ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
高僧の賜号
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年10月6日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
目次 |
中国
中国帝王から賜号を得た日本僧
- 法済大師:奝然(938-1016):清涼寺如来を中国から日本に請来した真言宗僧侶。東大寺出身。宋皇帝から法済大師号を下賜される。
- 円通大師:寂照(寂昭)(962-1034):天台宗僧。大江氏。源信らに学ぶ。長保5年(1003) 、源信の「疑問二十七条」を携えて入宋。宋の真宗皇帝から紫衣を下賜され、「円通大師」の諡号を賜る。杭州で死去。三河入道。
- 善慧大師:成尋(1010-1081):大雲寺別当。入宋し、天台山、五台山を巡礼。宋の神宗から「善慧大師(善恵大師)」号下賜。中国で死去。『参天台五台山記』著者。
- 慕化懐徳大師:仲回:1078年に大宰府から明州に来た通訳僧。
日本
前近代
大師、禅師、国師、菩薩、和尚、上人などが下賜された。
上人号
綸旨などの宛名に上人と記されることで上人号が勅許された。綸旨の本文中に上人を与える旨を記すようになるのは後代のこと。
大師号
国師号など
その他
近現代の諡号
明治以降の下賜は、「大師」号と「国師」号の2種類に限られている。 明治12年4月、道元と授翁宗弼への諡号考証にあたり、「大師号国師号賜与内規」が定められた。
明治12年4月「大師号国師号賜与内規」 一 大師号を賜与するは宗名公称の各宗宗祖に限るべし 一 国師号は各宗の祖若くは其第二世以下其宗の中祖とも称すべくして特別徳望あるもの又は旧来各分派の名実ありし其派祖及び二世以下と雖も前後に諡号の勘例ある者に限るべし 一 大師国師を論ぜず古来加号の例規ありし者は猶期年に至り上請の上 特旨を以て加号の御詮議あるべし 一 生前死後に論なく特旨を以て大師国師号等を賜与せらるるは固より定例規格の外とす (原文はカタカナ。朱書略)
朱書で注記があるが、第1項については当時、大師号がなかった道元、隠元、日蓮、一遍を想定。第2項では、派祖については栄西、蘭渓道隆のみであり、二世以下の場合も授翁宗弼は例外的に漏れていたのであって、滅多にない例と記している。また真宗、日蓮宗の諸派は「近世の分派」であるから派祖であっても「諡号に及ばず」とする。第3項は、法然、無学祖元、宗峰妙超、夢窓疎石、関山慧玄、隠元を挙げているが、必ず加号するものとの契約があるわけではないとある。
4年後の明治16年に次のように改定。
明治16年10月8日内達「大師号国師号賜与内規」 第一条 大師号を賜与するは左の六項に限るべし 一 一宗の開祖 二 一宗の中教旨に差異ありて別に一派を開き布教隆盛なるものの派祖 三 天皇の御崇敬を得て一大寺を開基し特別の由緒及び功徳ある者 四 一宗の第二世以下と雖も宗風を拡張し中興とも称すべき功徳ありて開祖に比肩すべき者 五 皇子にして学徳顕著なる者 六 天皇の戒師にして特別の功徳ある者 第二条 国師号を賜与するは左の七項に限るべし 一 一宗一派の開祖 二 一宗一派第二世以下と雖も特別功徳ある者 三 勅願に依て一寺を創立し由緒功徳ある者 四 一派を中興せし者 五 皇子をして学徳ある者 六 天皇の戒師たりし者 七 学徳優長にして各宗同く景仰する者 第三条 大師号国師号は死後之を賜はるものとす 第四条 大師国師を論ぜず年期加号の例は自今之を廃止す
明治20年3月9日、いたずらに請願の方法を与えることになり弊害があるとして廃止された。そのためか、年期加号はこの後も現在まで行われている。
名前 | 生没年 | 号 | 種類 | 天皇 | 宣下 | 宗派 | 典拠 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
親鸞 | 1173-1262 | 見真大師 | 大師 | 明治天皇 | 1876年(明治9年)11月28日 | 浄土真宗 | 太政類典 | |
道元 | 1200-1253 | 承陽大師 | 大師 | 明治天皇 | 1879年(明治12年)11月22日 | 曹洞宗 | 太政類典 | |
授翁宗弼 | 1296-1380 | 円鑑国師 | 国師 | 明治天皇 | 1879年(明治12年)11月7日 | 臨済宗 | 『明治史要補正第1巻』 | 500遠諱。『人名辞書』には明治2年とある。『妙心寺御開山関山国師御伝』によると、明治12年の遠諱に万里小路家と山岡鉄舟の働き掛けで実現したという。『皇室と寺院』には11月22日とある |
木庵性〓 | 1611-1684 | 慧明国師 | 国師 | 明治天皇 | 1881年(明治14年)12月23日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 宇治・万福寺2世。『京都府宇治郡誌』には1882年(明治15年)とある。 |
蓮如 | 1415-1499 | 慧燈大師 | 大師 | 明治天皇 | 1882年(明治15年)3月22日 | 浄土真宗 | 公文録 | |
真盛 | 1443-1495 | 慈摂大師 | 大師 | 明治天皇 | 1883年(明治16年)6月26日 | 天台宗 | 公文類聚 | 『観無量寿経』の「仏心者大慈悲是以無縁慈摂諸衆生」に依るという(『天台宗真盛派講説』)。 |
俊ジョウ | 1166-1227 | 月輪大師 | 大師 | 明治天皇 | 1883年(明治16年)6月26日 | 真言宗 | 公文類聚 | |
無文元選 | 1323-1390 | 聖鑑国師 | 国師 | 明治天皇 | 1884年(明治17年)5月26日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 遠江・方広寺開山 |
白隠 | 1685-1768 | 正宗国師 | 国師 | 明治天皇 | 1884年(明治17年)5月26日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 日本臨済宗中興 |
関山慧玄 | 1277-1360 | 無相大師 | 大師 | 明治天皇 | 1909年(明治42年)4月7日 | 臨済宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | 妙心寺開山 |
瑩山紹瑾 | 1268-1325 | 常済大師 | 大師 | 明治天皇 | 1909年(明治42年)9月8日 | 曹洞宗 | 峯玄光1909『常済大師御伝記』 | 総持寺開山 |
法然 | 1133-1212 | 明照大師 | 大師 | 明治天皇 | 1911年(明治44年)2月27日 | 浄土宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | 700回忌 |
隠元 | 1592-1673 | 真空大師 | 大師 | 大正天皇 | 1917年(大正6年)3月7日 | 臨済宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | |
誠拙周樗 | 1745-1820 | 大用国師 | 国師 | 大正天皇 | 1919年(大正8年)10月28日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 円覚寺派の中興 |
日蓮 | 1222-1282 | 立正大師 | 大師 | 大正天皇 | 1922年(大正11年)10月9日 | 日蓮宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | |
授翁宗弼 | 1296-1380 | 微妙大師 | 大師 | 昭和天皇 | 1927年(昭和2年)3月22日 | 臨済宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | |
寂室元光 | 1290-1367 | 正燈国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1928年(昭和3年)4月16日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 永源寺開山 |
円爾弁円 | 1202-1280 | 神光国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1930年(昭和5年)4月7日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 東福寺開山 |
孤雲懐奘 | 1198-1280 | 道光普照国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1930年(昭和5年)5月12日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺2世 |
鉄眼道光 | 1630-1682 | 宝蔵国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1932年(昭和7年)5月19日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 黄檗派の僧侶。『大蔵経』出版の功績。 |
宗峰妙超 | 1282-1337 | 玄覚浩淵国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1933年(昭和8年)4月15日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 大徳寺開山 |
雪江宗深 | 1408-1486 | 本源円通国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1935年(昭和10年)4月8日 | 臨済宗 | 『皇室と寺院』 | 妙心寺6世 |
峨山韶碩 | 1275‐1365 | 大現宗猷国師 | 国師 | 昭和天皇 | 1937年(昭和12年)3月8日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺2世 |
無文元選 | 1323-1390 | 円明大師 | 大師 | 昭和天皇 | 1938年(昭和13年)4月11日 | 臨済宗 | 佐野恵作『皇室と寺院』 | |
一遍 | 1239-1289 | 証誠大師 | 大師 | 昭和天皇 | 1940年(昭和15年)3月 | 時宗 | 『一遍と時宗教団』 | |
法然 | 1133-1212 | 和順大師 | 大師 | 昭和天皇 | 1961年(昭和36年)2月27日 | 浄土宗 | 『宗教年鑑』 | 750年大遠忌に際して1961年(昭和36年)2月27日(旧暦の1月25日)、宮中東の間で宇佐見宮内庁長官から岸信宏浄土門主に伝達。宗派宗務総長、知恩院執事長、宗議会議長ら宗派幹部が同行し、同日、増上寺で法要。翌日京都に戻り、鎮西派・西山各派の重役ら500人の出迎えを受け知恩院で2000人の出迎えを受け、知恩院で大遠忌の逮夜法要に合わせて奉告法要を営んだ。「和順」の出典は『無量寿経』の「天下和順、日月清明、風雨以時、災厲󠄂不起、国豊民安、兵戈無用、崇徳興仁、務修礼譲」の偈で、「天下は太平であり、日と月は清らかに明るく照らし、風と雨も時に応じ、災害と疫病も起きず、国は豊かに人々は安らかに過ごし、兵や武器を用いる争いごともなく、人々は徳を崇め仁を尊び、努めて礼儀と謙譲の道を修めます」(新纂浄土宗大事典)の意である。浄土宗ではこの偈は祝聖文と呼ばれて修正会や地鎮式などの法要の回向文として用いられるという。棟札や卒塔婆にも書き込むことがある。 |
隠元 | 1592-1673 | 華光大師 | 大師 | 昭和天皇 | 1972年(昭和47年) | 臨済宗 | 万福寺ウェブサイト | 300年遠諱 |
法然 | 1133-1212 | 法爾大師 | 大師 | 平成の天皇 | 2011年(平成23年)3月16日 | 浄土宗 | 浄土宗知恩院派ウェブサイト | 800回忌 |
隠元 | 1592-1673 | 厳統大師 | 大師 | 令和の天皇 | 2022年(令和4年)2月25日 | 黄檗宗 | 新聞各紙 | 350年遠諱 |
画像
勅額下賜
大師を宗祖・開山などと仰ぐ寺院の一部に勅額が下賜された。(『皇室と寺院』より)
- 1879年(明治12年)9月29日:見真:西本願寺
- 1879年(明治12年)9月29日:見真:東本願寺(現真宗本廟)
- 1879年(明治12年)10月31日:見真:専修寺
- 1880年(明治13年)4月12日:見真:仏光寺
- 1880年(明治13年)10月23日:見真:興正寺
- 1881年(明治14年)2月17日:見真:錦織寺
- 1882年(明治15年)4月14日:真空:宇治・万福寺:現在、大雄宝殿にある額と思われる。
- 1902年(明治35年)5月3日:承陽:永平寺:現在、承陽殿にある。
- 1914年(大正3年)2月27日:明照:知恩院:御影堂
- 1925年(大正14年)4月1日:常済:総持寺:600遠忌。
- 1931年(昭和6年)10月1日:立正:久遠寺:現在、祖廟拝殿にある。
- 1935年(昭和10年)4月3日:慈摂:西教寺:現在、宗祖大師殿にある。
- 1937年(昭和12年)4月12日:弘法:金剛峰寺:現在、根本大塔にある。
- 1937年(昭和12年)7月3日:伝教:延暦寺:現在、根本中堂にある。
近現代の特賜
明治以降の特賜(生前の授与)は、曹洞宗の本山寺院の住職に限られ、種類も「禅師」号のみである。永平寺では78世の就任から天皇陛下からの下賜ではなく自称することにしたという(石川昌孝、2008『坐禅をすれば善き人となる』)。総持寺の現状は不明。
名前 | 生没年 | 号 | 種類 | 天皇 | 宣下 | 宗派 | 典拠 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
久我環渓 | 1817-1884 | 絶学天真禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1871年(明治4年)12月26日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺61世 |
青蔭雪鴻 | 1832-1885 | 円応道鑑禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1883年(明治16年)12月15日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺62世 |
滝谷琢宗 | 1836-1897 | 真晃断際禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1885年(明治18年)12月15日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺63世 |
森田悟由 | 1834-1915 | 性海慈船禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1895年(明治28年)5月27日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺64世 |
福山黙童 | 1841-1916 | 慧光玄照禅師 | 禅師 | 大正天皇 | 1915年(大正4年)6月10日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺65世 |
日置黙仙 | 1847-1920 | 明鑑道機禅師 | 禅師 | 大正天皇 | 1916年(大正5年)6月29日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺66世 |
北野元峰 | 1842-1933 | 円証明修禅師 | 禅師 | 大正天皇 | 1920年(大正9年)11月25日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺67世 |
秦慧昭 | 1862-1944 | 大規正信禅師 | 禅師 | 昭和天皇 | 1933年(昭和8年)12月23日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 永平寺68世 |
佐藤泰舜 | 1890-1975 | 直指円性禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 永平寺74世 | |
山田霊林 | 1889-1979 | 仏真宏照禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 永平寺75世 | |
秦慧玉 | 1896-1985 | 慈眼福海禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 永平寺76世 | |
丹羽廉芳 | 1905-1993 | 慈光円海禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 永平寺77世。78世から禅師号勅賜を辞めたというので永平寺最後となる? | |
諸岳奕堂 | 1805-1879 | 弘済慈徳禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1870年(明治3年)7月25日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住1世 |
畦上楳仙 | 1825-1901 | 法雲普蓋禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1880年(明治13年)6月4日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住2世 |
西有穆山 | 1821-1910 | 真心浄国禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1901年(明治34年)6月19日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住3世。栗山泰音『総持寺史』では「直心浄国禅師」 |
石川素童 | 1841-1920 | 大円玄致禅師 | 禅師 | 明治天皇 | 1905年(明治38年)6月13日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住4世 |
新井石禅 | 1864-1927 | 大陽真鑑禅師 | 禅師 | 大正天皇 | 1921年(大正10年)2月26日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住5世 |
杉本道山 | 1847-1929 | 真応誠諦禅師 | 禅師 | 昭和天皇 | 1928年(昭和3年)4月5日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住6世 |
秋野孝道 | 1858-1934 | 黙照円通禅師 | 禅師 | 昭和天皇 | 1930年(昭和5年)1月15日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住7世 |
栗山泰音 | 1860-1937 | 覚同行智禅師 | 禅師 | 昭和天皇 | 1934年(昭和9年)4月18日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住8世 |
伊藤道海 | 1874-1940 | 無辺光照禅師 | 禅師 | 昭和天皇 | 1935年(昭和10年)6月15日 | 曹洞宗 | 『皇室と寺院』 | 総持寺独住9世 |
鈴木天山 | 1863-1941 | 密伝慈性禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住10世・永平寺69世 | |
大森禅戒 | 1871-1947 | (なし?保留) | 禅師 | (なし?保留) | 曹洞宗 | 総持寺独住11世・永平寺70世 | ||
高階瓏仙 | 1876-1968 | 大鑑道光禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住12世・永平寺71世 | |
福山界珠 | 1881-1943 | 真徳玄光禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住13世 | |
久我篤立 | 1861-1943 | (なし?保留) | 禅師 | (なし?保留) | 曹洞宗 | 総持寺独住14世 | ||
佐川玄彝 | ? | (なし?保留) | 禅師 | (なし?保留) | 曹洞宗 | 総持寺独住15世・永平寺72世 | ||
熊沢泰禅 | 1873-1968 | 大光円心禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住16世・永平寺73世 | |
渡辺玄宗 | 1869-1963 | 円鑑不昧禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住17世 | |
孤峰智〓 | 1879-1967 | 円応至道禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住18世 | |
岩本勝俊 | ? | 正応天真禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住19世 | |
乙川瑾映 | ? | 仏海真光禅師 | 禅師 | 昭和天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住20世 | |
梅田信隆 | ?-2000 | 真源宏宗禅師 | 禅師 | 近代 | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住21世 | |
成田芳髄 | 1905-1998 | 大環正応禅師 | 禅師 | 平成の天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住22世 | |
板橋興宗 | 1927- | 閑月即真禅師 | 禅師 | 平成の天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住23世 | |
大道晃仙 | 1917-2011 | 慈峰英鑑禅師 | 禅師 | 平成の天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住24世 | |
江川辰三 | 1928- | 大寛真応禅師 | 禅師 | 平成の天皇? | ? | 曹洞宗 | 総持寺独住25世 |