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函館八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月10日 (金)
函館八幡宮 はこだて はちまんぐう | |
概要 | 開拓地函館の鎮守。 |
奉斎 | 品陀和気命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 北海道函館市谷地頭町2-5 |
所在地(旧国郡) | 渡島国亀田郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 国幣中社・別表神社 |
関連記事 | 八幡信仰 |
目次 |
概要
歴史
境内
組織
神主
代数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
菊池吉宗 | 遠祖。1550年(天文19年)、肥後を脱出して蝦夷地の内浦岳に渡る。四郎。 | |||
菊池伊知女 | 巫女だった。慶安年間(1648-1652)奉職。 | |||
4 | 菊池重綏 | 1649-1743 | 1743年(寛保3年)死去。95歳。惣太夫。 | |
5 | 菊池重秀 | ?-1781 | 1781年(天明1年)死去。厳城。 | |
6 | 菊池重春 | 1702-1784 | 1784年(天明4年)死去。83歳。出雲守 | |
7 | 菊池重仲 | 1758-1825 | 1825年(文政8年)死去。68歳。出雲正 | |
8 | 菊池重泰 | 1792-1828 | 1828年(文政11年)死去。37歳。堅磐輔。 | |
9 | 菊池重章 | 1819-1850 | 1850年(嘉永3年)死去。32歳。「法令大神主」。出雲正。 | |
10 | 菊池会能 | 1796-1856 | 菊池重泰の妻。1856年(安政3年)死去。61歳。 | |
11 | 菊池重賢 | 1833-1900 | 札幌神社(北海道神宮)の事実上の初代宮司。1833年(天保4年)生。「法令大神主」。京都下鴨の吉田学館玉田司之助の子。1853年(嘉永6年)(菊池家に?)入籍。1871年(明治4年)札幌神社禰宜。1872年(明治5年)2月、札幌神社権宮司。1873年(明治6年)9月、札幌神社宮司。1875年(明治8年)退職。1875年(明治8年)7月7日まで都都古別神社宮司。1877年(明治10年)8月10日、函館八幡宮権宮司。1877年(明治10年)12月、制度改正で1878年(明治11年)1月14日禰宜となる。1879年(明治12年)3月7日辞表。1882年(明治15年)教導職に専任。小樽住吉神社、石狩八幡宮、古平社なども創建。札幌に金刀比羅教会(現金刀比羅本教傘下の教会か)を設立。1900年(明治33年)2月6日死去。70歳。中講義。出雲守。 | |
12 | 菊池重予 | ?-1943 | 函館八幡宮禰宜。1943年(昭和18年)死去。 | |
13 | 菊池重雄 | ?-1953 | 札幌の金刀比羅崇敬教会を継承。1953年(昭和28年)死去。80歳。権大教正。 | |
14 | 菊池重武 | ?-1983 | 大教正長老。1977年(昭和52年)札幌八幡宮を創建。1983年(昭和58年)死去。71歳。 | |
15 | 菊池重勝 | ?-1998 | 北海道神宮禰宜。1998年(平成10年)死去。54歳。 | |
16 | 菊池重敏 | 神道大教13代管長。札幌八幡宮宮司。菊池重武の子。1953年(昭和28年)生。国学院大学文学部神道学科卒。神道大教本局に書生として奉仕。1978年(昭和53年)札幌八幡宮禰宜。1983年(昭和58年)札幌八幡宮2代宮司。2017年(平成29年)5月、神道大教管長。 |
宮司
明治以降。
代数 | 名 | 生没年 | 在職年 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 小村鄰 | 1848-1920 | 1877-1879 | 下総古河出身。1848年(嘉永1年)生。古河藩士の子。日光二荒山神社権宮司、札幌神社宮司を歴任。1877年(明治10年)12月12日、函館八幡宮宮司。函館神道事務分局長。1879年(明治12年)3月6日退任。開拓使大書記官。教導職権少教正。[2](略歴は、北海道神宮#組織を参照) |
2 | 五島広高 | 1821-1880 | 1879-1880 | 甲斐国御嶽村出身。1821年(文政4年)生。1872年(明治5年)2月、開拓使出仕。5月、皇国学校教授庶務懸。10月説教懸。1873年(明治6年)5月6日、函館中教院事務懸。6月3日、神社改正懸。塩竈神社権宮司、禰宜を経て1879年(明治12年)3月6日、函館八幡宮宮司。4月28日、函館神道事務分局長。5月8日、着任。1879年(明治12年)12月27日、大講義から権少教正。1880年(明治13年)6月29日死去。[3] |
3 | 大貫真浦 | 1850-1916 | 1880-1892 | 1850年(嘉永3年)生。1880年(明治13年)8月29日、函館八幡宮宮司。1881年(明治14年)函館神道事務分局長。1892年(明治25年)7月25日、退任。[4][5](略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照) |
4 | 山田岩次郎 | 1862-1946 | 1892-1894 | 兵庫県姫路出身。1862年(文久2年)生。1887年(明治20年)9月、皇典講究所本科卒業。宮内省に奉職。1892年(明治25年)7月27日、函館八幡宮宮司。翌年北海道皇典講究分所所長。1894年(明治27年)2月16日、若狭彦神社宮司。同年7月28日伊勢神宮権禰宜。のち禰宜。神宮皇学館講師。1917年(大正6年)9月、神宮神部署主事、大阪支署長。三重支署長。1946年(昭和21年)死去。[6] |
5 | 金鑽宮守 | 1863-? | 1894-1897 | 金鑚神社社家の出身。1863年(文久3年)生。埼玉県出身。1882年(明治15年)金鑚神社祠掌。1887年(明治20年)皇典講究所卒。1894年(明治27年)2月16日、函館八幡宮宮司。1897年(明治30年)1月14日、日光二荒山神社宮司。1898年(明治31年)2月7日[7]から1929年(昭和4年)まで金鑚神社宮司。没年不詳。著書多数。『椿乃舎集』[8]。 |
6 | 岩松正秋 | 1863-1900 | 1897-1900 | 長崎県出身。1863年(文久3年)生。松島神社の社家。1887年(明治20年)9月、皇典講究所第1期生として卒業。1897年(明治30年)2月5日、函館八幡宮宮司。1900年(明治33年)3月31日、八代宮宮司。9月8日死去。(略歴は八代宮#組織を参照) |
7 | 中川武俊 | 1846-1902 | 1900-1901 | 1900年(明治33年)3月31日、函館八幡宮宮司。1901年(明治34年)5月7日、彌彦神社宮司。(略歴は八坂神社#組織を参照) |
8 | 塙豊樹 | 1854-1913 | 1901-1902 | 鹿島神宮禰宜枝家の出身。塙瑞枝の次男。1854年(安政1年)生。1875年(明治8年)笠間稲荷神社社掌。笠間藩校時習館で学ぶ。教導職大講義。1890年(明治23年)東北六県神官連合会副会長。1891年(明治24年)茨城県神官取締本所副所長。1901年(明治34年)5月14日、函館八幡宮宮司。1902年(明治35年)9月29日、大洗磯前神社・酒列磯前神社宮司。正六位。1913年(大正2年)退任。1921年(大正10年)死去。 |
9 | 斎藤普春 | 1854-1913 | 1902-1905 | 1854年(安政1年)生。丹生川上神社宮司、吉野宮宮司、香椎宮宮司、四條畷神社宮司、大洗磯前神社宮司を経て、1902年(明治35年)9月29日、函館八幡宮宮司、1905年(明治38年)9月26日、忌部神社宮司。(略歴は丹生川上神社#組織を参照) |
10 | 安元久雄 | 1877-1961 | 1905-1910 | 福岡県出身。1877年(明治10年)生。1898年(明治31年)神宮皇学館本科卒。忌部神社宮司を経て1905年(明治38年)9月26日、函館八幡宮宮司。1910年(明治43年)12月28日、浅間神社宮司。(略歴は浅間大社#組織を参照) |
11 | 当山亮道 | 1867-1936 | 1910-1920 | 新潟県新屋敷の出身。1867年(慶応3年)生[9]。1885年(明治18年)教導職試補。1889年(明治22年)権少講義。1890年(明治23年)神宮教新潟本部禄事。1900年(明治33年)部長心得。1902年(明治35年)神宮奉斎会主礼。同年12月、福島本部長。1907年(明治40年)4月、駒形神社宮司。6月従六位。1910年(明治43年)12月28日、函館八幡宮宮司。1920年(大正9年)5月26日、三島神社宮司[10]。1925年(大正14年)2月12日、平安神宮宮司。(北海道人名辞書[11]) |
12 | 村田正夫 | 1874-1940 | 1920-1925 | 1920年(大正9年)5月26日、函館八幡宮宮司。函館招魂社受持神官。1925年(大正14年)2月12日、三島神社宮司。(経歴は伊弉諾神宮#組織を参照) |
13 | 高根政次郎 | 1882-1935 | 1925-1930 | 堺出身。1882年(明治15年)生。1904年(明治37年)神宮皇学館本科卒。1922年(大正11年)多賀大社禰宜。1925年(大正14年)2月12日、函館八幡宮宮司。1930年(昭和5年)2月6日、長田神社宮司。1934年(昭和9年)多賀大社宮司。1935年(昭和10年)死去。高根紫水。『歌人西行』。 |
14 | 寺田密次郎 | 1885-? | 1930-1932 | 静岡県出身。1885年(明治18年)生。国学院大学卒。伊佐須美神社宮司を経て1930年(昭和5年)2月6日、函館八幡宮宮司。1932年(昭和7年)4月16日、札幌神社宮司となり札幌招魂社受持神官、出羽神社宮司、平安神宮宮司を歴任した。(略歴は平安神宮#組織を参照) |
15 | 二宮正彰 | 1894-1981 | 1932-1933 | 藤島神社を経て1932年(昭和7年)4月16日、函館八幡宮宮司。1933年(昭和8年)6月10日まで。(略歴は、生国魂神社#組織を参照) |
16 | 高原美忠 | 1892-1989 | 1933-1936 | 皇学館大学学長。神社本庁長老。1892年(明治25年)生。1916年(大正5年)神宮皇学館本科卒。白山比咩神社宮司を経て1933年(昭和8年)6月10日、函館八幡宮宮司。函館招魂社受持神官。1936年(昭和11年)1月31日、弥彦神社宮司。のち八坂神社宮司、皇学館大学学長を歴任。(略歴は八坂神社#組織を参照) |
17 | 矢口徳松 | 1884-1938 | 1936-1938 | 長野県出身。1884年(明治17年)生。窪田久次郎の子。矢口啓次郎の養子。1904年(明治37年)皇典講究所卒。生島足島神社主典、金鑚神社禰宜、札幌神社禰宜を経て大麻比古神社宮司。福岡住吉神社宮司。1936年(昭和11年)1月31日、函館八幡宮宮司。1938年(昭和13年)8月15日死去。贈従五位。(大衆人事録[12]) |
18 | 太田紀 | 1891-1956 | 1938-1947 | 島根県出身。1891年(明治24年)生。1914年(大正3年)国学院大学師範部卒。1925年(大正14年)札幌神社禰宜。1929年(昭和4年)菅生石部神社宮司。1936年(昭和11年)二荒山神社宮司。1938年(昭和13年)8月26日、函館八幡宮宮司。1939年(昭和14年)4月1日、函館護国神社社司(のち宮司)を兼務。1947年(昭和22年)出雲大社権宮司。1949年(昭和24年)12月退任。1956年(昭和31年)6月8日死去。 |
19 | 伊達巽 | 1894-1988 | 1948-1952 | 神社本庁長老。広島県出身。1894年(明治27年)生。1920年(大正9年)皇典講究所神職養成部神職教習科卒。御上神社宮司、唐沢山神社宮司、津島神社宮司を経て1948年(昭和23年)4月1日、函館八幡宮宮司兼函館護国神社宮司。1952年(昭和27年)、明治神宮権宮司、1972年(昭和47年)明治神宮宮司。1988年(昭和63年)8月31日死去。(略歴は明治神宮#組織を参照) |
20 | 佐伯芳彦 | 1895-1970 | 1953-1957 | 山口県の防府天満宮の社家の出身。1895年(明治28年)生。1916年(大正5年)皇典講究所神職養成部教習科卒。赤間宮宮司、豊栄神社・野田神社宮司、三島神社宮司、霧島神宮宮司を経て1953年(昭和28年)4月1日、函館八幡宮宮司・潮見丘神社宮司。1957年(昭和32年)5月31日、札幌神社宮司。のち橿原神宮宮司。奈良県神社庁長。北海道神社庁長。(略歴は北海道神宮#組織を参照) |
21 | 豕瀬好一 | 1910- | 1957-1975 | 奈良県出身。1910年(明治43年)生。1928年(昭和3年)愛知国学院卒。1935年(昭和10年)神職高等試験合格。同年、熱田神宮宮掌。1938年(昭和13年)津島神社主典。1947年(昭和22年)函館八幡宮禰宜。1957年(昭和32年)7月16日、函館八幡宮宮司。1975年(昭和50年)から1981年(昭和56年)まで神宮禰宜。同年、伊勢神宮崇敬会事務局長。 |
22 | 中島敏幸 | 1931- | 1976- | 1931年(昭和6年)生。1957年(昭和32年)国学院大学宗教学科卒。古峰神社権禰宜、禰宜、函館八幡宮禰宜を経て1976年(昭和51年)5月1日、函館八幡宮宮司。 |
23 | 川見順春 | 1955- | 北海道歌志内市出身。1955年(昭和30年)生。1978年(昭和53年)国学院大学文学部神道学科卒。寒川神社に奉職。2017年(平成29年)頃、函館八幡宮宮司。 |
画像
資料
- 『古事類苑』