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二十二社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | '''二十二社'''は中世の朝廷祭祀で最重要視された神社。社格の一種。盛衰があるが、近現代の勅祭社の制度につながっていると思われる。 | ||
+ | 古代の官社制度の衰退に代わり登場。古代祭祀では全国の神社を均一に扱うことを目指したのに対して、中世には畿内の有力神社を特に重視する傾向にあった。 | ||
+ | 長元年間から祈年穀奉幣が毎年2月と7月(または8月)に行われた。祭日は一定せず吉日を選んだ。延期もしばしばあった。また祈雨や止雨の祈願など臨時の祭祀もあった。 | ||
+ | 朝廷は高官を奉幣使に任命して各社に派遣した。奉幣使を務めるには神社ごとに条件があった。伊勢は諸王が任じられ中臣氏と忌部氏が従った。賀茂松尾平野は参議と五位。石清水稲荷は四位。丹生貴船は神祇官六位。他は五位。 | ||
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+ | 神社に赴いた奉幣使は神前で天皇から預かった宣命を読み上げた。宣命を記した紙は神社ごとに格式が定められており、伊勢神宮は縹色、賀茂神社は紅色、その他は黄色とされている。これは現在の神宮や勅祭社でも踏襲されている。 | ||
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*1449年8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。 | *1449年8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。 | ||
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+ | *江家次第 | ||
+ | *二十二社註式 | ||
+ | *二十一社記 | ||
+ | *二十二社本縁 | ||
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2019年6月6日 (木) 時点における版
二十二社は中世の朝廷祭祀で最重要視された神社。社格の一種。盛衰があるが、近現代の勅祭社の制度につながっていると思われる。
古代の官社制度の衰退に代わり登場。古代祭祀では全国の神社を均一に扱うことを目指したのに対して、中世には畿内の有力神社を特に重視する傾向にあった。
長元年間から祈年穀奉幣が毎年2月と7月(または8月)に行われた。祭日は一定せず吉日を選んだ。延期もしばしばあった。また祈雨や止雨の祈願など臨時の祭祀もあった。
朝廷は高官を奉幣使に任命して各社に派遣した。奉幣使を務めるには神社ごとに条件があった。伊勢は諸王が任じられ中臣氏と忌部氏が従った。賀茂松尾平野は参議と五位。石清水稲荷は四位。丹生貴船は神祇官六位。他は五位。
発遣の儀式は重要な神事として天皇出御のもと行われた。特に伊勢神宮の場合は奉幣使が出発した後、天皇が紫宸殿から神宮を遥拝した。儀式の次第は『江家次第』に詳しい。
神社に赴いた奉幣使は神前で天皇から預かった宣命を読み上げた。宣命を記した紙は神社ごとに格式が定められており、伊勢神宮は縹色、賀茂神社は紅色、その他は黄色とされている。これは現在の神宮や勅祭社でも踏襲されている。
一覧
- 上七社
- 中七社
- 下八社
- 貴船神社
年譜
- 902年4月13日:16社奉幣。初見。日本紀略
- 941年:以後、恒例。
- 966年:制度として確立したという。
- 991年8月:19社。吉田・広田・北野が追加。創建まもない北野天満宮が加わるのは注目される。
- 994年:梅宮追加。20社。
- 995年:祇園追加。21社。
- 1039年:日吉追加。22社。日吉は伊勢を除いて初の畿外の神社。
- 1081年:22社が永例となる。
- 1179年:厳島神社の追加が議論されるが実現せず。
- 1449年8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。
古典籍
- 江家次第
- 二十二社註式
- 二十一社記
- 二十二社本縁