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浄土宗の檀林寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年3月12日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
目次 |
概要
浄土宗の檀林寺院。江戸時代、浄土宗僧侶になるには、いずれかの檀林で修行する必要があった。西山派の一部では現在も寺格として残る。 浄土宗の本山寺院も参照。
歴史
鎮西派白旗流 檀林
関東十八檀林
知恩院や増上寺の住職になれるエリートコースであることから出世檀林と呼ばれた。紫衣檀林と香衣檀林がある。
名称 | 国郡 | 所在地 | 格式 | コメント | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 増上寺 | 武蔵国荏原郡 | 東京都港区 | 紫衣檀林(三命) | |
2 | 伝通院 | 武蔵国豊島郡 | 東京都文京区 | 紫衣檀林(再命) | |
3 | 霊巌寺 | 下総国葛飾郡 | 東京都江東区 | 香衣檀林 | |
4 | 霊山寺 | 下総国葛飾郡 | 東京都墨田区 | 香衣檀林 | |
5 | 幡随院 | (武蔵国豊島郡) | 東京都小金井市 | 香衣檀林 | |
6 | 大善寺 | 武蔵国多摩郡 | 東京都八王子市 | 香衣檀林 | |
7 | 蓮馨寺 | 武蔵国入間郡 | 埼玉県川越市 | 香衣檀林 | |
8 | 勝願寺 | 武蔵国足立郡 | 埼玉県鴻巣市 | 香衣檀林 | |
9 | 浄国寺 | 武蔵国埼玉郡 | 埼玉県さいたま市岩槻区 | 香衣檀林 | |
10 | 光明寺 | 相模国鎌倉郡 | 神奈川県鎌倉市 | 紫衣檀林(再命) | |
11 | 結城・弘経寺 | 下総国結城郡 | 茨城県結城市 | 香衣檀林 | |
12 | 飯沼・弘経寺 | 下総国岡田郡 | 茨城県常総市 | 紫衣檀林(初命) | |
13 | 常福寺 | 常陸国那珂郡 | 茨城県那珂市 | 紫衣檀林(初命) | 1601年檀林となる(『日本歴史地名大系』)。1708年、向山常福寺に移転。旧地は蓮華院となる。1864年頃に瓜連蓮華院が瓜連常福寺に復帰した。 |
14 | 大念寺 | 常陸国信太郡 | 茨城県稲敷市 | 香衣檀林 | |
15 | 東漸寺 | 下総国葛飾郡 | 千葉県松戸市 | 香衣檀林 | |
16 | 大巌寺 | 下総国千葉郡 | 千葉県千葉市 | 香衣檀林 | |
17 | 大光院 | 上野国太田郡 | 群馬県太田市 | 紫衣檀林(初命) | |
18 | 善導寺 | 上野国邑楽郡 | 群馬県館林市 | 香衣檀林 |
- 順序は暫定。
引込檀林
『仏教大語彙』は引込(ひっこみ)檀林として次の四寺を挙げる。
その他の檀林
- 泉谷寺:神奈川県横浜市。結城弘経寺の檀林格を移した?(『浄土宗典籍研究』)
- 佐太・来迎寺:大阪府守口市。1872年(明治5年)11月、融通念仏宗を改め「浄土宗佐太派」を称すが、12月3日、知恩院の所轄となり、1889年(明治22年)2月3日、神奈川県泉谷寺から檀林号を移し、派名を取り消す(「浄土宗寺院調書」)。
- 本誓寺:東京都江東区。1873年(明治6年)6月大念寺から檀林号を移す(「浄土宗寺院調書」)。
- 大音寺:長崎県長崎市。明治26年、茨城県の「浄福寺」の檀林格を譲り受けたという(日本歴史地名大系)。
- 大蓮寺?:神奈川県小田原市。
- 酉谷寺:山口県下関市南部町。1876年(明治9年)8月29日、准檀林(浄土宗近代百年史年表)。1880年(明治13年)2月5日、准檀林を返上(同書)。
中世の檀林
- 上野・養林寺:日本歴史地名大系
鎮西派名越流 名越檀林
名前 | 国郡 | 所在地 | 現在の宗派 | コメント | |
---|---|---|---|---|---|
円通寺 | 下野国 | 栃木県真岡市 | 浄土宗 | ||
専称寺 | 陸奥国 | 福島県いわき市 | 浄土宗 |
万治4年(1661)名越派の檀林は専称寺と円通寺のみに限られた。
西山派檀林
名前 | 国郡 | 所在地 | 現在の宗派 | コメント | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 正覚寺 | 尾張国愛知郡 | 愛知県名古屋市熱田区 | 西山浄土宗 | |
2 | 曼陀羅寺 | 尾張国葉栗郡 | 愛知県江南市 | 西山浄土宗 | |
3 | 総持寺 | 紀伊国名草郡 | 和歌山県和歌山市 | 西山浄土宗 | 梶取総持寺。 |
4 | 真宗院 | 山城国紀伊郡 | 京都府京都市伏見区深草 | 浄土宗西山深草派 | 円空立信の墓所。浄土律院。 |
5 | 大林寺 | 三河国 | 愛知県岡崎市 | 浄土宗西山深草派 | 三河十二本寺。 |
6 | 法蔵寺 | 三河国額田郡 | 愛知県岡崎市 | 浄土宗西山深草派 | 三河十二本寺。 |
7 | 崇福寺 | 三河国碧海郡 | 愛知県岡崎市 | 浄土宗西山深草派 | 三河十二本寺。 |
暫定リスト。 順序は西山浄土宗⇒浄土宗西山深草派の順で、それぞれ寺院名簿の順序による。 これらは現在も檀林の寺格を有している。
三河十二本寺も参照
- 善慧寺:岐阜県加茂郡八百津町。天下七檀林の随一という(日本歴史地名大系)
- 安養寺:福井県福井市。「檀林小本山」という(日本歴史地名大系)
- 如来寺:兵庫県たつの市。天文12年、光明寺と禅林寺から准檀林を与えられたという(日本歴史地名大系)
- 立政寺:岐阜県岐阜市。天下七檀林の一つという(日本歴史地名大系)
- 祐福寺:愛知県愛知郡東郷町春木屋敷。尾張国愛知郡。浄土宗西山禅林寺派。
資料
古典籍・史料
- 宇高良哲2015『関東浄土宗檀林古文書選』
文献
- 福井忍隆1961「浄土宗西山派会下『黌林定則』について」『印度学仏教学研究』9巻2号[1]
- 中井良宏1967「檀林教育の成立とその発展について―近世〔浄土宗〕寺院教育の一形態」『仏教大学研究紀要』51
- 中井良宏1969「近世浄土宗壇林教育の成立と発展について―近代寺院教育の一形態」『日本の教育史学』12巻[2]
- 玉山成元1968「近世初期における浄土宗宗政―とくに関東を中心として―」『印度学仏教学研究』17巻1号[3]
- 玉山成元1970「近世初期における浄土宗の教育―とくに関東十八檀林の成立を中心に」『日本仏教学会年報』36
- 長谷川匡俊1970「浄土宗檀林における本末関係の一考察―江戸時代中末期生実大巌寺をめぐって」『淑徳大学紀要』4[4]
- 長谷川匡俊1970「浄土宗田舎檀林考―江戸時代後期下総国生実大巌寺の場合」『日本仏教』31[5]
- 長谷川匡俊1971「浄土宗檀林をめぐる民衆教化の諸相―江戸中・後期の田舎檀林の場合」『駿台史学』29
- 長谷川匡俊1972「浄土宗檀林についての覚書―田舎檀林〔常陸・武蔵・下総の四寺〕の史料調査から」『淑徳大学紀要』6
- 長谷川匡俊1974「地方における浄土宗檀林の成立と展開―常陸国江戸崎大念寺の場合」『地方史研究』24-5
- 長谷川匡俊1975「地方における浄土宗檀林の展開―鎌倉光明寺「入寺帳」の分析を通してみたる」『仏教文化研究』21
- 長谷川匡俊2016「江戸中期における川越蓮馨寺檀林の運営管理と教育実施状況」『仏教文化研究』60
- 長谷川匡俊2020『近世浄土宗・時宗檀林史の研究』法藏館
- 宇高良哲1973「浄土宗関東十八檀林制度の確立」『日本仏教』36
- 宇高良哲1976「近世初期の関東浄土宗檀林寺院の一考察―特に生実大巌寺を中心として―」『印度学仏教学研究』24巻2号[6]
- 宇高良哲1998「草創期の浄土宗関東十八檀林を支えた人々―特に近世初期の住職の動向を中心に」『大正大学研究論叢』6
- 宇高良哲2015『近世浄土宗史の研究』青史出版
- 宇高良哲2015『近世浄土宗教団の足跡』浄土宗出版
- 宇高良哲2015「近世初期の檀林小金東漸寺について」『近世浄土宗史の研究』
- 宇高良哲2015「草創期の関東十八檀林を支えた人々」『近世浄土宗史の研究』
- 宇高良哲2015「近世初期の知恩院住職と檀林生実大巌寺の関係について」『近世浄土宗史の研究』
- 宇高良哲2015「檀林伝法の沿革」『近世浄土宗史の研究』
- 宇高良哲2015「名越派檀林の僧侶養成」『近世浄土宗史の研究』
- 斎藤昭俊1977「近世における仏教教育-2-浄土宗檀林」『密教学』13・14
- 桜井敏雄1977「浄土宗・法華宗寺院の檀林について」『近畿大学理工学部研究報告』12
- 桜井敏雄・松岡利郎1977「関東十八檀林常福寺の伽藍について―浄土宗寺院伽藍配置の研究(1)―」『近畿大学理工学部研究報告』12
- 桜井敏雄・松岡利郎1977「関東十八檀林大厳寺の伽藍について―浄土宗寺院伽藍配置の研究(2)―」『近畿大学理工学部研究報告』12
- 桜井敏雄・松岡利郎1977「関東十八檀林大念寺の伽藍について―浄土宗寺院伽藍配置の研究(3)―」『近畿大学理工学部研究報告』12
- 桜井敏雄・松岡利郎1977「関東十八檀林伝通院の伽藍について―浄土宗寺院伽藍配置の研究(4)―」『近畿大学理工学部研究報告』12
- 真野淳成1979「浄土宗関東十八檀林制度の確立」『大正大学浄土学研究室大学院研究紀要』5
- 山田宏昭1980「浄土宗檀林における修学について」『大正大学浄土学研究室大学院研究紀要』6
- 梶井一暁1998「浄土宗関東檀林における修学僧の入寺・修学動向―増上寺『入寺帳』の分析から」『広島大学教育学部紀要第一部教育学』47
- 梶井一暁1999「浄土宗関東檀林の修学僧に関する考察:近世農民の社会移動を視点として」『日本の教育史学』42巻[7]
- 梶井一暁2000「近世後期農民子弟による浄土宗関東檀林修学の特色」『日本宗教文化史研究』4-2
- 粂原恒久2008「関東十八檀林順路記について」『日本仏教教育学研究』16
- 日塔和彦2009「9222浄土宗檀林大巌寺本堂・書院の当初形態考察―その1本堂の当初形態考察」『学術講演梗概集F-2建築歴史・意匠』2009[8](有料)
- 日塔和彦2010「9054浄土宗檀林大巌寺本堂・書院の当初形態考察―その2書院の当初形態考察」『学術講演梗概集F-2建築歴史・意匠』2010[9](有料)
- 石川達也2013「『江戸幕府日記』における浄土宗台命住職記事」『大正大学綜合佛教研究所年報』35[10]
- 石川達也2014「浄土宗檀林の住職交替について」『綜合仏教研究所年報』36[11]
- 石川達也2019「近世における浄土宗寺院の住職交代について―紫衣檀林を中心に」『仏教文化研究』63
- 下田桃子2015「浄土宗檀林寺院の僧侶集団と寺院運営―三縁山増上寺を中心として」『論集きんせい』37
- 小野威人2016「江戸時代以前の下総国飯沼弘経寺に関する一考察―天正・慶長年間(1573~1615年)の動向を含めて」『上越社会研究』31
- 小野威人2018「浄土宗旧檀林寺院における本末組織に関する考察―飯沼弘経寺に残る開山忌関連史料から見えてくるもの」『頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要』3巻4号[12]
- 青木篤史2020「関東十八檀林における生活規範についての一考察―感誉存貞談義所壁書三十三箇条を中心に―」『仏教文化学会紀要』29号[13]