下山応助(生没年不詳):木曽御嶽信仰の行者。御嶽講を糾合して御嶽教の設立に尽力するが行方不明となる。
- 平山省斎(1815-1890):御嶽教初代管長。大成教の開祖。元は幕臣。外国奉行などを務める。失踪した下山応助に代わり、御嶽教管長に就任。
- 伊藤六郎兵衛(1829-1894):丸山教の開祖。
- 日円():東南院中興。
- 能行():六郷満山
- 盛誉():八菅山中興。
- 安皎():飯道寺開山。
- 雅顕():熊野修験の開祖
- 宗円():月山を開く。
- 真通():竹林院中興。
- 道融():注連寺
- 道遠():
- 是与():熊野長床衆の祖