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二十二社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月9日 (水)
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+ | 古代の[[官社]](式内社)制度の衰退に代わり登場。古代の律令祭祀では全国の神社をくまなく一律に扱うことを目指したのに対して、中世には畿内の有力神社を特に重視する傾向にあった。それも特定の天皇や有力貴族に縁が深い神社や、情勢の中で神威を発揮して注目を集めた神社が加えられた。 | ||
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+ | 長元年間(1028-1037)から祈年穀奉幣が毎年2月と7月(または8月)に行われた。祭日は一定せず吉日を選んだ。延期もしばしばあった。また祈雨や止雨の祈願など臨時の祭祀もあった。 | ||
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+ | 朝廷は高官を奉幣使に任命して各社に派遣した。奉幣使を務めるには神社ごとに条件があった。伊勢は諸王が任じられ[[中臣氏]]と[[忌部氏]]が従った。賀茂・松尾・平野は参議と五位。石清水・稲荷は四位。丹生・貴船は神祇官六位。他は五位だった。 | ||
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+ | *995年(長徳1年):八坂神社追加。21社。 | ||
+ | *1039年(長暦3年):日吉大社追加。22社。日吉は伊勢を除いて初の畿外の神社。 | ||
+ | *1081年(永保1年):22社が永例となる。 | ||
+ | *1179年(治承3年):[[厳島神社]]の追加が議論されるが実現せず。 | ||
+ | *1449年(宝徳1年)8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。 | ||
+ | ==古典籍== | ||
+ | *江家次第 | ||
+ | *二十二社註式 | ||
+ | *二十一社記 | ||
+ | *二十二社本縁 | ||
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2022年11月9日 (水) 時点における最新版
二十二社(にじゅうにしゃ)は中世の朝廷祭祀で最重要視された神社。社格の一種。盛衰があるが、近現代の勅祭社の制度につながっていると思われる。貴船神社は上賀茂神社の摂社であったため、独立した神社として数えず二十一社といわれることもあった。
古代の官社(式内社)制度の衰退に代わり登場。古代の律令祭祀では全国の神社をくまなく一律に扱うことを目指したのに対して、中世には畿内の有力神社を特に重視する傾向にあった。それも特定の天皇や有力貴族に縁が深い神社や、情勢の中で神威を発揮して注目を集めた神社が加えられた。
長元年間(1028-1037)から祈年穀奉幣が毎年2月と7月(または8月)に行われた。祭日は一定せず吉日を選んだ。延期もしばしばあった。また祈雨や止雨の祈願など臨時の祭祀もあった。
朝廷は高官を奉幣使に任命して各社に派遣した。奉幣使を務めるには神社ごとに条件があった。伊勢は諸王が任じられ中臣氏と忌部氏が従った。賀茂・松尾・平野は参議と五位。石清水・稲荷は四位。丹生・貴船は神祇官六位。他は五位だった。
発遣の儀式は重要な神事として天皇出御のもと行われた。特に伊勢神宮の場合は奉幣使が出発した後、天皇が紫宸殿から神宮を遥拝した。儀式の次第は『江家次第』に詳しい。神社に赴いた奉幣使は神前で天皇から預かった宣命を読み上げた。宣命を記した紙は神社ごとに格式が定められており、伊勢神宮は縹色、賀茂神社は紅色、その他は黄色とされている。これは現在の神宮や勅祭社でも踏襲されている。
上七社 | 1伊勢神宮 | 2石清水八幡宮 | 3賀茂神社 上賀茂神社・下鴨神社 | 4松尾大社 | 5平野神社 | 6伏見稲荷大社 | 7春日大社 | ||
中七社 | 8大原野神社 | 9大神神社 | 10石上神宮 | 11大和神社 | 12広瀬大社 | 13龍田大社 | 14住吉大社 | ||
下八社 | 15日吉大社 | 16梅宮大社 | 17吉田神社 | 18広田神社 | 19八坂神社 | 20北野天満宮 | 21丹生川上神社 上社・中社・下社 | 22貴船神社 |
一覧
- 上七社
- 中七社
- 下八社
- 貴船神社
年譜
- 902年(延喜2年)4月13日:16社奉幣。初見。日本紀略
- 941年(天慶4年):以後、恒例。
- 966年(康保3年):制度として確立したという。
- 991年(正暦2年)8月:19社。吉田神社・広田神社・北野天満宮が追加。創建まもない北野天満宮が加わるのは注目される。
- 994年(正暦5年):梅宮大社追加。20社。
- 995年(長徳1年):八坂神社追加。21社。
- 1039年(長暦3年):日吉大社追加。22社。日吉は伊勢を除いて初の畿外の神社。
- 1081年(永保1年):22社が永例となる。
- 1179年(治承3年):厳島神社の追加が議論されるが実現せず。
- 1449年(宝徳1年)8月:この年を最後に中断。一時復活もあったが、戦国時代に廃絶。
古典籍
- 江家次第
- 二十二社註式
- 二十一社記
- 二十二社本縁