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神宮号宣下神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年5月21日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
神宮号宣下神社は、近現代に神宮号を与えられた皇室ゆかりの神社。宮号宣下も取り扱う。(伊勢神宮については伊勢神宮を参照)
目次 |
概要
- 神宮号、宮号の順で格付された。
- 明文化された法制は国家神道時代でも存在しなかった。
- 仮に神宮号の「宣下」としているが、手続きについては要検討。特に明治時代については不詳。
- 宮号から神宮号に昇級した例がある。
- 戦後に認められた神宮もある。
- 1887年(明治20年)以降に改称した神宮のほとんどは天皇を祀る神社。
- 戦後改称の英彦山神宮のみ官幣中社で、他の全ては官幣大社。
- 例外も多いが、原則「八幡宮」は官国幣社が名乗るものだった可能性がある。県社からの昇格で八幡社から八幡宮に改称した例がある(柞原八幡宮)。
- 原則「天満宮」は認められなかった。1869年8月4日の宣命により「北野天満宮」は「北野神社」と称することとなる。宮号復旧を請願したが、明治9年6月22日、政府は北野神社の宮号は不許可と決定した。「太宰府天満宮」も「太宰府神社」を称するようになった。戦後になって北野天満宮、太宰府天満宮の呼称が復興した。
- 「東照宮」は小社であっても用いており、「東照社」や「東照神社」を名乗った例はまれだと思われる。
- 伊勢神宮と熱田神宮の別宮も宮号を認められた。
一覧
- 順番は要検討
- 祭神は1944年(昭和19年)『神社本義』(神祇院編)の官国幣社一覧に基づく[1]。ただしこの資料より後に台湾神宮と北海道神宮は増祀により神宮号を得ているため追記している。
- 種別の欄は敗戦時、神祇院などが伊勢神宮と共に、特に皇室にゆかり深い「皇室の祖廟」とそれに准じるものとして公的関係の存続を模索した神社(『明治神道史の横顔』))
神宮
神宮名 | 祭神 | 社格 | 種別 | 所在地 | 神宮改称年 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 熱田神宮 | 草薙神剣 | 官幣大社 勅祭社 | 祖廟 | 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 | 不詳 | 1868年(明治1年)6月に神宮号宣下があったという(1968『熱田神宮』[2][3])。しかし典拠は不明。政府公文書では6月17日の時点では「熱田宮」と呼ばれている(「熱田宮ヘ勅使被為在候付奉納米搬運御達」[4])。東巡日記9月17日条には「熱田神社」とある(「天皇熱田神宮ニ詣シ蹕ヲ熱田駅傍ニ停メ農事ヲ覧ル」[5])。「尾張神宮」に改称し、伊勢神宮と同格扱いにする計画もあったが採択されなかった。 |
2 | 宇佐神宮 | 誉田別尊 比売神 大帯姫命 | 官幣大社 勅祭社 | 准祖廟 | 大分県宇佐市南宇佐2859 | 1871年(明治4年)5月14日以前 | |
3 | 鹿島神宮 | 武甕槌命 | 官幣大社 勅祭社 | 茨城県鹿嶋市宮中2306-1 | 1868年(明治1年)11月5日以前 | 1868年(明治1年)11月5日には「鹿島神宮」と記されている。(「常陸国鹿島神宮ヘ行幸ノ儀申立」[6]) | |
4 | 香取神宮 | 伊波比主命 | 官幣大社 勅祭社 | 千葉県香取市香取1697 | 1868年(明治1年)11月5日以前 | 1868年(明治1年)11月5日には「香取神宮」と記されている。(「常陸国鹿島神宮ヘ行幸ノ儀申立」[7]) | |
5 | 霧島神宮 | 天饒石国饒石天津日高彦火瓊々杵尊 | 官幣大社 | 祖廟 | 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 | 1874年(明治7年)2月15日 | 1874年(明治7年)2月15日、官幣大社に列格すると共に霧島神社から霧島神宮に改称。(「鹿児島県下霧島神宮官幣大社ニ列ス」[8]) |
6 | 鹿児島神宮 | 天津日高彦穂々手見命 | 官幣大社 | 祖廟 | 鹿児島県霧島市隼人町内2496-1 | 1874年(明治7年)3月25日 | 1874年(明治7年)3月25日、国幣中社鹿児島神社を鹿児島神宮と改称し、官幣中社に昇格。(「鹿児島神社改称官幣中社ニ鵜戸神社順次改定官幣小社ニ列ス」[9]) |
7 | 鵜戸神宮 | 天津日高日子波限建鵜草葺不合命 | 官幣大社 | 祖廟 | 宮崎県日南市宮浦3232 | 1874年(明治7年)3月25日 | 1874年(明治7年)3月25日、国幣小社鵜戸神社を鵜戸神宮と改称し、官幣小社に昇格。(「鹿児島神社改称官幣中社ニ鵜戸神社順次改定官幣小社ニ列ス」[10]) |
8 | 日前神宮 | 日前大神 | 官幣大社 | 和歌山県和歌山市秋月365 | 1881年(明治14年)2月2日 | 1880年(明治13年)10月4日、内務省が神宮号復旧の伺を上申。12月23日、太政官がこれを認める。(日前国県両神宮号復旧[11]) | |
9 | 国懸神宮 | 国懸大神 | 官幣大社 | 和歌山県和歌山市秋月365 | 1881年(明治14年)2月2日 | 同上 | |
10 | 石上神宮 | 布都御魂劔 | 官幣大社 | 奈良県天理市布留町384 | 1883年(明治16年)4月17日 | 1882年(明治15年)12月9日、石上神社が内務省に対し、神宮号復旧を上申。1883年(明治16年)2月16日、内務省が太政官に上申。3月1日、太政官第二局が認める方針を示す。3月6日、内閣で稟議。3月23日、太政官が天皇に上奏。3月24日、太政官、認める通達を出す。(「石上神社神宮号復旧ノ件」[12]、「官幣大社石上神社神宮号復旧ヲ允ス」[13]、「官幣大社石上神社ヘ神宮号復旧ノ義」[14]) | |
11 | 橿原神宮 | 神武天皇 媛蹈鞴五十鈴媛皇后 | 官幣大社 勅祭社 | 祖廟 | 奈良県橿原市久米町934 | 1889年(明治22年)7月 | |
12 | 平安神宮 | 桓武天皇 孝明天皇 | 官幣大社 勅祭社 | 祖廟 | 京都府京都市左京区岡崎西天王町 | 1894年(明治27年)2月10日 | |
13 | 気比神宮 | 伊奢沙別命 日本武命 帯中津彦命 息長帯姫命 誉田別命 豊姫命 武内宿禰命 | 官幣大社 | 福井県敦賀市曙町11-68 | 1895年(明治28年)3月27日 | ||
14 | 宮崎神宮 | 神武天皇 | 官幣大社 | 准祖廟 | 宮崎県宮崎市神宮2-4-1 | 1913年(大正2年)7月4日 | |
15 | 明治神宮 | 明治天皇 昭憲皇太后 | 官幣大社 勅祭社 | 祖廟 | 東京都渋谷区代々木神園町1-1 | 1915年(大正4年)5月1日 | |
16 | 吉野神宮 | 後醍醐天皇 | 官幣大社 | 祖廟 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山3226 | 1918年(大正7年)9月28日 | 1915年(大正4年)1月7日、吉野宮から内務省に神宮号改称を請願。1915年(大正4年)2月1日、奈良県から内務省に副申。1918年(大正7年)9月18日、内務省から内閣に上申。9月19日、内閣が認める。9月20日、上奏。9月21日指令。(官幣大社吉野宮ヲ神宮号ニ改称ス[15]) |
17 | 朝鮮神宮 | 天照大神 明治天皇 | 官幣大社 勅祭社 | 朝鮮京畿道京城府南山 | 1925年(大正14年)6月27日 | ||
18 | 近江神宮 | 天智天皇 | 官幣大社 勅祭社 | 祖廟 | 滋賀県大津市神宮町1-1 | 1938年(昭和13年)5月1日 | |
19 | 関東神宮 | 天照大神 明治天皇 | 官幣大社 | 関東州旅順市新市街町 | 1938年(昭和13年)6月1日 | ||
20 | 水無瀬神宮 | 後鳥羽天皇 土御門天皇 順徳天皇 | 官幣大社 | 祖廟 | 大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24 | 1939年(昭和14年)3月1日 | 官幣中社から官幣大社に昇格すると共に水無瀬宮から水無瀬神宮に改称。1939年(昭和14年)2月10日、水無瀬宮から内務省に請願。2月17日、内務省から内閣。2月20日、内閣承認。2月21日、上奏。22日裁可。3月1日指令。 |
21 | 扶余神宮 | 応神天皇 斉明天皇 天智天皇 神功皇后 | 官幣大社 | 朝鮮忠清南道扶余郡扶余面 | 1939年(昭和14年)6月15日 | 創立の布告と共に「扶余神宮」の名称と官幣大社の社格が定められた。しかし鎮座することなく廃絶となった。1939年(昭和14年)5月31日、拓務省が内閣に上申。添付書類に「御祭神の御事績に鑑み、特に天皇奉斎の大社たるに稽へ、社号は宮号とし、御社格は官幣大社に列せられるべき儀と思考したり」とある。6月7日、内閣承認。1939年(昭和14年)6月9日上奏裁可。15日に指令。(「朝鮮忠清南道扶余郡扶余面ニ扶余神宮ヲ創立シ官幣大社ニ列格セラル」[16]) | |
22 | 白峰神宮 | 崇徳天皇 淳仁天皇 | 官幣大社 | 祖廟 | 京都府京都市上京区飛鳥井町261 | 1940年(昭和15年)8月1日 | 官幣中社から官幣大社に昇格と同時に白峰宮から白峰神宮に改称。1940年(昭和15年)7月16日内務省から内閣に上申。7月17日内閣で承認。7月19日上奏裁可。8月1日指令。(「官幣中社白峯宮ノ神社名ヲ改称シ官幣大社ニ昇格セラル」[17]) |
23 | 赤間神宮 | 安徳天皇 | 官幣大社 | 祖廟 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 | 1940年(昭和15年)8月1日 | 官幣中社から官幣大社に昇格と同時に赤間宮から赤間神宮に改称。1940年(昭和15年)7月16日内務省から内閣に上申。7月17日内閣で承認。7月19日上奏裁可。8月1日指令。(「官幣中社赤間宮ノ神社名ヲ改称シ官幣大社ニ昇格セラル」[18]) |
24 | 台湾神宮 | 天照大神 大国魂命 大己貴命 少彦名命 能久親王 | 官幣大社 | 台湾台北州台北市大宮町 | 1944年(昭和19年)6月17日 | 天照大神の増祀にともなう改称。1944年(昭和19年)6月12日、内務省から内閣に上申。6月13日上奏、裁可。6月17日指令。(「官幣大社台湾神社祭神増祀並ニ名改称ノ件ヲ定メラル」[19]) | |
25 | 伊弉諾神宮 | 伊邪那岐命 | 官幣大社 | 兵庫県淡路市多賀740 | 1954年(昭和29年)4月27日 | 大正時代から改称申請の運動があり、1937年(昭和12年)には国会で請願が採択された。1954年(昭和29年)4月22日、神宮号の申請を神社本庁が承認。ついで26日、統理および事務総長が宮内庁を訪問し、長官に改称の旨の上奏を依頼。27日、天皇への上奏の通知を得た。(『神社本庁十年史』)。祭神のうちイザナミは配祀神であり、主祭神ではないらしい[20]。 | |
26 | 北海道神宮 | 大国魂神 大己貴神 少彦名神 明治天皇 | 官幣大社 | 北海道札幌市中央区宮ケ丘474 | 1964年(昭和39年)9月25日 | 1964年(昭和39年)9月25日、神社本庁統理から宮司に明治天皇を合祀し北海道神宮と改称する承認書を伝達。10月5日に鎮座祭。(『神社本庁二十年史』) | |
27 | 英彦山神宮 | 忍骨命 | 官幣中社 | 福岡県田川郡添田町英彦山1 | 1974年(昭和49年)6月24日 | 1974年(昭和49年)6月24日、上奏。祭神表記は現在では「正勝吾勝速日天之忍穂耳命」。 |
宮号
- (八幡宮、天満宮、金刀比羅宮、東照宮、波上宮)
●と◯は、敗戦時、神祇院などが伊勢神宮と共に、特に皇室にゆかり深い神社として公的関係の存続を模索した神社。●は皇室の祖廟、◯はそれに準ずるもの。(『明治神道史の横顔』)
分類
- 皇室祖廟:熱田神宮、霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮、橿原神宮、平安神宮、明治神宮、吉野神宮、近江神宮、水無瀬神宮、白峰神宮、赤間神宮(敗戦時、神祇院などが伊勢神宮と共に、特に皇室にゆかり深い「皇室の祖廟」として公的関係の存続を模索した神社(『明治神道史の横顔』))
- 准皇室祖廟:宇佐神宮、宮崎神宮(敗戦時、神祇院などが伊勢神宮と共に、特に皇室にゆかり深い「皇室の祖廟」に准じるものとして公的関係の存続を模索した神社(『明治神道史の横顔』))
- 勅祭社:熱田神宮、宇佐神宮、鹿島神宮、香取神宮、橿原神宮、平安神宮、明治神宮、朝鮮神宮、近江神宮
- 唯一の官幣中社:英彦山神宮
- 神代三代:霧島神宮、鹿児島神宮、鵜戸神宮
- 神器奉斎:熱田神宮、日前神宮、国懸神宮、石上神宮
- 天照大神奉斎神社:日前神宮、国懸神宮、朝鮮神宮、関東神宮、台湾神宮
- 神武天皇奉斎神社:宮崎神宮、橿原神宮
- 応神天皇奉斎神社:宇佐神宮、気比神宮、扶余神宮
- 配流天皇:水無瀬神宮、白峰神宮、赤間神宮
- 明治天皇奉斎神社:明治神宮、朝鮮神宮、関東神宮、北海道神宮
- 皇宮跡:宮崎神宮、橿原神宮、近江神宮、平安神宮、吉野神宮、明治神宮
- 古社:熱田神宮、宇佐神宮、鹿島神宮、香取神宮、日前神宮、国懸神宮、石上神宮、気比神宮
- 近代創建神社(内地):橿原神宮、平安神宮、宮崎神宮、明治神宮、吉野神宮、近江神宮
- 植民地開拓地の神社:朝鮮神宮、関東神宮、扶余神宮、台湾神宮、北海道神宮
- 戦後の改称:伊弉諾神宮、北海道神宮、英彦山神宮
- 増祀にともなう神宮号改称:台湾神宮、北海道神宮
- 宮号から神宮号に昇格:水無瀬神宮、白峰神宮、赤間神宮、吉野神宮
沿革
概要
- 記紀
- 延喜式
- 1871年(明治4年)5月14日時点
- 敗戦時
前近代
年譜
- 1871年(明治4年)5月14日:男山八幡宮、官幣大社に列格(太政官 御布告 第235)
- 1871年(明治4年)5月14日:香取神宮、官幣大社に列格(太政官 御布告 第235)
- 1871年(明治4年)5月14日:鹿島神宮、官幣大社に列格(太政官 御布告 第235)
- 1871年(明治4年)5月14日:熱田神宮、官幣大社に列格(太政官 御布告 第235)
- 1871年(明治4年)5月14日:宇佐神宮、官幣大社に列格(太政官 御布告 第235)
- 1871年(明治4年)5月14日:香椎宮、列格(太政官 御布告 第235)
- 1873年(明治6年)6月9日:井伊谷宮、官幣中社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1873年(明治6年)6月9日:鎌倉宮、官幣中社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1873年(明治6年)6月9日:白峰宮、官幣中社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1873年(明治6年)6月9日:東照宮(日光)、別格官幣社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1873年(明治6年)8月14日:水無瀬宮、官幣中社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1874年(明治7年)2月15日:霧島神宮、「霧島神社」より改称。官幣大社(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1874年(明治7年)3月25日:鵜戸神宮、「鵜戸神社」より改称。(法令全書 太政官御布告第235 備考)
- 1874年(明治7年)3月25日:鹿児島神宮、「鹿児島神社」より改称。官幣中社昇格。
- 1875年(明治8年)10月7日:赤間宮、列格
- 明治10年5月28日:函館八幡宮、国幣小社に列格([21][22])。これ以前から函館八幡宮と呼ばれていた。1896年(明治29年)10月19日、国幣中社に昇格。
- 1878年(明治11年)5月18日:宮崎宮、列格
- 1880年(明治13年)8月3日:八代宮、列格
- 1881年(明治14年)2月2日:日前神宮、改称
- 1881年(明治14年)2月2日:国懸神宮、改称
- 1882年(明治15年)9月13日:鶴岡八幡宮、
- 1883年(明治16年)4月17日:石上神宮、改称
- 1885年(明治18年)4月22日:筥崎宮、
- 1885年(明治18年)4月22日:事比羅宮、国幣中社に列格。
- 1888年(明治21年)5月4日:東照宮(久能山)、
- 1889年(明治22年)6月28日:吉野宮、
- 1889年(明治22年)7月:橿原神宮、創立聴許
- 1889年(明治22年)7月3日:金刀比羅宮、改称
- 1890年(明治23年)1月29日:波上宮、列格
- 1890年(明治23年)9月12日:金崎宮、創立
- 1892年(明治25年)9月27日:吉野宮、
- 1894年(明治27年)2月10日:平安神宮、
- 1895年(明治28年)3月27日:気比神宮、
- 1913年(大正2年)7月4日:宮崎神宮、
- 1915年(大正4年)5月1日:明治神宮、
- 1915年(大正4年)11月10日:藤崎八幡宮、県社から国幣小社に昇格[23]。県社時代から「八幡宮」を名乗る。
- 1916年(大正5年)12月12日:柞原八幡社、県社から国幣小社に昇格するとともに「柞原八幡宮」に改称[24]。
- 1918年(大正7年)1月23日:石清水八幡宮、
- 1918年(大正7年)9月28日:吉野神宮、
- 1925年(大正14年)6月27日:朝鮮神宮、
- 1938年(昭和13年)5月1日:近江神宮、
- 1938年(昭和13年)6月1日:関東神宮、
- 1939年(昭和14年)3月1日:水無瀬神宮、
- 1939年(昭和14年)6月15日:扶余神宮、
- 1940年(昭和15年)8月1日:赤間神宮、
- 1940年(昭和15年)8月1日:白峯神宮、
- 1940年(昭和15年)11月1日:千栗八幡神社、県社から国幣小社に昇格すると共に「千栗八幡宮」と改称[25]。
- 1944年(昭和19年)6月17日:台湾神宮、