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浄土宗の人物旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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[[浄土宗]]の[[諸師旧跡]]。際立った事績を持つ[[浄土宗]]僧侶の旧跡。開祖'''法然'''については[[法然旧跡]]を参照。
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[[浄土宗]]の[[諸師旧跡]]。際立った事績を持つ[[浄土宗]]僧侶の旧跡。開祖'''法然'''(1133-1212)については[[法然旧跡]]を参照。
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== 一覧 ==
== 一覧 ==
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*[[法然]]
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===初期===
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*[[源智]]
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*蔵俊(1104-1180):[[法相宗]]僧。[[興福寺]]権別当。[[誓願寺]]21世になったあと、法然に帰依し、寺を譲ったとされる。教明房。
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*[[証空]]
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*[[重源]](1121-1206):[[真言宗]]僧。法然から浄土教を学ぶ。俊乗房、南無阿弥陀仏。
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*[[弁長]]
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*顕真(1130-1192):[[天台宗]]僧。隠棲していた大原に法然を招き、'''大原談義'''を開き、疑義を質した。その後は法然を支持した。天台座主。
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*円照(1139-1177):藤原通憲の子。法然は彼から専修念仏の教えを得る。法然は西山広谷の房(のちの[[山城・光明寺]])を譲られ、また彼と出会えたことが生涯の喜びと語る。遊蓮房。
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*[[熊谷直実]](1141-1207):鎌倉時代の武将。源平合戦で平敦盛を打ったことを機にのちに出家。[[山城・光明寺]]など重要寺院の開山とされる。蓮生房、法力房。
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*[[明遍]](1142-1224):真言宗の浄土教僧。藤原通憲の子。法然に師事したともされる。[[高野山]][[蓮華三昧院]]を創建。のち'''高野聖'''の祖とされる。
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*'''[[九条兼実]]'''(1149-1207):九条家の祖。関白失脚後に出家。法然の主著『選択本願念仏集』は彼のために書かれた。
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*住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。
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*遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。
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*行空(生没年不詳):承元の法難で破門となる
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*[[信空]](1146-1228):白川門徒の祖。叡空に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。[[金戒光明寺]]の開山。法蓮房。
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*[[隆寛]](1148-1227):多念義長楽寺流の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。
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*感西(1153-1200):書に優れ法然の代筆などしたという。大谷の房舎中の房を譲られたというが、死去。真観房。
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*明達勇道(1154-1217):陸奥開教の開拓者。金光房。
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*'''[[弁長]]'''(1162-1238):事実上の主流である[[鎮西流]]の開祖。二祖。[[善導寺]]を創建。九州などに多数の寺院を創建。聖光房。
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*[[幸西]](1163-1247):一念義の開祖。承元の法難で阿波配流の処分が下るが、慈円の取りなしで助かる。嘉禄の法難で壱岐配流。成覚房。
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*[[宇都宮頼綱]](1172-1259):鎌倉時代の武将。証空に師事。嘉禄の法難で法然遺骸奉遷に尽力。実信房蓮生。
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*'''[[親鸞]]'''(1173-1262):承元の法難で流罪。[[浄土真宗]]の開祖となる。
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*禅勝房(1174-1258):[[天台宗]]僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の遠江の[[蓮華寺]]を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。
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*[[湛空]](1176-1253):嵯峨門徒の祖。[[二尊院]]に住す。法然の伝記を編纂。正信房。
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*'''[[証空]]'''(1177-1247):[[西山流]]の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。[[当麻曼荼羅]]を重視した。善恵房。
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*[[源智]](1183-1239):[[知恩院]]と[[知恩寺]]の基礎を築いた。紫野門徒の祖。源平合戦で戦死した平師盛の遺児という。法然から『一枚起請文』を授けられる。勢観房。
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*[[長西]](1184-1266):九品寺派の祖。京都[[九品寺]]を開く。覚明房。
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===鎌倉時代===
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*信恵(1205-1281):紫野門徒。源智の弟子。[[知恩寺]]3世。白旗流の良忠と教義を照らし合わせたら違いがなかったので、紫野門徒は白旗流に帰入したと伝わるが後世の作為と言われる。蓮寂房。
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*唱阿性心(1163-1247):[[藤田派]]の開祖。良忠の弟子。水沼上人、秩父上人。
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*[[静遍]](1166-1224):真言宗僧であるが、『選択集』を読み、法然に帰依。平頼盛の子。源頼朝の帰依を受けたという。[[禅林寺]]、[[高野山往生院]]に住す。禅林寺法印、大納言法印、心円房、真蓮房。
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*道観証慧(1195-1264):西山[[嵯峨流]]の開祖。証空の弟子。[[浄金剛院]]を開く。
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*観鏡証入(1196-1245):西山[[東山流]]の開祖。証空の弟子。[[阿弥陀院]]を開く。寂静房。
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*[[良忠]](1199-1287):鎮西[[白旗流]]の開祖。弁長の弟子で三祖。浄土宗関東布教の拠点となる[[鎌倉・光明寺]]を開く。記主禅師。然阿。
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*聖達(生没年不詳):[[時宗]]開祖一遍の師で、証空の弟子。[[肥前知恩寺]]を開く。
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*法興浄音(1202-1271):西山[[西谷流]]の開祖。証空の弟子。[[京都・光明寺]]の開祖で、[[禅林寺]]を浄土宗に改宗したとされる。後嵯峨天皇、亀山天皇の帰依を受けた。
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*円空立信(1213-1284):西山[[深草流]]の開祖。証空の弟子。深草に[[真宗院]]を創建。後深草天皇の帰依を受けた。極楽房。
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*遊観(生没年不詳):証空の弟子か。[[三鈷寺]]に住す。
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*礼阿然空(?-1297):鎮西[[一条流]]の開祖。良忠の弟子。仁和寺西谷に[[法光明院]]を開く。
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*慈心良空(?-1297):鎮西[[木幡流]]の開祖。良忠の弟子。宇治木幡の[[尊勝寺]]を創建。多くの著作があったと言われるが、現存しない。
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*[[一遍]](1234-1289):[[時宗]]開祖。聖達の弟子で、証空の孫弟子に当たる。
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*承空(生没年不詳):西山派の僧。宇都宮泰綱の子で[[宇都宮頼綱|頼綱]](実信房蓮生)の孫に当たる。遊観の弟子で、証空の孫弟子とされる。康空示導の師。[[三鈷寺]]に住す。玄観房。
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*了音(生没年未詳):西山[[六角流]]の開祖。法興浄音の弟子。京都大宮六角に住んでいたという。
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*[[一向俊聖]](1239-1287):[[一向流]]の踊り念仏の開祖。良忠の弟子。[[大隅八幡宮]]で不断念仏を行ったときに託宣を受け、[[宇佐八幡宮]]で踊り念仏を修した。[[蓮華寺]]を復興。
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*如円真空(?-1292):円空立信に師事。[[真宗院]]、竜護殿に住す。
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*顕意道教(1239-1304):聖達に師事した後、円空立信に師事。[[竹林寺]]に住す。真宗院を復興。
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*尊観良弁(1239-1316):鎮西[[名越流]]の開祖。良忠の弟子。鎌倉名越に善導寺を創建。いくつかの著作があったが不詳。定蓮社。
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*道光了慧(1243-1330):鎮西[[三条派]]の開祖。京都三条の悟真寺を開き、弁長や良忠の伝記を編纂した。伏見天皇に円頓戒を授けたという。望西楼、蓮華堂、広済和尚。
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*良暁寂慧(1251-1328):鎮西白旗流では'''四祖'''とされる。良忠の子ともいう。多数の著作を執筆し、名越流の尊観と正統を争った。白旗上人。
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===室町時代===
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*向阿是心(1265-1345):鎮西[[一条流]]発展の基礎を築く。礼阿然空の弟子で、[[清浄華院]]を拠点に皇室と接近し、当時の浄土宗各流派で最大の勢力となった。証賢。
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*康空示導(1286-1346):西山[[本山流]]の開祖。証空の墓所である[[三鈷寺]]の玄観房承空に師事し、継承する。[[後醍醐天皇]]の戒師となったという。
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*澄円(1290-1371):元に渡り、[[廬山]][[東林寺]]に学ぶ。帰国後、堺に旭蓮社大阿弥陀経寺を創建。
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*'''[[聖冏]]'''(1341-1420):[[白旗流]]では'''七祖'''とされる。五重相伝を定めた。[[伝通院]]を創建。酉蓮社了誉、三日月上人。
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*良栄理本(1346-1428):鎮西[[名越流]]の五祖。流派の拠点となる[[円通寺]]を創建。
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*'''聖聡'''(1366-1440):[[増上寺]]開山。聖冏に師事。鎮西白旗流では'''八祖'''。大蓮社酉誉。
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*隆尭(1369-1449):[[清浄華院]]の定玄に学ぶ。[[一条流]]発展の拠点となる[[浄厳院]]を創建。浄厳坊。
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*教空龍芸(??):[[法蔵寺]]を開き、三河で[[深草流]]が発展する礎を築く。
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*'''真阿'''(1385-1440):[[後亀山天皇]]皇子。[[誓願寺]]38世恵空道禅に師事。[[一念寺]]を再興。[[十念寺]]を創建。義恩。
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*等煕(1396-1462):[[清浄華院]]住職。称光天皇の病気を直したという。浄土宗で初の国師号「'''仏立慧照国師'''」を贈られた。
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*祐崇(1426-1509):[[鎌倉光明寺]]住職。後土御門天皇の帰依を受けて、勅願寺となった。紫衣着用を許され、'''十夜法要'''を創始した。如空、長蓮社観誉。
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*愚底(1445-1516):[[知恩院]]23世。松平親忠([[徳川家康]]の祖先)の帰依を受け、[[大樹寺]]を創建。真蓮社勢誉。
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*存牛(1469-1549):松平親忠(徳川家康の祖先)の子。知恩院25世となり復興。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。
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===近世===
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*'''[[称念]]'''(1513-1554):[[捨世派]]の開祖。江戸[[天智庵]]、京都[[一心院]]を創建。三蓮社縁誉。
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*'''清玉'''(生没年不詳):[[織田信長]]の帰依を受けた。[[阿弥陀寺]]を創建。[[東大寺]]本願。生誉
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*以八存易(1539-1614):袋中の兄。[[捨世派]]の僧。[[誕生寺]]を復興。宮島に[[光明院]]を創建した。行蓮社信誉。
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*貞安(1539-1615):安土法論に参加。[[大雲院]]を創建。敬蓮社聖誉。
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*[[幡随意]](1542-1615):[[知恩寺]]33世。[[藤田流]]から白旗流に帰参。[[幡随院]]を創建。キリシタンの糾明を担当。演蓮社智誉向阿。
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*存応(1544-1620):[[増上寺]]中興、12世。[[徳川家康]]の帰依を受け、増上寺を徳川家菩提寺とした。[[関東十八檀林]]制度を確立。慈昌、貞蓮社源誉、普光観智国師。
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*'''[[弾誓]]'''(1552-1613):念仏行者。捨世派の僧とみなされる。[[天台宗]]僧ともみなされる。佐渡で阿弥陀如来から仏頭を授与されたという。[[古知谷・阿弥陀寺]]など多くの寺院を開く。
 +
*[[袋中]](1552-1639) [[名越派]]の僧。琉球に渡る。
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*果空俊弌():[[禅林寺]]37世。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。
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*霊巌(1554-1641):[[霊巌寺]]を創建。[[知恩院]]32世となり、火災に見舞われた伽藍を復興。檀蓮社雄誉。
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*[[策伝]](1554-1642):[[誓願寺]]55世。落語の祖と言われる。『醒睡笑』を記す。安楽庵。
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*[[呑龍]](1556-1623):藤田流から白旗流に帰参。上野[[大光院]]などを創建。赤子を養育し、子育て呑龍と呼ばれた。信仰の対象となっている。源蓮社然誉大阿。
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*尊照(1562-1620):[[知恩院]]中興、29世。徳川家康の帰依を受ける。「関東浄土宗法度」制定に関わり、浄土宗の総本山としての地位を固めた。行蓮社満誉。
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*廓山(1572-1625):[[増上寺]]13世。存応に師事。[[伝通院]]の中興。浄土宗法度の草案を作成。江戸城で[[日蓮宗]]日経と宗論。定蓮社正誉、一実。
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*大空恵雲(?-1699):[[光明寺]]35世だったが、『円頓戒補助儀』論争で追放され、除歴される。
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*'''[[祐天]]'''(1637-1718):増上寺36世。盛んに念仏布教を行う。徳川綱吉や家宣の帰依を受けた。[[鎌倉大仏]]を復興。愚心、明蓮社顕誉。[[祐天寺]]に祀られる。
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*'''忍徴信阿'''(1645-1711):[[浄土宗興律派]](浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で[[西明寺]]を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、[[神鳳寺]]での修行を臨んだが、[[真言宗]]寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の[[山城・正法寺]]に滞在。知恩院に晋山した万無に招かれ、京都の[[法然院]]を創建した。宣誉。
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*性憲慈空(1646-1719):西山派の興律派(浄土律)の僧。[[真言律宗]]の慈忍慧猛に師事し、菩薩戒を受ける。深草の[[真宗院]]を復興。
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*霊潭性澂(1676-1734):興律派の僧。肥前出身。藤原氏。忍徴信阿に師事。律は真言律宗の[[安養寺]]戒山慧堅に学ぶ。京都に[[聖臨庵]](照臨庵)を開く。
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*信培湛慧(1676-1747):興律派(浄土律)の僧。京都出身。谷口氏。[[華開院]]息庵のもとで出家。霊潭性澂に戒律を学ぶ。京都[[長時院]]を再興。澄蓮社忍誉。
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*無能(1683-1719):鎮西[[名越流]]、捨世派の僧。31歳で男根をたち、常坐不臥行を続けた。興蓮社良崇。
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*敬首祖海(1683-1748):興律派(浄土律)の僧。増上寺で出家。忍徴信阿に師事。江戸の[[正受院]]を律院とする。浄土律院規則を定めた初めともいう。下谷[[寿永寺]]に埋葬され、同寺も律院となる。
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*忍海(1696-1761):興律派(浄土律)の僧。最初、増上寺鉄船に師事し、のち敬首祖海に学ぶ。増上寺宝松院に住す。宝蓮社曇誉。
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*関通(1696-1770):興律派(浄土律)の僧。敬首祖海から菩薩戒を受ける。祐天にも学ぶ。多数の寺院を創建。一蓮社向誉。
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*普寂徳門(1707-1781):興律派(浄土律)の学僧。真宗大谷派の寺院出身であったが、西山派を学び、のち興律派の[[長時院]]、[[長泉院]]に住した。
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*'''[[徳本]]'''(1758-1818):念仏行者。江戸[[一行院]]を創建。各地を教化して巡歴した。名蓮社号誉称阿。
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*[[播隆]](1782-1840):[[槍ケ岳]]開山。浄土宗には珍しい山岳信仰の行者。
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*唯念(1791-1880):念仏行者。富士山麓に[[滝沢寺]]を開く。特異な書体の名号碑を各地に建てた。
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===近代===
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*[[山崎弁栄]](1859-1920):[[光明主義]]の開祖。晩年、[[時宗]][[無量光寺]]住職となる。光明学園を設立。
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*椎尾弁匡(1876-1971):増上寺住職。共生運動を唱える。大正大学学長。
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*以八 袋中の兄。[[捨世派]]の僧。[[誕生寺]]を復興。
 
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*[[袋中]] [[名越派]]の僧。琉球に渡る。
 
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*山崎弁栄
 
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*[[念仏行者旧跡]]
 
[[category:人物旧跡]]
[[category:人物旧跡]]

2015年10月14日 (水) 時点における版

浄土宗諸師旧跡。際立った事績を持つ浄土宗僧侶の旧跡。開祖法然(1133-1212)については法然旧跡を参照。

目次

一覧

初期

  • 蔵俊(1104-1180):法相宗僧。興福寺権別当。誓願寺21世になったあと、法然に帰依し、寺を譲ったとされる。教明房。
  • 重源(1121-1206):真言宗僧。法然から浄土教を学ぶ。俊乗房、南無阿弥陀仏。
  • 顕真(1130-1192):天台宗僧。隠棲していた大原に法然を招き、大原談義を開き、疑義を質した。その後は法然を支持した。天台座主。
  • 円照(1139-1177):藤原通憲の子。法然は彼から専修念仏の教えを得る。法然は西山広谷の房(のちの山城・光明寺)を譲られ、また彼と出会えたことが生涯の喜びと語る。遊蓮房。
  • 熊谷直実(1141-1207):鎌倉時代の武将。源平合戦で平敦盛を打ったことを機にのちに出家。山城・光明寺など重要寺院の開山とされる。蓮生房、法力房。
  • 明遍(1142-1224):真言宗の浄土教僧。藤原通憲の子。法然に師事したともされる。高野山蓮華三昧院を創建。のち高野聖の祖とされる。
  • 九条兼実(1149-1207):九条家の祖。関白失脚後に出家。法然の主著『選択本願念仏集』は彼のために書かれた。
  • 住蓮(?-1207):承元の法難で処刑される。
  • 遵西(?-1207):承元の法難で処刑される。安楽房。
  • 行空(生没年不詳):承元の法難で破門となる
  • 信空(1146-1228):白川門徒の祖。叡空に師事し、法然の弟弟子に当たるが、のち法然に師事した。法然没後の教団の長老格を務める。金戒光明寺の開山。法蓮房。
  • 隆寛(1148-1227):多念義長楽寺流の開祖。嘉禄の法難で陸奥配流となるが、相模国飯山に流された。法然、感西の房舎中の房を受け継いだという。
  • 感西(1153-1200):書に優れ法然の代筆などしたという。大谷の房舎中の房を譲られたというが、死去。真観房。
  • 明達勇道(1154-1217):陸奥開教の開拓者。金光房。
  • 弁長(1162-1238):事実上の主流である鎮西流の開祖。二祖。善導寺を創建。九州などに多数の寺院を創建。聖光房。
  • 幸西(1163-1247):一念義の開祖。承元の法難で阿波配流の処分が下るが、慈円の取りなしで助かる。嘉禄の法難で壱岐配流。成覚房。
  • 宇都宮頼綱(1172-1259):鎌倉時代の武将。証空に師事。嘉禄の法難で法然遺骸奉遷に尽力。実信房蓮生。
  • 親鸞(1173-1262):承元の法難で流罪。浄土真宗の開祖となる。
  • 禅勝房(1174-1258):天台宗僧であったが、熊谷直実の説法を受けて、法然の弟子となる。故郷の遠江の蓮華寺を念仏道場とし、遠江布教の先鞭を付けた。
  • 湛空(1176-1253):嵯峨門徒の祖。二尊院に住す。法然の伝記を編纂。正信房。
  • 証空(1177-1247):西山流の開祖。法然の主著『選択本願念仏集』の編纂に携わる。師に代わり九条兼実に講義をする。当麻曼荼羅を重視した。善恵房。
  • 源智(1183-1239):知恩院知恩寺の基礎を築いた。紫野門徒の祖。源平合戦で戦死した平師盛の遺児という。法然から『一枚起請文』を授けられる。勢観房。
  • 長西(1184-1266):九品寺派の祖。京都九品寺を開く。覚明房。

鎌倉時代

  • 信恵(1205-1281):紫野門徒。源智の弟子。知恩寺3世。白旗流の良忠と教義を照らし合わせたら違いがなかったので、紫野門徒は白旗流に帰入したと伝わるが後世の作為と言われる。蓮寂房。
  • 唱阿性心(1163-1247):藤田派の開祖。良忠の弟子。水沼上人、秩父上人。
  • 静遍(1166-1224):真言宗僧であるが、『選択集』を読み、法然に帰依。平頼盛の子。源頼朝の帰依を受けたという。禅林寺高野山往生院に住す。禅林寺法印、大納言法印、心円房、真蓮房。
  • 道観証慧(1195-1264):西山嵯峨流の開祖。証空の弟子。浄金剛院を開く。
  • 観鏡証入(1196-1245):西山東山流の開祖。証空の弟子。阿弥陀院を開く。寂静房。
  • 良忠(1199-1287):鎮西白旗流の開祖。弁長の弟子で三祖。浄土宗関東布教の拠点となる鎌倉・光明寺を開く。記主禅師。然阿。
  • 聖達(生没年不詳):時宗開祖一遍の師で、証空の弟子。肥前知恩寺を開く。
  • 法興浄音(1202-1271):西山西谷流の開祖。証空の弟子。京都・光明寺の開祖で、禅林寺を浄土宗に改宗したとされる。後嵯峨天皇、亀山天皇の帰依を受けた。
  • 円空立信(1213-1284):西山深草流の開祖。証空の弟子。深草に真宗院を創建。後深草天皇の帰依を受けた。極楽房。
  • 遊観(生没年不詳):証空の弟子か。三鈷寺に住す。
  • 礼阿然空(?-1297):鎮西一条流の開祖。良忠の弟子。仁和寺西谷に法光明院を開く。
  • 慈心良空(?-1297):鎮西木幡流の開祖。良忠の弟子。宇治木幡の尊勝寺を創建。多くの著作があったと言われるが、現存しない。
  • 一遍(1234-1289):時宗開祖。聖達の弟子で、証空の孫弟子に当たる。
  • 承空(生没年不詳):西山派の僧。宇都宮泰綱の子で頼綱(実信房蓮生)の孫に当たる。遊観の弟子で、証空の孫弟子とされる。康空示導の師。三鈷寺に住す。玄観房。
  • 了音(生没年未詳):西山六角流の開祖。法興浄音の弟子。京都大宮六角に住んでいたという。
  • 一向俊聖(1239-1287):一向流の踊り念仏の開祖。良忠の弟子。大隅八幡宮で不断念仏を行ったときに託宣を受け、宇佐八幡宮で踊り念仏を修した。蓮華寺を復興。
  • 如円真空(?-1292):円空立信に師事。真宗院、竜護殿に住す。
  • 顕意道教(1239-1304):聖達に師事した後、円空立信に師事。竹林寺に住す。真宗院を復興。
  • 尊観良弁(1239-1316):鎮西名越流の開祖。良忠の弟子。鎌倉名越に善導寺を創建。いくつかの著作があったが不詳。定蓮社。
  • 道光了慧(1243-1330):鎮西三条派の開祖。京都三条の悟真寺を開き、弁長や良忠の伝記を編纂した。伏見天皇に円頓戒を授けたという。望西楼、蓮華堂、広済和尚。
  • 良暁寂慧(1251-1328):鎮西白旗流では四祖とされる。良忠の子ともいう。多数の著作を執筆し、名越流の尊観と正統を争った。白旗上人。

室町時代

  • 向阿是心(1265-1345):鎮西一条流発展の基礎を築く。礼阿然空の弟子で、清浄華院を拠点に皇室と接近し、当時の浄土宗各流派で最大の勢力となった。証賢。
  • 康空示導(1286-1346):西山本山流の開祖。証空の墓所である三鈷寺の玄観房承空に師事し、継承する。後醍醐天皇の戒師となったという。
  • 澄円(1290-1371):元に渡り、廬山東林寺に学ぶ。帰国後、堺に旭蓮社大阿弥陀経寺を創建。
  • 聖冏(1341-1420):白旗流では七祖とされる。五重相伝を定めた。伝通院を創建。酉蓮社了誉、三日月上人。
  • 良栄理本(1346-1428):鎮西名越流の五祖。流派の拠点となる円通寺を創建。
  • 聖聡(1366-1440):増上寺開山。聖冏に師事。鎮西白旗流では八祖。大蓮社酉誉。
  • 隆尭(1369-1449):清浄華院の定玄に学ぶ。一条流発展の拠点となる浄厳院を創建。浄厳坊。
  • 教空龍芸(??):法蔵寺を開き、三河で深草流が発展する礎を築く。
  • 真阿(1385-1440):後亀山天皇皇子。誓願寺38世恵空道禅に師事。一念寺を再興。十念寺を創建。義恩。
  • 等煕(1396-1462):清浄華院住職。称光天皇の病気を直したという。浄土宗で初の国師号「仏立慧照国師」を贈られた。
  • 祐崇(1426-1509):鎌倉光明寺住職。後土御門天皇の帰依を受けて、勅願寺となった。紫衣着用を許され、十夜法要を創始した。如空、長蓮社観誉。
  • 愚底(1445-1516):知恩院23世。松平親忠(徳川家康の祖先)の帰依を受け、大樹寺を創建。真蓮社勢誉。
  • 存牛(1469-1549):松平親忠(徳川家康の祖先)の子。知恩院25世となり復興。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。

近世

  • 称念(1513-1554):捨世派の開祖。江戸天智庵、京都一心院を創建。三蓮社縁誉。
  • 清玉(生没年不詳):織田信長の帰依を受けた。阿弥陀寺を創建。東大寺本願。生誉
  • 以八存易(1539-1614):袋中の兄。捨世派の僧。誕生寺を復興。宮島に光明院を創建した。行蓮社信誉。
  • 貞安(1539-1615):安土法論に参加。大雲院を創建。敬蓮社聖誉。
  • 幡随意(1542-1615):知恩寺33世。藤田流から白旗流に帰参。幡随院を創建。キリシタンの糾明を担当。演蓮社智誉向阿。
  • 存応(1544-1620):増上寺中興、12世。徳川家康の帰依を受け、増上寺を徳川家菩提寺とした。関東十八檀林制度を確立。慈昌、貞蓮社源誉、普光観智国師。
  • 弾誓(1552-1613):念仏行者。捨世派の僧とみなされる。天台宗僧ともみなされる。佐渡で阿弥陀如来から仏頭を授与されたという。古知谷・阿弥陀寺など多くの寺院を開く。
  • 袋中(1552-1639) 名越派の僧。琉球に渡る。
  • 果空俊弌():禅林寺37世。徳川家康と二条城で面会し、当流総本寺と認められ、西山派諸法度を受けたという。
  • 霊巌(1554-1641):霊巌寺を創建。知恩院32世となり、火災に見舞われた伽藍を復興。檀蓮社雄誉。
  • 策伝(1554-1642):誓願寺55世。落語の祖と言われる。『醒睡笑』を記す。安楽庵。
  • 呑龍(1556-1623):藤田流から白旗流に帰参。上野大光院などを創建。赤子を養育し、子育て呑龍と呼ばれた。信仰の対象となっている。源蓮社然誉大阿。
  • 尊照(1562-1620):知恩院中興、29世。徳川家康の帰依を受ける。「関東浄土宗法度」制定に関わり、浄土宗の総本山としての地位を固めた。行蓮社満誉。
  • 廓山(1572-1625):増上寺13世。存応に師事。伝通院の中興。浄土宗法度の草案を作成。江戸城で日蓮宗日経と宗論。定蓮社正誉、一実。
  • 大空恵雲(?-1699):光明寺35世だったが、『円頓戒補助儀』論争で追放され、除歴される。
  • 祐天(1637-1718):増上寺36世。盛んに念仏布教を行う。徳川綱吉や家宣の帰依を受けた。鎌倉大仏を復興。愚心、明蓮社顕誉。祐天寺に祀られる。
  • 忍徴信阿(1645-1711):浄土宗興律派(浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で西明寺を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、神鳳寺での修行を臨んだが、真言宗寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の山城・正法寺に滞在。知恩院に晋山した万無に招かれ、京都の法然院を創建した。宣誉。
  • 性憲慈空(1646-1719):西山派の興律派(浄土律)の僧。真言律宗の慈忍慧猛に師事し、菩薩戒を受ける。深草の真宗院を復興。
  • 霊潭性澂(1676-1734):興律派の僧。肥前出身。藤原氏。忍徴信阿に師事。律は真言律宗の安養寺戒山慧堅に学ぶ。京都に聖臨庵(照臨庵)を開く。
  • 信培湛慧(1676-1747):興律派(浄土律)の僧。京都出身。谷口氏。華開院息庵のもとで出家。霊潭性澂に戒律を学ぶ。京都長時院を再興。澄蓮社忍誉。
  • 無能(1683-1719):鎮西名越流、捨世派の僧。31歳で男根をたち、常坐不臥行を続けた。興蓮社良崇。
  • 敬首祖海(1683-1748):興律派(浄土律)の僧。増上寺で出家。忍徴信阿に師事。江戸の正受院を律院とする。浄土律院規則を定めた初めともいう。下谷寿永寺に埋葬され、同寺も律院となる。
  • 忍海(1696-1761):興律派(浄土律)の僧。最初、増上寺鉄船に師事し、のち敬首祖海に学ぶ。増上寺宝松院に住す。宝蓮社曇誉。
  • 関通(1696-1770):興律派(浄土律)の僧。敬首祖海から菩薩戒を受ける。祐天にも学ぶ。多数の寺院を創建。一蓮社向誉。
  • 普寂徳門(1707-1781):興律派(浄土律)の学僧。真宗大谷派の寺院出身であったが、西山派を学び、のち興律派の長時院長泉院に住した。
  • 徳本(1758-1818):念仏行者。江戸一行院を創建。各地を教化して巡歴した。名蓮社号誉称阿。
  • 播隆(1782-1840):槍ケ岳開山。浄土宗には珍しい山岳信仰の行者。
  • 唯念(1791-1880):念仏行者。富士山麓に滝沢寺を開く。特異な書体の名号碑を各地に建てた。

近代

  • 山崎弁栄(1859-1920):光明主義の開祖。晩年、時宗無量光寺住職となる。光明学園を設立。
  • 椎尾弁匡(1876-1971):増上寺住職。共生運動を唱える。大正大学学長。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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