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浅間大社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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浅間大社 せんげん たいしゃ | |
概要 | 浅間神社の総本社。 |
奉斎 | 木花咲耶姫命 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 静岡県富士宮市宮町1-1 |
所在地(旧国郡) | 駿河国富士郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 式内社・名神大社・正三位・駿河国一宮・朱印地拝領神社・官幣大社・別表神社 |
関連記事 | 浅間信仰 |
目次 |
概要
浅間大社(せんげん・たいしゃ)は、静岡県富士宮市の富士山南麓にある、富士信仰の総本社。山頂に浅間大社奥宮がある。式内社・名神大社・正三位・駿河国一宮・朱印地拝領神社・官幣大社・別表神社。富士山本宮浅間大社。
歴史
境内
- 本社
- 奥宮
- 久須志神社
- 大内院
- 山宮
- 金明水
- 銀明水
- 鉾立石
- 三之宮神社
- 七之宮神社
- 水屋神社
- 天神社
- 稲荷神社
- 厳島神社
- 忠魂碑
- 湧玉池
組織
大宮司(前近代)
- 富士重本(1826-1897):戊辰戦争で草薙神社神主の森元温らと駿州赤心隊を組織して、新政府軍に参加した。維新後は陸軍監獄長などを務めた。
宮司
代数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
1 | 宍野半 | 1844-1884 | 1873-1876 | 扶桑教初代管長。1873年(明治6年)3月23日、浅間神社宮司。1876年(明治9年)4月17日、退任。(略歴は扶桑教#組織を参照) |
2 | 林維紀 | 1876年(明治9年)4月17日、宮司昇進[1]。 | ||
岩満重武 | 生没年不詳 | 1879-1890 | 鹿児島県出身。1876年(明治9年)8月、若狭彦神社宮司。1879年(明治12年)9月、浅間大社宮司。1890年(明治23年)退任。 | |
木野戸勝隆 | 1854-1929 | 1890-1893 | 伊勢神宮少宮司。伊予出身の国学者。1890年(明治23年)10月21日から1893年(明治26年)11月9日まで浅間大社宮司。(略歴は伊勢神宮#組織を参照) | |
高山昇 | 1864-1950 | 1895- | 1895年(明治28年)6月、浅間大社宮司。富士山八合目以上を境内だと政府に認めさせる。1896年(明治29年)実家の神社を継ぐ。1899年(明治32年)塩竈神社宮司。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照) | |
杉谷正隆 | 1865-1945 | 1899-1902 | 熊本県出身の神職。玉前神社宮司、安房神社宮司を経て1899年(明治32年)浅間大社宮司。富士山6合目より上の境内地編入を実現。1902年(明治35年)7月、氷川神社宮司。香椎宮宮司、平安神宮宮司、八坂神社宮司、乃木神社社司を歴任。(略歴は、平安神宮#組織を参照) | |
伊藤景裕 | 1848-1907 | 1902-1907 | 小倉藩士。1902年(明治35年)7月5日浅間大社宮司。1907年(明治40年)4月14日在職で死去か。(略歴は、日枝神社#組織を参照) | |
竹間清臣 | 1863-1923 | 1907-1910 | 1907年(明治40年)4月25日、浅間大社宮司。1910年(明治43年)12月28日、霊山神社宮司。平井清臣と同一人物と思われる。(略歴は駒形神社#組織を参照) | |
安元久雄 | 1877-1961 | 1910-1913 | 福岡県出身。1877年(明治10年)生。1898年(明治31年)神宮皇学館本科卒。同年神宮皇学館助教授。1902年(明治35年)忌部神社宮司。函館八幡宮宮司を経て1910年(明治43年)12月28日、浅間神社宮司。1913年(大正2年)7月5日退任。1927年(昭和2年)福岡県うきは市吉井町千年の八幡神社社司(宮司)。皇典講究所評議員。全国神職会評議員。1961年(昭和36年)4月17日死去。 | |
林治一 | ?-1960 | 1913-1924 | 井伊谷宮宮司を経て1913年(大正2年)7月12日、浅間神社宮司。1924年(大正13年)4月12日休職。奥宮境内地を確定させる。『富士の研究』編纂を計画。(略歴は井伊谷宮#組織を参照) | |
額賀大直 | 1877-1961 | 1924-1925 | 明治後期から戦後直後まで活躍した神職。神社本庁長老。千葉県神社庁庁長。千葉県出身。額賀家は香取神宮の社家の一つ。1877年(明治10年)生。唐沢山神社宮司、寒川神社宮司、札幌神社宮司、氷川神社宮司を経て1924年(大正13年)4月、浅間大社宮司。1925年(大正14年)10月16日、日光東照宮宮司。のち八坂神社宮司、住吉大社宮司、朝鮮神宮宮司、香取神宮宮司を歴任。(略歴は香取神宮#組織を参照) | |
稲村真里 | 1867-1961 | 1925- | 1925年(大正14年)10月16日、浅間神社宮司。(経歴は香椎宮#組織を参照) | |
鈴木松太郎 | 1872-1955 | 1932年(昭和7年)頃在職か。(略歴は、伏見稲荷大社#組織を参照) | ||
高原正作 | 1886-1972 | 1933-1938 | 福井県出身。1886年(明治19年)生。1909年(明治42年)神宮皇学館本科卒。1923年(大正12年)日光東照宮主典。丹生川上神社宮司。津島神社宮司。伊勢神宮禰宜。神宮神部署長。1933年(昭和8年)5月、浅間大社宮司。1938年(昭和13年)4月16日、靖国神社権宮司。1945年(昭和20年)郷里の金刀比羅神社に奉職。1946年(昭和21年)11月25日から1948年(昭和23年)2月16日まで剣神社宮司。1950年(昭和25年)12月21日から1966年(昭和41年)8月5日まで剣神社宮司再任。1972年(昭和47年)1月8日死去。 | |
田上豊策 | 1882-1949 | 1938-1944? | 大神神社宮司を経て1938年(昭和13年)4月16日、浅間神社宮司。1944年(昭和19年)引退か。(略歴は大神神社#組織を参照) | |
佐藤東 | 1895-1988 | 1944-1980 | 大分県出身。1895年(明治28年)生。1919年(大正8年)神宮皇学館本科卒。中学校教諭を経て1925年(大正14年)多賀大社主典。1927年(昭和2年)宮崎神宮禰宜。1929年(昭和4年)波上宮宮司。1932年(昭和7年)4月16日から1934年(昭和9年)3月26日まで藤島神社宮司。1934年(昭和9年)竈山神社宮司。1939年(昭和14年)伊勢神宮禰宜。1944年(昭和19年)(?)から1980年(昭和55年)まで浅間大社宮司。静岡県神社庁長。1972年(昭和47年)神社本庁長老。1988年(昭和63年)7月17日死去。 | |
池田良八 | 1909-1997 | 1980-1988 | 佐賀県出身。1909年(明治42年)生。1930年(昭和5年)神宮皇学館本科卒。同年朝鮮神宮出仕。1935年(昭和10年)朝鮮神宮主典。1938年(昭和13年)皇典講究所朝鮮分所講師。1940年(昭和15年)靖国神社主典。1946年(昭和21年)靖国神社禰宜。1948年(昭和23年)から1979年(昭和54年)まで靖国神社権宮司。1980年(昭和55年)5月1日、浅間大社宮司。1988年(昭和63年)10月22日退任。1997年(平成9年)3月31日死去。 | |
桜井敏夫 | 1913-1991 | 1988-1991 | 静岡県出身。1913年(大正2年)生。1933年(昭和8年)静岡県神職養成部卒。1943年(昭和18年)浅間大社主典。1946年(昭和21年)浅間大社禰宜。1947年(昭和22年)富知六所浅間神社宮司を兼務。1988年(昭和63年)10月22日浅間大社宮司。1991年(平成3年)11月19日、在職で死去。 | |
土屋正治 | 1923-2000 | 1991-2000 | 山梨県出身。1923年(大正12年)生。1941年(昭和16年)神宮皇学館普通科卒。早稲田大学中退。1943年(昭和18年)浅間大社に奉職。1946年(昭和21年)浅間大社禰宜。1988年(昭和63年)10月31日浅間大社権宮司。1991年(平成3年)12月31日浅間大社宮司。2000年(平成12年)3月12日、在職で死去。 | |
渡辺新 | 1938- | 2000-2008 | 新潟県出身。1938年(昭和13年)生。1958年(昭和33年)熱田神宮学院卒。同年浅間大社に奉職。1959年(昭和34年)黒田八幡宮禰宜。1962年(昭和37年)浅間大社権禰宜。1983年(昭和58年)禰宜。1997年(平成9年)5月1日、浅間大社権宮司。2000年(平成12年)5月15日から2008年(平成20年)6月30日まで浅間大社宮司。 | |
中村徳彦 | 1943- | 2008- | 1943年(昭和18年)生。皇学館大学卒。1969年(昭和44年)八坂神社権禰宜。1971年(昭和46年)浅間大社権禰宜。1994年(平成6年)浅間大社禰宜。2000年(平成12年)7月1日、浅間大社権宮司。2008年(平成20年)7月1日、浅間大社宮司。 | |
甲田吉孝 | 1949- | 2018- | 1949年(昭和24年)生。皇学館大学卒。権宮司を経て2018年(平成30年)7月9日就任。 |
権宮司
- 1島田修()<>:1872年(明治5年)12月28日、権宮司。1873年(明治6年)10月3日まで。
- 2林維紀()<>:1873年(明治6年)10月27日、権宮司。1876年(明治9年)4月17日宮司昇進。
- 3木城楽水()<>:1876年(明治9年)4月17日、権宮司。1877年(明治10年)12月8日、制度改正で権宮司廃止。
権宮司
代数 | 名前 | 生没 | 在職 | 略歴 |
---|---|---|---|---|
定光昭 | 1908-1970 | 1947-1970 | 広島県出身。1908年(明治41年)生。1932年(昭和7年)神宮皇学館本科卒。同年、唐沢山神社出仕。1935年(昭和10年)日光東照宮主典。1941年(昭和16年)浅間大社主典。1945年(昭和20年)八坂神社禰宜。1946年(昭和21年)浅間大社禰宜。1947年(昭和22年)12月20日、浅間大社権宮司。1970年(昭和45年)4月25日死去。 | |
楠田英香 | 生没年不詳 | 1970-1981 | 1970年(昭和45年)7月31日、浅間大社権宮司。1981年(昭和56年)2月4日まで | |
佐藤正憲 | 1914-? | 1981-1988 | 大分県出身。佐藤東の子。1914年(大正3年)生。1936年(昭和11年)神宮皇学館本科卒。同年、竈山神社奉職。1940年(昭和15年)朝鮮神宮主典。大分県で教員を務めた後、1977年(昭和52年)熱田神宮権禰宜。1978年(昭和53年)9月30日、松尾大社権宮司。1981年(昭和56年)4月20日から1988年(昭和63年)10月31日まで浅間大社権宮司。 | |
土屋正治 | 1923-2000 | 1988-1991 | ||
金森安彦 | ?-2001 | 1994-1997 | 若宮八幡宮宮司。村山浅間神社宮司。1994年(平成6年)3月1日から1997年(平成9年)4月30日まで浅間大社権宮司。2001年(平成13年)2月14日死去。 | |
渡辺新 | 1938- | 1997-2000 | 1997年(平成9年)5月1日、浅間大社権宮司。 | |
中村徳彦 | 1943- | 2000-2008 | 2000年(平成12年)7月1日、浅間大社権宮司。 | |
甲田吉孝 | 1949- | ?-2018 | ||
小西英麿 |
画像
参考文献
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』